第二輪 自分たちのくろがね

「おはようございます、おばさん」

「グレイス、おはよう。朝ごはんできてるよ。エリザは?」

「まだ寝てます。あと五分って」

 おばさん、ナンシーはやれやれとため息をつく。兵士の女の子だと聞いていたから、朝が弱いとは思いもよらなかったのだ。だが彼女には、また別の闇もあるらしい。もとよりその程度のことで叱るつもりなど毛頭なく、そのまま厨房の片づけをしていた。

「いいよ、五分後ね。着替えて降りていらっしゃい」

 ナンシーにしてみれば、子供の巣立った家にかわいい娘がふたり増えたようで楽しいのだろう。

「おばさん、おはよ」

 大きなあくびをしながら、小さな少女がリビングに入ってくる。これが軍人だったのかと訝しむほどに、少女は華奢だった。

「おはようエリザ。朝ごはん食べる?」

 ちょっと食べる。そう言ったそばからパンをかじって席に着いた。ロイスは野菜が高いが、支援物資から融通している。毎朝のサラダにも、いろいろな人が関わっているのだ。

「これおいひ」

「飲み込んでから話さなきゃだめだよ」

 エリザは野菜が好きだったが、パプリカだけは苦手だった。

 そういう時、彼女は無言になる。グレイスはパプリカを刺したフォークを近づけた。

「エリザ、これもあげよっか」

「からかわないで。食べるから」

 数秒にらめっこをしたのち、一気に口に入れる。眉間にしわを寄せ、咀嚼する。そうして意を決したのか、ごくりと飲み込む。ふう、と安堵のため息をつき、エリザは席を立つ。

「じゃあおばさん、いってきます」

「いってきまーす」

 ふたりの少女は、この瞬間が一番好きだった。その言葉は黒い箱でも、南方国境でも、リーブスでも聞けはしない。

「いってらっしゃい」

 その優しい響きは、やっと手に入れた幸せのひとつだった。

 今日はいつもより早い。ふたりは朝の日差しを全身に感じながら、学校へと向かった。

 道を歩いていると、全速力で駆けていく少女の姿が。グレイスはその顔に見覚えがあった。

「アニタ、おはよー。どしたの?」

「商業科は、資格講座があるから、朝早いの」

「あれ、ニーナは?」

「めんどいって」

 遠ざかりながら答えるアニタの姿は、すぐに見えなくなった。商業科は就職を目指して一年から会計資格の勉強を始める。幅広く国際資格を扱っており、キロム等でも使えるため人気が高い学科だ。

 校門まで来た。振り向くとクラスメイトが見える。進学科にもバターカップはいるが、三人とも一組であり、クラスメイトはエリザのほかは入学式で初めてだった。

「グレイス、エリザ、おはよー」

「おふたりさん、おはよう」

「おはよう」

「おはよー」

 エリザはやはりおもしろくなかった。だが、その感情自体が良くないものだとはわかっているため表には出さない。リーブスで人の汚い部分を見すぎたエリザは、自分がそうなってはいけないと必要以上に思っている節があった。

 授業が始まる。一時限目は数理学であり、先生の話を聞く時もうとうとしている人は多い。授業は説明をしたのち演習をする形式だった。

「回答終了。みんな解けたか? じゃあ第一問から聞いていくぞ」

 解けていそうな人に当てて黒板に書いてもらう。解いている様子は見て回っているため、滞りはない。

「じゃあ第四問、少し難しかったが、カミオン。どうだ」

「はい、これは左辺を変形すれば教科書の公式二を用いて求めることができます。答えはこのようになります」

 グレイスが驚いたのは、三年間勉強していないにもかかわらず授業についていけそうなことだった。不安だった彼女は昨晩教科書を読み込んでおいたのだが、前提となる知識は全て黒い箱で教わっている。授業中はずっと気にかけていたが、エリザも何とか大丈夫そうだ。やはりあの教育機関は普通ではない。このような形で再確認するとは彼女も思っていなかっただろう。

