第42話


 体躯からはそれよりも幼く見える。短い黒髪に大きな目、輪郭も含め、顔立ちも同様である。ただ、その幼い顔には明らかな血色の悪さが見て取れた。目に生気がないとさえ思え、にも関わらず感情だけがとめどなく溢れ出て、凄絶な色味を持っているのだ。幼い顔だからこそ、その異常性がハッキリと現れており、一目見ただけで、少年の頭がなんらかの凄絶な、途方もない思考で埋め尽くされている気がしてならなくなった。

 少女はその気配に、自分を助けるような言葉を口にしていたのを忘れ、ぞっとするのを自覚したし、三人の男たちも同様だったに違いない。彼らは一瞬だけ呆気に取られたが、明らかに年下であるほんの小さな少年に対し、極端に相容れない存在、あるいは自分たちよりも強固な存在――例えば牙を剥き出しにして唾液を垂らす大型の野犬などでも見たかのように、息を呑んで怯み、僅かにだが後ずさったほどだった。

「な……なんだよ、てめえは!」

「ガキがかっこつけてんじゃねえよ!」

 さらに、あるいはその拍子に胸ぐらを掴んでいた手を離してしまったことで、少年の言いなりになる形を作り出してしまったことに反発したのか――少女からは明らかに、少年を恐れているために思えたが――、彼らはいきなり少年に殴りかかったのである。

 少年はそれを避ける素振りすら見せず、ただ頬を横殴りにされるに任せた。首をねじり、よろけても、倒れ込まなかったのは彼の精神力によるものか否か。ともかく少年は唇を切ったのか、口の端に夕焼けよりも赤い血を滲ませながらもゆっくりと振り返ってきたし、殴ったまま硬直する中央の男に向かい、その唇を微かに動かし、少年めいた声で、しかし少年らしからぬ暗く陰に篭る調子で言葉を吐いてきたのである。

「それで気が済むなら、やればいい。お前たちみたいな、不幸な人間と……同じことは、しない。ボクは幸福な人間なんだ……」

「ふざけんな!」

 逆上した男たちによる暴行は数分間にも及んだかもしれない。

 その間、少女はただその行為にも、少年に対しても恐怖し、助けを呼ぶことはおろか、逃げ出すことも考えつけなかった。

 ただ、そうした暴行がひとしきり終わると、不可解にも少年は痛みなどないかのように、土と砂にまみれ、靴跡だらけでボロボロになって横たえられた上体をゆっくりと起こし、またあの恐るべき感情だけが溢れる双眸を男たちに向け、それが決定的に彼らを竦み上がらせることになった。

 それでも立ち上がり、反撃をしてこないことまでは見て取ると、彼らは強がり、「二度と俺たちの前に顔出すんじゃねえぞ!」と言い残して踵を返し、倒れて無力であるはずの少年を避けて引き返し、少女の脇をすり抜け、工場の奥の道へと走り去っていったのだ。

 残されたのは少女だけで、しばし呆然とさせられたが……彼女は慌てて自分の役目を思い出したように、少年の方に駆け寄った。彼は顔はもちろん手足にもいくつもの傷を作り出し、血を滲ませながら、痛みに震えることもなく立ち上がろうとしているところだった。

「あの……だ、大丈夫?」

 そう聞いたのは人間的で一般的な反応だったと言えるはずだし、明らかに助けようとした相手が無傷で駆け寄ってきたのだから、なんらの異常もない行為のはずだった。しかしそれを聞いた瞬間、少年は不可解にも突如として、激昂したような凄まじい形相を少女へと向けたのだ。

「大丈夫か、だって? 心配するっていうのか? ボクに助けてもらった、お前が!」

 傷だらけの身体で地を叩き、そこにあった傷口の痛みを想像させたが、彼は構わずに完全に立ち上がると、少女を見下ろしてきた。

「忘れるな、お前はボクに助けられたんだ。矮小なお前が発するべきはそんな言葉じゃないはずだ。助けられたなら、お前がするべき行動はたった一つだろう。まさか自分が対等だと思っているのか!」

 その恐るべき、そして全く不可解で理不尽な豹変に、少女は先ほど男たちに詰め寄られていた時などよりも遥かに萎縮し、しゃがみ込んだまま、まずは深く謝罪しなければならなかった。そして次いですぐに「助けていただいて、ありがとうございます……」と控えめに告げた。

「そうだ……それでいい」

 少年は満足したのか、平伏するように頭を下げる少女の上で短く告げると、すぐに踵を返して去っていくようだった。

 追いかけるように少女が顔を上げた時、彼はもう角を曲がり、姿を消そうとするところだったが……その横顔は、怒りの形相にそのまま凄絶な笑みを付け足したような、背筋を粟立たせる恐るべき意志の篭るものだった。

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