第13話
翌日、再び練習のためにレンタルコートまで訪れた際、松原は練習前にと部員を集め、ある話をし始めた。
それは部員たちにとって寝耳に水の話であり、なによりも全く理不尽極まりない内容に違いなかっただろう。
松原は今後の公式戦に対する思いを、昨日も話したように口にしたあと、そこにサークルの一員としてエントリーさせるか否かの権限が自分にあることを明確にすると、不穏な気配を抱いて顔をしかめる部員たちに向かって、こう言い出したのだ。
「次の練習試合で負けた人は、出場させないから。そのつもりで挑むように」
部員たちはそれにしばしの間、言葉を失った。そして反発の言葉は一斉に沸き起こり、「ふざけるな」とか、「横暴だ」とか、「どうしてそんなことをする」とか、「お前にそんな権限はない」といったものが次々に松原へとぶつけられた。
しかし当の彼女はそうした反駁を最初から想定しており、平然としてそれらを受け流すと共に、「どうして」というものにだけ言葉を返した。
「どんなに手を抜いても試合には出られるっていう安心感が、甘えた態度に繋がるのよ。練習でも全力で挑む意志を植え付ける必要があるの。だから私は、みんなのそういった目に見えない部分まで考えて、あえてこの厳しい条件を付けることにしたの」
それでも反発は収まりそうになかったが、松原はさらに続ける。
「そもそも、この条件を嫌がるってことは、練習試合なんか負けてもいいと思っていたってことよね? 最初から勝つつもりで練習しているなら、むしろ望むところと意気込むべきじゃない? ”今までも本気だった”って主張してたわよね?」
「それは……」
詰め寄られて、部員たちは一様に目を逸らした。勝てばいいと言われてしまえば、どうすることもできない。加えて松原から、ここで負けるようなら公式戦でも結果を残せないと主張されると、部員たちの反発はますます急速に押さえ込まれていった。
そうして、渋々とではあるが部員たちはこの条件に納得せざるを得なくなり、その下で改めて練習が開始されることになった。
反発されることすら封じられ、誰しも表情は暗く、練習にも身が入らない様子ではあったが、かといって怠ることもできないという状況で、練習は一種異様な空気となっていた。
その中で平然としていたのはやはり松原ひとりだけで、のみならず彼女はさらに、深刻な面持ちでふたりの男子部員の練習を止めさせ、コートの隅に呼び出した。それは前大会で、スコアも含めて特に成績の悪かった部員であり、嫌な予感を抱く顔をする彼らを見上げながら、松原は厳しい口調で告げた。
「あんたたちは今日から雑用係をやってもらうわ。ボール拾いからやり直しなさい」
「ちょっと待て! 何を言ってるんだ?」
そういった残酷なことを告げられるのは直感していたのかもしれない。男子部員は即座に抗議の声を上げた。いっそ掴みかからんばかりに詰め寄るが、松原はそれを半歩下がってやり過ごし、ハエでも追い払うように、うるさそうに手を振って続ける。
「ふたりとも、基礎の基礎ができていない。つまり雑務によって鍛えられる精神がないのよ。私はむしろ、それを取り戻すチャンスをあげてるとも言えるわ」
「何がチャンスだ。俺たちの試合はどうなる!」
「当然、他の人たちと条件は同じよ。次の練習試合で負ければ公式戦には出さないわ」
「雑用をやりながら、どうやって練習しろっていうんだ? むしろ成績が悪いからこそ練習を優先させてくれて然るべきじゃないのか」
「あのね、言ったでしょ? あんたたちはこれまで雑務を疎かにしていたせいで、こういう結果になったに決まってるのよ。だからある意味、雑用係であることが練習みたいなものよ。それ以上は自主的にやりなさい。本気で試合に出たくて、負けたくないと思うなら、いくらでも時間を作って練習できるはずよ。それが不可能だっていうなら、それはやる気がないだけなの」