 五十分の授業が四回あったのち、昼食となる。弁当を持ってきて食べる生徒もいるが、食堂が併設されているためバターカップはそこに集まる。まだ他の生徒とのつながりは薄く、不安もあるのだろう。

「みんな来たね。じゃ、食べようか」

 アドリアナ等の活発な子はすでに食べ始めている。

「あ、これおいしい」

「アニタの少しちょーだいよ」

「いいぞ、アディのも一口くれよな」

 みんなの食卓も、かつてとは意味が違う。もう何におびえることもないのだ。重い空気に押し潰されないように声をかけながら食べるより、他愛のないことを話しながらわいわい食べる方がおいしいに決まっている。

「なんだイサベル、ダイエットか?」

「うん、ちょっとね。というか、ラウラそれ一人で食べるの? すご」

「そんなこと言ったって腹減って仕方ないんだよ。それにシスルさんだったらもっと食べるぜ」

「あの人は特別だよ。でも、王女様なんだね。かしこまっちゃう」

「あんな女、かしこまることないよ。兄貴のことで頭いっぱいだし」

 エリザが口を挟む。それに反応したのがリズボンだった。

「というか、セロウさんすっごくかっこよくない? 強いし優しいし一途だし。私もあんな告白されたい」

「無理無理、リズは一途じゃないからね。あと巨人もまだだめだし」

「エリザ、何てことを言うの」

「兄貴はシスルの強さに惚れたんだよ。リズも強くなんないと」

 リズボンは食べる手を止め、両手で頬杖をついた。

「でもエリザ、セロウさんと一緒にいなくていいの? お兄さんなんでしょ?」

 その問いはエリザにとっては意外だっただろう。父親が同じというだけで、ほとんど他人なのだから。とは言え感応による不快感は消え、今では親近感を感じるまでにはなっている。どこかで彼のことを認め始めている自分を、エリザは知っていた。だがそれは容易には伝わらないと思ったから、冗談交じりにこんなことを口にした。

「兄貴といると、グレイスがなびいちゃうから」

「エリザ、そんなことないよ」

「まったく、あんな奴のどこがいいんだか」

 それからエリザは口を閉ざした。リーブスで四年を過ごしたエリザの舌は比較的肥えているが、それでも食堂の料理はおいしかった。それはおそらく、グレイスがいるからなのだろうが。抜け出したものも残ったものも、考えることは同じだった。

 午後の授業も終わり、放課後になった。機械科は加工実習が始まるため、遅くなりそうだった。今日は特に予定がない。

「エリザ、この後どうする?」

 ねえ、グレイス。そういって正対するエリザの笑顔には、含みがあった。

「ネメシス行かない?」

 この申し出には、さすがのグレイスも驚いた。

「いいけど、なんで?」

「やっぱうち、巨人に乗りたいかも」

 手を引かれふわりと重心が浮く。結局どれだけ鍛えても、エリザより足が速くなることはなかった。

「はあ、はあ、そんなに、急がなくても」

「あ、そうだ。おばさんにご飯いらないって連絡しなきゃ」

 エリザが短文のメッセージを送る間に、グレイスは息を整える。目的地までは、もう少しだった。

 ネメシス本部はロイス邸の敷地内にある。その門をくぐるのに、少なくとも彼女らふたりには何の障壁もない。バッジこそつけないが、バターカップの少女たちは自由にネメシスに出入りできる。それを望むかは、また別の話だが。

「はあい、エリザちゃん、グレイスちゃん。どうしたの?」

「セロウ出して、遊びに来た」

 すぐに門が開いた。レナも嬉しいのだろう。

 演習場は広く、柵で囲ってあるため流れ弾が周囲にあたることはない。普段はグースで寝泊まりしているらしく、エリザは含み笑いをこらえようともせずに大股で入っていった。

「兄貴、あそべー」

 艦内に入るや否や、エリザは叫んだ。通路に反響するその音は、当然セロウの元まで届く。そのようなことをせずとも、来ただけでセロウには伝わっているのだろう。彼はもう私室から入口へ向かっていた。

「エリザ、どうした」

「摸擬戦やろ」

 セロウは予想通りだったといわんばかりに、手で合図をした。そしてそのまま三人で格納庫へと向かった。

 ロイスの格納庫は巨人でいっぱいだった。アテネ、アレスを筆頭とするネメシスの巨人の脇にはブルとハウンドがあり、その数は三十近くになる。脇にはジェラールの巨人の姿も。ロイスの整備班はネメシスの技術指導を受けており、及第点とは呼べないが既に十分な技量を得ていた。エリザは乗機に向かおうとするが、セロウに止められた気がした。

「なに」

「エリザ、これを」

 エリザは赤面する。巨人のキーはセロウに預けていたのだ。そのキーにはネーメと綴られていた。結局アドラスティアでは、エリザの巨人に名前はなかった。それは彼女の戦いが、彼女ひとりのものでないことを意味していた。

「兄貴、これって」

「機体の名前だ。気に入ってくれた?」

 鍵をひったくり、再度巨人に向かう。ここに来てからは、エリザの巨人はネメシスの預かるところとなっている。アドラスティアの整備士は腕はよかったが、どこか物足りなかった。だがどういうわけか、ネメシスにはそれがあった。そして整備といえば、ひとつの記憶が思い起こされた。

 実機を動かし始めたころ、ラウラに悪戯でサーボの駆動プログラムに変なものを追加されたことがある。動作にわずかな遅れを生み出すそれは嫌がらせのはずだったが、エリザの操縦の癖にぴたりと適応したのだ。今思えば、皮肉以外の何物でもない。エリザが脱走する直前にラウラに言った言葉にもそれは表れているだろう。

 ありがと、あんたのおかげで完成した。ラウラにしてみれば、皮肉どころか何のことか見当もつかなかったろう。

 さて、ネーメである。財団製の巨人の中ではアテネ、アレスに次いで新しく、全身に武器を搭載した鋭利という言葉がよく似合う巨人だ。以前は機銃の集中砲火で簡単に爆発するほど防御が薄かったが、グレイスのたっての希望で増加装甲を付けている。もはや自分は、悲運などで死んでいい身ではないのだろう。エリザは機体におもりが付くのを良しとした。

 システムが起動する。カメラによる目視よりセンサーでの知覚を重視したネーメのコクピットは、周囲の映像を立体イメージとして出力する。

 干渉し、干渉されることで誰かとつながろうとしたエリザの、それは心の形なのかもしれなかった。

「グレイス、行ってくるよ」

 そう言うや否や、一瞬でトップスピードまで加速する。セロウのアレスもまた、横で轟音を響かせた。

「合図はどうする?」

「どっちも離陸したら、始めよ」

「おーけー」

 等速運動に入り、全身が空気に溶けていくような感覚の中、ふたつの巨人は空へと飛びたつ。向かい合う間もなく、仕掛けたのはエリザだった。

 グレイスはそれを、じっと見ていた。あの黒い箱で、セロウとエリザは心置きなく戦った。シスルが憤慨していたのも無理はない。ふたりの間には、互いに溶け合って同一の存在となるような深い接触があったのだから。

「あら、グレイス」

 そのシスルの声に、グレイスは小さく驚いた。

「は、はい」

「ずるいよね、あんなに仲良くしちゃって」

 ため息交じりにそう言って、シスルは金属音の響く空を見上げた。

「そうですね。でも、いいじゃないですか。兄妹なんですから」

 シスルさんが一番なのは、変わりませんよ。そう言って笑うグレイスに対し、シスルは頬を赤らめる。やっぱり、自分は嫉妬深いのだろうか。いや、でも。シスルはこうも思うのだ。経てきた時間が短いため、不安に思うのは当然だろう。自分よりセロウの近くに行けるものに対して、危機感を抱かない方がどうかしている。

