第49話 夜の学校にいるんだ……なんか、スゴイことしてる。ただの夜這いだ!

*49*


「おやすみー」と管理人さんの隣の和室で女子は布団を敷いた。男子はそれぞれ寝床を確保するらしい。


「こういうとき女子っていいよね」と騒ぎながら、過ごしていると、色々な部の女子が集まってきた。総勢20人。クラブハウスで過ごす女子もいるらしい。


 家庭科部からの応援もいて、簡単にできる差し入れを教わったりでまるで修学旅行みたいで楽しい。


 寝間着用の私服に着替えて、歯磨き、シャワーの簡単な身支度を調えると、女子定番のピロートークになった。


「桃、蓼丸さんと付き合ってるの? 雫から聞いてるよ!」

「あ、う、うん……? いちお」


 ――一瞬涼風とのScrambleなやり取りが出ないかと冷や冷やしたが、女子の興味は同級生のお猿より、蓼丸のみらしい。


「すごいよねえ、あの蓼丸を彼氏にするって。みんな恐れちゃうよね~」


(あれ? そうなの?)言われて見れば、蓼丸は中学の時より、女子の影が少ない。


「去年のバレンタインでね、生徒会長が「チョコ解禁」にしたのって知ってる? あれで校内が滅茶苦茶になったの。だってみんな織田会長にチョコ、渡したいし、受け取ってくれるから、ずらっと並んじゃって、本館前で大騒ぎよ」


(うわあ。想像できるわ)


 朝にあられもなく女子高生といちゃつく神経があれば、「チョコ全部もってこーい! 女の子からなら、世界中のチョコ。受け取るよ!」いかにもな感じ。


「で、蓼丸さんが怒って喧嘩になったんだけど、そこで1人の女の子が蓼丸さんにチョコを渡そうとしてたの」


「え? 織田会長の前で?」


「そう。堂々と。「付き合って下さい」蓼丸は「スウェーデンにはそんな流儀はないから対応しかねる」って言っちゃって……」


(織田会長。やけにスウェーデンに詳しいと思ったら……根っこは蓼丸の台詞じゃん)


「恐かったよね。あの時の蓼丸くん。公衆の面前できっぱりだもん。今まで付き合えた人、いたっけ」


「桃だけじゃない? 蓼丸、ちっちゃい子好きだって知らなかったよね。可愛がられてる感じ~ほほえま」


 褒められるのは大好き。でも、萌美は唇を尖らせた。


「厳しいですって。赤点の時なんか、目が笑ってなかったもん」

「それはそうでしょ。彼女なんだから、でも、よくクリアしたねぇ。赤点基準高いから取らないほうがいいよね……」

「地獄だったね……」


 同志だった女子たちがうんうんと頷いて、「頑張りなよ」と言ったけれど、肝心の部分の話は聞けていない気がした。しかも「さあ語るわよ!」と言っていたはずが、お疲れのみんなはすやすやと夢の中にさっさと行っちゃって……


(桃原萌美、お目々ぱっちりです)


 それもそのはず。夜更かしする萌美にとって、十一時はまだ洋画を見る憩いの時間。運動部女子とそこは違って当然だ。


(でも、この校内に蓼丸がいるんだよね……生徒会室って分かっているけど。行けないかな)


 ――それ、よばい。YO・BA・Iの文字を頭から追いだして、布団に潜り込んだ。


 ……眠れない。


(だって、目の先にいるんだよ? こんなチャンスきっとない。真面目な蓼丸は絶対に誘ってこない。問題はチェシャ猫だ。どこかに潜んでいそうだけど。行く!)


 アドベンチャーだって、動かなきゃ始まらない。


 畳んで置いた制服を抱えてそそっと廊下に出て、寝間着のセットから着替えた。そっと外に出ると、2つの灯りが見えた。きょろきょろと見回すと、人気はなさそうだ。チェシャ猫、いない。


 灯りの1つは講堂。1つは本館の玄関だ。そろそろ近づくと、5Fには煌々と電気がついたまま。ひた、ひた、ひた。子猫のような足取りで校内に上がると、そろりそろりと近づいて行った。こういうとき、オバケに恐れない自分が誇らしい。


(また怒られるから、見るだけ。見るだけだよ。こうやって、蓼丸を何度も観に行った。いつでも蓼丸を見ることに一生懸命でバカみたいだよね。あ、お馬鹿か)


 いつもと同じ学校の窓から星が見える。


「あたし、夜の学校にいるんだ……なんか、スゴイことしてる気がする」


 ただの夜這いである。――と、何かに足が突っかかった。「うーん……」見れば杜野と涼風が廊下で毛布にくるまっていた。


 ――男の子ってこれだから! どこでも平気なんだからぁ。

 

