第46話 生徒会書記の家庭訪問
*46*
ママの言った「とっておきのケーキ」とは萌美が焼いたアップル・パイだった。
(さすがあたしのママ! カレへの点数の稼ぎかた、分かってる!)とホールアップルパイをおずおずとテーブルに並べる。
いつも食事するテーブルに蓼丸がいるは、至極不思議で、くすぐったかった。ここなら騒動は起きないだろう。
「ママが切ってあげるから、萌美はポットにお湯」
リンゴの部分をべちょっと切るのを知っているママは、スムーズにカットして「どうぞ。この子が焼いたんです」と微笑みを添えて、お皿を蓼丸に押し出した。
「似ていますね。姉妹みたいだ」などと言うものだから、お湯を零しそうになる。ママが上機嫌になった。蓼丸は何食わぬ顔でにっこりと微笑む。考えたら、生徒会長なんぞに慣れきっている蓼丸は、PTAの扱いも心得ていて当然。
ルビー色の紅茶を淹れるママの顔もほんのりと赤い。すると、蓼丸はにこっと微笑んで、長い指をテーブルで組んで見せた。
「桃原を合宿に参加させたいと思ってまして。今日はそのお願いに来たのですが」
――直球! ママ……母親は僅かに眉を潜めた。
「合宿? でもこの子は何もやっていないし。お邪魔でしょう」
「これを見ていただけますか」
蓼丸は鞄を開けると、用紙を一枚テーブルに広げた。(あ!)と蓼丸を見やると、「バレー部の副部長に頼めたんだよ」と優しげに告げる。
――バレー部の試合記録だ!
「バレーって記録が難しくて有名なのですが、これを桃原は一生懸命覚えているそうです。バレー部の副部長が感心して、俺に見せてきたんですよ。それで気付いたんです。桃原は、出来ることを探して、一生懸命やっている。伸ばしてあげたいと思うなら、俺に任せてくれませんか?」
両眼を露わにしたまま、蓼丸は母に詰め寄った。母はしげしげと用紙を手にした。
「……これを、萌美が?」
「ええ」
「懐かしいわあ。ママもね、バレー部の先輩と試合を振り返ったものよ」
(何人いるんだ、ママの〝懐かしい〟は)
母は「そうか」と嬉しそうにバレーの記録用紙を再びしげしげと見詰めた後、萌美に向いた。
「あんたも、合宿行きたいのね?」
「うん。蓼丸の傍にいたい。みんなと楽しく過ごしたい」
すっと母親は立ち上がると、ポットを持ってティーソーサーでルビー色の紅茶のお代わりを淹れた。
「先程から気になってましたが、お洒落な食器ですね」
「輸入品のお店の見切り品。今度、萌美といらっしゃいな。うちのお店」
「はい。どうりで桃原の持ち物が洒落ていると思った。カーテンもスウェーデンの色合いだし、絨毯はトルコですしちょっとした、シャビーシックなモデルハウスが出来ますね」
(蓼丸……イベントやりたいって言ってたような)
「あら、インテリアに詳しいわね。お国はスウェーデン?」
「クォーターですよ。僕は。祖母があちらのかたで。スウェーデンではカーテンを閉めないんですよ。だから、ズドンとした布の繊維がはっきりしたコントラストが好まれるんです。クリスマスになると、部屋からユールの炎がゆらゆら見えて、それは美しいんです」
「素敵ね」と母親はうっとりして、「何故、眼帯を?」と首を傾げた。
「オッドアイを隠してるんです」
「スワロフスキーの眼帯。ちょっと見せて」
「あ、いいですよ」と蓼丸が母親に眼帯を渡したところで、玄関がちりりんと鳴った。
「あ、パパだわ」
(あ、ママ、蓼丸の眼帯持ったままで!)
「あら、早いのね。うふふ、今ね、桃カレさんとお話していたの。あなたも」
蓼丸がぶるっと震えた。「俺の王女……」とゆらりと立ち上がった。
(まさか! ちょっと、相手はパパなんですが!)立ち上がるも遅かった。
「ママ、蓼丸の眼帯かえしてあげて! パパと決闘しちゃう!」
蓼丸は綺麗な口元できっぱりはっきりと告げた。カーテンのうっとり蓼丸を吹っ飛ばして、仁王立ちになった。
「お父さん、娘さんを戴きたい。僕と決闘してください! 今、ここでだ!」
父は足を止め、「カリビアン・ドリーム観るかい?」と萌美にそっくりな口調で嫋やかに返すのだった。「あ、いいわね。あたしあの俳優好きよ」と母親がDVDをセットし、さすがの蓼丸も度肝を抜かれる平和さで、父は告げた。
「もうちょっと萌美といたいので、待ってくれるかな……ええと、きみは」
「桃カレですって」と母の悪戯な言葉に頷き、「桃カレくん」と窘められて、蓼丸は言葉を喪った。
「はい、眼帯。しっかりつけて」「そうだな」と蓼丸はささっと眼帯を装着、「手伝いますよ」と食器を重ねてそそくさ、でもしゃあしゃあと台所へ持っていった。
***
月夜がとても綺麗。「萌美も懐いているし、泊まっていけばいいのに」との父の誘いを「とんでもないです」と蓼丸は断った。何故か鍋を堪能して、帰る判断になった。
「どうなることかと思ったけど……うふふ、パパと仲良くなっちゃったね」
「……ああ」
蓼丸は思い出して笑いを堪えているらしく、肩を揺すっている。(あれ? 落ち込むと思ったのに)と萌美が窺うと、蓼丸は目を三日月にしたところだった。