さらに松原は、なおも抗議のために口を開こうとする部員に先んじて言葉を返した。
「言っておくけど、サークルではなく個人で出場するっていうなら、それはサークルを辞めるってことだからね。まあ雑用もできないような本気で取り組む姿勢もない人が、サークルを辞めてまで試合に出る意味があるのかはわからないけど」
言い終えると、それ以上は部員の反論がないことを見て取って、松原はくるりと背を向けた。肩越しに、「わかったらさっさと自分の役割を始めなさいよ」と告げて去っていく。
そこへ向けられた男子部員たちの鋭い目に、彼女は全く気付かなかっただろう。
彼女はそれよりも他の部員の練習を見て回り、いつものように”アドバイス”をするのに熱心だった。
彼女が近付くたびに部員たちが発する疎む気配にも気付かず、またしばらくの練習の後、疲れて休憩をしている部員に、基礎体力がないと言って走り込みを指示した際の、走り始めた部員の顔に浮かぶ憤懣やるかたない表情にも全く気付かなかったに違いない。
なにしろ彼女はその後もずっと、ある意味で全く休むことなくそうした見回りと”アドバイス”を続け、コートのレンタル時間が終わりを迎え、その日のサークル活動が終了となるやいなや、後片付けの類を全て雑用係に任命した男子部員に押し付けたのである。
そして「足りないと思う分は自主練習しておくのよ」と言い残し、自らは誰よりも早く帰宅することを選択したのだが、その際に部員たち全員が、コートを後にする松原の背に明確な害意の篭る双眸を向け、聞こえよがしな舌打ちをしたとしても、一度たりとも足を止めることがなかったのだ。
一方で松原本人は至って上機嫌というか、満足げだった。
レンタルコートからバス停までの間、さらにはそこから自宅であるアパート近辺に停まるバスに乗っている最中、そしてそれを降りて残る距離を歩く閑散とした街路の道中、彼女はずっと充実感に溢れた顔を見せていた。時には自らに対して頷いてみせ、心中であの指示はよかった、この指導はよかったと自賛をするほどだった。
そんな彼女が軽い足取りを止めたのは、前日と全く同じ場所だった。あるいは時間すら変わっていないかもしれない。
さらに突き詰めて、突飛な考えに至るのなら、自分が時間を逆行し、昨日の光景の中に入り込んでしまったのではないかとさえ思ってしまう。
それくらいに全く同じ光景の中、松原はなんらかの気配を感じて後ろを振り返ったのだが、そこには誰もいなかった。しかし前に向き直ると、やはり昨日と全く同じく、そこに突如として少年が現れていた。
松原は再びまみえた異様な気配を持つ彼に対し、一瞬だけたじろぎ、ぎょっとしたものの、すぐに気を取り直して「あなただったのね」と今回は自分の方から口を開いた。
「あなたの言う通り、今までよりも厳しい躾をすることにしたけど、確かにこれは正解だったみたいね。みんな嫌がってはいたけど、今までとは目の色が違うわ。これで危機感を持って、必死に練習に取り組むはずよ」
少年はそうした成果報告に、俯いた口元だけに微笑を見せたまま頷いたようだった。
「憎まれ役をやるのは不本意だけど、それは先輩たちもわかってくれるだろうし、何よりこれで結果が出れば、みんなにも私の正しさがわかるに違いないわ」
「みんな、間違いなく本気になったよ」
少年はどこかちぐはぐというか、一拍分遅れた返事をするようにそう言うと……不意にすっと、松原の方を指差してきた。
その意味を理解できず、松原はきょとんと自分でも自分を指差したが、少しして実際にはそれが松原ではなく、その背後を指差しているのだと気付く。少年の指差す方向が、少しだけずれていたのだ。
松原は誰かいるのかと振り返ろうとして――
そこで側頭部に強い衝撃と激痛が走り、意識を失った。
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