第50話 福神漬けに挟まれて

*50*


 合宿2日目。バレー部女子有志はブツブツ言いながら講堂に大鍋を運び込み、野菜をどぼんと入れて、先生立ち会いの下、火を入れたところである。


 ――篠笹高校真夏のカレー大会。生徒会から「2日目のお昼はカレー大会が伝統」とまた有り難くない伝統を押しつけられ、結果一番人数の多いバレー部と陸上部、若干の手伝いの剣道部の大仕事になっている。


「70人分のカレーって味の配分分からないよねぇ」


「切り出しはこっちでやるから。はあ」女子故の苦難の連続。そのうち「りんご入れるんだっけ?」「椎茸入れないの?」など怪しげな雲行きになってくる。


 萌美もそのカレー作りの一員として、バンダナを巻いて頑張っているところである。ところで、でんと置いてある大きい瓶が気になった。大好物の予感。


「あのでっかい瓶なに?」


「福神漬け。テニス部の女子の中に漬物屋の娘がいるんだってさ」


(わあ、大好き!)


 しかし70人のカレー作りは一仕事だ。「ごはん炊けたぁ~?」と手伝いの管理人の奥様まで巻き込んで、講堂は忽ちカレーの香りで包まれていった。


 でも文句は言わない。


 ――合宿参加者の懇親会を兼ねるカレー大会には、生徒会役員も来るはず。と言うことは、蓼丸や涼風も参加出来る唯一の機会だけど、生徒会の多忙さは言葉にし難い。


(朝も、ナニやらバタバタしてたもんなぁ……)


 風の噂で柔道部が活動停止になったとか。生徒会長・副会長がいない以上、書記の蓼丸が決裁しなければならない。


 ぐーりぐーりとたくさんの具を入れた大鍋を力一杯かき回した。


「桃原さん。背がちっちゃいんだから、踏み台を使わないと」

「あ、あざっす(バレー部の影響)」


 ――あ。


 振り返ると、剣道部の先輩はにっこり笑った。初日に廊下でお弁当を支えてくれた先輩だ。名前が読めない。


「ももはら……?」「めぐみ、です。……ええと」お互いの名前に首を捻っていると、先に先輩が教えてくれた。


「にでら・れあ――親の当て字だけど、和歌では「冷静」って書いて「れあ」と読ませるんだって」

「尼寺先輩ですね。あ、踏み台借ります」


 ぴょこんと乗った瞬間、尼寺はクスッとやった。「なるほど、ちっちゃいね」男顔負けのクールボイスは少し蓼丸に似ている。(素敵な人だな)と思って見ていると、かき回す鍋が重くなった。


「カレールーが溶けたからだよ。わたしが代わろう」と大篦(へら)を受け取り、難なくかき回してしまう。背中には竹刀。背もすらりと高く、知り合いのおばちゃんが大好きな女性劇団のトップスターみたいだ。


「竹刀が気になる?」気付かれて萌美は顔を上げた。


「この竹刀はね、大切な人を護る為に背負ってんの。ん、よし。味見してみて」


 てきぱきとカレーをよそってもらい、味見。なかなか美味しい。


「あとは寝かそう。――そっちは?」と尼寺はスマートに他の部員に声を掛け回った。


「――凄いなぁ」と思った視界にササッと人影が見えた。(ぬ?)と小柄を利用して鍋の背面に回ると、ハフハフしながらカレーを食べてるブンヤのチェシャ猫・二条陸の姿。


「あ、つまみ食い!」

「人聞きわりーな! くれたんだよ! あのあたりの女子が。味見してって!」


 二条はぺろりとカレーを平らげると、「尼寺冷静。中学にて剣道全国大会連続出場。今期は優勝と騒がれてる女子剣士」とブンヤの顔になった。


「生徒会役員の中に恋人がいるって噂だ。でもあいつ、俺見ると竹刀振り上げるから恐くて近寄れないけどな。野良猫のようにシッシってやるんだぜ?」


「二条ぬこだからでしょ……ねえ」


〝生徒会役員の中に恋人がいる〟どうにもざわつく二条の言葉に、萌美は僅かに動揺した。


 昨晩聞いた、「蓼丸が振った二年生の女子」が脳裏に浮かんでくる。


 ……まさかね。そんな偶然あるわけが……でも。洋画を見すぎているせいか、有り得ない展開を難なく思いついたりして。


(まさか、だったら? 蓼丸の彼女だって知ってて声掛けてきた?)