 屈んでかけ直して、そっとドアに手を添える。蓼丸は制服を背中に掛けたまま、机に腕を載せてうつぶせになっていた。


「寝てるし……風邪引きますよ~。眼帯つけたままですよ~」


 蓼丸の心の何かを封じているらしい謎の眼帯。萌美はそっと指で縛ってある紐を解いた。ドキドキする。緩んだ合間から、伏せられた瞼と、長い睫が見える。


「こうして見ると、悪戯男の子の寝顔。あどけないなぁ、男の子も」


 廊下で「くかー」のサルはおいて置いて。


「好きなのにな……いっつもちゃんと対応できないよね……キスひとつ、マトモにできないでごめんなさい」


 ぎゅうっと寝ている上から少し硬めの髪ごと抱き締めてみる。きゅううう、と腕に力を込めて、頬ずりして離した。

 顔は見られる、ぎゅう、も出来る。手も繋げる。綺麗な唇に顔を寄せようとして、ばばーんと「YO・BA・I」の文字が脳に浮き上がった。我に還った!


(これ、夜這いだよね?! 何がキスひとつだ、寝込み襲って超、最低!)


 前髪をぐしゃっと握って泣きたくなった。


「うわああああん、あたし、やっぱ最低だぁ……何やってんだろ……」

「桃原?」


(しかも起こした!)あっふ、と蓼丸は大きな欠伸をして、涙を指で拭い、また机に腕を載せ、うつぶせになった。


「ち、違うの! 違う違う! あの、どこまで出来るか試してみたくて」


「……」蓼丸は机に寝そべったまま、流し目になった。


 ――ん? なんだ、色っぽい目して。


「相変わらず、愛らしいな。俺の姫は。相手から強奪した甲斐があった」


(あたし、眼帯を外したのだった!)


「……この甲板でどこまで愛せるか……なら、付き合うが当然という話。可愛い姫。俺の揺れが波の揺れに適うかどうか見るがいい。この俺と一緒に揺られてみるか?」


(波? 揺れ? どこに?! 寝ぼけに海賊加わってとんでもない言葉言ってますが!)


 ちら、と机に伏せったまま、蓼丸は目を優しくした。


 ――どこまでも優しい色違いの両眼は、吸い込まれて仕舞いそうだ。前髪に見え隠れしている視線は高校生の視線じゃない。スウェーデンのどっかの海賊さんの目線。


「クリスマスまで、待てるかどうか微妙だな」


 ぼそりと蓼丸が呟いた。


「涼風とのタイムリミットだ。桃原が可愛いからいけない。きみは充分な悪女だ。傍にいて、俺を惑わせる」


(いえ、迷惑やお世話をかけているだけですが、あ、可愛いって言ってくれた)


 蓼丸の中ではどんな迷惑も「惑わせる」になるらしいと知った。独特な感性の持ち主だ。時折ズレを感じて言い返したくなるくらい。


「あたしは蓼丸を選んでるのに、意地っ張りの蓼丸なんか、嫌い」


「そうかな?」


 両眼の蓼丸(それが普通)は片眼の倍の迫力がある。すいっと立ち上がると、萌美の顎をちょいとつまんだ。


「このお姫様はね、揺れてるんだよ。涼風のことも好きだから。だから、3人が心地良いわけだ。それに甘んじてやるのも悪くない。姫の願いを叶えるも王子の役目。しかし、些か欲張りだねお嬢さん」


 蓼丸は告げると、小さなキスをした。がっちーんとダイヤモンドのようにカチコチになる萌美に「ははっ」と軽く笑って見せる。


「キスだけで固まるのは、俺とのキスの先を想像しているからだよな?」


 ぶんぶんぶんと顔を縦に振りまくると、蓼丸は「――ははっ」と笑った。


「蓼丸……他の子を振ったって……」


 こんなときに、こんな話題が口から飛び出た。確かに欲張りだ。


(ずっと、自分を特別って言ってくれる相手を探してる。ううん、あたしだけじゃない。誰だって好きなら「特別」って言って欲しい。あたしはそれを蓼丸に言わせようとしてる。……確かに、悪女だ)


 蓼丸は動きを止めて、「はぁ」と両眼を片手で押さえた。ちらっとオッドアイを見せると、立ち上がった。


「――バレー部の二年女子からだな。桃原、珈琲淹れるけど飲む?」


***


 机には、篠笹高校の年鑑と、歴史。それに篠笹体育祭の資料が散乱していた。


(蓼丸、本当は誰よりも、篠笹の生徒会長になりたいんじゃ……)


 そうでもしないと、この机の資料の説明がつかない。なら、どうして進まないのだろう?

