第28話 二条ぬこをつかまえろ!
*28*
報道部(※入部希望中)二条陸(にじょうりく)は歴史の授業は大抵寝ている。
杜野の斜め後ろの席なので、ふとした時にみえるが、チェシャ猫の如く外はねした髪に男の子にしては小さめ(といっても萌美よりは大きい)な体を丸めていると――……。
(見てみて、二条ぬこ)
(やっばい、ちょー、かわいー)
なんて女子にとんでもない仇名で可愛がられるも頷けるわけで。
「はい、今日はここまで」と退屈な歴史が終わるなり、二条が起きた。
(チャンス!)と腰を浮かすなり、「二条くん、お昼一緒に食べなーい?」別の女子にさっそく誘われていた! 萌美と涼風は「よし!」とアイサインを交わすと、同時に立ち上がった。
「ごめ、二条くんはちょっと大切な用事があって! そ、せ、生徒会の応援演説の指導して貰おうかと」
「は?」背中を逆立てそうな二条の肩に「うんうん」と涼風が腕を載せた。
「いやぁ、二条、悪いな! やきそばパン奢っから!」
二条はぱあっと目を輝かせた。
「マジ? 卵サンドもつけてくれる?」
杜野情報が的確だったお陰で、猫一匹を無事に捕獲。
焼きそばパン130円+卵サンド180円+お飲み物100円÷2。二条の接待費は1人当たり205円。しっかりと徴収した萌美は外に二条を引っ張り出した。本当は屋上に行きたいが、蓼丸がいたら耐えられない。どこに監視の目があるか判らないから、逢わないように、とは蓼丸たってのお願いだ。
……なんか、逢わないようにするって哀しい。だから涼風のお昼のトランプなんかを楽しみに過ごしているしかないわけで。
「悪いな。――で? 大切な用事って何?」
「あたしたちの監査の和泉椿のことなんだけど」
二条は明かに目の色を変えて、焼きそばパンを詰まらせた。「お茶」とパックのお茶を渡すと、一気に飲み下して胸をどんどんと叩いて見せる。
「むせちゃったじゃん! あ、うん、つばにゃんな」
「つばにゃん?」
二条は「どうすっかなー」と言った風情で、空を見上げて、「和泉が監査かよ」とぼやいた。「ブンヤ舐めんなよ」と焼きそばパンを食べ終えると、親指を舐めて見せる。
「つばにゃん、もしくは姫。先輩に可愛がられてた時の呼び名だよ。今は烈火の如く怒るけどな。しかもアイツの属性水だからさ、氷飛ばしてくるけど、あんなんじゃなかったんだよ」
涼風が割り込んできた。
「俺、あんまり喋ったことないけどな。ツンケンしてたかな」
二条は片足をベンチに立てて、髪をわしゃっとかき上げた。
「桃原にきつくなってんだろ? 判るっつーか、乙女っつーか……以外と単純なんだよな」
「うん、泣きそうな顔だったと思う。ねえ、二条ぬこ」
にゃっ? と言いそうに二条が萌美を見やった。(ととと、女子の間の呼び名だ、これ)と改めて二条に向き直った。
「そのつばにゃんって言ってたの、宮城さんじゃないの?」
「なんで?」と二条が目をぎょろつかせる。
「桃どういうことだ」とサルと猫に見られて、萌美は話を展開させた。
宮城との距離感の取り方がアンドロイドぽかったのも原因だ。
(無理しているからだと思う。本当は駆け寄りたいのに、クールな振りをお互いしているとしか思えない。何故判ったかって? あたしが我慢している張本人だから!)
