そのはち。
日曜日がやって来た。父さん、亮君とゲーセンに行くと約束したその日だ。
この日も例の如く、毎朝の日課はきちんと行う。亮君と待ち合わせして、自分の限界へ挑戦するかのような走りこみをした。まあ、僕は別にアスリートを目指している訳じゃないんだけどね。
その帰り道。昼過ぎに亮君を迎えに行く約束をして、別れた後の事。僕はふと、いつもよりハイペースで帰路を走っている事に気付いた。普段から『ふと思う』だなんて事をする場所が決まっているようなものなんだけど、それが違った。
最近特に思うけど、僕は休日ってものが嫌いになっていた。
理由は明白。深月さんに会えないからだ。
学校さえあれば、彼女が休みでもない限りは必ず会える。まあ別に会ったとして、会話や接点を持てるとは限らない訳だけど、僕からすれば彼女を視界に収めるだけで十二分に幸せな気分へ浸れるのだ。逆に彼女に会えないのならば、胸の内がぞわぞわして、身体と心が落ち着かない。会いたい……というよりは、見たい。見ていたい。と、そう思う。随分と立派に、僕は中毒患者になっていた。
と、言うか。仮に深月さん欠乏症が無くったって、現状の僕は土日が要らないように感じる。だって、『やる事』が無い。
相変わらず手持ちのゲームは深月ウイルスに掛かっていて、やればやる程、彼女が恋しくて仕方なくなる。もう最近では人間が登場しないゲームをやっていても、彼女らしきものを見つけてしまう自分がいるのだ。我ながら凄いスキルだ。唯一、『誰かとプレイする』なんて状態であればそこまで気にならないのだけど、亮君以外に友達がいない僕だ。父さんが休みなら兎も角、亜弥は勿論、母さんも相手してくれないのだから、大好きなゲームが出来ない。延々と生殺し状態だ。
だからと言うべきか、最近は自分のオタク度合いも減ってしまった気がする。深月さんという存在に熱中する分、無理に誰かと遊ぼうとして、ネトゲをする事は無いし、愛らしいキャラクター達を愛でる時間も減ってきた。そろそろ部屋のポスターだって剥がしてしまっても良いんじゃないかと思える程。まあ、愛情は減っても愛着はあるし、そう簡単にはいかないものだけど。仮に深月さんの写真があれば、問答無用でポスターを剥がすだろうか……って、部屋に好きな一般人の女子――恋人ではない――の写真を貼るのは、流石に不味いだろう。そこまでいけば、常識的に考えて、ストーカーと呼ばれる類の人間じゃないか。自重しなければ。
でもまあ、深月さんの写真が部屋に飾ってあったら……幸せだろうなぁ。
毎日彼女を見て起きて、彼女を見て眠る。それだけで、随分と満ち足りた日々になりそうだ。きっとこの思考は、世間一般的に言って、かなり気持ち悪いものなんだろうけど、妄想するぐらいは許して欲しい。仮に彼女が僕の恋人であるのなら、間違いなく幸せなんだから。
その為に、もう一歩頑張ろうじゃないか。
深月さんは僕の努力を見てくれていた。そして決して無駄な努力だと罵ったりしなかった。一歩ずつでも、近付いているんだ……多分。
今日の帰り道は、いつもより何処か温かくて、清々しかった。
「ただいま」
相も変わらず外観ばかりは洒落た門扉を抜け、我が家の扉を開く。
廊下はリビングから漏れた光を受け、何処か仄暗く映る。靴を脱いで、冷たいフローリングを踏めば、ことりと足音がした。ハッとして振り向けば、脇の階段の上から、こちらを見下ろす亜弥の姿。
ぼさぼさの髪に、乱れに乱れたパジャマ姿。毎度のことながら、妹は朝が弱い。起きる時間こそ休日の今日でさえ早いけど、彼女曰く低血圧なのだそう。だからと言ってだらだらと過ごすのは嫌だと言うあたり、出来た人間ではあるのだろう。
亜弥は僕を認めるなり、大きな欠伸をする。手で口元を覆いながら、余った手で目尻を拭う姿は、実に眠たげだ。
「おはよ」
「おはよー。今日もランニング? 飽きないね」
今日も……と言うより、休日でもと言いたいのだろう。
僕はうんと短く返して、脱いだ靴を揃えた。
小さな音を立てて降りてくる亜弥を振り返って、毎度御馴染みなパジャマの乱れを指摘する。随分と不服そうだったけど、母さんに怒られるよりはマシなのか、黙って直していた。
