IRON PALMS

登場人物

アリシア・ドス=サントス……サウスランド連邦クメーナ王国女王。聡明で豪胆な女性。

フォン・ラングレー・カミオン……クメーナ王国海軍特別参与。単独の軍事組織である「運び手」としての側面も持つ。

キルヒ……アドラスティア第七柱で元エハンス竜騎士。

パブロ・エステバン……クメーナ王国陸軍総合幕僚長。連邦陸軍とは折り合いが悪い。

スザンナ・マルガリータ……クメーナ王宮の侍従。厳格な女王に憧れ模範としている。

ダーナ・マルガリータ……同。戦災孤児だった過去があり、年齢に比して未熟な精神を持つ。


用語

サウスランド連邦……大陸南部にある人口九千万人の連邦国家。構成する国家は共和制や王政、軍事政権など様々である。通貨はピット。首都はレオネにあるサラバル。


クメーナ王国……サウスランドの北西部にある国家。女系女子のみが君主たる女王位を継承できる。首都は北中部のサントス市。


 サウスランド連邦が起こってから五十回目の夏は、爆炎で幕を開けた。一週間で十以上の爆破事件が起き、中央政府は全軍を投入し鎮圧を図った。ただ、国内各地で事件が散発すれば抑え込むのにも限界がある。首都のあるレオネでは紛争さながらの様相を示しているほか、最大の軍事力を持つガリエスでさえ鎮圧には至っていない。少しずつ、国が崩れ始めていた。

 だからわたくしは、この連邦の一角を治めるものとして考えているのだ。定例議会を終え王宮へと戻りながらも、次の一手をじっと模索する。図らずも高くなる足音は、自分の動揺を周囲に振りまいていないだろうか。

 文官の話し声も、こちらの耳に届いてきた。

「抑圧された民の解放だと。よそ者が何を言うか」

「しかし、ティシポネとやらが徐々に民の心を掴み始めているのも事実だ。顔も声も見せぬのにあのカリスマ性はなんだ。ああ、連中は本当に戦争を起こしたいのか」

「我がクメーナの領民にまで火がつき始めたら、いよいよ終わりだぞ」

文官たちは、私の監視役に中央から送られてくる。クメーナくんだりに寄越される者が傑物であることはなく、ほとんどが凡庸な政治家である。むろん、首都から来る者は私を世間知らずの小娘だと断じてくるだろう。だがそのような連中、懐柔できなくてなにが君主か。私は、実際よりも強い人であらねばならないのだ。

 うろたえてはなりません。私はかかとを床に落とし、意識してゆっくりと口にした。

「情報収集には行って頂いているのですから、今は待つのです」

とは言え、この焦り自体を否定することはできない。連邦から投げつけられた形だけの自治権の中で、自分にできることはなんだろうか。

「ですが、このような事態は前例が」

「心配には及びません。私たちが為してきたことを信じるのです」

「おお。さすが陛下」

「状況は予断を許しません。すぐ動ける場所にいらしてください」

咳払いをして、バルコニーから身を乗り出す。いつもと変わらぬ景色にも見える。だがその実、民の緊張や不安が伝わってくるようだった。

 しかし、ここからでは不安はわかってもそれに対し何をすることもできない。君主が毅然としているだけで国が安らかなるほど、サウスランドは甘い場所ではないのだ。執務に移ろうと、私は振り返る。

 爆音は、その瞬間に起こった。近い。肉眼で見ても、それがどの通りで、誰が住んでいるかもわかる。相応しくないとは知りつつも、その時にはもう声を張り上げていた。

「スザンナ。すぐに消防隊を。それからデニスさん、セバスチャンさんの安否を」

「はい、ただいま」

 とはいえ、消防隊は私の命令より早く出動しているだろう。私設軍も、内国境を監視している。だが、この爆発が持つ意味は大きかった。

「鎮火完了との報告がありました。延焼はなく、両家ともにご無事のようです。下手人は逮捕しました。今から取り調べに入ります」

「ありがとう。私はラジオで声明を出す。放送局の用意を」

「はい、ただいま」

敷地内に併設された放送局へは地下通路で繋がっている。地下にはシェルターも併設されており、有事の際にはここであらゆる決定を行うこととなる。

 しかし。私は眉をひそめた。今回は本当に有事であるかもしれない。そう思うと、やはりヒールなど履いている余裕はない。スニーカー陛下と揶揄されることもあるが、しかし伝統を重んずるサウスランドで足による活動は重要だと信じていた。十センチの見栄のために、動きが鈍るのは容認できない。

