第47話 ももっこ頑張ってます!

*47*


「ももっこー!、あと、1セット試合入るから! 試合シート完成させといて!」

「はーい!」


 一学期も早くも終わる。そう、夏の校内合宿開始である。朝には、大きなスポーツバッグを提げた生徒たちがたくさん校門を潜り、体育館の渡り廊下には、荷物が集められる風景を見て、萌美は僅かに興奮していた。終業式の長い校長の演説も頭を素通りし、「問題を起こすんじゃないよ! 警察になんか迎え行かないからな!」との立野風味の激励に背中を推されて、夏休みに突入。


 運動部の大半は夏合宿参加となり、学校は一層騒々しくなった。


『夏合宿参加の生徒へ生徒会よりお知らせです』と時折聞こえる蓼丸、杜野、涼風の声を振り仰いで聞きながら、萌美はバレー部の塊の中にちょこんと加わっている。


 ――蓼丸がママを説得して(パパに決闘を挑んで)まで、勝ち取ってくれた一緒の夏休み。海や夏祭りはないけれど、おそらく一番蓼丸らしい夏休みを一緒に過ごせる。


(えへ。……さあ、頑張るぞっ!)



「準備できましたー!」

「慣れたねえ」と雫や友達に囲まれて、試合シートを自慢少々で手渡した。部長と雫がさっそくチェックにやって来た。雫を一番可愛がっている様子の先輩のトレードマークはアップにしたお団子ヘアーだ。


「うん、ここであたしサーブ打ったか。夏南子先輩、先輩のアタックも良かったみたいですね」


「あらそお、当然だな」と髪をぎゅっと引き上げた2年の先輩は五条院夏南子先輩。


次期部長になる人で、てきぱきと指示をくれる。それに、運動部は何故か名前で先輩呼びをするそう。でも、何故か愛称は「ももっこ」もしくは「桃太郎」「桃」


(だから、名前が読みにくいんだってば!)とパパママにお腹で文句をぼそっとやって、萌美は体育館を見回した。


 ――世界が広がる感じ。


「夕食のお弁当が来たみたいだよ、桃、よろしくー」とタオルで頬を冷やすスタメンの生徒に頭を下げた。


「取って来ます! 台車ですよね! 本当だ、来てる!」


 配給の車を見つけて、萌美はトタトタと体育館から、講堂への道を急いだ。いつもは見ることのない、夕方の顔をした篠笹高校。家にいる時間の学校の色はなかなか新鮮だ。


「ええと、女子バレー部ですが」

「はい34個っ!」


 お弁当と書かれた車から、おじさんたちが手早く台車にどすんと箱を載せてくれた。


「むおー」


 ……34個のお弁当は重すぎた。

「んぎぎ」と台車を押したところで、ぐらり、と台車が蹌踉めいた。


(ひゃ! みんなのごはんがっ!)


「――っと」と隣から竹刀が飛び出して、車輪と地面の間に挟み込まれる。


「危険。運動部の奴らは食い物にうるさいから、注意」にこ、と微笑まれて、緋色の袴を見つける。縫い取りは「尼寺冷静」読めないが、剣道部の胴着だけは分かった。


「もう大丈夫。ここからは平坦だからさ、一年、じゃな」


 ――女性、だよね? やたらに声が低いので、男子かと思ったが、袴を捌く足つきからして女性だろう。篠笹高校には、素敵な人(蓼丸筆頭で)がたくさんいる。


 約一名、赤点地獄脱出したばかりの桃色のお猿が交じっていますが。


「体育館、体育館」と講堂から戻ると、さっきはいなかった男子が仁王立ちになって言い合い中。


「あ、陰険眼帯王子のトコのチビ」駿河秋葉が萌美に気付き、ジャージの近江も振り返った。ジャージの腕が萌美の視界に飛び込んだ。


「ひっでーヤツだな! 駿河! 手伝うとかないのか! 女の子が頑張っているのに」


「まるで無し」と言いつつ、演劇部の駿河秋葉の足と、陸上部の近江夏流の腕が左右から萌美の台車を支えてくれた。


「あ、すみません」


「秋葉、悪いがこっち手伝ってくるから。あと、いちいち絡んで来るのやめろ! 予算の件は蓼丸に言え!」


(まだ揉めてるんだ……予算の焼き肉)


 冷や汗で見やる萌美に「行こうか」と近江はにかっと笑ってくれた。


「バレー部なんだ。蓼丸王子の姫さまは」

「あ、雑用です。近江さんも、合宿お疲れさまです!」ぴょこと頭を上げて、ふわっとなった前髪を「あわわ」と押さえ、ふと、涼風を思い出して、唇をへの字に曲げそうになる。


