第25話

 健吾はそこに立つ女の姿に、妙に惹かれるものがあった。

 恐らく高校生なのだろう。しかし服装はどこか幼く、首の辺りでまとめた黒髪に、大人しそうな、あるいは童顔とも呼ばれそうな顔立ちや、周囲よりも頭一つ分ほど低い背丈も相まって中学生程度の年齢に見える。あるいは意図して見た目の年齢を幼くしている高校生、という雰囲気とでも言うのだろうか。

 しかし彼女はそこになぜか、不相応だと思えるほどの苦悩や憂いのようなものを潜めさせ、今にも泣き出してしまいそうな顔をしているように見えたのだ。端的に言うのなら、儚げだった。

 そのため健吾は、まるでなんらかの引力か、誰かに手を引かれているかのようにそちらへ近付くと、その女子大生に声をかけなければいけなかった。

「そこにある模擬店が気になるのかい?」

 そう尋ねかけた時、彼女は酷く驚いたように木から背を離し、飛び跳ねるようにこちらを向くと、明らかに警戒する目を向けたものだった。健吾はそれを解くために慎重を期する必要があった。彼女の顔は、単純に見知らぬ男から声をかけられたためというものだけでなく、年上の人間に対する強い警戒心や、自己防衛の気配を含んでいたのだ。

 健吾は軽く手を振ると苦笑してみせて、まずは自分から名乗ることにした。そうしてから相手の名前を尋ねる。彼女がその間に逃げ出さなかったのは幸運だったかもしれないが、ひょっとすればなんらかの意図もあったのかもしれない。おかげで渋々といった様子で、低い声音ではあったものの会話は続いた。

「……私は、松原と言います」

「僕の知り合いと同じだ。松原湖があるくらいだし、この辺りには多いのかな」

「知りません。私は会ったことがありません」

「まあ、そういうものだろうね。ところでキミはずっと模擬店を見ていたようだけど、お腹が空いていたのかい?」

「……違います」

 彼女は首を横に振ったが、健吾も当然ながらそれをわかっており、酷く馬鹿馬鹿しい質問をしたものだと我ながら苦笑せざるを得なかった。

 しかし健吾が質問を変えて、ここで何をしているのか――さらには模擬店を見ていたようだが、何か気になることでもあるのかと尋ねると、彼女はまた苦悩するように下唇を噛んで首を下げ、目を逸らして俯いてしまった。

 そこに何があったのかと気になったものの、踏み込むことはまだ不可能であるように感じ、健吾はまた話を変えた。というより、半ば目を逸らした隙を突く形で一歩近付くと、彼女が驚いて顔を上げるよりも早くその手を取ったのだ。

「さっき、美味しいクレープの模擬店があったんだ。僕に奢らせてくれないか?」

「え? いえ、私はお腹が空いているわけでは……」

「気を張っていると、知らないうちに空腹になっているものだよ」

 健吾はそう告げると松原の手を引いて、テニスサークルの模擬店とは反対の方向に歩き出した。今まで歩いてきた道である。強引ではあったと自覚するが、そうしたのはある種の直感のせいに他ならなかった。自分はそうしなければならないし、そうしたいと思っているし、彼女もまたそれを望んでいるに違いなく、それが全くの自分勝手ではないという確信さえ感じたほどである。事実として、彼女はそうして引き連れられ、クレープ屋の前に辿り着くまで、戸惑った顔こそあったものの、自分から手を振り解いたり、抵抗したりという素振りを見せなかった。

 クレープを食べ終えた頃、松原は表情を柔らかくし、どうやら警戒心を薄れさせたようだった。その証拠に彼女は「美味しかった」と感想を漏らした後、健吾に対して頭を下げてお礼を言うと共に「少し話がしたい」と告げて、入場門からは遠く離れたひと気の少ない駐輪場の方へと、人波に逆らって健吾を引っ張っていったほどである。

 しかし警戒心を薄れさせたのは、まさか本当に空腹を満たしたがためというわけではないだろうし、この程度の品を買い与えられたためでもないだろう。彼女がどうしてこんな簡単なことで、唐突とも思えるほどに心を開く素振りを見せてきたのか、それを健吾はすぐに知ることになった。松原は自転車や二輪車がぎっしりと敷き詰められた駐輪場に辿り着くと、通用路を作り出しているガードパイプに腰掛けると、俯きながら話し出したのだ。

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