第31話 俺にだって明るい家族計画が

*31*

 おとしたと思った心臓は、ちゃんとあるみたい。


 朝陽を浴びた体は、活き活きと今日も頑張ろうと動き出して、元気に血を運び始めた。

 選挙当日、朝。応援演説どころか、演説だってやった例しがない。


『えー、真に遺憾に思います』などとニュースで政治家のおじさんが演説をしているを珍しく見ていると、ママがやはり珍しがった。


「ママー、演説って難しい?」

「そうねえ、みんなに伝えるために一生懸命にならなきゃね。この政治家は良く分からない言い訳ばかりだけど」


(みんなに伝えるために……か)


 涼風の良さ、伝わるかな?


「ママレードジャム取って!」落ち着かなくて、食パンを一枚多く腹に詰めて、今日は可愛さアピールでカチューシャを嵌めて、学校に向かう。とと、靴下、うん、大丈夫。


***


 篠笹の講堂は、白亜で真新しい。体育館以外には、演劇部、吹奏楽、合唱部、美術部の文化部が使用許可を取るらしい。


(わ……)


朝登校すると、その講堂の壁には、垂れ幕が下がっていて、生徒たちの目を引いていた。


 ――やだ、あたしの名前まで。……やっぱり読めないだろうなと思いながら、青空にはためく垂れ幕たちをそっと見上げる。選管たちの仕事だ。その数24本。


(選挙管理委員会も大変)


 勉強だけでも大変なのに(特に社会)、和泉も宮城も一生懸命だ。勿論、杜野や雫のように「進路」を見据えた生徒もいるだろうけど……と、涼風の自転車が素通りした。


「こらぁ、マコ! ちゃんと見なさいっ!」


 涼風はマウンテンバイクを勢いよく止めて、前のめりになった。籠のバッグがぼすんと宙に浮く。


「うっす、桃」

「うっす! じゃない。ほら、ちゃんと名前書かれてるよ!」

「いや、恥ずかしくって。俺、眠れなかった。しかも腹出して寝てて、ちょっと熱っぽい」


 ――腹出して寝てた?!


「もう! 肝心な日に何やってんの! ほら、こっち!」


 手を引いて、2人で垂れ幕を見上げる。『1-C 涼風真成・応援者桃原萌美』文字を見て、涼風は「へへっ」と笑った。


「たった二週間だったけどさ、桃とたっぷりいられて良かったよ。この二週間は俺だけの桃原だったわけだし」


 涼風は肩を竦めた。


「応援演説あるって俺、知ってたの。で、杜野に頼んだんだ。勘弁してくれよな」


 片手を挙げて、片眼を瞑る。


 一丁前に何やら小細工をしたらしい。杜野まで巻き込んで。――諦めそうにないな……。とScramble継続する気満々のサルに背中を向けた。


「いいよ。あんたにも返したかったから」


「返す?」(頭悪いな、もうぅ)と唸りながら、萌美はくるんと振り返った。


「あたしのこと、好きなんでしょ。「享受権」ならさ、あんたにもあたしは何かしなきゃいけないでしょ! 諦めないんだから。多分マコが、世界で一番しつっこい!」


 ひとさし指を突きつけてやって、へへっと同じように笑い返す。


「ま、お友達ってことで。応援する」


 ――がっくり。涼風は首を項垂れさせたが、すぐにぴょこっと上げた。


「俺、諦めねぇから! やっぱ、桃、嫁に欲しいし!」


(よめぇ?)目を剥く前で、涼風は「やっぱ、うん、桃原欲しい。どっかに落ちてないかな」と繰り返して、諦めの悪さと頭の悪さを同時に披露した。


「多分遠くの桃原ショップに売ってます。あたしは売約済みです」


「そうだよなぁ、桃原が2人いたら良かったのに」


(いや、多分2人で蓼丸を囲むと思う。マコは二倍のダメージ)


思いつつ、涼風の独創的な発想は嫌いじゃない事実に今更気付く。涼風の考え方は、時にびっくり箱。時に常識破り。でも、どこか優しい。


(見てないわけじゃないんだよ……それより、蓼丸のほうが強烈なだけでさ)


 ……思索して、蓼丸からの宿題を思いだした。まだ回答を見つけてない。


「ねむ」と目を擦り始めた涼風の手が熱いに気付く。


(まさか、本当に風邪引いたんじゃ……医務室行ったほうがいいかな)


 選挙演説は午後の授業を無くして、三時間かけて行う。薬飲んで、寝る時間は充分あるわけで。と思っていたらくしゃみをふっかけられた。風邪だ。


「医務室、行こ! もう、手がかかるなぁっ」


 自転車を止めさせて、眠そうな手を引いて、校内を歩き始めた。医務室は本館にある。(本館……)もしかしたら蓼丸に……考えてゆっくりと頭を振った。


(今はマコ。蓼丸のことは考えない。マコにも気持ち、返すんだ)


 涼風が諦めればいい話が、どうあっても、オサルには諦める思考回路はない様子で、そうなると、萌美も蓼丸と涼風を同等に扱わなければ話はおかしくなる。


 それに、涼風はちょこちょこ、蓼丸にもちゃんと「フェア」になるように動いている。当初の委員会もそう。珈琲の時もそう。生徒会選挙の立候補もそうだし、お昼だって遠慮してくれて……昨日の時間だって。


『まずは目の前の自分のカレ、幸せにしろよ。暴れるなよ、教室、萌えるし?』


(どわぁ……っ!)


