Ⅲ
もんだいです。
くろい おおきなくるまと たおれている しょうねんが いました。
きゅうきゅうしゃの おとが ひびきました。
きゅうきゅうしゃは しょうねんを のせました。
あたりは ちのいろに そまっていました。
くろいくるまにも ちが ついていたかもしれません。
それから どうなるでしょうか。
* * *
風呂からあがった。
バスタオルを肩にかけながら、僕は自分の部屋への階段を上がる。
家が狭かったから、螺旋階段なんだろうか。おしゃれっぽいけど落ちたら危ないだろうなって毎回思う。
僕が落ちたことがあるのかどうかは分からないけど、少なくとも記憶にある中では、まだない。
部屋のドアを開ける。ベッドの木の匂いと、棚の上のミニカーが僕をお出迎えした。
シルバー、深緑、ピンク、黄色……。綺麗に飾られたそれは、きっと僕が愛を込めて手入れをしていたのだと思う。
昔の僕だったらこれを眺めて楽しかったのかもしれないけれど、今の僕にはその感情の欠片もない。
ない、あるわけないだろう。
こいつらは、僕から記憶を奪った。きっともう、戻らない。自分が誰だかもわからないで、真っ暗闇に突き落とされた気分だ。本当の僕が、わからない。
僕だけじゃない。
人殺しのようなものだ。本当の僕は、こいつらに殺された。
だから、少しくらい刑罰を受けたっていいだろう?
だったら、こんなもの、全部、なくなればいい。
「僕にだって、自由の権利くらい」
だから僕は、僕の思い出を自ら放棄した。段ボールを、引きずって。
ひとつひとつ、ミニカーを段ボールに詰める。壊れないように、でも、壊すように。きっと、壊したくて。
記憶がなくなってからずっと、僕が望んでいたこと。それが今、やっと叶うじゃないか。目の前から怒りと恐怖の対象が消えて、僕の部屋は、僕の部屋になって。
……なの、に。
「車は嫌いになったはずだから……」
手が動かない。寒くもないのに、体が震える。目から、雨が降ってくるよ。茶色い箱にぽつんって、染み込んでいくよ。
ミニカーを段ボールに詰めるだけなのに、のろのろしていた。動きも、息も、こぼれていく涙を除いてぜんぶ、スローモーションがかかったみたいだ。
ぽたぽた、ぽたん、たん。刻むリズムも曖昧で、狂っていて、でもとまらない。
ずっと今まで溜め込んでいた曇りが、一気に太陽にあたって溶け出す。太陽なんてないけどでも、僕には制御できなかった。
それでも、ミニカーは片付ける。昔の僕の大切なものだけど、僕にとって昔の僕もきっと大切だけれど、いまここにいてほしくない。だから。
排除する。
ミニカーは、多色だった。偏りなく、多彩。
つまり、あの色もある、ということ。
「黒の、車……」
この車は、しまえなかった。でも飾りたくなかった。触りたくもなかった。僕の目の前に、現れないでほしかった。
辛い。眩暈がする。視界が眩んで、頭痛、いたい、ちがう。ちがうちがう、痛いのは、頭じゃない、頭じゃなくて、——こころ。
車を全部ほっぽって、僕の、でも僕のじゃないベッドに潜り込んだ。
嗚咽が漏れる。
声にもならない声を発そうとして、助けを求めながら迫りくるものを
下の階にいる母さんに聞こえたら心配をして駆けつけてきてしまう。これ以上、心配も迷惑もかけたくない。
できるだけ部屋から声が出ないように、枕に顔を埋めて泣く、鳴く。
僕の涙には色がない。声にだって色がない。僕の心には、もう色なんてなくなった。でも、でもこの車には、黒っていう色がある。僕にはない色がある。僕にぶつかって来て、道路を血に染めて、僕から記憶を奪って、
なんで僕には色が無いんだろう。
なんで僕には記憶が無いんだろう。
なんで橘さんがくるしむんだろう。
なんで、なんで。
なんで、僕は。
橘さんを笑顔にできないのだろう。
「うわぁ―!!!!」
ベッドの中で泣き叫ぶ僕は、非常に惨めだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます