そのに。
小粋な声に見送られて、お店を出る。
僕はさっぱりした首元を撫でて、そこに髪が無いことを改めて確認。ふうと息をついた。
待ってくれていた二人を振り返って、短く礼を述べる。何処か気恥ずかしく思いつつも、どうかな? と、問い掛けた。
すると亮君はさっぱりして良いと言い、対して清子ちゃんは、少しばかり顔をしかめる。その微妙な顔付きに僕が「え? ダメ?」と問い質せば、彼女は首を横に振りながら、店の前を離れようと言ってきた。促されるまま、商業区画のど真ん中にある広場へ。
夏の厳しい日差しの下、清子ちゃんは小さく溜め息を吐いた。
「相手はプロ。それは承知なんだけどぉ」
と、不躾にそう言った。
思わず僕は目を瞬かせて、「はい?」と、問い返す。
すると彼女は両手を肩の高さにあげて、再度首を横に。
「十分な出来だとは思うけど、値段を考えると少し粗いと思う。手際も微妙だった。個人的には一〇〇〇〇円はちょっとぼったくりになるレベル。次に髪切りに行く時は、少し駅離れるけど、私の行きつけ紹介するよー」
え? そうなの?
僕は訝しむ表情のままに、亮君を振り返る。すると彼は苦笑混じりで、「清子は厳しいから」と言った。とすれば、清子ちゃんは「お金払うんだし、当然っしょ?」と、さも当たり前な風で返して来る。そこへ更に亮君が「へえへえ。そうですねー」なんて煽るものだから、途端に彼女は不服そうに頬を膨らませた。
あ、少し離れてよう……。
「柴田を格好良くして欲しいって、あんたが頼んできたくせに、何でそう適当なこと言うのよ。このボケ!」
「ボケは余計だ。このカス!」
「ボケにボケって言って何が悪いっての!」
夫婦喧嘩、始まっちゃった……。
それそのものは珍しくもないし、どうぞお好きにやって下さいって感じではあるのだけれど、二人してやけに声がでかい。広場のど真ん中でやってる分、言うまでも無く目立つ。加えて陽射しを遮るものが何もない場所なので、待っている僕も暑い。
ええと、どうやって諌めよう。
困ってしまって、僕は頬を掻いて呆れ顔を浮かべるばかり。今に殴り合い――といっても一方的な――が始まりそうな二人を簡単に止める術は見当たらず、かと言って身体を張って仲裁に入るのは、何となく怖い。
はあ……。
僕は溜め息をついて、肩を落とす。
と、その時不意に思い起こした。「あ、そうだ」と言って面を上げれば、今に亮君へ殴りかかろうとしていた清子ちゃんが、ぴたりと動きを止める。
あ、仲裁出来た。
そう思いつつ、丁度こちらを向いた清子ちゃんを、僅かに吃り癖を出しながらも、呼びつける。
「そういえば、さっきワックス買わなかったけど、どうして?」
とすれば、清子ちゃんは「ああ」と言って、身体ごと向き直ってきた。そして短いお洒落なトンネルの先にある別区画の商業施設を指差した。
「あっちにある薬局の方が安いのよ。美容室でしか扱ってないものもあるけど、安くて質の良いワックスもいっぱいあるし、そっちのが良いでしょ?」
成る程。
どうやら僕の財布事情に気を使ってくれているようだ。
まあ、此処最近はゲームを買うことも少なくなって、お小遣いは余りがちになっている。銀行の口座に貯金している分もあるし、あまり気にしていないんだけれど、彼女はあくまでも最初に提示した予算で出来ることを考えてくれているらしい。本当、予想以上に親身な人だ。
としたところで、口論していた筈の亮君も、それを忘れたように腕を組み、向き直ってきた。
「俺も薬局で買ってるぞ? 安物っつうけど、高けりゃ良いってもんでもないと思うしな」
「私も同感だねー。っていうか、ハードとソフトの区別もつかない内は、ラベルについてる情報も見た方が良いしね」
ハードとか、ソフトとか言われると、僕はゲームしか浮かばない。まあ、絶対に違うだろうし、とりあえず今は頷いて、後で立ち寄った際に詳しく聞こう。そう思うが早いか、「あとで詳しく教えてあげるよ」と、清子ちゃん。もう至れり尽くせりだ。