クールな振り、結構辛い。
「何となくだけど、和泉椿って宮城さんに呼ばれるとしょんぼりしてる気がして。好きならぱあっと顔を明るくするよ。普通、呼ばれたら。なのに、怯えてるようにみえて」
何故か涼風が「うんうん」と相づちを打った。二条は「鋭いじゃん」とベンチに寄り掛かり、空を見上げた。
「宮城と和泉は仲良かったよ。一人っ子の和泉は「お兄ちゃん」って呼んでいたし。中学の時の生徒会長選、一騎討ちだったんだ。蓼丸諒介と、宮城滝一。うちの中学は票集めも有りでね。蓼丸さんは男子に人気で、宮城さんは女子に人気。当時宮城さんにはカノジョがいて、でもそのカノジョが蓼丸を応援した。怒ったのは和泉だ。「彼女なんだから、宮城さんを応援するんじゃないのか」って。でも、実は破局寸前だったんだ」
(ああ、判る)あの和泉の性格なら、絶対にそう告げるに決まっている。
「問題は、神部さんが、その事件を大きく取り上げたことだ。俺は新聞部で広報はやってなかった。でもある日、合同記事が回ってきて、要は「和泉・宮城・彼女」の三角関係を書き立てられた形になってた」
――余計なことしかしない!
萌美は健康診断で困らせられた神部雅人を思い出した。
「結果は散々だった。破局が知れ渡った宮城は敗北。女子の支持が減った。恐いよなぁ。和泉は責任を感じてるんだと思う。つばにゃんの呼び名もいやだって言い出して、顔を合わせなくなった。あの態度は和泉ならではの……うるせえな」
「ちょっと、待っ……」
びー、びー。二種類の洟の音。涼風とポケットティッシュを取り合いして、洟を啜って落ち着いた。
映画を観ているせいか、ブンヤこと二条の説明が的確なせいか、すれ違った2人の痛みまでもが萌美の胸を締め付ける。
和泉の言葉の重さを感じたのもあるかも知れない。
『つまり、あんたが失敗や規約違反をすれば、蓼丸の評価も僕らは下げる。それが、慕う者の担うべき責任だから。結果が出るまで、学校及び放課後の蓼丸諒介との一切の接触は認められません。口閉じて、戻っていいよ桃原萌美』
――でも、なんで、選管? 2人とも?
二条に聞いてみると、二条は首を捻った。
「そこなんだよな。いや、もしかすっと……」
二条は言葉を止めて、目を清ませた。何度も瞬きを繰り返して、「リベンジ」と呟いた。
「宮城さん、秋の二年生の選挙に出るのかも。選挙管理はこの選挙で解散だし。だとすっと、和泉のヤツ、んっとにツンデレ乙女……」
(ツンデレ乙女?!)
肩を竦めると、二条は「一時期は仲良しだったんだぜ」と照れくさそうに告げた。
「たぶんこの選挙管理委員会で、宮城の品行方正度を上げるつもりなんだ。だから、一番悔しい相手の蓼丸の彼女のあんたの監査を名乗り出た。でも、本当は……」
言いかけて「いや、俺が言う言葉じゃねーか」と伸びをして見せ、動きを止めた。
「お昼休みまでご苦労なこった」
ボードを持った和泉の姿がある。和泉は「確かに逢っていないようす」とアンドロイド口調でぎろっと萌美を睨め付けた。
(凹むなぁっ……その睨みかた。なら、こっちだって黙ってないよ、つばにゃん)
「和泉、おひさ。一緒にお昼どう?」二条が手招きし、和泉は「ぱんくず」と涼風を一瞥し、「次のチェックがあるんだよ、悪いね」と二条にボードを揺らした。
「つばにゃん」
ぴた。和泉が足を止めて「あんだって?」と低く唸った。萌美は構わず続けた。
「可愛いと思うけどなぁ~っ。つばにゃんのほうが」
「二条……この、ジャリタレクソぬこ! 何を桃原萌美に喋ったよ! 報道部の底辺ブンヤの野良猫がぁっ!」
――口、わるっ! 可愛い顔から飛び出した口の悪さはギャップがありすぎた。
「おいおい、険悪になるなって。あ、蓼丸さんと宮城さん!」