「二条ぬこってなんだよ」と二条がぼやいたが、萌美は遠くなった尼寺冷静をただ、見詰めるだけだった。胸騒ぎが、する……。


***


 しかし、胸騒ぎは数分後にはどっかに飛んで行った。サッカー部と野球部の男子が雪崩れ込んできて、カレーカレーカレーの大合唱を始めた。女子たちは大慌てでカレー鍋をかき回し、「お代わりは後!」の声を張り上げて配膳の始末になった。


「これが楽しみで合宿やるんだもんなぁ! 母ちゃんのカレーより、うめえ!」

「福神漬けどこ? 福神漬け!」

「あ、部長! 俺の福神漬けどうぞ!」

「男の福神漬けなんか食いたくもねぇよ! おーい、誰か福神漬け~」


 大騒ぎのグラウンド第一陣の後は、体育館組がやってきて、バスケ部とバレー部はさかさか食べてすぐに離脱していった。男子はよく食べる。しかし、女子の陸上部たちの食いっぷりに驚いて、やっとバレー部女子のお昼……にようやく生徒会役員がやって来た。


「お疲れさまです」と先生に挨拶して、蓼丸はにこと萌美を見つけて優等生の微笑みを向けた。


(ほわぁ)とまたお馬鹿顔の萌美に、「ほれ、あんたの分。福神漬けサービス」と雫がお皿にカレーと福神漬けを盛ってくれた。別の場所でカレーを受け取った蓼丸の傍に駆けつけると、蓼丸はどん盛りのカレーを受け取ったところだった。


(どわ! カレーのお山が!)


「おー、桃! 一緒に食べねーか? 運動部女子有志すげーな。これ作っちゃうんだから」

「食べる食べる」


 ――平和だな。……萌美はほっと顔を緩めた。刹那、蓼丸が萌美のカレーの福神漬けの山に気がついた。


「……桃原、福神漬け多くない?」

「あ、こいつ、幼稚園の時から福神漬け好きなんスよ」


 蓼丸はふうん、と一言、スプーンで福神漬けを掬って萌美に向いた。(ん?)と思っていると涼風も同じく福神漬けを掬って萌美に向いた。


(あ、福神漬け)と身を乗りだしたところで、一足早く、蓼丸のスプーンが萌美の目前にやってきた。


「ほら、桃原、福神漬け。俺のもあげるよ」

「ちょ、何堂々と! 眼帯外した時、ネジも吹っ飛んだんスか? お、桃、これ好きだよな~ 福神漬け~」


(な、なんで両方から挟まれて、福神漬けで攻撃されてるの? あたし)


 蓼丸が不思議そうに首を傾げ、笑顔になった。


「俺が喰わせるので、いいよ、涼風。桃原が困っているんで、お引き取りを」

「いーや。あんたのスプーンがイヤだって顔してんだろ」


 ぎょ、と片眼が萌美を捉えた。「ち、違う違う」と手で合図して、やっぱり蓼丸のほうに口を近づける。


(桃原萌美。彼氏と間接キス、第二回目行きます……っ!)


 ――キス?


***


「このお姫様はね、揺れてるんだよ。涼風のことも好きだから。だから、3人が心地良いわけだ。それに甘んじてやるのも悪くない。姫の願いを叶えるも王子の役目。しかし、些か欲張りだねお嬢さん」


***


 昨晩の蓼丸の言葉を意識するなり唇が動かなくなった。気付いた蓼丸がスプーンを引っ込めようとしたので、手首を掴んだ。福神漬けが零れ落ちた。


「たべ、る……っ! けど、これ、決定じゃないから……! あたしは」


「三人がいいんだろ、分かってるよ。涼風、我らがお姫様が困ってしまった。どうする」


 涼風はわざとらしく立ち上がって、「俺、お代わり貰ってこよ」と場を離れた。


(どうしよう。どっちかなんて、選べない)


 数度の決め手はその都度引っ繰り返る。蓼丸を知れば蓼丸の魅力に気付き、涼風の真っ直ぐさに救われて……こんなに困ってる女の子、他にいましたか?!