 そう思うと、グレイスとエリザの経てきた十年が、うらやましくてたまらないのだ。

「あ、そうそう。グレイス、司令が話あるって」

「司令ですか」

 はあい。その言葉とともに、どこからともなく現れる影があった。ネメシス司令、レナ・ブルージュ。謎に包まれた女性であり、凄腕の兵士だとグレイスは聞いていた。

「おふたりさん、仲良くやきもち?」

「そんなところです」

 微笑とともに答えるグレイスは、シスルの少し膨らんだ頬を見て口元を押さえる。レナも状況を察して笑みを浮かべた。

「そう、ちょうどよかった。新しい巨人があるの。数は三機。エリザのネーメと同時期に開発された機体ね。アドラスティアに渡る予定だったんだけど、パイロット不足でこちらに流れてきたの。見てみない?」

 はい。グレイスは一呼吸置いたのち、はっきりと口にした。

 ネメシスの予算で建設中の格納庫は、完成まであとひと月かかる。そのため巨人たちはグースに押し込んである、というのが現状だった。

「すごい」

 グレイスは息をのんでいた。美しい。よもや自分が巨人に対しそう思うとは、グレイスも想像していなかっただろう。六人の仲間を殺し、多くの敵を殺した悪魔。エリザが見た巨人の光輪とは、これのことだったのか。

「わ、すごい。こんなになってるんだね」

「これがあたしのか、なかなかいいじゃん」

 後ろからの声に振り向く。そこにはなじみの二人がいた。

「ラウラ、ヴィク、どうしてここに」

「よっす、グレイス。あたしとヴィクだけ司令に呼ばれたんだ」

 誰かと無線で話しているレナは、ちらと三人の方を向いて手を振る。あとはお好きにといわんばかりだった。

「司令はあんなんだから、私が説明するね。ブルとハウンドは消耗が激しく、ある程度残して分解したり財団に流したりすることになったの。特に量産化後のハウンドのデータはまだないから、ほしいんだと思う。それで十機くらいまで減るから、代わりを頂戴って言ったんでしょうね。言っちゃえば、すごい機体が来た。エリザのと同時期に開発されたから、性能は折り紙付きよ」

 シスルは預かっている鍵を渡す。機体を動かす鍵を渡すのにはネメシスの許可がいるが、今この場だけなら問題ないだろう。チューニング用のメインシステムの鍵は別であるため、これを持っていてもらえばよい。

 ただ、その表情を曇らせたのはヴィクだった。

「でも、でも私、もう戦いたくなんか」

「いいさ、力があるに越したことはない。ゾフィなんかが戦わずに済むには、あたしたちが強くないといけないんだから」

 ヴィクは手のひらのカギを見つめたのち、くっと握りしめる。

「うん、そうね。私、ラウラにはかなわないけど、班長としてみんなを守らなきゃいけない。だから戦わないと」

 むしろ自分に言い聞かせるように、気の強い少女は鍵を持った手を胸に当てた。

「兄貴ずるい、あんなの反則だよ」

「隙を見せただろ? 僕はそれをついただけだよ」

「そうやってあの女をたぶらかしたんだ」

「変なこと言わないの。あ、シスル。それにグレイスも」

 兄妹が戻ってきた。シスルはそれを見て、ついむっとしてしまう。グレイスはそれを見て小さく苦笑した。これはもう直らないし、直さなくていいかもしれなかった。

 グレイスは他人事であることを思い出し、今一度苦笑した。自分は自分のことを考えなければな。

「それでチューニングだけれど、オペレーティングシステムを更新しておいたから今までよりずっと早くできるはずよ。今やっていく?」

 はい。三人の答えは示し合わせる間もなく同じであり、互いの目を見てうなずくと巨人に乗り込んだ。グレイスの機体はオイデ、ラウラの機体はメレテ、ヴィクの機体はアルケ。エリザのネーメと合わせて、四柱でひとつの意味を持つ巨人だった。

