そのさん。
夏休み、一日目。
深月さんがいない。何処にもいない。
恋しい。暫く会えないなんて、絶望以外の何物でも無い。
夏休み、二日目。
深月さんがいない。何処にもいない。
亮君は今日もマッチョだった。
夏休み、三日目。
深月さんがいない……。
清子ちゃんが鬼だ。
夏休み、四日目。
深月さんが……深月さんで……深月さん。
亮君も清子ちゃんも鬼だ。
夏休み、五日目。
みづきさん。みづきさん。みづきさん。みづきさん。みづきさん。
りょーくん……みづきさん……せーこちゃん……みづきさん……。
夏休み、六日目。
みづきさんみづきさんみづきさんみづきさんみづきさんみづきさんみづきさんみづきさんみづきさんみづきさんみづきさんみづきさんみづきさん……。
苦行だ……。
苦行以外の何物でもない。
教育委員会は、何故このような過酷な長期休日を僕達学生に与えたもうた。確かに普通の学生にとっては素晴らしい制度かもしれない。しかし、普通ではない学生達にとっては、ただの地獄ではないか。少なくとも今の僕は、教育委員会を爆破すれば、夏休みが終わると言うのであれば、躊躇無くやるぞ? 良いのか? やるぞ? やってしまうぞ?
おぉ、教育委員会。
何故僕カラ深月神ヲ奪イ給ウタ……。
夏休みが始まって一週間。僕は干物になっていた。主に精神的な方向で。
日課になっている早朝マラソンは言わずもがな。終業式の日からは清子ちゃんによる『柴田モテ男化計画』――命名、清子ちゃん――が二日に一回の頻度で行われ、僕の平常値はごりごりと削れていった。それこそもう『SAN値直葬』っていうレベル。何がそんなに酷いかって、僕の吃り癖の解消の為と銘打たれた訓練が、本当に容赦無いんだ……。
話す時に目線を逸らせば尻を蹴られ、早口になれば頬を張られ。挙句一昨日なんて、猫背になっただけで、何処からか取り出してきたハリセンで頭をぶっ叩かれた。もの凄く痛かった。
吃り癖を直さないと、何時まで経っても自分に自信は持てない。だから早急に直す必要がある。幾ら見かけを整えても、中身を直さない限り、告白には結びつかない。やっても上手くいかない可能性が極めて高い。そう言う彼女の理論は凄く分かるんだけど、もっと良い方法は無いのだろうか。僕は甘やかされて育った自覚があるぐらい、暴力ってものに耐性が無いんだけど……まあ、手加減はされてるのか、亮君のそれと比べれば全然痛くないんだけど。
あと、僕は別にモテたい訳じゃない。
とはいえ、『モテ男化計画』は兎も角として、やはり清子ちゃんはとても親身になってくれた。亮君と二人、終業式の日を合わせて、既に四日間も都合をつけてくれている。リア充の貴重な一日を四日分もくれていることには、本当に感謝の念しかない。
そして今日。
僕はやはり清子ちゃんに誘われている。勿論、亮君も一緒だ。だけど今日の予定は訓練ではなく、一週間後に控えた
夕方には、深月さんに会える! 実に一週間ぶりだ。
この喜びを態度にて表せと言われたら、今すぐ泣いて喚いて万歳三唱をしよう。街中で聖火を持たない聖火リレー・ソロバージョンをする事も、金色に輝く電撃ゴリラに裸一貫で突撃する事だって出来るかもしれない。いいや、その程度ではない。大好きなゲームを全て捨てちまえと言われたら、後に凄まじく後悔することさえ忘れてやってしまうに違いない。待て。まだいける。まだやれる。僕の喜びはこんなものじゃない。今の僕なら、心に留めた深月教のバイブルを世界中に広め、巨万の信者を獲得することだって出来る。その為に必要とあらば、磔刑に処されることも、亜弥に変態と蔑まれながら全裸で修行することも、世界の中心で超巨大な獣になることも、厭わない!
深月陽菜ハ神デアル!!
『兄ちゃん煩い! 私宿題してんの!』
おっといけない。
嬉しさのあまり、ベッドの上で暴れてしまった。やましいことはしていないつもりだが、些かエキサイトしすぎたようである。しかし、我慢が出来ない。今尚、もう一度主張しよう。
深月陽菜ハ神デアル。
深月陽菜ハ神デアル!
彼女を崇め、奉ることこそ、我等深月教信者において、絶対の喜び。不浄の世を救う誓いなり。全てにおいて絶対の存在。絶対の価値。尊きなり。尊きなり。誉れ、賛美、敬意を払え。己が不浄の身を委ね、いざ裁かれん。虚勢、限界は無価値なり。低劣であることを、深月神は許さず。己が真価を問い、身も心も捧げよ!!