僕が改まるより早く一階に降りて来た亜弥に、リビングへの道を譲れば、彼女はおもむろに足を止める。何気ない様子で振り返ってきて、小首を傾げた。
「今日出掛けるんだっけ?」
普段、僕の行いを揶揄することはあっても、気にすることは少ない亜弥だ。態々改まった様子で聞かれて、思わず目を丸くした。
「あ、うん。隣町のゲーセンまで」
動揺を誤魔化すように、早口で返せば、亜弥は「ふーん」と言って、前へ向き直る。手を組んで、頭上へ掲げ、小さな声を漏らしながら、背伸びする彼女。ふうと息をついて腕を下ろせば、再度振り返ってきた。
「今日、私も用事あって、車乗せてって欲しいんだけど……一緒に行っても良い?」
気だるげながらも、何処か罰の悪そうな顔で溢す亜弥。
何の予定かは知らないけれど、不躾だ。僕は前々から父さんと約束していたし、今日に限っては亮君も一緒だ。そこへ割り込まれるのは、多少なり不本意ではある。だけど……まあ、僕が決めることじゃない。車を運転するのは父さんで、仮にその質問を父さんにすれば、二つ返事で了解するだろう。亜弥もそれを分かっていると思う。
つまるところ、『一緒に行っても良い?』ではなく、『一緒に行くよ』という事。態々断ってきたのは、その表情に映る罰悪さが示す限りだろう。
まあ、以前なら、頑なに僕と行動を共にしたがらない妹だった。そんな彼女の変化を、疎ましく思って、ぞんざいに扱うのは、些か大人気ない気もする。
僕は二度、三度と頷いて返した。
「僕の友達も一緒だけど、それで良ければ、僕は構わないよ」
とすると、亜弥は「へ?」と言って、きょとんとした風な顔付きをした。
まるで『兄ちゃんに友達?』と言わんばかりな風だったけど、彼女は「ごめん。何でも」と、すぐに目線を逸らして、『あ、でもやっぱり!』みたいな感じで、再度振り返ってきた。
「って、お父さんと友達と三人でゲーセン!?」
友達が居る事への突っ込みを放棄した亜弥だったけれど、やっぱりそこは気になったらしい。亮君も驚いていたけど……そんなに、変なことだろうか?
「いや、変っていうか……普通は親と友達と三人で遊びはしないよね」
問い掛ければ、断言しないまでも、肯定するような返事が返って来た。
いや、でも、亮君と父さんは知り合いなんだけどね? そうじゃなきゃさしもの僕でも、流石に変だとは思うよ? まあ、別に亜弥にどう言われようが、大して気にしないんだけどさ。
案の定と言うか、予想通りと言うか、父さんは亜弥の申し出を二つ返事で許可した。行き先も殆んど同じだったし、断る理由も無いだろう。父さんは別に僕だけに優しい訳じゃなくて、亜弥のことも常日頃から気にかけているんだし。
お昼ご飯を食べてすぐ、家を出ることになった。
僕は少しばかり亜弥に気を使って、ハーフパンツと特に目立つ柄が入っていない半袖のシャツを着た。まあ、嫌がらせのように、二次元女子がプリントされたものを着る程、性格悪くないし。今日のメインは亮君と遊ぶ事なのだから、尚更だ。ていうか、そういうのは基本的に観賞用で、僕は普段から割りと普通の格好を心掛ける。周囲の目線は大して気にしないけど、一目でオタクだと分かったら、変な輩に難癖つけられることもある。いくら強面の顔で、体格が良い僕だって、かつあげとかリンチとかされないとは限らないしね。
「良し。じゃあ行こうか」
そう言って改まる父さんは、ジーンズにシャツというラフな格好。
間延びした返事をして立ち上がる亜弥は、一体誰と出掛けるのか、フリルつきの可愛らしいワンピースに、ジーンズを合わせた小洒落た格好だった。あまりごちゃごちゃと着飾らない彼女が、ネックレスをつけているあたり、もしかするとデートかもしれない。まあ、相変わらず彼氏はいないらしいけど。
母さんに気をつけてと見送られて、父さんの愛車へと乗り込む。僕は家族で出掛ける時の定位置になっている助手席へ。亜弥は後部座席へ。
炎天下という程、気温は暑くないけど、車内はちょっとしたサウナになっていた。外よりよっぽど暑い車内に、「うわ、あっつ」とごちた亜弥が、前へ身を乗り出してきて、クーラーを最低温度にした。
「亜弥。身体に悪いぞ」
「良いじゃん。冷えるまで。ちょっとだけだってば」
まあ、こればっかりは僕も賛成。
