大騒ぎの生徒会総選挙 編

第20話 物質ごとの固有の圧力

*20*

「おい。チビ桃」


 ぽ~っと回想に耽っていると、斜め後ろから声がした。移動教室は化学。蒸留装置のお勉強だ。無視していると、杜野が「手紙」とメモを回して来てアルコールランプをそっと置いた。


 実験は男女二人ずつ四人組になる。あいうえお順なのでももはら、ともりの、は当然同じ組。


「杜野くん、サルの言うことまで聞かなくてもいいのに」


 杜野はふっと笑うと、アルコールランプを手にして、フラスコの位置を調整しながら振り向いた。化学は好きだ。特に高校の化学の実験はウキウキする。


「いや、桃原さんを見ていると、自然に涼風が関わって来るから。幼なじみっておもしれーとか。俺、楽しんでいます」


(こらぁ楽しむなぁっ)と思いつつ、杜野を見やる。そこそこの美貌、そこそこの頭の良さ。多分、ゲームでは「いい人」で終わる主人公の友人ポジションでそつのない善人タイプ。


「二人で、生徒会に立候補しちゃって……ずるいよ」

「おや? 生徒会役員に興味があった?」


「ないけど。蓼丸がいるもん。雫も手を挙げてたし、あたしも手、上げれば良かったよ」


 杜野は「止めて正解」と端的に答えた。


「俺、中学でも生徒会だったから知ってるけど、蓼丸さんがいるから、だけでは務ま らない。責任も重くなるし。――俺ね、蓼丸さんと一緒の生徒会だった時期があって……高校も一緒に生徒会やりたいと思っててさ」


(蓼丸は、どれだけ生徒を憧れさせてんのよ)


思いつつ、杜野に警戒心を抱かない理由に気がついた。

同じく蓼丸のそばにいたくて、追いかけて来た。だから、わかる。

 涼風は、萌美を追いかけてきたけれど。誰だって、憧れの人には近づきたいと思う。


「よし、実験開始」


 三角フラスコと、丸底フラスコを繋いだ装置に載せた時計皿がカチャカチャ動く。


「杜野がいると、楽だな」ともう独りの男子がぼやいた。


 蒸留されたお水から、不純物が取り除かれていくのをぼんやりと見詰めた。蓼丸は、どうしてマコと享受するんだろう?


 ――分からないけど、無理矢理のキスは良くなくて。

「ホラ見ろ」って言われて、泣けて来ちゃって、ああ、まだ目が痛い。


「おー、このグループは綺麗に分離できてるね」先生がやって来た。

「液体は物質ごとに固有の圧力を持っているんだ。これが「蒸気圧」と言う。蒸気圧の大きい物質=沸点の低い物質ということが分かっただろう」


 方眼紙ノートにメモを取る。

「物質ごとに固有の圧力を持っている」……確かに。


 蓼丸も、マコも、固有の圧力をかけてくる。

「負けてらんないか」とむん、と気を入れ直したところで、涼風と目が合った。


 ――悪魔になんか、ならなくていいのに。似合わないよ……。

まだ萌美が怒っているのが判るのか、涼風はしょんぼりしているように見えた。


 萌美はそそ っと背中合わせの位置に移動した。


「許してあげるよ。……あれは、犬に舐められたと思っておく.その後、ちゃんと……」

「涼風、圧が係りすぎだって」


 突然杜野が割り込んだ。「お、危ね」と涼風は時計皿を少し動かす。


「放課後、生徒会役員立候補者は集合だってさ」「げ、マジ?」

何だかんだで気が合う二人を遠くから、二条がスマホで映していた。


「――神部さんに、涼風を撮れって言われてさ。神部さんが妙なこと、言ってた。どうも、涼風と蓼丸は杜野を取り合ってる、とか」



(ちがーう! なんでそーなる! 杜野よりここに可愛いお馬鹿さんがいるんですけど! 小さすぎて見えないってことぉ?!)



 ぶんぶん首を振っていると、「面白そうなホモトライアングル」と雫がやって来た。実験の手を滑らせそうになった。


***



「わかってるよ。そんな必死で弁明すんなって。ほら、大好きな胡桃パン」


「いらないもん」


「じゃ、食っちまおーっと」

雫はこれ見よがしに、好物の袋を開けた。「それ、あたしの!」と引ったくって、パンを千切った。


 放課後、蓼丸も涼風も生徒会関連で、置いて行かれて、雫とパンを頬張っていると、雫が「あのさ」と顔を近づけてきた。


「あんた、とっくに選んでんだよな? 蓼丸、蓼丸―、だもんな。……なんで仲良くお付き合いになってるワケ? 蓼丸の頭は保育園か」


「知らないよ。……でも、クリスマスまでに決めなきゃ。約束なの」

「は? なんでクリスマス?」


「……知らないケド……マコ、なんっで諦めないかなぁ……とか、思っちゃいけないんだけど! 思っちゃうわたしはお馬鹿ですか?」


「うん」と痛恨の一言にめり込んで、「あー」と机に頬をひっつけた。

「どうせ馬鹿だもん、中間考査、やだー」


「英語、いいじゃん。桃は。――将来は洋画の仕事したいんだろ?」


 頭を机に載せたまま、頷いた。腕をだらりと下げて、頬をつけたまま、窓を見やる。1号館から本館が見える。今頃、涼風たちは生徒会室で、頑張っているのだろうか。


「 選管やろうかな。内申良くなるって」と雫が呟く。


「――これから、選挙準備で、二人とも忙しいだろうね。あんたも、できる限り蓼丸に優しくしてやんなよ。我が儘ばっか言ってないで」

 ――う。


 先程の〝我が儘〟を思い出して、萌美は顔を雫から背けた。それでも、蓼丸は昔話までしてくれて、ちゃんと「桃原」を覚えていてくれた。


 付き合えて、嬉しい。



 ――でも、どこか緊張してしまう。そりゃ、マコを相手にするのとはわけが違う。



『液体は物質ごとに固有の圧力を持っているんだ』の先生の言葉が脳裏に響いて、さわさわと揺れる初春の風に、やがてはゆっくりと薄れていった。








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