 まずはメインシステムを起動し、機体のプログラムをする。巨人の動かし方はちょうど言語の構文のようにパターン化して入力するようになっている。足のペダルは推進力を操るだけで、全身の動きは両手だけで操作しなければならない。だから一般兵においては、歩く、撃つ、斬るのような長いテンプレートを用いることになっている。

 巨人のエースパイロットというのはつまり、それを極限まで切り詰めている者のことだ。ちょうど両手が脊髄のように、全身の動きを入力するパスとなる。彼らはえてして、自分だけのプログラムを組む。そういう意味では、ヴィクも立派なエースパイロットだった。

 五十分後、日も暮れシスルのおなかが鳴り始める頃。チューニングを終えた三人が、今度はシミュレータを起動し模擬演習を始めた。その様子は格納庫前のモニタで見ることができる。それを見て感想戦などをしたり、ウィシーなどが口出ししたりすることもある。

 そして、その映像に舌を巻いたのはシスルだった。ヴィクが、ラウラやグレイスと互角の戦いをするのだ。三年前であれば、ヴィクはふたりに触れることすらできなかっただろう。あの黒い箱で部隊表を見たとき正直すごく不安だった。彼女が班長か、シスルははっきりそう疑問を抱いた。

 マックスの方は逆に適任だと思ったのだ。彼女は技量は高くないが、巨人をよく理解していた。だから堅実なチューニングを施ししっかりと戦えていたのだ。だがそれは、アドラスティアという規格外の前には無力だった。

 マックスを失ったことは、今操縦桿を握る三人にとっても大きなショックだったろう。彼女は最も論理的に巨人を考えていた。そんなの実戦で役に立たないと切り捨てていたエリザですら、陰で彼女に一目置いていたという。

「あんなに強くなってたんだ」

「当たり前だよ、グレイスがいるもん。グレイスが指揮を執る。強い敵はラウラが倒せばいい。優しいヴィクは、弱い子から決して目を離さない。マックスは、死んじゃったけど、戦場をよく見てたよ。誰も教えてくれない中であそこまでできるのはすごいよ。同じことできるのはサラくらいだけど、あいつは乗らないと思う。口数少なかったマックスと一番仲良かったもん」

 シスルは、驚かざるを得ない。エリザがこうもバターカップのことをわかっているとは予想だにしなかったのだ。力を制御しきれない子供だとずっと思っていたが、改めねばならないらしい。

 三番稽古のように、一対一を繰り返す。勝ち数も見えるようになっており、ラウラが七勝、グレイスが五勝、ヴィクが三勝となっている。そのレベルも高い。さすがにこれほどの成長とは、エリザも予期していなかったのではないか。