放置された夏場の車内といえば、地獄というに相応しいだろう。指摘する父さんも、その実暑かったのか、渋々といった様子で許可した。
そうして出発して、暫く。
閑静な住宅街を大通りへ出て、一〇分程走った頃合。僕に聞いてくるでもなく、カーナビを弄るでもなく、路地へと入り、やがて大きなマンションの前に到着した。
補導した際は、基本的に親が迎えに来るのを待つらしいけど、常習犯だった亮君を、退勤に合わせて送っていくこともあったそうだ。本当はいけないらしいけど、極々個人的な付き合いとして。
サイドブレーキを引いた父さんは、薄く笑って僕を促した。
「俺が行くと、また彼が何かしたかと騒ぎになるだろう。純也が呼びに行ってくれ」
「うん」
言われて、僕は車を降りる。
ふと振り返れば、亜弥は退屈そうに明後日の方向を見ていた。
じりじりと照りつける日差しを、何処か眩しく思いながら、亮君の家があるマンションへと向き直る。何処にあるかは聞いていたけど、実際に来るのは始めてだった。
三三階建てのマンション。見上げても天辺が見えない程の高さだった。
場所を聞いた時に、何処そこの一番でけーやつと言われて、それだけで伝わる程、此処いらでは目立つ建物だ。その分値が張るのだろうし、亮君や、その幼馴染である鷲塚さんは、やはり裕福層の人間なのだろう。
僕は途方も無く高い建物に、何処か気圧される気分になりながら、マンションの自動ドアを潜った。
自動ドアは二重。オートロックだった。
驚くべきは、こんな場所にさえ、空調がついているらしいこと。入った瞬間、ひんやりとした風を浴びて、思わずびくりとした。いや、有り難いんだけどさ。少しばかり住んでる世界が違うんじゃないかとか、考えるよね。まあ、僕の家も割りと裕福ではあるんだけども。
何故か溜め息混じりになりながら、僕はインターホンへと向かう。
端末に数字を入力して、呼び出しボタンを押した。数度のコール音が鳴って、暫く。がちゃりという音が鳴った。
『はい。進藤です』
聞こえたのは女性の声。
亮君が出てくれたら有り難かったんだけど、そうはいかなかったらしい。僕はどきりとしながらも、カメラに向かって会釈した。
「あ、あの、すみません。柴田と申しますが、亮次君はいらっしゃいますでしょうか?」
何処とない緊張感。故の吃り癖。からの可笑しな丁寧語。
とすると、『え?』という言葉が、スピーカーから聞こえた。
『あれ? 柴田?』
その言葉は、何とも意外そうな雰囲気。
電話口でありがちな余所行きフィルターが消えてみれば、聞き覚えがあった。
「あれ? 鷲塚さん?」
『そうそう。亮に用事? ちょっと待ってねー』
気さくな風で返してくれた鷲塚さんの声は、すぐに電話口を離れていった。
何で亮君の家に? とは思うものの、家のインターホンを彼女がとったあたり、随分と恒例のようだ。まあ、彼女は亮君のお兄さんを親しげに呼んでいたし、家族ぐるみの付き合いである事は想像に難くない。
幼馴染……か。
存在そのものは、素直に羨ましいと思う。仮に僕に幼馴染がいたら、こんなにもコミュ障を拗らせることもなかった気がする。亮君みたく日常的に殴る蹴るの暴行を受けるのはごめんだけど。
電話の向こうで薄らと聞こえる鷲塚さんの声に、心を和ませながら、僕は静かに待った。やがてガチャリと音が聞こえて、『おう』と短い声が聞こえた。
「あ、亮君? 迎えに来たんだけど」
『わりぃ。三分だけ待ってくれ。もう支度は出来てっから』
聞き慣れた声に安堵しつつ、了解する。
三分の理由は何だろうと思えば、切れるまでの僅かな間に『だから帰れつってんだろ』と、誰かしらに話しかける声を聞いた。
あくまでも予想だけど、多分鷲塚さんが遊ぶなら連れて行けと言っているのかもしれない。それはちょっと困る。別に彼女が嫌いな訳ではないが、心が休まらない。加えて父さんまでいるのだから、今朝の亜弥との話では無いけれど、やっぱり気心知れない彼女がいるのは気恥ずかしい。
そんな僕の思いが通じたのか、そうでないのか、一階に降りて来たのは亮君一人だった。
良かった……。
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