 超絶悶絶台詞を思いだし、ずべ、と滑って、頭を木にぶつけた。

(眼帯外すとネジが飛んじゃうんだから! しかも、蓼丸、自分から時折取って楽しんでいるフシが……)


 ――あれ? 蓼丸ってそういう性格だった? 


 この木の太さ、蓼丸っぽい。いや、こっちか? 違う、こんなに太くない。夢中で木の胴回りを確認している背後で、「桃」と涼風の声。


「あ、あはははは。やーだなっ! うん、お父さんのお腹っぽいなぁって」


「桃の親父さん、スレンダーだろ」突っ込まれて、仕方なく目線を上げた。


「マコ、昨日、蓼丸呼びに行ってたんじゃない? あんた、そういう性格だよね」


 涼風は「桃が元気ないって言っただけ」と寂しそうに俯いた後、思い切り木々を殴りつけて泣き声を上げ始めた。


「ま、マコ……? なに、急に」


 涼風はゴツゴツした幹に顔を押しつけて、何度も木々を殴り始めた。



「どうやっても勝てねぇよぉっ……! 俺、桃を口説けねーもん! 眼帯とか、太刀打ちできねーし? 悔し過ぎる……っ!」


 今度は男泣きし始めた。「マコ」と肩を叩くと、真っ赤な顔で喚き散らす。


「俺、おまえが好きって言ってんじゃん! 一時間の違いで、カレ決めるとかおかしーだろ! 俺にだって明るい家族計画がな!」


「ちょっと失礼」とおでこに手を当てると、明かに熱い。四の五の言わせずに医務室に引き摺った結果は、38度2分。


「熱のせいです。医務室、引っ張ってくからね!」


***


「風邪だね」の先生のクールな声に、くらりとなった。


 ――選挙演説当日に風邪ぇ?!


「せ、先生、困る! あの……」

「薬飲ませるから」

「選挙の立候補者なんです」と言いかけたところで、医務室のドアが吹っ飛ぶように開いた。


(げ!)どこから聞きつけたのか、和泉はズカズカと歩いて涼風の胸ぐらを思い切り掴みあげた。


「健康管理くらいしろよ! 野性のサルのくせに一丁前に風邪なんか引くな! ……先生、具合はどうなんですか? 寝て治るなら、ぶん殴って寝かせます。いいですか」


 相変わらず過激なアンドロイド姫である。拳を握ったところで、慌てて止めた。


「つばにゃん! あたしが看てるから! ほんっと、このサル……マコ、いっつもこうなの。肝心な時に駄目。でも、一生懸命だから、何とかしてあげたくて。かっこ悪いの。蓼丸とは月とすっぽんの」


 勢いで出そうになった言葉を呑み込んで、萌美は「どうするんだよ桃原萌美」と呆れた和泉に頭を下げた。


「ここぞと言うときには失敗するけど、最後は決める。つばにゃんの我慢無駄にしないから。――監査って言いながら、応援してくれているんだよね?」


 和泉は頬を忽ち赤くし、「あのチェシャ猫、つるす」と物騒な言葉を吐き出した。


「ともかく。また様子を見に来ますが、もし駄目なら、桃原萌美1人の演説になる」


(あたし1人?)


 ここまで命運、背負っちゃうの?


「それはさせねぇから……」涼風の手がはみ出してきた。


「一緒に、頑張るんだ。こんなチャンス、ねぇんだし……俺の桃原なんだから」


「はいはい。ね、寝よ? あたし、ここにいるから。安心しなよ」


「うん」


 涼風は嬉しそうに微笑んで、すうっと目を閉じて、すぐに寝息を立て始めた。


 良く効く風邪薬だ。繋いだ手を見下ろした。


〝俺、おまえが好きって言ってんじゃん! 一時間の違いで、カレ決めるとかおかしーだろ! 俺にだって明るい家族計画がな!〟


 明るい家族計画とやらは不明だが、確かに一時間違い……違う。


(一年の違いがあるはずだよ。あたしはずっと蓼丸に憧れてた)


 でも、それ以上に涼風とはたくさん時間を過ごしてきたから、応援も出来る。



 憧れと、好き、恋の違いってなんだろう。受け止めるってどういうこと?



 夏風に揺らされた医務室の中で、萌美はぼんやりと考えては、涼風を見下ろす。


「バカサル、ううん マコ、元気になってね。一緒に頑張ろ」


一限目は大嫌いな歴史だと想い出す。なので、このまま看病を取った。

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