「しかし、あの子達ってほんとみんな可愛いわよね。食べちゃいたいくらい」

「グレイスに手を出すやつは許さないよ。そんなこと言ってるから隊長やシスルに怒られるんだよ」 

「冗談よ。でもやりようによっては、公国のいいプロパガンダになったかもね」

やだよ。エリザは表情を暗くした。

「そういう話もないではなかった。連中、口には出さないけどね。考えるのも嫌。本当にそうなってたら、うちらここにいられないだろうし」

それは、そうだろう。レナは決まりが悪そうに、本題に移る。

「ねえ、エリザちゃん。ひとつ聞いてもいいかしら」

「なあに」

 アドラスティアの時と違い、十四歳の少女はレナを拒絶しなかった。今となっては、その必要もないのだ。

「どうしてそれだけのことがわかってたのに、あなたは抜けたの? 死の危険はあったし、それに聞く限りあなたは、みんなのことが好きなはず」

 問いの内容はわかっていた。だからエリザには、返す言葉は用意されている。それが決して回答でないことを、誰あろうエリザ自身がわかっていた。

「何か、しなきゃいけないと思ったの。みんなに除隊許可が出るかなんて、実際のところわからない。うちがいてもいなくても、それは同じ。箱の外にしか答えはない気がした」

 でもね。エリザは縮こまって格納されているネーメに視線を移す。

「巨人のないうちには、何の力もなかった。今思えば、ハレーに出会ったのは奇跡だった。だって黒い箱を破壊する組織に入れたんだから。黒い箱を壊させながら、グレイスだけは守ればいい。でもうちだけじゃ巨人があってもうまくいかなかったと思う。レナ、あんたのおかげなんだよね」

 ありがと。これも初めて、まっすぐな瞳とまっすぐな言葉を受ける。かつて受けた拒絶と違った。十歳で繁華街の陰に染まり恋人との未来を願うことさえ忘れかけた少女が、今その人とともにここにいる。本人の言う通り、奇跡というほかない。同時に、あの野次馬もたまにはいい仕事をするものだと、レナはひとり苦笑した。

 巨人のハッチが同時に開く。

「ヴィク強いよ。どうしちゃったの」

「えへへ、プログラム書いてる時に思いついたの。でもまだまだ、ラウラとの差は大きいな」

「このナンバーテンに勝つには、まだまだ精進することだ」

「でもでも、私ラウラから二本取ったよ。二十回中だけど」

 そう言って肩をすぼめるヴィクに、ラウラは背後から抱きついた。

「わかったよ。成長は認めてやる」

「よしよし、ヴィクよく頑張った。えらいえらい」

「やめてよラウラ、もう。こらグレイス、頭撫でるな」

 三人は弾けるように笑っていた。シスルはふとエリザの方を向く。これはさすがに妬くだろう。

 だが、予想はまた裏切られることとなった。エリザは微小さえ浮かべているのだ。

 肩に手が回る。その主がセロウであると分かった時には、もう後ろにある彼の胸にもたれかかっていた。

「あの子達、すごいよね」

「うん、見てるとかえってこっちが幼く思えてきちゃう」

「今の君を見れば、誰でもそう思うよ」

 シスルは今更になって赤面する。慌ててセロウから離れて咳払いすると、にこにこしているレナやいつの間にかこちらを見ているエリザ達の姿にまた恥ずかしくなる。

「それじゃうちら、もう帰るから」

「お呼びとあらば、また来るぜ」

 ラウラが手を振る横で、ヴィクは思い出したように口に手を当てる。

「あ、マリーダおばさんにご飯いらないって言っちゃった」

「ゾフィが悲しむよ、帰ってあげないと」

「でも、もう食べてる時間だしどうしよ」

 グレイスは自身の口の端を指さす。その合図だけでラウラは頷いた。

「じゃあさ、どこか食べに行こうよ」

「あたし一番街のホットサンドがいい」

「やっぱ好きなんだね」

「グレイスのせいだからな」

「はいはい、そーゆー事にしてあげるよ」

 笑顔とともに、四人が去っていく。それを見送るネメシスはどういう面持ちだろうか。彼女らの成長に対する喜びか、戦うことを求めざるを得ないことへの罪悪感か。もう夜更け、そんな話を聞いたシスルのおなかはすでに暴れ始めていた。

「せ、セロウ」

「うん、こちらも夕飯にしようか」

「今日の当番はウィシーね。物資の都合で肉料理ができないから、あんまり期待しない方がいいかも」

「そんな」

 露骨に残念そうな顔をするシスルを、セロウがなだめる。食事で一喜一憂できるというのも、平和の形なのだろう。だが、それが仮初のものだということを誰もがわかっている。それが明日なのか、もっと先なのか。レナは自らの責務を今一度痛感していた。

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