美人で、気立てが良くて、しっかりしている。確かに暴力的な面はあるけど、文句なしに魅力的な女の子なのに、何で亮君は清子ちゃんと付き合っていないんだろう? 少しばかり疑問だ。二次元じゃ大して珍しくない設定だけど、三次元なら外野が彼女を放っておかないと思うんだよね。実際、彼女は男子慣れしている節があるし、これまでに彼氏がいた経験があっても不思議ではない程。亮君の好みではないとか? でも、不本意ながらとは言っていたけど、学年で一番可愛いって言っていたよね。
僕は内心小首を傾げる心地で、「じゃあ、服見に行こっか」と先立つ清子ちゃんの後を追った。
散髪に予算の半分を割いた為、残金は心許ないと言える。この手持ちで整髪料から、洋服まで、揃えなくてはならない。銀行に行けばまだ余裕があることは伝えたけど、清子ちゃんは全く気に留めない様子で、ただ一言「大丈夫よー」と言っていた。
主に生活品を扱っている量販店に入り、その二階にあるファッションコーナーに。エスカレーターを降りた所で立ち止まった清子ちゃんは、周囲を見渡してから、ゆっくりと振り返ってきた。
「ファッションについては、あの子の好みで良いよね? てか、柴田の好きな子って陽菜だよね?」
「ぶっ!」
唐突に確認されて、僕は思わず噴出す。
咄嗟に周囲を確認するけど、僕達と同じ制服を着た人影は見当たらない。ていうか、清子ちゃんが見渡していたのは、そこに気を使ってくれたからだろう。「大丈夫だって」と言う彼女に、僕は頬が熱くなるような感覚を覚えつつ、やおら振り返る。
もう元からバレていたようなものだし、こくりと一回、頷いて返した。そこで後ろから亮君に背中を叩かれて、思わずつんのめりながら振り向けば、彼は苦笑していた。
「清子の時は随分素直じゃねえの」
「もう! 亮、茶化すな」
「りょ、亮君の時はまだ誰にも知られてなかったからね!?」
清子ちゃんの叱責と、僕の弁解が同時に飛ぶ。
そのどちらに応えたかは分からないけど、亮君は肩を竦めて、「へえへえ」と、尚も茶化す。大体、彼が清子ちゃんにバラしたようなものじゃないか。いや、実際に話したのは僕だけど、そう提案したのは彼だし、それが切っ掛けでバレたのかもしれないし。
僕が愚痴っぽくそうごちれば、清子ちゃんは「へ?」と言って、小首を傾げる。
「私は結構前から気付いてたよ? 柴田ってば、普段からこっそり陽菜のことばっか見てたから。実はあんたが空手頑張ってるのを、それとなーくあの子にリークしたりしてたんだよ?」
開いた口が塞がらないとは、きっと今の僕のことを言うんだろう。
文字通り僕は目と口を丸くして、唖然としていた。
確かに、その成果はついこの前、僕にこれ以上ない程の幸せをもたらした。それはとても嬉しいし、これについて感謝しろと言われたら、地べたに両手をつくことまで出来る。しかし、解せない。一体何故、彼女は僕みたいなデブで気持ち悪いオタクを、態々応援してくれるのか。
そんな思案が顔に出ていたんだろう。
清子ちゃんはくすりと笑って、励ますように僕の腕を叩いてきた。
「陽菜のことを好いてくれる。あの子の良さを分かってくれる。それだけで、私はあんたを信用出来ると思った。柴田には失礼かもしれないけど、もしも仮に、あんたが期待外れの人間だったとしても、陽菜も陽菜で、人を見る目はあるからね。あんたが悪い奴なら、あの子は応じない。だからこそ、スタートラインに立つぐらいのお手伝いは、してやりたいって思ったのよ」
つまり彼女は、全て深月さんの為にやっていると言っていた。
その本懐は果たして、彼女の善意なのか、はたまた深月さんに対して思うところがあるのか、定かじゃない。それを確かめるより早く、彼女は踵を返して、「さ、お目当ての服を探しに行こっか」と、行ってしまった。その背を追いかけようとすれば、今度は亮君が僕の背中を軽く叩いてくる。ちらりと首だけで振り向くと、彼は薄く笑っていた。
「あいつと深月、ちょっとした訳ありなんだ。まあ、あんま気にすんな」
そう言って、僕を追い越していく亮君。
一人残された僕は、首を傾げる他なかった。