「――海賊好きに救われたってところかな。『カリビアン・ドリーム』観損ねていたから。いいご両親だね」
「そうかな……。いつもあんな感じ。あ、ここまででいい? またママが心配して出て来るから……と思ったのに、いないね」
振り返ると、母親の姿はなく……。きょとんとする萌美の頭を蓼丸が撫でてくれた。「信用して貰えたみたいだ。可愛いお母さんだな」
公園のとば口で、萌美は足を止めた。
「蓼丸、今日はありがとね! 一人じゃ出来ないこと、いっぱいあるから……ねえ、あたし気づいたんだ! 自分の好さって、あたしが見つけるもんじゃないって。証明苦手だったけど、証明するのは、大好きな人たちなんだって」
(蓼丸が、今日来なかったら。――友情と、家族の狭間に落ちて、泣いていたかも知れない。蓼丸がバレー部の頑張りを伝えようとしなかったら、ママはあそこまで優しくなかったかも知れない)
「しかし、決闘の答えが〝もうちょっと萌美といたいので、待って〟か。大切にされた桃原を、どう大切にしていくかな」
蓼丸は月を見上げた。
「人を大切にする……か。難しいよ。結局自分が認識して、見返りを考えないようにするしかないんだな」
(蓼丸……)声を掛けあぐねていると、蓼丸は桃原の手を掴んで、頬を傾けた。
ただし、頬へのキス。ぎゅっと抱きつくと、小さな身体は簡単に蓼丸の中に隠れてしまう。しかもつま先立ちで、やっと首に届くこの身長の低さ。ふわっと爪先が浮いた。
背中が月の光に照らされているが分かる。夜に溶けそうだ。ふわんとスカートが捲れ上がった。気づいて蓼丸はす、と萌美を大地に帰してくれた。
「ずっと、大切にしあって行こう。桃原のパパとママみたいに。隠し事しないようにして」
――夏が近い。紫陽花が鮮やかな六月も疾うに過ぎて。太陽のような向日葵もそろそろ舞台準備を始めている。
(隠し事なんかしないようにして。蓼丸は何故か言い聞かせるように、あたしに告げた)
***
「萌美、洗い物手伝って。蓼丸くん良く食べるわねえ」と母親が、蓼丸が帰ってより、部屋にいた萌美を呼んだ。
「うん、手伝う。ママ、今日はありがと。アップル・パイ食べて貰えたから」
シャボンを泡立てながら、「で、貴女はどうなの?」と母親は一言飛ばした。
――合宿の話かな。
「みんなと、頑張りたいんだよ」
「違うでしょ。萌美はママの子なんだから、手に取るように分かるの。何に頑張りたいの? 何が好きなの?」
「蓼丸が大好き!」頬がボフンと飛んで行くかと思った。しかし、母親は「そ」と短く返答し、「条件があります」と来た……。
「1学期期末考査では、赤点を取らないこと。取ったら、お付き合いは認めません。蓼丸くんに悪いでしょ? 忙しいでしょうに、毎回毎回お馬鹿の勉強なんか見て貰って。また29点なんて取ったら、お尻叩くわよ」
「なんで知ってんのーっっ?」
「萌美のママだからです。お勉強をしない三つも29点のお馬鹿さんは、遊んでちゃダメ。今回は蓼丸くんに免じて見逃すけど」
(さては、マコのお母さんから聞いたな!)と思いつつ、萌美は顔を上げた。
「いいのっ? うん、頑張りたいし、蓼丸といたい」
にっこりと大人の萌美の笑顔を振りまいて、母親は頷いた。
「パパがね、「いいじゃないか。きっと萌美のためになるよ」って言うからね。みんなと頑張ってらっしゃい。萌美。懐かしいなぁ、パパ、バレーボールの選手やってたからね。試合記録が嬉しかったみたい。蓼丸くんに置いて行って貰ったくらいよ」
パパが、バレーボール? 初耳だ。
「ねえママ。もしかして、生徒会役員とバレー部のお付き合いしてた人ってパパ?」
母親は萌美にそっくりな丸い頬を赤らめた。
「そうですよ。パパ。蓼丸くんを見なかったら猛烈に反対したんだけどねぇ。生徒会の男の子に焦がれて、バレー部なんか頑張っちゃって。萌美を怒ったら、あの頃のママを否定することになるでしょうが。いい? 赤点は駄目。ちゃんと歴史のお勉強」
「はあい」と食器の布巾を動かしながら、
〝ずっと、大切にしあって行こうか。桃原のパパとママみたいに〟
一時間前の蓼丸の言葉を思い出した。
(多分、蓼丸は見抜いてたんだ……ママ、分かりやすいから)
「それはそうと、パパが海賊好きさんで良かったわね。暢気に「格好良かったなァ、本物のヴァイキング顔負けだよ」なんて悦んでいたわよ」
(蓼丸、どうやらパパの頭には蓼丸は「本物の海賊」としてインプットされちゃったみたいだよ)
その後、急に盛り上がった両親の恋バナを双方からしっかと聞かされて、へろへろでお風呂入って、部屋に戻って来た。
でも、これでやっと! 合宿、参加出来る! 桃原、せいいっぱい頑張ります! ……というわけで。
「さあ! 勉強……は明日から本気出す」
おやすみなさいっ!
でも、布団に入っても寝付けなくて、蓼丸がこの家に来たが嬉しくて。
――俺なんか何十回と来てんじゃん。
(マコ!)脳裏でまたもやせめぎ合った二人に「うー」と唸りを上げて、萌美は頭から布団を被って丸くなった。
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