五章
第27話
■5
健吾が松原をどうしてでも助けたいと強く思ったのは、彼女が明らかに儚げで、心を酷く弱らせており、誰かの助けを求めるに違いないと感じたためだった。
そしてそれと同時に、まさしく自分がその役目を担っているに違いないと確信したのだ。それは単なる思い上がりや、願望や夢想から得た妄言の類のみならず、なんらかの引力や誘導のような、抗いがたい外部からの思考が流れ込んできたように信じられたためでもある。もっともそれですら、他の者に言わせれば思い上がりの妄言に他ならないのだろうが、健吾はそれを信じない理由を思いつけないほどで、奇妙ではありながらも当然として受け止めていた。あるいは想像力たくましい者やなんらかの信心深い者であれば、運命とでも言い換えたかもしれない。
また、松原も同様の感情を抱いていたに違いなく、それを証明する一つの要素として、彼女は自分の身になんらかの変化、特に苦痛の感情が刺激されるたびに、どれほど些細であろうともメールであれ電話であれ、必ず健吾に連絡を取ろうとしたのだ。
それはほとんど毎日という頻度である上、昼夜を問わずだったが、健吾は彼女がそうした行動に走る原因を紛れもなく理解しており、邪険にすることも苦痛と思うこともなく、可能な限り対応することが可能だった。
松原は学園祭での出来事以来、健吾に対して多少なりとも心を開いたかのように見えたものの、それでもまた一種の人間不信状態は治まっていないに違いなく、こうした頻繁な連絡は健吾に対する試験や、チェックの類だと言えた。つまりは健吾が真に自分の理解者であるか、あるいはどれほどまでの理解者で、どこまでの味方であるのかと、弱りきった心を未だ自分自身で守りきろうとする純粋な無意識によって、その距離感を掴みたがっているに違いないのだ。
そのため会いたいと言われれば、彼女の住まいが北部であり、若干の距離があるとしても可能な限り待ち合わせ場所に急いだし、それは時として他の約束を蹴ってまで成されることがあった。加えて松原から言われずとも、健吾の方が誘うこともあり、それもまた彼女のなんらかの審査を助けるものとなっただろう。
次第に松原は完全に心を開いたようで、連絡の内容が陰鬱なものから、歓喜を抱いた出来事、あるいはもっと単純な、どうとでもない日々の報告であることが多くなっていった。
そして顔を合わせる時も、彼女はよく笑うようになったし、呼び出すための口実も実に些細なものに変わり、やがて口実を作ることもなくなったほどである。
加えて言うなら、健吾の方も同様に心を開いていったと言えるかもしれない。はたまた深度を増したと言うべきだろうか。もはや定期的に会うようになったある日のことだが、その時に健吾が提案したのは、テニス観戦だった。
その由縁について松原が何も知らないのは、しかし健吾が真実には心を開いていないという証にはなり得ないだろう。あるいは正反対の意味さえ持ち得ていた。そこは現在にもまだ恋人関係であるはずの、沙織との最初のデートで行った場所に他ならなかったのだ。
「テニスが好きだと言っていたから、こうして観戦をするのも好きなんだろうと思ってね」
「もちろん、大好きです」
誘った時にも交わした会話を、健吾たちは会場に着いた頃にもう一度繰り返した。微笑んで頷く松原は学園祭で出会った時の服装にも似ていたが、
初夏という季節に合わせた軽装である。白を基調した服は陽光を緩やかに反射させ、彼女の輪郭をぼやけさせ、儚さをいっそう強調しているように感じられた。やや幅の広いシルバーのブレスレットをしているが、それは健吾が贈ったものだった。
健吾の方は大して着飾るわけでもなく、せめて色味だけは暑苦しくないようとだけ心がけたものである。余計なアクセサリを付けていないのは紛れもなく、その方が好みだと松原に言われたためだったが、そもそも沙織にも同様のことを言われていた。
「キミはこういった大会に出たことはあるのかい?」
と聞いたのは、それが嫌味にならない程度の距離になった証拠とも言えるだろうか。ただ松原は苦笑して「私が出場したことがあるのはもっと小さな自由参加のジュニア大会か、学校同士の練習試合だけです」と首を横に振った。
それと同時に「これくらいの大会にもいつか出場してみたいですね」と希望を抱く表情を浮かべた。しかしその瞳の奥底には、その程度の願いすら決して叶わないのではないという予感めいた絶望も潜んでおり、健吾は肩に手を置くことで彼女の心を癒すのだった。
長野県の東部にある、北佐久郡で行われる女子テニスの国際大会である。ワールドツアー、ましてや四大大会などと比べれば果てしなく小規模なものではあるが、テニスを嗜む松原にしてみれば憧れる階段の一つだろうし、また馴染みやすい空気でもあるだろう思えた。
屋内施設も完備された会場は、周囲を覆う木々の緑と調和しながら、二面のコートを有している。それらのコートを正面から見る位置に置かれた、フェンスと朱色掛かった屋根に守られた観客席で、健吾たちは端の方に陣取りながら、大会の開始を待つ間、ふたりの会話に興じていた。
長いベンチが階段状に並ぶ、一〇〇人程度が入れるだろうという観客席は、今のところ八割か、その程度の埋まり具合と言えた。そうした期待に胸膨らませる観客の中で、健吾たちの会話が気にされることはなかっただろう。
「私の好みに合わせてもらえるなんて、感激です。テニスにも詳しいんですか?」
「いや、僕自身はそうと言うほどでもないよ。ただ知り合いにテニス好きがいた関係でね。その知識を役立てられる時が来てよかった」
「それって、私と同じ苗字の人のことですか?」
「話したことがあったね。その通りだよ」
「ひょっとして……恋人ですか?」
「まさか」
健吾は即座に否定して笑った――しかし次の瞬間、松原はどこか控えめに「じゃあ、私のことは?」という問いを投げかけてきた。
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