「困るよぉ……っ」涙目になった萌美の頭を蓼丸は何度も撫でてくれた。


「いやでも、決まる時は来るよ。それまでは、ゆっくりでいいじゃないか。ほら、福神漬けでも食ってさ」


 あむ。スプーンの福神漬けを口内に導く蓼丸の目は優しいものだった。


(ちょっと、ほっとした……)


「カレー食べるね。みんなで作ったんだよ」と泣き笑いになった萌美に、蓼丸は告げた。


「たまにはデートしようか、涼風には遠慮して貰ってさ」

「あ、うんっ……?」


「いっつも3人というのもね。代わりに、涼風と二人で出かけて構わないって言っておくよ。選ぶのは桃原だ。昨晩は済まなかった」


 やっぱり気にしている。クリスマスまで待てないって蓼丸は告げたのだから。


「ねえ、クリスマスまでってなぁぜ?」


 蓼丸は見るからに赤くなって、ごほ、とカレーを詰まらせた。


「ユールの夜(※スウェーデンのクリスマス)に桃原を抱こうと思ってる」


 カレーを皿ごと落としそうになった。ピアノがグリッサンドして鍵盤を勝手に走る。ダララララララ……。


「だ、抱く??? あ、はは。やだなー、やっぱそういうこと考える? はは……」


(ハハハハハ。どう言えばいいのかわかりません)


「ら、らしくないよ? 蓼丸、そういうエッチなことも……」


(あー、何を言ってもあたしがいやらしくなるじゃんっ!)


 蓼丸は視線を逸らせて、また「ごほ」とやった。


「考えるよ。何度も触れただろ? 好きなら俺を受け入れて欲しいって思うようになるって。それが好きって気持ちかも知れないよ? 女の子にはわからないか」


(わからないよ。三人でいようって言ったのに、反則台詞ばかり。騒動の種の眼帯王子め。いつしかあたしの専用オーケストラが出来ちゃったよ)


 萌美はカレーを口にして、飲み下すと、蓼丸を見詰めた。眼帯の蓼丸は半分だけ、心を見せているのかも知れない。全部見せると、アレだから。


「……敵が増えたよ。でも、俺の仕事だからね。飲酒はすんなって言ったのに。柔道部活動停止」


 今度は柔道部の悩みだ。色んなことを瞬時で悩むらしい。とりま、カレーを平らげた後、落ち込んだ背中にそっと手を置いた。


「蓼丸の背中、丸まってるよ。俺を選べって言えない気持ちも分かる。そんならマコに諦めてもらいたいけど、そうすると蓼丸が今度は「いいのか」って悩むでしょ」


「――ああ。涼風の気持ちも分かるから」


 蓼丸は「だから、選べないと言ってるのか?」と心底驚いたようだった。コクンと頷くと、「ありがとう」と返ってきた。


(やっと、伝わった。そう、この問題は、このScrambleは好き・嫌いだけじゃ決められない。どっちと、いたいか。なんだよね)


「マコも一生懸命だから。最初の日で諦めてくれたら良かった。でも、マコの良さもちゃんと蓼丸は伝えてくれるし、教えてくれた。マコもそう。だからね、三人が楽しい! どっちか選ぶから、もうちょっと三人でいたいなって……だめ?」


(本来は、蓼丸と二人だけなはずだった。そこに涼風が割り込まなければ、わたしたちは巧く行っていたのだろうか……?)


 外面だけしか見せなかったこの人の、内面を知ることはできなかったと思う。

 だからこそ、涼風をも気にし始めたのだから。


「でも、デートはしよう。あ、桃原。今夜、合宿終わったらいい?」

「うん。片付けなら手伝うけど」

「約束の星。晴れるように祈ってろよ」


 カレーを空にした蓼丸はすぐに生徒会室に戻っていき、涼風も杜野の分のカレーを受け取って帰って行った。


 雫がぼやいた。


「そっか。あの二人を桃に逢わせてやろうと、杜野はちゃっかりと点数稼ぎしてんのか。逢えたら良かったんだけどな」


「え?」雫は「さーて、部活、部活~」と萌美の背中を叩き、片付け組と交代した。


 桃カレScrambleは早くも半年が経とうとしている。半年で知ったのは、蓼丸の優しさと、本心。涼風の優しさと本心。はかりにかけることはしたくない。



 ――だからあと半年。笑って泣いて、困って、心でちゃんと決めよう――。

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