『おいコラ! うっさいって言ってんの。馬鹿兄貴!!』
壁がドンと音を立てた。
もしかしなくても、亜弥が壁を打ったのだろう。彼女の部屋にはあまり入った事が無いけど、確か学習机が壁を挟んですぐの所にあった筈。態々立ち上がって壁を殴ったとは考え難いし、どうも本当に勉強をしているようだ。
流石の僕も少し反省。壁越しに「ごめん。ちょっと探し物してて」と、誤魔化しておいた。
そうして落ち着けば、僕は不意に時計を見やる。
短い針は九と一〇の間でのんびりしているようだった。
約束の時間は一二時。何時もの三人でお昼ご飯を食べて、候補に挙がっている遊園地や水族館へのルートを確認。バスの時間等をきちんと確認してから、夕方を待ち、深月さんと合流するそうだ。
今の時代、経路確認なんてスマートフォンひとつあれば事が足りる。態々足を運ぶ必要性は皆無だ。だけど僕はそれを主張しようとは思わなかった。炎天下の下、遠出する事はあまり好きじゃないものの、僕は重症ってレベルで済まない程、深月ウイルスに冒されている。下見をしていたとしても、パニックに陥るのは目に見えている。ぶっつけ本番なんて有り得ない。『偶にはアナログチックなのも良いでしょ』と、清子ちゃんが提案してくれたのは、きっと僕に配慮してくれての事だ。
まだ約束の時間までは少しあるけれど、そろそろ支度をしようか。
そう思って改めたハンガーラックには、今日着て行く服が掛けられている。それは大してお洒落ではないシャツとジーンズの組み合わせだった。僕としては深月さんが来る手前、格好つけたい気持ちがあったけれど、先日、今日の服装を相談した際に『普段からお洒落してない人間が普段着から格好つけたってしゃあないじゃん』と、清子ちゃんに釘を刺されてしまった。
格好つける時だけ格好つけたら良い。
みすぼらしい格好や、同行者に恥をかかせるような格好をチョイスしなければ、普段の格好は普段の格好で良い。急ごしらえのメッキなんて、もしも付き合えたとしたら、すぐに剥がれてしまうのだから、びしっと決める時だけびしっとしていれば良いんだ。
清子ちゃんはそんな風に言っていた。
なのに彼女は普段着からして超が付く程お洒落なのだから、何とも説得力があるようで、無い話なんだけれども。因みに亮君の普段着はやたらとジャージ姿が多かった。彼を見ていると彼女の言わんとする事は何となく分かった。
早朝のランニングの後、着替えた服を脱ぐ。あまり何度も着替えると、洗濯をしてくれる母さんに申し訳無いので、部屋着は畳んでベッドの上に置いておこう。替えの服を着込んだら、財布やスマホの充電も確認しないと。
と、すると、僕が着替え終えたタイミングを見計らったかのように、扉が小さく二度ノックされた。
『純也。入るわよー?』
少しばかり間抜けな調子に聞こえるのは、ひょうきんな性格がそうさせているのか。娘である筈の亜弥とはてんで似つかない調子で、母さんの声が聞こえた。
うん? 何だろう?
そう思いながら、うんと返す。
丁度扉に背を向けて着替えていたので、着込んだ服を整えながら、肩越しに振り返った。と同時に、部屋の扉がガチャリと音を立てる。
中を確かめるようにゆっくりと開いていく扉。半開きになったところで、母さんが入ってくる。長い髪をお団子に結っていて、いかにもこれから何処かへ出かけるように見えた。
「どうかしたの?」
母さんの手には白い長財布が握られていて、何やらお小遣いでも貰えそうな雰囲気を感じたけれど、我が家のお小遣いは月額制だ。月頭以外で貰える事は滅多に無いし、お使いを頼まれる可能性の方がずっと高いだろう。
そんな当たりを付けて問い掛けてみれば、母さんは何処か申し訳無さそうに苦笑を浮かべた。
「今日、友達とお出かけするのよね?」
確認されて、僕はうんと頷いて返す。
すると母さんは財布から一枚のお札を抜いて、こちらに寄越した。
「じゃあ、今日の夜は外で食べてきてくれるかしら? お母さん、亜弥と出かけるから」
成る程。
亜弥は普段から休日でもだらだらしないタイプではあるけど、朝っぱらから勉強をしているのは少しばかり珍しい。母さんとのお出かけに釣られていたのだろう。僕はあまり厳しく言われないけど、亜弥に対しては割りと教育ママだし。
僕は母さんが差し出してきたお札を受け取り、了解する。ちらりと目視すれば、緑色の印字がされたお札だった。まあ、お昼はもともと自分のお小遣いから出すつもりだったので、夜一食分と考えれば丁度良い金額だろう。某牛丼屋なら、特盛りにサラダまで付けられる。
「帰りは遅いの?」
「一九時くらいかしら……そんなに遅くならないと思うわ」
にこやかな笑顔と共に返して来る母さん。
その様子が不意に気になって、僕は支度を再開しながら、何処へ出かけるのかと聞いてみた。すると、亜弥が母さんの大好きな音楽団のコンサートを予約してくれていたのだと、嬉しそうに話してくれた。
母さんの趣味はクラシック。今日行くというコンサートも、『音楽団』なんて言うのだから、多分クラシック系のものだろう。当然ながら僕の知る名前は出てこない。けれども、娘から誘ってもらえた事が何より嬉しいのだろう。何となくその気持ちは伝わってきた。
と、そんな風に母さんの話を聞いていれば、暫くして亜弥の部屋の方から扉の開く音がした。どうやら亜弥を出来た娘だとべた褒めする母さんの声が聞こえていたようで、開きっぱなしの扉から僕の部屋へ飛び込んできたのだ。その顔ったら真っ赤に染まっていて、普段のポーカーフェイスなんて何処へやら。母さんの口を必死になって塞ごうとしたり、僕に対して何を笑ってんだと罵倒してきたりしている姿は、年相応の女の子にしか見えなかった。
だけど、そんな風に見えるのは何時以来か。
幼少の頃を思い起こす心地で、可愛らしい妹のように見えたのだ。
普段は口煩くて、僕のやる事なす事に口を挟んでくる可愛げのない妹。だけどこうして見えるのは、彼女がたまらなく妹なのだからなのだろう。
「このクソ兄貴! 何時までへらへらしてんのよ!!」
「ぶげらっ!」
生温かい目で見守っていたら、おもっくそ蹴られた。
スカートの下を隠しもしないあたり、恥じらいもへったくれもないのは、家族だからか、はたまた……あ、ごめんなさい。もうにやにやしないので、蹴らないで。割りと痛かったの。
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