「えっ?」同時に振り返って、「うっそー」の涼風を同時に涙目で睨んだ。和泉は「ざけんな」と爪先を涼風に向けた。へへっと涼風は笑っている。胸ぐらをぐいと掴みあげた。
「あ、気に障った? 監査がこういうことしていいのかわかんねーけど。なあ、つばにゃんって呼ばれたいって顔して……」
「……っ!」声にならない叫びの代わりに和泉のボードが飛んだ。「……ってぇ!」と涼風が顔を押さえた。口端を切っている。
「医務室でコットンちょいちょい程度。2度と呼ぶな、気色悪い」
「やだ、大丈夫?」慌てて駆け寄れば「へ、へへ、ドジっちまった……やっと、桃の胸にぎゅっとされるチャンスなのに……がくっ」
こんなときまでエンタメなサルは地面に投げ出して、萌美は拳を握った。
「ボードで殴るって酷すぎだよ!」
「どっちがだ!」和泉はぎりっと倍の迫力で言い返し、「人の事情をかき回して弱点探しかよ! 徹底的に厳しくしてやるから覚悟しろ!」と言い残して背中を向けた。しかし、その背中は小刻みに震え始めた。
「こっちがどんな想いで……こんなに辛い……いいよな、暢気なやまんばバカは!」
「うっさい! アンドロイド姫!」
「あ、アンドロイド姫ぇ?!」驚愕した和泉椿の胸をどんと突いた。
(だめだ、止まらない。ううん、止めるものかっ! この、アンドロイド姫!)
「辛いなら、泣きゃーいいじゃんっ! あたしだって、あたしだって、蓼丸に逢いたいのにっ! でも、あんただけツラそうって、ずるいじゃん……っ!」
なんだ。支離滅裂になって来た。「やまんば」と萌美に和泉が歩み寄った。(やまんばじゃないもん!)気付けば和泉は膝をついてしゃがんでいた。こうしてみると、やはり男の子だ。和泉は泣き腫らした顔の萌美に手を重ねたのだ。
「二条に聞いたんだろ、僕のようになるから、我慢したほうがいい。……もう、無理だ。だから、この選挙で僕らは必ず不正を防ぐ! そうすれば、またきっと昔のように……僕のことで、泣いてくれたのは、嬉し……」
今度はダダ漏れの本音にはっと気付いて「なんでやまんばなんか」とスタスタ歩いて行った。
本当だ。二条の言う通り、単純。(和泉椿って本当は……)二条が「んっとにツンデレ乙女」と言った意味。和泉椿の思考は乙女のそれで、あんな小さな肩に同じ命運を背負っているのだと――。
そして全然素直じゃない。天の邪鬼のツンデレと来た。でも、宮城さんと仲直りして「つばにゃん」と呼ばれたら絶対可愛く顔を赤らめる気がする。
そして、監査のハードルが上がってしまったわけで。
「あーあー、選挙は一週間後、か……ますます厳しくなんぞ、コレ」
涼風は「いて」と口元を押さえた。
「いいよ。がんばろ。取りあえず、医務室」と手を引くと、「お、おお」と嬉しそうに笑顔を見せる。
――しつっこいな……あたしは蓼丸が好きなんだって何度言えばわかんのよ。
「ねえマコ」
手を引きながら、空を見上げると、青空には少しばかりの辻雲が流れていた。5月の空だ。辻雲が薄れれば、雨季。蛙やでんでん虫の水浴びの季節。
「あたしたちの頑張りの目的、増えちゃったね」
「そうだな。ち、和泉のヤツ。本気で叩くんだもんなぁ。でも、必死なんだな。俺も本気で行かなきゃ」
「あたしには本気にならなくて良いです」
涼風は「ははっ」と軽く笑った。最近の涼風はつかみ所がない。蓼丸、マコ、杜野、雫、それに和泉の願いまでこの肩は背負えるかな。
ちっちゃくて、細いけど、うん、きっと大丈夫。
――応援演説、不安だけど。やるしかない。
選挙演説まであと一週間。土日を挟めば五日後だ。
鉢巻きを揺らして、頑張るしかない。判ってる。頑張るしかない。
演説なんかしたことないけど。何とかなる。
ゴールにきっとあるのは、蓼丸の「頑張ったな」のイイコイイコだと信じて。
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