第51話 ここを黒焦げにしちゃうんだぜ
*51*
「じゃーなー、桃!」夕方になって、合宿もお開き、一泊なんてあっという間だ。バレー部のみんなと別れた萌美はぽつねんと校庭前で手を振った。運動部の大半はこの1日だけの夏合宿を終えると、それぞれそのまま「選抜」や「遠征試合」に向かうらしい。
がらんどうになったグラウンドや、体育館が元気な主たちを失って、しょんぼりしているように見える。
夜空に星が輝き出す時間がやって来た。空は夕焼けなんか忘れちゃって、もう、濃紺だ。
(こうして見ると、篠笹って広いんだ……)
夏風が萌美のほつれた髪をそっと揺らす。
(楽しかったな……あたしも、出来ることがたくさんあった。でも、バレーボールたくさん転がしちゃったりしたけど)
くす……想い出しながら遠くなった時間をゆっくりと眺めていると、突然ぽん、と背中を叩かれた。萌美が振り返ると、ぽん、と叩いた竹刀が引っ込んだ。「よ」と竹刀を持った尼寺が萌美の肩を突いたのだ。
「尼寺先輩! あれ、剣道部は遠征とか行かないんですか?」
寂しくなりかけたところだった。嬉しくてたたっと駆け寄ると、尼寺冷静(にでら・れあ)は竹刀をぽんぽんと肩に弾ませて、「あんたを見てろって言われているからね」と微笑みを向ける。
――?
(あたしを見てろ? また、蓼丸の清純なお願いごとかな……)
あの眼帯王子はすぐに手下を作るリスペクトの天才だ。ふと、(蓼丸が振った二年の女子)の話を思い浮かべる。胸がきゅうっと小さいくせに、さらに更に縮こまった。困る。
ブンヤチェシャ猫の二条の言葉によると、尼寺冷静には「生徒会役員の中に恋人がいるって噂」だそうで……。蓼丸も尼寺も二年で、美人美男子同士。どうしても蓼丸を思い浮かべたがる頭を振った。
「どうした? 不安そうな顔して」尼寺は竹刀を下ろし、「大丈夫?」と萌美を覗き込む。凛々しい眉に、切れ長の目、さらさらの髪の毛に綺麗な頬と唇。男子と間違うのではないかと思うほどの威風堂々さ。
「不安になっちゃったんだもん……尼寺先輩、あの」
「……可愛い」と呟くと、尼寺は「なるほどねえ」と萌美を撫でた。「こりゃ、からかいたくもなるだろう。こんな可愛い小羊ちゃんが蓼丸諒介のそばで愛でられてると思えばね」
きょとん、と顔を上げたところで、「尼寺!」と蓼丸が尼寺を呼ぶ声がした。
「ああ、蓼丸」
「蓼丸、じゃない。一年生の俺の可愛い彼女を苛めないで貰えるかな」
(可愛い彼女! ハイ!)振り返ると、蓼丸と尼寺は同じくらいの背丈で、睨み合っていた。
(またぁ?)と騒動の兆しにウンザリしかける前で、尼寺の口調が大胆な嘲笑になった。
「で? また、その眼帯外すのかな? 受けて立とうか? 海賊の掟だろ」
蓼丸は小さく首を振った。後で、片眼をぎっと開けて見せた。
(もしかして、本気で怒ってる? 初めて見る顔付き……)
ぞっとするような鋭い視線に、尼寺は「冗談だよ」と肩を竦め、竹藪の方面に目を向けた。蓼丸は眼帯をしている側の頬をひくつかせていたが、やがて片眼を眼帯の上から押さえ、呼吸してふっと顔を上げた。もう怒りの形跡はない。
(なに、今の怒りかた……怒るとビームだすとか、刻印が出るとか?)
ありえそうで恐い。……お馬鹿の戯言です。ビーム出したら尚更恐い。
「尼寺」尼寺はふっと笑うと、「心配ないだろ」と片眼を瞑ってみせる。
「1度ブッ叩いたからね。さすがに懲りたか。ボディ・ガード代は請求するって女王様に言っておいて。あんたも、何事もなくて良かったな。……でも諦めてはいないだろうが」
「ああ、助かった。剣道部も尼寺くらいの猛者がいればいいのに」
「仕方ないさ。団体戦は憧れだけど、一人で勝ち続けるも楽しいものだから」
尼寺は軽く笑って、「じゃあね、桃ネコちゃん」と手を振って去って行った。最後まで凛々しい後姿だ。
「凛々しい、か。あたしには無理だなぁ……」
蓼丸はまだ目を周辺に向けていたが、ふうっと優しい声音になって、萌美に笑いかけた。
「尼寺はガードしてくれていたんだ。俺と、桃原をね、女王様に頼まれたらしいな」
「え? ガード? ……ねえ、あの人、生徒会役員の中に好きな人がいるの?」
蓼丸は「また、二条からの情報だな」とぼやいて、頷いた。遠くの空を見詰めて、ぼんやりと告げた。
「ああ、よく知ってるヤツ。切ないよ……叶わなくてもいいんだって。かつて彼女の名前を呼べた人はただ一人。冷静って書いて、れいあ。和歌を知らなきゃ詠めないよな。名前を呼ばれて嬉しかったって。そりゃそうだよ、尼寺の想い人は和歌に強い」
「え? 織田会長? それとも蓼丸?」
蓼丸はははっと笑って頭をぽんとやった。
「俺のはずがないだろう。おい、尼寺に絶対に織田会長の名前を出すなよ。険悪の仲だから。と言っても、尼寺が勝手に憎んでいるだけだが……」