「陛下。用意できています。すぐに放送入れます」

「ありがとう。よし、私は大丈夫。始めて」

そうして、使用人の指に合わせて私は口を開いた。

「皆さま、ご無沙汰しております。私の力及ばず、この連邦でも民の心は君主から離れ、混沌を求める者の手で日夜惨劇が繰り広げられています。そしていたわしいことに、このサントス市にも火の手は及んでしまいました。まずは、ご自愛を。あなたたちのお命が何より大切です。そして直ちに非常事態を宣言し、戦力の配備等対策に参ります。苦境にあっても、きっと乗り越える強さを私たちは持っています。共に、立ち向かってゆきましょう。私アリシアは、常にあなたたちと共にあります」

放送を切り、収録していた音声を再生する。電気などのインフラに併設して、国営放送は無料で誰でも聞くことができる。端末局を介して、王国の隅から隅まで届くのだ。そうして定時放送が再開されたことを確認すると、私は戻ることにした。

 地下通路を出ようかと階段を上ったとき、妙な予感が走った。この感覚はまずい。私は駆け足で邸内に戻ると、侍従の声を聴いた。

「陛下、陛下。よかった。いらしたのですね」

「どうしたの」

「敵襲です。詳細は避難を終えてから」

「ならぬ、今話して」

語気が強くなる。スザンナはこちらを向き、悲痛な声を出した。

「南部基地が敵の攻撃を受け壊滅。敵は巨人単機で、我が首都まで直進しています」

基地が守る内国境はガルロッダ社会主義共和国と接しているが、かの国は連邦でも特に政情が不安定だ。反政府軍は日に日に規模を拡大しており、混乱はさらに広がっていくだろう。

「迎撃ミサイルは」

「すべて命中前に破壊されました」

それを聞いて、図らずも息をのむ。対巨人迎撃ミサイルは機銃弾を跳ね返す装甲板に覆われており、対応は困難だと聞いているが。通信が入り、彼女は不安そうに声を震わせる。

「敵は音速の十分の七でサントス市へ直進中。機体は識別不能とのこと」

「致し方ない。民に避難指示を。そしてクメーナ陸軍巨人部隊に出撃要請」

「要請に議会の承認は」

いらぬ。私は侍従の蛇足的な確認に対し、低く答える。

「女王権限の適用条件を満たしている。合同司令部会を開く」

そこから、ひとつひとつ指示を出していく。敵が単機だということはつまり、十や二十の編隊などよりもよほど危険である。最悪の場合を考慮し、司令部会は王宮地下のシェルター内で開くことにする。合同、というのはつまり連邦陸軍と王国陸軍の双方が出席するということだ。

 豪雨時には貯水槽としても用いられるシェルターは、首都のいたるところに存在する。一般の地下壕と大差ないが、ここは壁や床など最低限の加工が施されている。

 長方形の卓の短辺に座し、報告された資料を端末で確認する。確かに駐留軍は迎撃を試みているが、その都度軽くあしらわれている。むろん追撃しているが、その結果は散々であった。巨人はとても追いつけず、航空機部隊が包囲しても急減速から裏を取られて落とされる。地上では戦車が当たりもしない高射砲を乱射する始末であり、東部基地は完全に沈黙しているといってよかった。

 ため息をつこうとしたところで、ひとり目の影を見た。私設陸軍の司令官を務めるエステバンだった。勝手知ったる男で、能力は悪くないのだが気が弱い。本国の陸軍省から来る士官との軋轢に、彼が耐えられるとは思えなかった。

