第21話

 誰かに手を添えられた感覚があった。自分の震えている握り拳が独りでに、そっと持ち上げられている感覚である。それは紛れもなく少年の力によるものであり、あるいは深沢や、クラスメイトたちまでもそれを認識したのか、誰しも不意に口を開けたまま制止し、目を見開いて驚愕しているように見えた。

 そして佐口は、そうして全く意志なきまま、少年によって持ち上げられた拳が自分の視界に入った瞬間、

「あああああああああああ!!」

 絶叫を上げて、それを深沢へと叩き付けていた。

 さしもの深沢も、恐るべき少年が引き連れる暗黒の深淵から這いずり出る触手が、佐口の足に絡み付いている様を見つけて、恐れおののいていたに違いない。あるいは突然現れた少年の存在か、それともさらに別のおぞましい怪物でも見たのか――そうに違いないと、佐口だけは確信していた。

 いずれにせよ深沢は、意識の範疇外からやってきた拳には全く対処することができず、ほとんど無抵抗に殴り倒された。

 しかし佐口は当然として、その一撃のみで手を止めることなどせず、少年の力によって操られるがまま、窓際の壁に背中を打ち、跳ね返ってくる深沢の顔に、何度となく同じように拳を突き刺していった。

 全く慣れない行為であるため、真っ当な殴打にはなるはずもなく、紛れもなく腱や骨までも痛めているだろうが、構うことなどなかった。また加減などもできるはずがなく、恐らく何度かは全く危険な掠め方で深沢の鼻を曲げさせ、目頭に指の関節を打ち付け、膝を崩れさせた後頭部を壁に繰り返し激突させることまでしただろう。

 そうした間も佐口の頭には少年の声が鳴り響き、決してやむことはなかった。

 戦慄から正気を取り戻し、明らかな危険を思い出したらしいクラスメイトたちによって取り押さえられた後も、それはやむことがなかったのだ。


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 佐口が補導され、そのまま少年院へ送られることになったのは、反省が全く見られないためというのが最も大きな理由だっただろう。それどころか、深沢が大きな怪我を負ったという事実に気分を晴れやかにし、大いに笑ってみせることさえした。深沢の家族がいる前でもそれは変わらず、強く罵声を浴びせられたり、あわや掴みかかられんとしたことさえあったが、佐口は愉悦を一切変化させようとしなかった。

 裁決を聞いた時、佐口の両親は失望や怒りに涙していたが、その前であっても果てしない達成感を抱くだけで、なんらの後悔も反省もする必要がないと主張した。

 ただ、実のところ完全な裁決が下る前は、精神科病院への入院を検討するべきという声も上がっていたのだが、それは佐口が言い出した、別の主張のせいに他ならない。

 全ては少年が自分にやらせたことだ、と語ったのだ。

 しかしそれも責任逃れの口実ではなく、少年が自分の身体を操り、ある種の共同作業として行ったのだというものだった。自分の不慣れな力だけでは深沢に怪我を負わせることができなかった、だからそれが成し得たのは少年のおかげでもあると言い、また笑うのだ。

 少年の姿は、佐口にはもう見えなかった。しかし彼もまた、自分と同じように笑ってくれていると信じていた。それは佐口にとって当たり前とも言える確信だった。

 なぜなら佐口は直感的にではあるものの、少年の心中を理解することができていたのだ。

 あのおぞましい少年は、けれど最初に感じた恐るべき地球外の神性や怪物などではなく、間違いなく人間であり、自分と同じ感情を抱いていたに違いない。

 つまり少年も、なんらかの理由で深沢を強く憎んでいたはずなのだ。

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