「蓼丸じゃ、ないんだ……」ほっとして口元を拳で押さえた。
「でも、素敵な人だったよ。助けてくれたんだ。いっぱい」
「そうか」
蓼丸の声は夜に溶けて、がらんとした校内に静かに響き渡った。
****'
空の雲は少しばかり不気味な横広がりで、すっかり輝く星を覆い隠している。地面と空は同じ色だ。祭りの寂しさも手伝って、萌美は力なくしょんぼり呟いた。
「星、見たかったのになぁ……」
「仕方ないさ。こっちももうすぐ終わりだから、迎えに来たんだ。バレー部は遠征決まってたし、一人で帰らせるつもりはないから」
「うん、ちょっぴり寂しかった」
「この合宿はね、運動だけで青春が終わってしまう運動部の生徒への学校側の想い出作りなんだ。少し前の校長が決めたんだって。だから伝統になってて、問題も多いけど、楽しかっただろ」
「うん! あたしもちょこっと助けてあげられるんだって分かったよ」
(蓼丸が努力してくれたからだね。パパとママに、いっぱい報告するね)
「ありがと」
もそそそ……手をギクシャク伸ばして、大きい手を捕まえた。蓼丸は気がつかない振りで、きゅ、と手を握ってくれた。
やっと、手を繋げた。その時、サアアー、と雲が霽れて、ぽっかりした三日月が姿を現した。
「夏の新月だ。さて、桃原。新月を謳った和歌はなんでしょう」
いきなり古語! (ええと、えええと……)と唸っていると、蓼丸は「白楽天の漢詩」と答えてくれた。
「三五夜中の新月の色 二千里の外の故人の心……離れていても、どんな気持ちで同じ月を見上げているんだろう、ってね。人の心は千差万別。何が正しいか、正解なんてないのかもな」
「うん、離れていても……?」
不安になる言葉に振り仰ぐと、蓼丸は「桃原」とちょい、と空を差した。チビが爪先立ちで見上げると――。
広い夜空にチカチカと星が見え始めて――一気に雲が霽れた。満天の星空は都会では珍しい。
「すごい! こんなに良く見えるの?」
「夏の空気は一気に雲を霽らすんだよ」言葉通り、真夏の星座が次々と姿を現した。
――広い校庭にたったふたりで、大好きな学校で星空を見上げる。幸せってこういうことを言うのかも知れない。
「これを見せたかったんだ、宝石箱」と蓼丸は片眼に星屑を詰めて、萌美を見下ろした。オッドアイの薄い目に星が詰まっている様は、銀河を見ているみたいで。
「せっかく、綺麗なんだから、両眼で見れば?」
「いや、さっき、本気で怒ったから。知っていて言うものだから。危険だから止めておく」
(危険? いつもの口説きが?)萌美は「もしかして」と眉を潜めた。
「もしかして、目からビーム出るとか?」
……お馬鹿の台詞を夏風がひゅー、と攫って行った。後で、「ぷっ」と蓼丸が吹き出した。
「そうそう、ビームが出るんだ。そうして、ここ」とトントン、と萌美の胸を突く。
「ここを黒焦げにしちゃうんだぜ、どうする?」
超絶ウインクですでにトーストのようになった心がズキンと痛む。
――好きすぎて困るってば。
マコとは違う。緊張して、ときめいて、純情な心を必死で隠して疲れてオーケストラ鳴らしていっつも大変。
ぷしゅーとなって、萌美は夢うつつで呟いた。
「ねえ、好きだよ……?」
「涼風もだろ。協定を破るんじゃない。まあ、でも……桃原。桃原? 桃原?」
心から溢れてくるたくさんの恋の音に流されて、あまりに夜空が綺麗で、「えへ」と目を手首で擦る。
「うん、マコも好き。お互いを大切にしてる二人がどっちも好きだよ!」
遠くで星が輝いた。夏の大三角形のはくちょう座α星のデネブ、わし座α星アルタイル、こと座α星ベガ……綺麗な三角形ではないけれど、きっちりと繋がって輝いている。繋がってるんだよ。三つ。
「蓼丸、今度はデート、しようね」
蓼丸は萌美を覗き込んで、口角を僅かに上げて見せる。
「そんな可愛い言い方してたかな。聞いた時は確か「ねえねえ、デートしてよ。たまには二人っきりでさ……いちゃこらしたいの」じゃなかった? そっちのが好み」
「わー! 恥ずかしいからっ! 蓼丸! 実は性格悪いでしょーっ!」
「さあ、どうかな~?」
悪戯の言葉を残して逃げる蓼丸を追いかけていると、
「じゃれてますけど、もう片付け終えましたよ」と杜野と、「蓼丸さん、俺のトランプ・マジック昨日邪魔しましたっすよね? ここでやっていいすか?」と暢気な涼風が歩いて来て――。
四人で空を一緒に見上げる。
トランプの散らかった夜空には、しっかりと夏の星座たちが輝いていた――。
◇◆真夏の校内部活動合宿編★Scandal!【了】
⇒怒濤の篠笹体育祭開幕編★Scramble! To be continued・・・
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