「陛下、大丈夫であります。ご安心なされよ」

気遣ってくれているのだが、むしろ焦っているのは彼の方だった。おそらく彼は、敵の正体を知っているのだろう。

「ありがとう、エステバン司令。着席を」

「は、失礼致す」

その後も続々と武官が集まってきて、会議が始まる。連邦陸軍は腐敗ということもないが、どことなく形式を求める風があった。

「本日はお集まり頂き感謝致す。事は急を要す。ぜひ貴殿らの力を貸してほしい」

そう言い、まずは発言を求める。

「現在、南方面軍配下の第一連隊で事に当たっております。今にも打倒して進ぜましょう」

「しかし敵が何者か不明である以上、うかつに手は出せぬ。それが思わぬ争いの火種になる事も」

「近衛軍は腰抜けと呼ばれているが、なるほどその通りだ。王宮が破壊されても、貴殿は同じことが言えるのか」

「そうならぬよう、今話し合っておるのではないか。敵は単機なのであろう、落ちるのも時間の問題ではないか」

「小官も中将に同意である」

壁際で直立する士官が通信を受け取ると、そのまま南の指令に耳打ちをした。彼はひとつ頷くと、映像端末を卓上に出す。そこには、ひとつの巨人が粗い画像で示されていた。それを見た私は、今の敵襲がクメーナ自体の危機であることを理解した。白い羽に炎のエンブレム、それは世界に混沌をもたらす災禍の証だった。

「これが敵の姿です。火器もろくに持っておらぬゆえ、叩くのは容易いかと」

「なるほど、では南部基地の航空戦力を失ったことはいかように釈明をするおつもりか?」

その言葉に、彼は押し黙る。この流れは、非常にまずかった。

「さしづめ脱走した反乱軍かと思って侮ったのだろう」

「変わらぬ。数には勝てぬよ」

あの。エステバンが手を挙げるのを見て、私は胸をなでおろす。軍事に関して自分が発言するのは好ましくない。であればこそ、彼には言うべきことを言ってもらわねば困るのだ。

「かの敵は危険です。全軍を持って防御網を敷くことを提案します」

「なんだ准将、我ら正規軍の戦力に不満か」

いえ、そういうわけでは。彼はそう言って首を振ろうとしたが、しかし右へ向いた顔を止めた。そのまま横目で見渡し、はっきりと口にした。

「敵はアドラスティアです。その意味がおわかりでしょう」

「な、アドラスティアだと。では、巨人部隊は」

その時、ひとりの士官が端末を耳に当てる。

「は、はい、え。はい、承知。すぐに指示を仰ぎます」

彼は元来の赤い顔を真っ青にしながら、直立し声をあげた。

「ほ、報告いたします。東方面軍が動員した巨人十二機、航空機三機、戦車七両。全滅であります」

「それは、まことか」

「はい。部隊長からの直々の入電です。そして、間もなくサントス市に侵入すると」

会議室は静まり返った。ここに居並ぶ誰もが、これが常軌を逸した事態であることを理解している。そして、脂汗を流しながら座る司令官を責める者はいない。自分の領分から攻めてきても、結果は同じだったと直感したのだろう。

「我が軍は既に三割の機動兵器を失っている」

「ジェラール方面軍も、残念だが動かせる状態にない」

「ああ、もう終わりだ」

私はその表情を見て、腹を決めた。

「打つ手はありませんか」

「申し訳ございません」

では、敵機との通信を。そう侍従に命ずる。放送局からなら交信を求めることができるはずだ。

「私は対話を試みようと思います。そのために、バルコニーに向かいます。この身を失っても、民は守らねばなりません」

「なんと、我々は陛下をお守りするために戦っているのですぞ」

間違ってはなりません。自らが発したその声を聞いて、私は自分が冷静だという自信を失った。声色こそ落ち着いているが、その裏に強い感情に支配されている自分を見たのだ。

「貴殿らはクメーナ七百万の民の盾です。私など、二の次。この身ひとつで民が守れるのならば、安いものです」

そう言って、侍従から耳打ちを受ける。意外なことに、敵には対話に応じる用意があるという。それならば、望むところだった。

「僭越ながら、命じます。各方面軍、残存戦力をサントス市に集中させてください。それまで、私がここで食い止めます」

居並ぶ司令官は、それに目で同意してくれた。彼らは、立派に責務を果たしているのだ。だがそれでも、首尾よくということばかりではない。そういったときに、私がいる。私は彼らに一礼し、席を立った。