「そうだな。合宿でしか出来ないことがあるからね。各時のトレーニングチェックとか、ライバル校の走りをDVDで分析とか。飯喰ったら、俺たちは温泉のほうに行ってくる。蓼丸によろしく」


 体育館まで台車を押してくれて、近江は素早く引き返して行った。「ありがとう」も聞く気がないらしく、背中が急いでいるが、さすがは陸上部。走りの綺麗さは、後姿からでも分かる。


「おべんとーでーす!」声を張り上げると、夏南子先輩がやって来て、きょろ、と外を見回した。


「いま、近江夏流いなかった? あたしの教科書かしたままで」


「あ、お弁当運んでくれたんです。思った以上に大きくて。今度は二人で行きます」

「お疲れ! よしよーし! みんな、夕食にしてー!」


 女子たちが集まって来た。「ほい、あんたの」と雫にお弁当を渡されて、輪に加わった。でも、わからない話題が続く。バレーの世界選手権がどうだとか、男子バレー部の顧問がどうだとか。……お弁当の味がしない。


 正直、蓼丸と一緒にいたくて参加した。でも、やっぱり、一生懸命のバレー部の皆さんとの温度差は否めない。


 ――空気、薄いのかな。くらっとする。


(わからない語句で目が回る)


「――でさあ、++++が+++でその時++++なわけで、++++++」


「あのっ……」

 卵焼きを口に放り込んだ副部長は凛々しく笑う。


「あたし、お役に立ってますか?」


「桃はどう思うの?」聞き返されて、言葉に詰まっていると、副部長は「そうだなぁ」と会話を繋いでくれた。


「役だっているかどうか、なんて、自分がそう思えばいいんじゃない? 桃は甘えただからかもしんないけど、あー、自信ないのか! いるよね、そういう子――っ」


 なるほどなるほどとイイながら、お弁当をさっと平らげて、レギンスを穿いた足をぽんっとやった。


「社会に出たらさ、利害関係がついてくるだろーけど。あ。働かなきゃ、仕事しなきゃ場所がないってヤツね。あたしらもそうなんだ。楽しいだけじゃダメなんだよ。そういう意味では、運動部は柔軟になるよね! 頑固にもなるんだけどさ。桃も、こうやって参加したことって大きいと思うんだ。それとも、蓼丸くんに逢えなくて恋煩いとか?」


 驚いて顔を上げると「美香はあたしの舎弟だよ」と親指で雫を指して見せた。


「美香には副部長になって欲しいしね。あんたのこと、嬉しそうに言ってきた。3年がお留守なので、許可したの、あたし。ついでに、蓼丸とはクラスメート。あんたの試合記録大切に持ってったよ、あの眼帯王子」


(あ)話が繋がって、萌美はほ、と頬を熱くさせる。夏南子先輩から蓼丸はバレー部の記録を受け取り、それを武器に親を説得してくれたのだ。


(どうしよう、試合記録用紙が愛しく見えて来ちゃった。きちんと、書かなきゃ)


 今度はきゅぽ、と朱ペンで試合記録のチェックしながら、副部長は「二時間だけなら」と片眼を瞑った。


「今から、視聴覚室で作戦会議。ここ、片付けたら、九時まで、自由でいいよ。明日も明後日もあるんだし。蓼丸に睨まれるのいやだからねぇ」


 かんらかんら笑って、「みんなー」と環の中に飛び込んで行った。


 部屋にいたら、聞けない言葉。見えない景色に大きな眼を拓きながら、母親の言葉を噛み締める。合わせて蓼丸の言葉も。



〝パパが「いいじゃないか。きっと萌美のためになるよ」って言うからね。みんなと頑張ってらっしゃい。萌美〟


〝桃原は、出来ることを探して、一生懸命やっている。伸ばしてあげたいと思うなら〟



「桃ちゃん、あたしたちは片付け手伝おうよ」とマネージャーたちに言われて、ささっとお弁当を平らげる。味がしなかった煮物はほんのり白だしの味だった。


***


 校内は今日はあちこちが明るくて、それぞれが何をしているか気になった。


(蓼丸とマコに逢いに行く前にちょっと回ってみようかな)


