第2話 おはよう勇者 2

 新しい下着を出してもらい、普段着らしきものに袖を通した。

 布でできた長袖のシャツとズボンは黒染めだった。赤い模様がある黒いマントをはおり、手慣れた手つきで鞘に入ったナイフを腹に巻いたショールに刺す。

 暖炉にまきが継ぎ足され、片付いた部屋のテーブルにはティーポットが湯気をくゆらせていた。

「お茶が入った。椅子に腰かけて」

 シエラは椅子を引き、ヨカナンが座るようにうながす。ヨカナンはゆっくりと考え込むように腰を降ろした。

 少し大きめのマグカップに熱いお茶が注がれる。まだ冷えるせいか湯気が豪快にたつ。

 ヨカナンは茶をすすった。紅茶だ。贅沢な品だ。生姜や薄荷がブレンドされている。体が温まるが何かが足りない。

「はちみつないか」

「あ、、ごめん、わすれてた。すぐ用意するから待っててね」

 シエラは馴れた手つきで棚からはちみつの入った壺を取り出し、テーブルに置いた。コルクの栓をポンと外し、スプーンで掻き出すと金色のはちみつが糸を引いた。

「いい塩梅だ。よくわかってるな」

「だって、あなたはちみつ大好きなんだもの」

 ヨカナンは不意に脈が速くなった。不整脈ではない、そういえば目の前の女は自分の婚約者なのだということを思い出しただけだ。

 先ほどまでは正直取り乱していたが、落ち着いてから見ると女は美しかった。腰まで伸びる長い髪は栗色で、体つきは細いが尻の形が良かった。

 すました横顔の眼は切れ長で、細長い眉毛は珍しく八の字を描いていたが、おかしくはなかった。

 口元は歯並びまでがよかった。自分なんか何本か歯がない。

 これが俺の女か、そう考えるとヨカナンは込み上げてくるものがあったが、股間をぎゅっと握った。自分は記憶喪失やらとからしいじゃないか。


「変な気は起こさないで、ヨカナン。あなたを愛しているけど、あなたは一時的に別人みたいなものなの。私たちは今、他人なんだよ?」

 頑張って自粛してたのにもかかわらず言われてしまった悔しさがすごかったが、今はそれどころではない。知らなければならないことがたくさんある。

 知らないと危険なことは知っとかないと危険なのだろう。自分は記憶喪失なのだ。


「うるせえ。それより聞きたいことがたくさんある。まず、俺のことが知りたい。俺の仕事はなんだ、俺はどうしてここにいる?」

 シエラはいつの間にか腰かけてティーカップをすすっていた。そして、うっとりと白い息を吐いている。

「あなたは自分の仕事がなんだと思ってるの?」

「記憶喪失なんだ知るものか。この格好からしてやくざ者かとはわかるんだがな。

 この黒い衣、わかりにくいが洗い残りの血の跡がたくさんついている。少し硬い。俺はさぞかし乱暴者だったのだろうな」

「ブッブー、はずれだよ。

ヨカナン、あなたは勇者なの」

「ゆうしゃ、ってなんだ?」

「神に愛されたその時代の救世主。法王猊下の印可を授かり、国王陛下から剣を授かった伝説になるまで語り継がれる者。それがあなたなの」

「なんだかすごそうだな。

ところで、剣ならわかる。すごいんだろな。印可ってなんだ?爵位かなにかか?」

「法王猊下の印可はね、それがあれば国境を越えて大陸中ならどこでも行ける殺しのライセンス。そのほかにも旅先の教会で宿と食事を提供してもらえるよ。教会らしくない豪勢な接待だったね。時には旅の資金も頂いたわ」

「坊主は余計に生臭いもんだ。抹香のにおいに紛れてイカくせえんだよ」

「やめて、余計な事を誰かに聞かれたら異端審問とか本当に怖いよ。今までお世話になってきたのに毎回やめてよね」

「坊主はきらいだ。で、その印可ってのはなんなんだ?金目のものか?毎回ってなんだ?」

「ブッブー、はずれだよ。立ち上がって裸になってからそこの姿見を見て」


 シエラが指さした先には大きな鏡が壁に掛けられていた。長い黒髪の、割と大柄な黒い男がぼんやりと映っていた。

「せっかく着たのに、また脱ぐのか」

「いいから」

 ヨカナンは言われた通り裸になって姿見に移る。股間は隠している。姿見は銅で出来たものでよく磨かれていた。大きさといい高価なものなのだろう。

「そして後ろに向きなおすの」

「え、こうか?」

「次は首だけ後ろを振り向いて鏡をみて」


「こうか、っおうわ!」


 ヨカナンの背中には特大の十字架が背負わされていた。正確には十字架の入れ墨が描かれていた。きっと名のある彫師が手掛けたに違いないヨカナンの背中は、その見事さまるで歩く一人大聖堂だった。


「腐れ坊主どもが、なんちゅーもんを人の背中に彫っとるんじゃあ!!」


「しー、だから余計なことは言わないでってば!」

 口に人差し指をあててシエラがせがむ。それがまるで何度も繰り返してきたくだりの様な気がしてヨカナンはふと緩んでしまった。全裸で。

「まあいいや。しかし、腑に落ちない事が多すぎる。俺は事があるたび半裸になって背中の彫り物を見せつけてたのか。

それより、俺は痛いのが大嫌いだから彫りもんは入れそうにないのだがな」

「大丈夫。薬で眠らされて十字架に縛られてたから」

「絶対途中で起きてるよな。やっぱり許せねえ。王様からもらった方の剣の方はどこだ!」

「なに言ってんの、旅先で邪魔になるからって売ったじゃない」

「売った…だと」

「昔の名刀だからね。青銅だし」

 ヨカナンは寒いので服を着始めた。


「もらいもんなんてそんなもんか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る