第32話 3人で過ごす時間はもっと好き
*32*
静かな医務室にいると、授業開始のチャイムも、終わりのチャイムも遠くに聞こえる。さわさわと夏風に揺れるカーテンの音と、涼風の寝息、それに笹が揺れる音に、時折動く萌美が立てる音。
篠笹の大気は青竹に彩られて、とても澄んでいる。
(あ、4時限始まった……得意な英語だから大丈夫かな)
時計を見ると、涼風が寝込んでから、三時間。そろそろ薬も効いてくる時間だが、涼風はぐっすりだ。覗き込むと、少し瞼の腫れが引いたように見えた。
「ん、良かった。顔色ちょっと良くなったかな」
チビなので、イチイチ身を乗りだしていたところで、養護が顔を覗かせて「寝込み襲わないでね」とからかってきた。
「別に襲ってなんかっ!」
「本当かなぁ……と。ももっこちゃん、先生午後はお医者さんのセミナーなんで、不在にするけど大丈夫かな」
勇ましい白衣の女医に「はい」と返答して、鍵を預かった。「涼風くんが起きたら、ちゃんと戸締まりします」と入口まで見送って、ドアを閉めた。
――いまのうちにお昼買って来ようか。……ううん、心配だ。でも、起きた時に何か食べたいって言われたら?
ちらっと涼風を見やると、魘されてはいないし、起きる気配もない。(全くもう、格好悪いんだから)とまたぽすっと丸椅子を引き寄せた。
〝俺、おまえが好きって言ってんじゃん!〟
急にさっきの熱に浮かされた台詞を思いだして、萌美は椅子から落ちそうになる。何度も、何度も、何度も何度も。涼風は伝えてくれる。
――ん? 〝涼風〟は?
首を捻ったところで、授業終了のチャイム。校庭で体育教師が「集まれー」と声を張り上げている。
(お昼になっちゃった。教室に行けばお弁当が……唐揚げだけど、何か食べさせなきゃ)
「マコ」と声を掛けたところで、「失礼します」と声がして、四つの足音が響いた。
「涼風、倒れたんだって? 1人で大丈夫か?」
「たでまるー! ……と」見慣れて来た宮城の髪は少し青みがかっている。え? と思う前で、蓼丸が「偶然逢ったんだよ」と優しく告げて、「おい、涼風」と歩み寄った。
「具合は? 演説のほうはどうだ」とは宮城。さすが理路整然としてると思いつつ、萌美もシャキッと応対しようとしたところで、腹がぐー、と先に返事をした。
「すみません……この、おなか!」とパンチくれたところで、宮城はふっと笑った。
(え、笑った? アンドロイド王子が)
「頑張り過ぎだな」とさも可笑しそうに告げて涼風に視線を注ぐ。
「屋上で、何度も何度も読み上げていたんだよ。僕は涼風を見ていたからな。一時間くらいか。原稿を何度も何度も。1人で声を張り上げて頑張ってた」
(そうだったんだ……)
蓼丸に時間を譲った間、涼風が1人で演説の練習をしていたかと思うと、胸が熱くなった。目尻を指でそっと押さえる。
「つくづく、あたしと同じ……お馬鹿なんだから」
「練習し過ぎも良くないよな、桃原」
(うっ)となるような爽やかな意地悪を喰らって、うー、となったところで、涼風が瞼を上げた。
「俺……っ! 今何時?! 終わっちゃった夢みた!」
「正午だよ」と宮城が答え、「大丈夫か?」と涼風を覗き込んだ。
「顔色は悪くないな。薬は?」「先生が飲ませて行ったので」「そうか……」と宮城は頬を緩めて、「いけるか?」と先輩口調になった。
「勿論ッス! 俺、色んなモン背負ってるッスから! 蓼丸さんのお手伝いもしたいし!桃と過ごせる時間は俺が確保するって決めてンす」
「……和泉の問題も背負ってくれているしな」
初めて宮城の口から「和泉」の話が出て、萌美は何だか嬉しくなった。〝つばにゃん〟こと和泉椿と、宮城滝一の壁はあまりに哀しく、見ていて辛いから。
涼風と顔を合わせて、「はい!」と元気に返事をした。
「宮城さん、このおサルがちゃんと出来たら、つばにゃんって呼んであげてくださいね」
宮城はきょと、と目を丸くする。その表情は同じ事を聞いた和泉を思い出す表情で、「当選したら、だ。理系の僕には結果を見せたほうが早い」と全く同じ台詞を置いて、「やることを思いだした。蓼丸、後は頼む」と出て行った。
――ツンデレ度合いまで一緒。仇名変更。ツンデレ監査ズ。
「ぐぅ~」「くー」2人の胃腸がどうにもこうにもブチ壊す前で、蓼丸は「お昼、買って来た」と袋を揺らして見せた。
「ここで済ませちまおう。2人はステージに集合だから、忙しくなる。一般生徒は二時集合、三時スタートだが、一時間早く来て貰うからね。桃原、珈琲」
しっかりブラック珈琲を受け取って、ようやく起きた涼風にサンドイッチとスポーツドリンクを渡してやった。
(3人でお昼……! 初めてだ!)