 グラウンドでは、夜なのに、野球部がナイトゲーム中。体育館は柔道部が柔軟中。パプ、のトランペットの音にピアノの音。振り仰ぐと、青春の音でいっぱいだ。


「みんな、凄いな」と思って俯いて歩いていると、向こうからチェシャ猫が歩いて来て、ごん、とぶつかってチビ同士で「~~~~~~」と廊下に蹲った。


「どっちか顔を上げようよ! 二条くん! カメラ当たったよ~~~~」


「桃原! え? カメラ? 無事かよ、コレ! 砂だらけになったからって神部さんが買い換えたヤツ!」

「カメラより、あたしでしょ! あ、二条くんも合宿?」


(というより、廃部になってるなら、不法侵入じゃないの)和泉の皮を被って疑問を抱える。


「神部さんが、「夜の校内なら幽霊が見つかるだろう! オカルト特集をやりたいから、心霊写真! 入部はそれから」って。で、「赤外線カメラを貸すぞ」って! カメラマンぽくねえ? 俺!」


 また利用されて。(関わらない)とくるりと背中を向けた。二時間しかないのに、オバケ見るなら蓼丸見たい。むすっとしたところで、二条がぶつくさ呟き始めた。


「やっぱ、旧校舎かな。講堂の裏のボロボロの校舎。あそこで見たって生徒が多いらしくて。鍵がかかっててさ、生徒会に借りに行かなきゃと思って」


(生徒会ですか! あは、ふふ、仕方ないなぁ、一肌脱ぎましょう)


「……あたし、行って来ようか?」


 わざとらしく便乗してみた。用事がないのに「たでまるー」は避けたい。涼風なら構わないが、追い返されたらと思うと立ち直れない。生徒会中の蓼丸は選挙の件をみても真面目そうだ。


(でも、この用事なら!)


「おまえ、よろず屋かよ。部活動の。どこの部も雑用欲しがってっから儲かるな」

「臨時バレー部のお手伝い! 生徒会に、用事があったし」


「おー、桃―……」


 生徒会の猿が歩いて来た。二条は「ちょうど良かった!」とあっさり鍵の話をし始めた。


(またへんなところにマコ、来るし! でも確か……オバケ屋敷でお漏らししてた気がするんだけど。記憶違いかな)


「旧校舎のオバケ? 面白そうじゃん! だよ。あー、コホン。この俺が付き合ってやる。生徒会役員の腕章を見よ!」


「腕章上下逆」とやっつけておいて、涼風が直している合間に、本館への進路を取ろうと爪先を向けた。


(お邪魔マムシがいないなら、態度違うかもだしね)


「チョイ待ちぃ!」と涼風は萌美のほっそりした腕を押さえて引き寄せた。


(何、二条とオバケ見て来ればいいじゃん)

(お、俺。幽霊だめなんだ。知ってるだろ、な? 一緒に来てくれって)

(はぁ? バカじゃないの? ……なーにが面白そうじゃん! だよ。バカ、格好つけのサル! サルサルサル!)


「サルとはなんだよ、デコぷっつん」


「あー、なんですかー? 自分で人のデコにみっともない琵琶湖作っておいて! あんたなんか、ぜえったい選ばないからねっ! 何度も言ってんじゃん。あたしは蓼丸が……」


「……1年桃原と、涼風は蓼丸を挟んでの三角関係だった! 記事いただき」


「ちっがーうっ!!」


 ファインダーを合わせてシャッターを切った二条の目は珍しそうに二人を見るブンヤの目になった。


「でも桃原が「ばかー」だの「さるさるさる」だの……なんか、意外。クラスでもちっちゃくなってると思ってたし、蓼丸さんの前では震えてんだろ」


(震えてる? あたしが、蓼丸の前で?)


「そんなことないです」

「いや、ある。いつもどっか遠慮ってーの?」


(確かに、蓼丸の前ではどこか自分らしくいられない感覚はある)


 ――マコには何となく、聞かれたくない。何を言われるか怖い。怯えた前で、涼風があっけらかんと告げた。 


「いや、こいつはいつでも男勝りだよ。二条の勘違いだし。蓼丸にも靴投げてたし」


(そこは忘れましょう!)


「そうかぁ? ジャーナリストの目からはそうは見えないんだけど」


 涼風は「そうだって」と肩を叩いて、「さあさあ、オバケオバケ」と震える足を隠して歩き出そうとした。


 ――オバケ嫌いって言ってたくせに。話題なんか、逸らさなくて良いのに。


 ちらっと涼風が萌美に視線を寄越してきた。萌美はぷいっと頬を膨らませ、またちらっと涼風に視線を戻す。でも助かった。二条のブンヤとしての追及はいつも正しいからだ。


(「ありがとう」言いそびれちゃった……)

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