そのよん。
本日は快晴。
真夏の炎天下っぷりたるや、何でもないコンクリートから湯気があがる程。街行く誰もがうんざりしたような顔をしていて、心なしか何時もより人気が少なく感じる。
少しでも早く歩いて冷房の利いたところへ行くべきか。はたまた身体の熱を抑える為に過度な運動は避けるべきなのか。幼少の頃からの疑問は、今になっても答えが出ない。ただ、今日ばかりは逸る心が僕の足を急がせ、俯く人々を追い越して、約束のカフェへと向かった。
自動ドアひとつ潜れば、まるで別世界。
一〇〇席に満たない客席。某ファーストフード店を彷彿するような受付口。喫茶店とは違って店員さんが右往左往している様子は少なくて、クラシックのBGMも合わさって、落ち着いたような雰囲気を感じた。
うだるような暑さは何処へやら。鼻腔を擽るようなコーヒー豆の香ばしい匂いが、キンキンに冷えた空気と共に僕を包み込む。息苦しい水中から水面を割るような気分でハッとすれば、客席の一角に、こちらへ向けて眩しいくらいの笑顔を浮かべている金髪の女の子が目に留まった。
「柴田ーっ! こっちこっちぃ!」
まるで無邪気な子供のように、手を振ってくる清子ちゃん。
そんな彼女の様子にギョッとしたような顔をして、横から羽交い絞めにして彼女の傍迷惑な暴挙を止める亮くん。周りに向けてぺこぺこと頭を下げて、「すんません」を連呼していた。清子ちゃんはそんな彼へ不服そうに頬を膨らませて、ぶーたれながら着席していた。
のどかと言うより、静寂に近い雰囲気の店内。清子ちゃんの声はよく通るので、雰囲気をぶち壊すには十二分。なんだってそんな大騒ぎしたのかと、彼女へ向けられた奇異なものを見る視線は、やがて僕の方へ……。已む無くそっぽを向いて、他人の振りをしておいた。後で清子ちゃんに文句を言われそうだけど、赤っ恥をかかされるよりはマシだった。
普段、学校で見せる二人の関係は、まるで亮くんが弟で、清子ちゃんが姉のように見える。だけど、『オフの日』に何度か二人と過ごした僕は、その実案外どっちもどっちだと思えていた。
学校で見せる清子ちゃんの姉御肌ってやつは、彼女なりのキャラ作り。誰からも頼られて、羨望の眼差しを浴びる姿は、役者を演じているのと同じようだった。一度スイッチが切れると、子供っぽい甘えたな一面が表面化するのだ。それでも普段通り頼り甲斐はあるのだけど、隣に亮くんが居ると、自制心が消し飛ぶって言えば良いのだろうか。何せ学校で彼女に憧れを持っている男子達が見たら、びっくり仰天も良いところ。亮くんとの立場が一気に逆転しているのだ。
以前、亮くんが彼女に『遊びに連れてけ』って言われた件も納得。亮くんが止めてくれるからって、好き放題やっているのは、幼馴染に甘える可愛い一面ってやつなのだろうか。
まあ、その弊害で、公衆の面前で呼びつけられる僕は、たまったもんじゃないんだけどね……。
「おっそーい。私お腹減ったぁー」
とりあえず注文より先に席へ向かった僕を恨めしげに睨み上げて、清子ちゃんはテーブルに突っ伏していた。可愛い顔を歪ませていても絵になる彼女だけど、駄々っ子のように机の下で地団駄を踏んで、ぱたぱたと音を立てているのは頂けない。
とはいえ、時間通りに来たものの、割りと待たせていたらしい。亮くんの前にあるアイスコーヒーは半分程減っていて、清子ちゃんの前にあるのは空のグラスだけだった。
僕は苦笑を浮かべながら、「ごめんね」と短く詫びる。すると亮くんが鼻で笑ったような音を漏らして、何時もの事だと肩を竦めて見せた。そんな彼の態度が気に障ったのか、清子ちゃんは横目でじろり。今度は隣に座る彼へ敵意を向けた。
「ああ、はいはい。何か注文してきてやるって」
今に
「ほんと!? じゃあ、私キャラメルマキアートで!」
「腹が減ってんじゃねえのかよ」
今度こそ溜め息混じりに突っ込む亮くん。彼の指摘で思い出したように、サンドウィッチの追加オーダーをする清子ちゃん。
もう本当に普段とは逆の立場だ。
「純は?」
亮くんはゆっくりと椅子を引いて、席を立った。
一緒に注文してくれるという事だろうか? とはいえ
「僕も一緒に行くよ」
「だーめっ。柴田はここ」
とすると、お姫様のぶすっとしたような声で引き止められた。
こう言われてしまうと、行くに行けない。ここで無理に亮くんへ着いて行くと、戻った時お姫様の機嫌が著しく損なわれているだろう。已む無く上げかけた腰を再度降ろし、カフェオレと軽食をお願いする。亮くんは涼やかな表情で了解してくれて、清子ちゃんに「騒ぐなよ」と釘を刺してから、受付へ続く列に並んだ。
お昼時だし、五分くらいは待ちそうだった。
亮くんが行ってしまってすぐ、清子ちゃんはスマホを取り出して、再度テーブルに突っ伏した。彼女はそのまま亜弥がやっているような気だるげな感じで、スマホを弄りだす。家の中なら兎も角、お外でやるには些か見栄えが悪い。僕はふと注意した方が良いのかなんて考えるけど……まあ、出来る訳もなく。
そうして遣る瀬無く、彼女から目を逸らせば、くすっと笑ったような声を聞いた。
「柴田さぁー。同じ事を陽菜がやってたら、注意できる?」
「へ?」
唐突な言葉に、僕は彼女へ視線を戻すと同時に、素っ頓狂な返事をした。
