第11話
練習は主に、キャンパスから少し離れた、バスと徒歩とを併用する必要がある山の麓近くに存在するレンタルコートで行われる。
そこで実際にどんな練習を行うかについて、松原はほとんど指示を出さなかった。これは部員たちにとって、紛れもなく幸運なことだと言えた。例え彼女が「自分に合った練習を自分で見つけ出すのも将来のため」という主張を繰り返し強調していたとしても、だ。
しかしそうした各自の練習も、ミーティングで溜まった鬱憤の解放時間とならなかった。あるいはさらに悪質なものだとすら言えたかもしれない。
松原は右手首に分厚いリストバンドを付けて練習中の部員たちを見て回ると、時折そんな風に、特に一年生の部員を標的として、その練習内容に口を出すことがあったのだ。
この日、白羽の矢が立ったのはまさしくその通りの、サーブ練習を許可されたらしい一年生だった。
小柄な身体の女であり、短い手足を精一杯に伸ばしてボールを叩き付けていたのだが、三回に一回ほどの割合で必ずネットに引っかかってしまうらしい。
周囲はそんな彼女に全く厳しくすることなく、相手コートにいる二年生は落胆する後輩に「ドンマイ」とか「次は大丈夫だよ」とか声をかけていたし、フォームを改善しようと提案し、協力を申し出る者もいた。
しかし、そこに松原は割って入ったのである。真っ先に矛先を向けたのは励ましていた方に対してで、「そうやって簡単に慰めるからダメなのよ!」と叱咤した。そして相手が驚くと共に明らかに不満そうで、嫌悪を紛れもないものにした表情を浮かべる間に、一年生の方へとずかずかと歩み寄っていく。
彼女は、その接近に恐怖したようだった。小さく息を呑み、手にしていたボールとラケットを隠すように抱きかかえ、半身を引いて肩を縮こまらせた。フォーム改善に協力していたのは二年生の男で、彼は後輩を守るように半歩ほど前に進み出たが、嫌そうな顔は他者と同様だった。もちろん松原は構わずに、一年生の女に向かって声を上げたが。
「あんた、さっきから何してるわけ?」
「何って……私、サーブが下手なので、練習を」
「彼女は打つ瞬間にも肘が曲がってしまって、打点が低くなっているんですよ。それに手首も動きすぎていて、ボールの方向を定められていない」
男にとって、それは反論というよりも説明だった。しかしそれすらも間違いであったことを、すぐに悟ることになった。松原は明らかに不機嫌そうな様子で嘆息すると、ふたりをそれぞれ睨み付けてから口を開き、まくし立て始めたのだ。
「あのね。どうしてそうすぐ技術に頼ろうとするの? まず必要なのはやる気でしょう? どんなに技術を学ぼうとしても、気持ちが入っていないと身に付かないのよ。特にあんたは一年でしょ? あんたみたいなのは、まずボール拾いや走り込みで、基礎体力と精神を鍛えるの。その後に初めて練習ができるわけ。だいたい肘が曲がってるだとか、手首が動きすぎだとか、そんなのは気持ちがないからよ。本気で相手に勝ちたいって気持ちがあれば、身体は自然に動くの。あんたは技術以前の問題なのよ」
「彼女は勝ちたいからこそ、こうやって……」
こうして言い返すことも、やはり愚行に違いなかった。松原は後輩の反抗に対し、ますますもって語気を荒くしたのだ。
「あんたたちはテニスの真似事をしてるだけなのよ! 練習っていうのはただテニスをやるだけじゃないの。私が本気で取り組めって言ったのは、テニスだけじゃない基礎練習や、精神面を鍛える練習を疎かにするなって意味でもあったのよ。ボールに触れたいって思いながらそういう練習を積み重ねて、本気の気持ちを作るの。そうしてから初めて技術を学べるっていうのに……そういうところが、やる気がないって言ってるのよ!」
一気に怒声を吐き出すと、ふたりは一瞬だけ視線を交わらせてから目を伏せて、沈黙した。どうやらふたりのどちらも、それ以上に反論する気はないようだった。
松原はそれを反省だと判断して頷くと、そして最後に「厳しいことを言ったけど、これもあなたたちのためなのよ」と付け加え、去っていった。そうして今度は別のコートを使う部員たちの方に、「スイングを速く」だとか「打ち返せないのは気持ちで負けてるからなのよ」だとか声を上げ始めるのだ。
残されたふたりは、恨めしくその背中を睨み据えていたが。
「なんなんだよ、あれ? なんの理論もわからないくせに、偉そうにして」
陰口は密やかなものだったが、すぐ隣にいる相手にだけは大音声として聞こえるものでもあった。噂される当人が不意に振り向くことがないよう、目線だけはしっかりと向き、監視しながら、ふたりでそうした恨み声を吐き出し合う。
「アドバイスにもなってないし、何が『あなたたちのため』だよ。自分はたまたま入賞経験があるからって」
「それなんですけど、あの人、先輩とのダブルスでしか出場してないらしいですよ。シングルスには一回も出てないって、先輩が話してたんです」
「じゃあそれって、単に先輩が無茶苦茶強かっただけじゃないか?」
「絶対そうですよ! なんでこのサークルに他の三年生がいないのか、わかる気がします」
ふたりは一緒に嘆息すると、あーあと失望の声を吐いた。
「私、やっぱり別のサークルに行こうかなあ」
「でも他のところってただの飲みサーじゃないか?」
「ここよりはまともに練習できるんじゃないですか?」
「それはまあ、そうかもな」
どこまでも嘆息の混じる声音での、もはや陰口でもなくなった陰鬱な会話をしていると、彼女らが目を離した隙を突いたように、近付いてきたのはやはり松原だった。
「何してるのよ、さっさと練習しなさいって言ったでしょ! やっぱりやる気がないだけだったのね」
「…………」
松原の叱咤に、ふたりはどちらともなく視線を向け合うと「すみません」と小声で答え、一年生の女は渋々と走り込みへ向かい、代わりに男の方がコートに入った。
それでようやく、松原は満足して背を向けた。
部員のふたりはそこに忌々しげな視線をぶつけたが、結局は彼女に対し、なんの物理的な害意をもたらすことがないこともわかっていた。
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