 通信機を受け取り、裏手である南側のバルコニーに出る。遠方に見える機影は、一発だけ機銃を撃った。それは扉に描かれたプロテアの花に突き刺さる。狙ったのか。いや、機銃の有効射程は一キロに満たぬはず。雑音が消えたことを確認し、私は口を開いた。

「聞こえますか。聞こえるならば応答願います」

――ああ、聞こえるぜ。

「私はクメーナ王国女王、アリシア・ドス=サントス。あなたは、何者ですか」

――アドラスティアが第七柱、キルヒ。破れ翼の竜よ。

その低い声には強いプレッシャーがあったが、しかし同時に空虚でもあった。それはこの男の在り方なのだろうか。

「その名には、覚えがあります。エハンス竜騎士、ロベール・ドゥ・モーン」

――俺を知っているのか。女王ラ・レーヌドス=サントス。

モーンという男は、世間で言うような裏切り者ではない。私は、かつて彼を見たときにそれを感覚的に理解していた。彼は被害者であり、歴史に殺された亡霊なのだろう。

「はい。哀しき人と聞いています。なぜクメーナを襲うのですか」

――脆いからだ。子を生さぬまま女王を失えば、この州は形を無くす。よき君主ほど、己が命の重みを忘れる。ちょうど、そなたが俺の前に現れたように。

そして巨人は陽光を反射しながら接近し、王宮の庭に着地する。目の高さは、同じだった。

「私に、エハンス王族の方々を重ねますか。であれば、あなたに私は撃てません。あなたはあの日を悔いています」

――知ったような口を。

その巨人から強い怒りを感じたとき、既に得物は私の首筋を捉えていた。風圧で一歩後ずさるも、目だけはカメラにまっすぐ向けねばならなかった。その時、背後から慌ただしい物音が聞こえる。またあの子が転んだのか。この姿を見たら、驚くのも無理はないだろう。

「きゃっ、へ、陛下」

「ダーナ、落ち着いて。深呼吸よ」

「は、はい。はあ、すう、はあ、すう」

「その調子よ。そのままゆっくり話しなさい」

私は振り向かずに、侍従に命ずる。彼女は慌てながら、小さなメモをめくっているようだった。

「はい。えっと、あの、東方面軍からで、一機の機影が接近中、です」

「わかった、ありがとう。ムシュー・モーン。お仲間ですか?」

彼はひとつ舌打ちをして、悪態をついた。

――白々しい、そこまで仕組んでいたとはな。やはり危険な女だ。今の俺では、かの男に歯が立たん。退く。

 そしてグレイヴを下ろし、機体の高度を上げる。そして去っていく直前、彼がちらとこちらを見た気がした。ああ、背を向けていたら彼は撃っただろう。魔竜と呼ばれているが、獣のような男だ。内に畏れを飼っており、それで自らを律している。

 ふと見ると、傍らでへなへなと崩れ落ちている侍従がいた。この子は真面目で優しいのだが、まだ幼い。

「へ、陛下」

「よしよし。お前がいてくれたから助かったのだ。ありがとう」

とは言え、あのモーンが恐れるほどの機影とは。私がそう思っていると、無音となった空からまたしても轟音が聞こえてきた。

「もう来たか。次もうまくいく保証はないぞ」

「陛下、行ってはだめ」

「お前は優しいな。大丈夫だ」

そう言って、再びバルコニーへ顔を向ける。そういった段階にあって、鋭い声が耳に届いた。

「陛下、よくぞご無事で。陛下?」

私はことさらに柔らかな苦笑を浮かべる。

「ひゃっ」

「こら、離れなさい。陛下が困っておられる」

そう言ってダーナを引き剥がし、スザンナはこちらを向いた。

「機影はクメーナ海軍のものです。ひとまずの危険は回避されたかと」

私はそれを聞いて、まずはほっとした。だが同時に、危惧もしていた。東から海軍の兵士が来るということは、つまりそれに乗っている人物はひとりしかいない。奴はモーンなどよりよほど危険な男だ。

