第二章
第四輪 羽の旗のもとに
エリザはいつも、三つのバッジを持ち歩いている。バターカップ、ネメシス、それにアドラスティアだ。もはや縁もゆかりもないこの組織の紋章を、どうも手放すことができなかったのだ。なぜだろう。そうときどき自問するも、どうにも答えは出てきそうになかった。
すぐ思いつくのが、グレイスとまた巡り合えたきっかけであるという点。確かに、その側面はあるだろう。だが最終的に仲間すべてを消そうとしたのは彼らなのだ。肯定的に見積もるのにも限界がある。それに、彼らに見出されずともグレイスだけは守れたとも思うのだ。残酷なことだが、仲間の死もいつかは忘れてしまう。エリザが黒い箱に失望したのは、つまりはそこだった。グレイスは自分を殺すことで酷薄でいられた。だがエリザにはそれができなかった。死が蔓延する世界で、最強の巨人使いは誰よりも弱い心の持ち主だったのだ。
この日、学校全体の空気が薄く緊張していた。どうも、同盟との境界でなにかあったらしい。
大陸北端のロイスは、常に同盟とアリアンとの境界で緊張状態にある。ネメシスとの提携により、ロイスの軍事力はノースランドでも類を見ない規模にまで膨張した。これを危険視した列強がどうも手を結んで対抗しようとしているという噂もある。ノースランドは依然として、予断を許さない状況だった。
バターカップにはロイス邸で待機の指示が出ていたが、エリザは固辞した。国境は学校からある程度距離があり、この程度のことで出動させられたらせっかくの生活が壊れてしまう。結局、万一の場合を考慮してロイス邸まで走らせる車を用意しておくことにした。
授業は特にいつもと変わらず進行していた。教師はいろいろ考えることがあるだろうが、生徒に関しては、またかといった感も強いだろう。ロイス派の善政により仮初の平和を享受できており、差し当たった危険に直面しているわけではない。どこかで平和ぼけしているような気分があった。
ただ、十四人だけは違っていた。平穏を享受したい、それだけの願いを押し通すことはできるだろう。ロイスが、ネメシスがそれを認めぬはずがない。だが本当に、それでよいのか。
必ずしも、自分たちだけでつかみ取ったものではないのだ。だからこそ、後ろめたさもある。もし招集がかかったら、その時には決めなければならない。
「グレイス」
「わかってる。でも、どう伝えればいいか」
それを圧力だと取られてはいけない。何のためにここまで来たか、グレイスが一番分かっている。戦わないためなのだ。
であれば、なぜ自分は戦わなければならないと思っているのだろう。言葉を選ぶ前に、自問から始めた。
「やっぱり、みんなに任せるべきだよね」
「ねえグレイス、違うの。誰を行かせるか、決めてあげた方がいいと思う」
「でもそれだと、望まない子を選んじゃったら」
「まだみんな、選ぶことに慣れてないの。来たい子だけ来てなんて言ったら、みんな来ると思う。それか、来なかった子に対して悪い感情を抱くかもしれない」
選ぶことの辛さを知っているのは、グレイスだけだ。だからエリザはことさらに笑顔を見せた。選ぶことは後ろ向きなことではないのだ。
「今日もしあったら、二人だけで行こう。それで大丈夫なら、それでいいよ」
エリザの言い分は、わかった。それもそれで、正しいと思う。意を決してグレイスは、全員に個別メッセージを送った。内容は次のようなものだ。
今日、召集があるかもしれない。南西部の街で小競り合いがあって、それにアリアンが大軍を送るという噂もある。ネメシスだけじゃ、止めきれないかもしれない。
でも、他人事には変わりない。力があるからって、戦わないといけないわけじゃないもの。
だから全員、返信を頂戴。行くか、行かないか。相談はしないで、できる限り自分で考えてほしい。その上で、行くと言ってくれた子の中から私が選ぶ。待ってるね。