 生徒会長も副会長も蓼丸に期待しているのに。


 ――期待がいやなのかな。


「ありがとう。えへへ、蓼丸のアイス珈琲、美味しい」


「遅くなる前に戻れ。で、ああ、過去の話……桃原とは現在で付き合いたいんだけどな。聞いてしまったら落ち着かないだろう。バレンタインのお話だよ。スウェーデンではバレンタインは男が女を労うから、どうもこっちの風潮が理解し難い部分があって。で、織田と喧嘩になった時に、突然「あたしは蓼丸さんを応援します」って。織田が「それはないだろ」と言って、むかっと来た俺は眼帯を……」


「なにげに喧嘩売るよね、蓼丸は」


 蓼丸は萌美にしては珍しい厭味をスルーして、会話を繋げると、はぁ、と肩を落とした。


「ますます眼帯を外すのが恐くなった。生徒会も織田会長と険悪になったし」

「険悪? そうは見えないよ?」

「俺ばかりからかってくるだろう? 仕事を押しつけられるし。社会ならパワーハラスメントだ」


 会長の口振りは、そんな苛めには思えなかった。多分、蓼丸の思い込みだ。


「そんなこと、ないよ……」しょぼんとした萌美に蓼丸は「そうか」と優しく笑って、椅子に座ったまま、足を広げた。ガタイがいいから、風格が出る。


「桃原、こっちに来て。この間の中途半端なハグから、体が満足してないんだ」

「からだが、まんぞく、ですか! あ、ハイ。大変大変」


 ティンパニーが連続で聞こえるようなぶっ飛び台詞にアワアワしながら、ゆっくりと歩いて行く。海賊風味の蓼丸の言動はいつもながら萌美のオーケストラすらバズーカでぶっ飛ばそうとする迫力だ。


「ああ、桃原だ」と蓼丸は寄り添った萌美の小さな頭を愛おしいとばかりに頬ずりした。


「じんわりと沁みて、嬉しくなる直前だった。ご馳走食べ損ねた気分だ」


 告げると、何度もぎゅ、ぎゅーっと体温を預けようとする。おそるおそる背中に腕を回して、大きな肩胛骨あたりに、そっと手を乗せた。


 さわさわと春風が通り過ぎる音。1人オーケストラは変わらず盛大で、だが、そこにオペラが聞こえてきた。萌美の顔をした太っちょの歌手が声を響かせている。


『欲しい~~~~~蓼丸が~~~~欲しい~~~~』


「欲しい……」今度は蓼丸が目をぱちくりとさせてみせる。揃った双眸の萌美はシチューを目の前にしたような呆けたご馳走待ちの顔。気付いて慌てて離れた。


「も、もういいよねっ? ほ、ほら、チェシャ猫いるかも知れないし!」

「いないだろ」

「そーじゃなくって!!」


(このままくっついていると、何だかとんでもないことを口走りそう。キスの先なんてまだ、知らなくていいの。だって恐いから。……恐い?)


 萌美は答を見つけて、ぽかんと口を開けた。さっきの蓼丸の台詞の意味が分かった。



〝キスだけで固まるのは、俺とのキスの先を想像しているからだよな?〟



 ……ああ、あたし、蓼丸が好きなのに、知るのが恐いんだ。だからどぎまぎするのかな。知りたいって思うのに、聞くのも、キスの先も恐い。


(なさけないなぁ……好きなのに)としょぼんとしたところで、蓼丸の大きな背中が動いた。


「桃原、俺の背中に隠れろ……片付ける」


(また何か来たの?!)と思った刹那、見れば欠伸をしながらの涼風が生徒会室へ入って来たところだった。


「おまえの我が儘につきあってるんだ。俺は思うほど平和主義じゃない。涼風」


 へ? と涼風が間抜けた声を出し、「おっまえ……!」と隠れた萌美を見つけた。


「え、えへへ」と手をヒラヒラさせる前で、蓼丸は唸りを上げた。


「本気だよ。よく分かった。涼風がいると、桃原は揺れ続ける。俺だけに揺れて欲しいのにそれも叶わず。もはや海にたたきおとすしかない!」


「お、おう……? なら、俺も必殺技を繰り出すぜ!」

「ほう……やってみろ」

「俺も、いつまでも弱いまんまじゃねーんだよ。桃、護れねーだろっ!」


 ――マコは諦めと、頭が悪すぎた。


 トランプを武器に、蓼丸と喧嘩を始めた図に脱力して、萌美は珈琲をずずっと啜った。


(なんか、慣れちゃった。楽しそうでいいですね。好きにやって)


「トランプ・マージック! イリュージョン!」


 シャッフルしただけのカードを、蓼丸が腕で吹っ飛ばして、カードは見事に散らばった。


「はははははは。さあ、ガンガン来いよ! 今日こそ海の藻屑にしてやるぜ!」


 クス、との声に慌てて振り返ると、廊下で寝ていたはずの杜野がニヤニヤとこちらを窺っていた。萌美は恥ずかしさで2人の仲裁を始めるべく声を上げた。


「蓼丸、いい加減眼帯してよっ! マコもカード、散らかさないっ!」


合宿一日目の夜は、こうしてドタバタと過ぎて行った――。もうもうもう。

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