蓼丸もパイプ椅子を持って来て、病人の涼風を囲んでパンを広げ始める。
「大丈夫か?」と何度も涼風を心配する片眼は優しく撓んでいて、「大丈夫っす」と答える涼風の声も、少しずつ元気になって来たようで。
(あたしは蓼丸が大好き。でも、3人で過ごす時間はもっと好き)
「あ、メロンパンはあたしが食べる!」「病人に譲れって! じゃあ、半分わけっこ」「すまん、三等分で」
そんなやり取りを楽しんでいると、また珍客が現れた。チェシャ猫こと、二条だ。
「パン、もうないぞ」冷や汗の蓼丸の前で、噛みつくように毛を逆立てて(萌美の錯覚)、心配そうにきょろきょろとベッドを見やる。
「神部さん知りませんか?」
「神部? そもそも学校来てたのか? ……ああ、いたな。朝、熱心に「これは芸術だ!」と地面映してた気がする」
相変わらず理解できない行動をする。二条は「どこに行ったんだろ」と一頻り探して、気が済んで出て行った。
「……神部さん、どこに行っちゃったんだろうね」
「さあ? 多分竹の合間にかぐや姫でも見つけて撮ってるんじゃないか? ある意味troubleメーカーだから、俺も注意しないとな」
(そうだ。二条が言ってた気がする。和泉椿と宮城さんの亀裂を入れるような記事をバラまいたって)
……不安だ。と見上げると、蓼丸は「心配は要らないよ」と微笑んで、萌美の頭をそっと撫でてくれた。ぽわ、となったところで、ヂュー、と涼風が二杯目のカフェオレのパックを汚く啜って邪魔をした。
「なんか、元気になったみたいね。心配させすぎだし、見栄張り過ぎ。ちゃんと原稿書いてたなら見せてくれたらいいのに」
萌美に肩を竦めて、涼風は「タネ明かしはしねーよ」とトランプの練習なんかしている。
「ちょ、マジでやるつもり?」
「だって、夢だから」
――夢? トランプが夢? (元気になったなら、いいけどさ)と頬を片方膨らませていると、蓼丸が立ち上がった。
「俺、そろそろ設営準備だ。選管との打合せがあってね。じゃあ、頑張れよ」
「うん! ありがと、蓼丸。お腹で喋りそうだったよ」
「それは大変」と蓼丸は片眼しか見えてないのにウインクして、眼帯を縛り直して出て行った。
――かっこいいなぁ……。
ぼーっと見ていると、手を掴まれた。「ん?」と振り返ると、涼風の真剣な目。言い表すに難しいくらいの、真摯な瞳とぶつかった。
「夢なんだよ、俺の」
真っ直ぐに前を見据えている。熱で浮かされた時の台詞なんか、きっと覚えてないんだろうな。
(こんな表情、するんだ……マコ)
《きゅん》
(あれ? あれれれれ? ――……なんだ、今の……?)
涼風の一瞬と一緒に、小さな高鳴りは遠くに消えて行き。「食っちまおーぜ」と涼風は三個のパンを平らげて、すっかり回復した兆しを見せてくれた――。
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