訳あり……というと、すぐに思い浮かぶのは不仲の理由だ。だけど清子ちゃんと深月さんはこれ以上ないってくらいに仲が良い。毎朝一緒に登校していて、深月さんのバイトが無い時は必ずと言って良い程、一緒に帰っている。授業の合間にある休み時間だって、二人で過ごしている様子は多く見られるし、日中の大半を一緒に過ごしていると言っても過言じゃない。
まあ、亮君の言うことだから、多少なり語弊があるのかもしれない。
気にはなってしまうものの、こちらから深く掘り下げて聞くのは、失礼にも程があるだろう。実際のところ、僕は親切にして貰っていて、邪険にされている訳では無い。変に疑るのは良くない。
僕は首を横に振って疑問を捨て、先に紳士服コーナーへと行ってしまった二人の後を追った。
二人は区画の入り口で待ってくれていた。少しばかり駆け足になって、彼等のもとに駆けつける。すると「あ、来た来た」と振り返ってくる清子ちゃんは、何やら良からぬにやけ顔をしていた。
「はい、ちょっとごめんねー」
そして突然、何の脈絡もなく、清子ちゃんに腹を鷲掴みにされた。
思わず僕はぎゃあと叫ぶ。コンプレックスの塊である脂肪を突如掴まれるだなんて、思いもしていなかったのだから、当然の反応だ。しかし当の清子ちゃんは何にも気にしちゃいない様子。「ふむふむ」と言いつつ僕の腹を揉みしだき、片手では足りないと言わんばかりに両手で……って、ちょっと、擽ったい! な、何なのさ一体!?
一頻り揉んで満足したのか、「よし」だなんて声と共に、僕を解放する清子ちゃん。その行動の意図が読めず、僕は顔を真っ赤にして猛抗議した。僕が異性に対して全く免疫の無い男子であることは承知だろうに、何だってこんな暴挙を!
とすれば、僕の視線を察した清子ちゃんは、飄々とした様子でにっこりと笑う。
「いやあ、思ったよりお腹目立って無いから、実際どれぐらい出てるのかなーって。本当なら直接揉ませてくれた方が確実なんだけど?」
な、成る程……つまり、服のサイズを決める為ということか。
しかし、それなら心の準備くらいはさせて欲しいし、人類は神から授かった知恵を駆使して、メジャーという文明機器を誕生させている。それを用いれば、僕の羞恥心を悪戯に煽ることはなかったじゃないか!
「ぜ、絶対嫌だ!」
故に、『直接揉ませてくれたら』という言い方をしつつ、『直接揉ませろ』と言わんばかりに嫌らしい目付きで見てくる彼女には、断固拒否を示しておいた。やっぱり彼女は粗暴だ。そればっかりはどれ程印象が変わっても、間違いない事実だった。
とはいえ、やっぱり何の意味もなく暴挙を起こすような人でもないらしい。
僕の体型が分かったと言えば、彼女はさして悩む様子もなく、幾つかの服装をピックアップした。そしてそのどれもが即興で決められたとは思えない程、しっくりくるような組み合わせだった。
「ほい。じゃあ着てみて? 組み合わせはさっき言った通りに」
そう言って僕を試着室に放り込む清子ちゃん。
今まで母さんが買って来てくれた服を適当に着ていた僕だ。当然ながら、試着室なんて使った例がない。服の上から着るのだろうか? というところから始めなければいけなかった。
だけど、何故か悪い気はしない。
まだ支度しているだけで、充実しているとは言い難いけど、去年まで友達の一人さえ居なかった僕が、こうして誰かとお洒落をしようとしているだなんて、予想もしていなかった状況だ。
試着室の鏡に映る自分。
四月の頃より、随分と細くなった。ついさっき切ったから、髪型だって全然違う。服装まで変わってしまうと、きっと別人みたく映るだろう。それは果たして良いことなのか、悪いことなのか、今の僕では分からない。望んでいる以上、悪い結果を生み出さないよう努力は怠らないつもりだけど、もしかしたら変わろうとした事を後悔する日がくるかもしれない。
それでも、何時の間にか少しだけ上向きになった僕の視線は、俯きがちだったあの頃より、ちょっとはマシに見えるんじゃないだろうか。いや、ほんと、そうあって欲しい。あまり接点が無かった女の子に、お腹まで鷲掴みにされたんだ……ほんと、ほんと、どうか、お願いします。
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