送信後、文を見直す。これなら問題はないはずだ。結局、間を取ることにした。グレイスは任せたほうがいいと思っており、エリザはそれが重荷になると言った。その重荷をグレイスだけが背負うようには、エリザは絶対にしない。グレイスが全体を考えるとき、エリザは意識してグレイスへの感情を消しているのだ。
最初の返信は、真後ろにいる少女だった。
行くよ。グレイスは絶対うちが守る。あえて、空虚なほど強い言葉を用いた。
すぐに返信をよこしたのはアニタとパットだった。次いでアディとイサベル。そのあとは授業中なこともあってか、返信は散発的だった。
そしてグレイスは、その時まで見ない事を決めた。誰を連れて行かないかは、だいたい決めていたからだ。
午前の授業が終わり、返信は九となった。ニーナ、サラ、ゾフィ、ラウラからまだ返信がない。
「ラウラから来てない」
「あいつも思うとこあって、悩んでるのかな」
「ラウラだってちゃんと考えてるんだよ」
冗談まじりではあるが、正直を言えばラウラから返信がこないのは不安だった。
エリザは画面を覗いた。各相手の最新のメッセージは見えるから、そこでわかる。ちょうどサラから返信が来た。エリザはそれを見て、小さく声をあげた。グレイスの驚きも、同じだっただろう。
行く。
「サラは、どうする」
「連れて行かない方に、入れてある。でも、行かせてあげたほうがいいのかな」
エリザは強く頷く。サラが最も多くの時間を共にしていたのは、班長のマックスだった。それにサラの技量は、低いわけではない。目の前の敵と戦いながら周りを見る能力に長けており、記録者の後継としては十分だった。
これで、決まった。あとは、警報が鳴らぬよう祈るだけ。当然、戦いたくはないのだ。
結局、この日召集がかかるることはなかった。ネメシスからの情報では、境界線に駐留してる部隊が攻撃を受けたそうだ。ロイスは国防軍のようなものが組織されていないため、ロイス家の守備隊とネメシスがその役割をしている。
歩兵隊ならネメシスにもいる。砲兵と巨人も併せれば強固な防衛戦を築くことが可能だろう。傭兵上がりのレナたちは市街戦に熟達しており、その点での心配はない。
ではなぜ、自分はここまで危機感を抱いているのだろう。グレイスはわからなかった。だが、思考の中に靄のようにそれが存在するのだ。
「グレイス、この感覚」
どうやらエリザも同じのようだった。
先生。グレイスは手を挙げた。
「エリザが体調悪いって」
教諭はひとつ頷くと、無言で促した。わかっているのだろう。エリザの手を引く形で教室を出た。
教室を離れると、ふたりは走った。確証はない。ただ得体の知れぬ強い危惧に駆られていた。
車をロイス邸に向け走らせる。教員は驚いたが、彼女らが免許を持っていることを知っているため何も言わない。だが生徒は、そうではなかっただろう。車は窓から見える位置にある。グレイスが運転席に入って車が動き始めれば、騒然とするのは致し方ない。他の十二人にも一応連絡はしてある。そうでなくとも、クラスメイトを見れば自ずと気が付くだろう。
ごめん、命令がないからみんなは連れていけない。メッセージにはそれだけを記入した。わかってくれるだろうか。
「あ、返信来た。これで全員だね」
運転中のグレイスの代わりに、エリザが端末を見ている。エリザはこっそり、自分のメッセージを消している。いつも言っている言葉だが、恥ずかしくはあるのだ。
「ラウラからは、なんて来たの?」
メーターの前に画面を出す。あたしは戦うよ、あんたたちがやめるまで。それを見たグレイスは前を向きなおし、強く頷く。班長会議は続行できそうで、かつ四つの役割も問題ない。それならば、今ある不安の半分は解消されたも同然だった。
エリザは全員の返信を確認しながら、時々頷いたりしていた。そうしてちょうど車に乗せてあったディスクを取り出す。十五年前にデビューした歌手で、名をアイリス・バーンという。氷の歌姫と呼ばれる、決して素顔を見せない女性だ。エリザはこの荘厳で冷たい歌声に、自分自身の覚悟を映した。
「……私をどこまでも旅に連れて行って」