すると先程までの子供っぽい雰囲気が一変。ふうと息をついた彼女は、ゆっくりと身を起こし、もみ上げを軽く掻き揚げて、後ろへ流す。大人びた所作に合わせるように、笑みが消えて、極々真面目な表情へ。
「陽菜はこんな事しないけど、仮にこういう事をしたとして……柴田は注意出来るのかって事」
その声は淡々としていて、亮くんに甘えていた先程までの雰囲気とはまるで違う。
彼女が大人の仮面を被っている時にやるような姿。学校で校内トップクラスにモテる女の子をやっている時に見せる顔だった。その顔付きを見て、ようやっと何を言われているかを察して、僕は首を横へ振る。
深月さんが同じ事をやる想像は出来なかったけど、仮に僕が受け入れ難い事をやったとして、それを指摘出来ない。彼女の事を神か何かだと崇めている僕には、とてもじゃないが畏れ多い事だった。
すると清子ちゃんはこくりと一回頷く。
真面目な顔をしたまま腕を組んで、背凭れに深く腰掛けた。
「柴田の恋愛の形にまで口出すつもりはないけど、陽菜は毎日バイトや家事をしてたりするのよね? その理由は兎も角として。あの子にとって重荷を増やしてくる相手が嬉しいのか、重荷を一緒に持ってくれる相手が嬉しいのか……それは分かるよね?」
淡々と言い並べられた清子ちゃんの言葉に、僕は息を呑んだ。
彼女の言う通り、深月さんは毎日バイトをして、家事もしているって言っていた。その疲れが学校生活の合間で見える事もしばしばある。
果たして僕の彼女への愛情は崇拝と言えば聞こえは良い――良いのか?――けど、つまるところそれは依存と何が違うのか。もしも彼女を想うのであれば、今しがた清子ちゃんを諌めていた亮くんみたく、頼り甲斐のある一面を養うべきではないのだろうか。
少なくとも深月さんは、そういう恋人の方が良いのだろう。彼女と懇意にしている清子ちゃんが、改まって僕のこういう頼りない一面を指摘するのは、そういう事に思えた。
僕が思案に耽って、思わず俯くと、再度清子ちゃんはくすりと笑った。
「察しの良い奴は好きだよ。がんば」
ふと視線を上げて清子ちゃんを見てみれば、亮くんに甘えていた時とはてんで違う落ち着いた笑みを浮かべていた。
簡単な昼食を済ませれば、その後は予定通りデートプランの確認になった。
炎天下のもと、学生の僕たちに与えられた移動手段は徒歩と公共交通。バスやら電車やらの中は涼しいけれど、当然ながら徒歩の最中は気力をも奪っていくような暑さの中を移動した。その節々で清子ちゃんは「あっつーい!」と唸っていて、都度亮くんが
亮くんが居ると、清子ちゃんはカフェで僕に見せたような一面は見せない。それは果たして、彼女の特権を行使しているのか、僕へ教えているのか、判断が尽かなかった。だけど、彼女の手を引く亮くんの頼り甲斐たるや、僕にはないものだった。
本当、亮くんと言い、清子ちゃんと言い、僕の周りはイケメンと美女ばっかだ。色んな意味で。
そうして市内の娯楽施設を巡ること数時間。
一通りの情報を得た僕たちは、当日どこに行くかは清子ちゃんが考えるとして、深月さんを迎えに行く事になった。おやつ時を少し過ぎたぐらいの時間だから、約束の時間には少しばかり早いのだけど、清子ちゃんは大丈夫だと言って案内してくれた。
普段使っている最寄駅の近くにあるステーキハウス。僕の家はあまり外食をしないきらいがあって、行った事が無いけれど、中々賑わっているお店という印象だった。
休憩に使うにしては些か仰々しい気もする場所だけど、「ここのパフェが美味しいんだ」と清子ちゃん。そうして半ば強引に決められて、入店。
落ち着いた雰囲気が漂う店内。家具の多くがゴシック調を思わせる黒塗りで、サラダ等が用意されたバイキングコーナーが一際異彩を放っていた。そしてその受付で店員さんの案内を待っていると――ふわりとシトラスの香りがした。
「いらっしゃいませ……って、もう来たんだ?」
灰色の襟付きシャツに、同色のタイトスカート。
あまり色気がない服装を慣れた様子で着ている店員さんは、左胸に『深月』とかかれたネームプレートをつけていた。聞き馴染んだ声にハッとして、彼女の顔を確認すれば、学校では見ない髪型。飲食店だからか、前髪を七三に分けて、ヘアピンで留めていた。襟足が見えないので、後ろの髪も縛っているようだった。
僅かに営業スマイルの名残が見える顔には、ふっと肩の力を抜いたような印象の笑み。眉尻が下がっている顔は、学校じゃあまり見られないものだった。
「おっすー。売り上げに協力しに来てあげたぞー」
「別に私のお店じゃないんだけど……」
そう言って、深月さんは僕と亮くんをちらり。
何を思ったのか、彼女はおもむろににっこりと微笑んで、小首を傾げてみせた。
「いらっしゃいませ。三名様ですか?」
唐突な営業スマイル。
肩の高さに上げられた片手が何とも愛らしい。
瞬間、脳みそ、爆ぜて。
普段と違う一面を見て、暴走寸前だった僕の脳が、ちゅどんという陳腐な音と共に大爆発。まるで思考回路へ強襲を仕掛けられ、無惨に爆撃を食らったかのようだった。
端的に言うと、頭の中が真っ白になった。
ミヅキサンバンザイ。
ミヅキヒナハカミデアル。
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