 ふと見ると、スザンナが険しい表情のままダーナを抱きとめている。顔を腕で抱えられて小さくなっているダーナは子犬のように見えた。

「スージー、痛い」

「あ、ごめんダーナ」

「ふたりとも、ありがとう。下がっていいわ」

私はひとまず、シェルター内の武官たちの元へ戻る。彼らは一様に安堵していたが、しかしこの状況に対してどうにもできないことを嘆いてもいた。

 そのまま今後についての協議を終える。軍備の増強は望めないため、ジェラールとも不可侵の交渉をしながら内外の脅威に備えていくほかない。そして、巨人はサントス市に降りた。

 王宮は、静寂を取り戻す。確かに情報収集を怠ってはいけないが、決断をする場面と言うのはひとまず去った。武官たちも持ち場に戻っていき、私も普段の執務に戻ることにした。

 そして夕刻になり、西の空が朱く染まる。今の時期は最も日が長く、まだ午後八時である。侍従たちとの夕食を終えた私は、作業に入るべく私室へと戻った。するとすぐに、ノックの音が聞こえた。

「何事か」

そう言うと、ドア越しにスザンナの声が聞こえる。

「陛下、来訪者です」

「文官か」

「いえ、先程の巨人の搭乗者です」

私はむっとした口元を隠すことができない。あの男は、あまり好きにはなれなかった。

「少し待って頂こう」

「それが、今すぐ取り次げと」

ため息を必死でこらえ、眉間にしわが寄っていないかとっさに確認する。

「わかった、向かう。人払いを」

「はい」

ホールに向かいながら、頬に手を当て笑顔の用意をする。表情は衣装であり、自然と作られるように訓練されているはずなのに。

「貴様」

「アリー、帰って来たよ。やはり君は生粋の武人だよ。君の前では、魔竜もあの体たらくだ。しかし、奴は利口だよ。俺と関わるのを避けたんだからな」

幼い時から、この男の前でだけは笑顔ができない。頬に笑顔を貼りつける、それだけのことが、である。この嫌悪は、私の人格そのものに張り付いたものなのか。

「海賊が、馴れ馴れしい。言葉を改めよ」

「おお、怖い怖い。わかったよ」

そう言って目の前の男は片膝をつく。これが実際の王族より様になる事も、腹立たしさのひとつの理由だった。

「陛下、参上致しました。このフォン・ラングレー、いつ何時も陛下と共に」

「用を申せ。なければ去れ」

は。彼は慇懃に声を出し、視線を足元に戻す。

「ガリエスにて、アドラスティアを見ました。内戦とテロに乗じて、連邦の軍事の要に風穴を開けるつもりでしょう」

「ほう、ガリエスは滅びるか」

「あるいは、そのような結末もあり得るかと」

やはり、サウスランド全体に災禍は広がっているか。財団は南半球にもその手を伸ばしつつある。彼らは壊れないマネキンを商品に乗せ、ただ破壊することでその性能を証明するのだ。

 しかし、である。災禍は意志なき人形。そのようなものにどれほどの力があるかは懐疑的だった。兵士は意志により立つものであろうに。

「だが災禍など」

「その通りでございます。しかし拙者が見た柱には、強い意志が見えました。こういった手合いは危険です」

ふむ。この男は、どこか私の考えを読んでいる節がある。不快ではあるが、話す手間が省けるとすれば悪くないのだろう。

「そして、貴様は何をする」

「首魁を探るため、レオネの中央政府へ向かう事を考えています。せっかく捕らえた下手人もティシポネと言って死ぬばかりで話にもならぬ。組織の規模さえ明らかにならぬでは、対策の講じようもありますまい」