オーディオに合わせ、ゆっくりと口ずさんだのはエリザだった。グレイスの口からも、自然に声が漏れた。
「海の真ん中で鳥たちと遊びたいの。この星の裏側に日が昇って沈むのを見たいの。どういうことかって? 言わせないでよ。一緒にいてねってこと、抱きしめてほしいってこと」
「私の中が歌でいっぱいになるまで歌わせて。あなたは私が憧れ、恋い焦がれた人。もうわかるでしょ? 変わらないでいてってこと。愛してるってこと」
繰り返しのパートに入り、ふたりの声が車内に響く。今を忘れるように、明日を信じるように、ふたりは歌った。声量のあるエリザだが、グレイスの声が聴きたいから少し控えめになる。グレイスも同じことを考えており、だから実際はさえずるように細く声を出していた。
これで肚は決まった。あとはこれから起こるであろうことに備えるだけだ。
ロイス邸に着いた。中ではしきりに人を出入りさせており、グースの周りにも集まっていた。
「エリザちゃん、グレイスちゃん、いいところに来てくれた。今からグースで向かうところなの」
「なんで招集かけなかったの」
「その必要がなかったからよ」
さっきまではね。レナは自嘲気味に呟き、ふたりの方を向く。
「巨人で出る。いい?」
「はい」
「わかった」
ふたりは同時に答えた。
「さあ乗って。余分な巨人は格納庫に降ろしてあるから、すぐに出発するわ」
ちょっと待った。甲高いエンジン音とともに、それは接近してくる。三人の目の前でブレーキをかけ、後輪を滑らせて停止した。
そのバイクには、ふたり乗っていた。
「ラウラ、どうして」
「あたしを置いていくなんて、薄情なやつだ」
「もう、いきなり引っ張ってくるんだもん。ちょっとヴィク借ります、じゃないわよ。ゾフィにちゃんと説明したんでしょうね」
「ヴィク怒るなって。悪かったよ。ゾフィにはヴィクは絶対傷つけないって言っといたから」
「ちがう、そういうんじゃなくて」
「ラウラ、ヴィク、急いで」
五人はグースに乗り込む。艦長席に座るレナに、エリザは小さく言葉を漏らした。
「兄貴は何してるの」
「もう行ってもらってる。今動かせる巨人がセロウちゃんとヘンリーちゃんだけなの。シスルちゃんはメイソン伯との会談があって当分戻ってこないし、陸戦隊は高射砲部隊と南の守備に回ってる。それに海から攻めてくるのは完全に想定外だった。あなたたちを呼んでたら間に合わないし。来てくれてよかった」
手を動かしながら、レナの表情には安堵と不安が入り混じっていた。
ひと通りの指示を出し、グースは離陸する。既に日は暮れ、薄い闇が辺りを覆っていた。
ロイスの主な防衛基地は南のノースバイアと、港町のセントジョナサンのふたつだ。前者の戦略的価値は、同盟とアリアンのどちらかのみと敵対するという前提の上に成り立っている。つまり、万にひとつ同盟とアリアンが組むとなれば簡単に瓦解するのだ。彼らはこの堅牢な砦からでなく、東西の境から攻めて割譲してくるだろう。であればこそ後者、港に戦力を割いておくのは重要だった。
警報が鳴る。レナは声を張り上げた。クルーへの指示ののち、傍のふたりに声をかける。
「みんな、スクランブルよ。格納庫へ」
クルーのひとりを案内に付け、カタパルトの用意をする。その間にレナは、守備隊に聞かねばならなかった。
「海上守備隊、状況は」
「アリアン方面からの敵には侵攻を許していません。ですが、同盟の動きが不穏です。巨人部隊を準備している可能性もあります」
「オーエン、報告ありがとう。それで、私たちはどこに行けばいい?」
「ノース半島東岸基地に着陸をお願いします。警備のため、巨人は用意でき次第発進を」
わかった、そちらは頼んだわ。そういってレナは通信を切り、管内に向けた。
「巨人部隊。大丈夫、行ける?」
「そうだ、あれやろうよ。ほらあの、この前見た、自分の名前言うやつ」
「え、あれ? はずかしいよ」
エリザの提案に手を叩いて賛同したのがラウラだった。
「面白そうだ。じゃあ一番機がお手本だな、グレイス」
「そんな、えっと、うん」
グレイスは息を吸い込む。凝り固まっていた体が解れていくのを感じる。そう、この感覚。エリザがいればこそのバターカップなのだ。そう思うほどに、グレイスの胸に熱く燃えるものがあった。
「グレイス・レインジャー・カミオン、オイデ。行きます」
言ってから紅潮した顔を隠す。そのまま加速度に任せ、戦隊から放り出される形となった。
「お、いいねえ。ストライカー・ラウラ、出るぜ」
「ヴィクトリア、アルケ、出撃します」
飛び立っていく三機を目で追いながら、エリザはひとつ頷く。そして大きく息を吸い込んだ。
「エリザ・グラハム、ネーメ。行くよ」
エリザの発進を待って、編隊を組む。命令では、ここから二機ずつに分かれ、陸と海を警備して行く。同盟の艦は領海のすぐ手前まで来ており、一触即発といった様相を示していた。
「一番隊はエリザちゃんとグレイスちゃん、二番隊はラウラちゃんとヴィクちゃん。それぞれ海上と地上を任せるわ。グースは残った歩兵で陸の守備にあたる」
「
揃った声と同時に二手に分かれる。その編隊の美しさは、クルーたちが思わず嘆息を漏らすほどだった。
「すごいでしょ。心まで通じ合ってるとああなるのよ」
編隊を整えることばかり考えている巨人クラスでも、ここまでになることはない。バターカップのそれは論理的であり、見られることなど考慮の外にある。その方が、生存率が高いのだ。
「レナ、俺だ。敵攻撃隊を制圧。捕虜は基地にやった」
「ありがと、ウィシー。残る敵の動向は?」
「まだ動きを見せる可能性はある。しばらくここに駐留させようと思うが、問題ないか」
ふむ。レナは首を傾げた。どうも、アリアンの戦力規模が予想より多そうだ。いくら同盟を警戒するとて、同盟との最大の争点はここではない。隣接する互いの首都を挟む大河、ゲールズ川だろう。ノースランドを東西に二分する力を持ちながら、尚彼らが一勢力でしかない理由はそこにある。普段はとても、ロイスなどという小勢力にかまっていられないのだ。
それが、今回ばかりは異様だった。首都マヤを空けているとしか思えない。そのようなことをすれば、早晩戦争が起きそうなものだが。
「どうも七丸の機体が多いな。確かに性能は高いが、まだ生産性が低く高価だ。アリアンの予算ではそう何機も買えんはずだが」
「財団を脅かしうる東国の企業ね。エリオも、手を打っているでしょう。いや、あるいは……?」
レナは首を振った。いくらなんでも考えすぎだ。たとえエリオでも、そこまでする道理はないだろう。
「お前も、そう思うか。裏があると」
「裏があるかということならば、あるでしょうね。でもそれが何かはわからない。わからない以上、ロイスは戦うだけよ」
「俺たち、すっかりロイスの私兵だな」
「混沌を終わらせるためには、大義あるロイスに力を貸すしかない。ただ、このままじゃらちが明かないのも事実よね」
巨人部隊から通信が入る。レナはウィシーとの回線を開いたまま、それを受けた。
「一番隊、敵の発砲を受けました。交戦に入りますか」
「そのまま様子を見て。うちのミサイル巡洋艦に命中したら、反撃お願い。二番隊も同様、市街地を見ていて」
「
正直を言えば、この任務には終わりが見えない。レナとしても明日にでも学校に帰してあげたいのはやまやまなのだが、水素燃料の消費はばかにならなかった。
「常備軍が必要ね。彼女らにずっと頼るわけにはいかない」
「だが、どうする。志願兵を集めても巨人には乗れんぞ」
「そこなのよね」
ネメシスの空兵を二つに分ければ、どうにかはなる。近頃は例外的に敵が強く出番がなかった者も多いが、彼らとて兵士としての実力は十分だ。とは言え少ないは少ない。財団の方からときどき送られてくる人材リストも、最近はきな臭さを感じて手を付けていない。