「方法はあるのか」

「はん。壊すほか能のない男に何をおっしゃいます。要はゲームの主導権を与えなければよいのです。たる拙者に、それができぬと?」

憎らしい上目遣いで、聞き捨てならぬことを言ってのける。たまらず鉛球のような視線を返したのち、離れるよう合図をする。

「あと、もうひとつ。子飼いの艦隊が、ネメシスと交戦しました。連中は南岸経由でレオネへ向かうことでしょう」

「な、ネメシスが」

それは大きな意味を持つだろう。今や、かの組織は世界でも類を見ない戦力を持つと聞く。アドラスティアに対して、ネメシスは平和のためにある。少なくとも、彼らは混沌を敵としているはずだ。

 しかしその本質は同じ、財団の見本市に過ぎぬ。だが、彼らは意志に依りて立っている。もし敵対するようなことがあれば、心してかからねばならないだろう。

 そんな組織が来るということは、ここに広がる混沌が、すでに一定の領域を超えているということではないか。であればサウスランドは一体、どこへ向かっていくのだろう。

 思案する私をよそに、背を向けて去っていく背の高い男はふわりとした仕草で挨拶をした。

 私はこの男を受け容れられない。自分自身を縒り糸で操るような、何に対しても他人行儀な男だ。フォン。

「どした? アリー」

慌てて口を抑える。まさか、そのようなことがあってはならない。私はあくまで拒絶するだけだ。

「何も言っておらぬ。無礼であるぞ、下がりなさい。運び手なぞ、この国には不要である」

それを聞いた男は、見透かすような笑みを見せる。私は無理やり視線を切り、ただ気配が消えるのを待った。

ようやく人を呼べる。今の姿は、侍従にはとても見せられない。幸運なことに、あの男に命ずることがあるならばすべて密勅である。ゆえに自然と人払いの用意ができ、醜態を見られずに済んでいるのだ。

「ダーナ」

「はい、陛下。ダーナはここに」

「戸締りをしなさい。それから呪い師をお呼びして魔除けを」

「はい、ただいま」

去っていく背中を見て、ふと我に帰る。一時の憤懣に任せて行動することは愚かであると、平生から律しているはずであるのに。

「待って、待ってダーナ。ごめんなさい。しなくていいわ」

「え、いいんですか」

「ええ」

「でも陛下、怖い顔してます。陛下のために、ダーナは何ができますか」

私はこの小さな侍従を抱きしめる。ダーナと出会ったのは七年前、ガルロッダからの難民を受け入れたときだ。当時スザンナと同じ十四歳だった彼女は、心身ともに未成熟なままであった。だが私は、彼女を侍従とすることを決めた。醸し出す空気は清らで、大きな優しさを含んでいたからだ。侍従家であるマルガリータに養子に入った彼女は、厳しい教育を受け立派に勤めを果たしている。

 当時はおば上様からの継承が内定した直後であった。スザンナをはじめ、王宮の多くの人から反対を受けた。しかし私の決定は揺るがなかった。王宮の主は、その侍従を自らの目で選ぶ。母上様の進言で復活させた王国の伝統、その正しさを私は確信している。

「お前は、こうして傍にいてくれるだけでいい。人は、変わってしまうから」

「こんな、ダーナでもですか」

「そうよ。就寝前にホットショコラをお願い」

「はい」

その柔らかな返事に、思わず笑みがこぼれる。憤怒ばかりを生み出す男もいれば、こんな子もいる。あるいはそんな者たちが私を強くしてくれるのだろうか。であれば、この命はすでに自分のものではない。それは望むところだ。お母様のもとに生まれてこのかた、自分のために生きたことなどないのだから。

 入浴して寝室で手記を認めながらも、考えるのは自分の在り方だった。具体的な方策は有能な武官や文官が決めることだ。女王はただ、その決定に責任を持つ。改めるべきは、乱されてばかりの心の持ちようからだろうか。であれば、明日も君主を務めてみせよう。

 この一杯の苦いショコラは、あるべき自分でいるための鍵なのかもしれなかった。

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