大きな問題は、そもそもそれらがロイスの戦力でないことなのだ。この点はヴェルナーも痛感しているだろう。ロイス派が守備を任されていた領海の警備隊くらいは同盟から受け取っているが、それだけだ。巨人などはない。これから国として存在していくのならば、まとまった戦力は必要不可欠だった。
とは言え、である。それまではネメシスの黒い羽に包まれているのも仕方ないのだろう。バターカップも同じだ。いつか自立する日まで、ネメシスが面倒を見る。それはある種、贖罪なのかもしれなかった。
夜も深くなり、戦闘はようやく沈静化した。結局、同盟が攻めてくることはなかった。あれが単なる威嚇射撃とは思えない。基地には、空兵を増員しておくことにした。ヘンリーをはじめとするノースバイアに行った面々は、引き続きそこで警戒を強めるだろう。ひとまずグースは帰路に就くことにした。朝にはロイス邸に着くことだろう。
遅い夕食のとき、エリザはセロウの前に座った。食べている間は会話はなく、グレイスが少しやきもきしたほどだ。
だが食べ終わりセロウが席を立つと、エリザはその横についた。
「兄貴」
「エリザ、どうした」
兄貴と呼ばれるのにも、流石に慣れてきた。父親が同じだけあり、どこか雰囲気が似ている。シスルみたく妬きはしないものの、うらやましいなとグレイスは思っていた。
「いや、別に何も。太った?」
「ひどいな、久しぶりに会えたのに」
そのままぺたりと横にくっつく。グレイスにはあれほど素直なエリザが、セロウを前にすると言いたいことのひとつも言えない。それがなぜなのか、エリザにはまるでわからなかった。
「遊びたい?」
さすがにセロウでなくとも、こういう時のエリザが何を求めているかはわかるだろう。
「今日は、だめだよね」
「シミュレータならいいよ」
エリザの表情が晴れる。直後にはっとして不満そうな顔を作り直した。そんなことをしても、この兄にはお見通しだと言うのに。
アレスとネーメでは性能に差があるが、エリザの感覚が鋭くほぼ互角となっている。一方で技量は、実戦経験の多いセロウが勝った。エリザとて、敵の攻撃が見える相手とは戦い慣れていないだろう。比類ない才能を持ちながらも、搭乗員として彼女はまだ未熟だった。
今回は、十本中七本をセロウが取った。実機と感覚は異なるが、数をこなせる点で有用だろう。
格納庫でセロウと別れると、エリザは三人のもとへ向かった。グースの空き部屋を私室としてもらえることになったのだ。
「あれ、ラウラとヴィクも二人部屋なの? お願いすれば個室空いてるのに」
「それは言えねえよ、こうして帰れるんだから」
「ふふん、さてはヴィク狙ってるんでしょ」
「な、ばかなことを言うな。あたしがヴィクをなんて」
これにいじわるな笑みを浮かべたのがグレイスだった。
「でもヴィクって惚れっぽいところあるから。ラウラかっこいいし、迫られたら落ちちゃうかもよ」
「そんな、ラウラなんかゾフィの足元にも及ばないわ」
「ヴィクまでそんなこと言うのか、ひどい」
「ふん、散々いじった罰よ」
ヴィクはこの前の反撃とばかりにラウラに指を突き立てる。エリザはそれを見て笑った一方で、グレイスにちらと目をやる。グレイスはそれを受け、目で頷いた。シャワー室を経て、ふたりは部屋へと入っていった。
「ゾフィから連絡来たか?」
ヴィクは端末を取り出すと、通知画面からメッセージを見せた。恥ずかしさから、最新のものだけ見られるように表示している。
無理しないでね。必要なことだって、わかってるから。でも、早く帰ってきて。今度は私も、何かの役に立ちたい。
それは巨人に不得手なゾフィが、自分で決めたことだ。ラウラは、それがヴィクによるものだと知っている。だから申し訳なく思いつつも、こう言っておくのだ。
「あんまり心配かけてあげるなよ」
「あんたが連れてきたんでしょうが」
ごめん。ラウラは自身の弱さを理解している。だから、素直に謝ることができた。
「本当は、怖かったんだ。ふたりの間に入るのが。ほら、あいつら五年も前から付き合ってたけど、もう誰にも引きはがせないところまで来てるだろ」
「ラウラだって、グレイスの親友じゃないの」
「あたしは、そう思ってる。でも本当のところは不安だ。ほら、あたし性格きついから」
「心配ないよ。でも、ラウラはほんとうに丸くなったよね。初めて見たときは、なんてやつなのって思った。正直、嫌いだった。グレイスともいつも張り合ってたのに」
うるさい。二段ベッドの下から蹴り上げる。ヴィクは衝撃に小さく声を上げたが、すぐに穏やかな声に戻った。
「ヴィクだって、気持ばっかり張ってる奴だったろ。でもほんとは優しいって、みんなわかってた。ゾフィなんか、ヴィクがいたから今まで生きてるようなもんだ」
やめてよ。そういって布団にこもるヴィクの声は、少し寂しさが混じっていた。
「でも私たち、ちゃんとありがとうって言えたかな」
「いくら言っても足りないよな。でも、もう一度みんなで言おう。あるいはそれが、バターカップの終わりなのかもしれない」
「そうね。マリ、マーガレット、ハンナ、エリカ、パウラ、マックス。失った大事なものを忘れずに、糧にして、前に進む。ここまでが必要なのよね」
そのまま、眠りにつくための沈黙があった。だが、それは破られた。
ね、ねえ。ヴィクはもどかしそうに、かつどことなくきまりが悪そうに声をあげた。
「ゾフィがいないと、寝れないかも」
ラウラは大きくため息を吐き、ヴィクのいる天井を蹴った。
「台無しだよ、せっかくいいこと言ったのに。あーもう、なんだよ。グレイスもお前も熱々でさ。あたしにもいい人いねえかな」
「男子に好きな子とかいないの?」
「よくわからないな。いい奴は多いし、いろんなこと考えてて面白いのもいるけど、好きかどうかはわからない」
ヴィクは下にいる陽気な堅物を思ってひとり苦笑した。ラウラのことは皆好きだろう。ラウラは誰の告白でも真剣に悩むと思うし、必ず断ると思う。もったいないな。他人事のようにそう口走る自分に、ヴィクは頬を赤らめていた。
「下、来るか?」
不意に投げかけられたその問いは、ラウラ自身にとっても意外なものだった。さらに驚いたのは、はしごに足がかけられた事だろう。
「お、お邪魔します」
枕を持ってしおらしくなったヴィクを見て、ラウラは笑った。
夜が明け、着陸の衝撃で四人は目を覚ました。ほとんどが手作りのネメシスでも、朝食は型落ち品の軍用食などが多く当たり外れが大きい。シスルなどはどれもおいしそうに喫食するが、そうもいかないのが現実だった。
「うええ、これまずい」
「キロム軍の寒冷地用レーションだね。財団ってこんなのまで作ってるんだ」
なんでも笑顔で豪快に口にするラウラが、凍り付いたように手を動かさない。エリザはその光景がつぼに入ったのか、一分ほど笑っていた。
少し長い朝食ののち、制服に着替える。いつでも正装になれるよう、グースにはクリーニング設備がある。来た時よりもややきれいになった制服に袖を通し、四人は学校に向かった。
「スラックス履くと、ほんとに男子みたいだね」
「そうか? じゃあ機械科が女子ひとりになるな」
「ゾフィに手出しちゃだめよ」
「はいはい。そんなこと言うヴィクだって昨日あたしがいないと寝れなかったくせに」
「ひど、それは言わない約束でしょ」
「あー、ヴィク浮気はだめだよ」
「そんなんじゃないって、もう」
そんな光景をブリッジから見守りながら、レナはひとり考えていた。バターカップが前に進むのを助けることは、ネメシスの大義と合致する。だが、その力添えはどれほどが適切なのか。本当に彼女らのためになるのか。利害の問題もある。まずは彼女らが戦わなくてもいいような場所に、ロイスをしなければならない。ヴェルナーとも話し合い、少しずつ前に進んでいかねば。
飾り屋根のロイスの町並みは、つかみ取ってきた今なのだろう。であれば、未来はその先にしか存在しない。
少女たちのくろがねがいつか溶けてなくなる日まで、進み続けるしかなかった。
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