第一章

第一輪 すくーるがーる

 この日、ロイス自治区の総合学園にはひと足遅い春の風が吹いていた。新入生は通常であれば二十五人八クラスの二百人。各二クラスある進学科、商業科、家政科、機械科の四学科に入学してくるわけだが、今年はとある事情により十四人もの生徒を追加で受け入れることとなっている。

 新たな学び舎に希望を抱く若人たちが、続々と門をくぐる。慣れないネクタイが初々しく胸元を彩る彼らの瞳は一様に澄んでおり、辛いことも多いこの地で何かを探していた。

 ふたつの足音が響いたのは、新入生がほとんど入り終わり門が閉まりかかったときのことだ。

「グレイス早く、遅刻しちゃう」

「それは、エリザが、はやく、起きないから」

 グレイスと呼ばれた赤毛の少女は息も絶え絶えだった。

「ごめんね。これからまたグレイスと一緒だと思うとうれしくて、寝れなかったの」

「え、そんな、うう」

 そう言われてしまっては、怒るに怒れない。学校が見えると、校門は閉められようとしていた。教師が急ぐよう促すのに対し、エリザが笑顔で手を振り返す。

「新入生、遅刻するぞ」

「はーい」

 グレイスはひとつため息をつくと、その頬を緩ませる。

 横に並んで、その三メートルはあろうかという門をくぐった。

 さらにふたりの後ろから高速で駆けてくる姿もあった。とても女生徒の速さではないが、門はもう人ひとり入れるかどうかまで狭まっていた。

「すいません、もうひとり来ます」

「閉めるったら閉めるんだよ、入れなかったら裏口で遅刻の処理をする」

「そんな」

 疾走する彼女を尻目に、閉じきった門は重厚な音を立てる。鍵も締められ、もはや外からこれを開けることはかなわない。

 異変が起きたのは、ふたりが肩を落とし校舎の方を向いた時だった。

 そおりゃっ。門越しにもよく届く気合ののち、かんかんと軽快な金属音が反響する。グレイスが初めて状況を理解したのは、その影が門の手前に着地したときだった。

「ら、ラウラ」

「おっはー。いやー、入学早々遅刻するかと思ったよ。セーフセーフ」

「あ、アウトだと思うな……」

 ラウラの身体能力が高いことはグレイスもよくわかっていたが、しかし問題はそこではない。グレイスはその腰回りを見て声を上げた。

「というかラウラ、スカートでそんなに跳んだらまずいよ」

「大丈夫だって、ほら。スパッツ履いてるから」

「ほらじゃない! 隠して隠して!」

 グレイスは慌てて手で隠し、気にせず笑うラウラに少しふくれっ面をした。これがおもしろくないのがエリザだった。

「あ、エリザ、ごめん」

「いいよ、でも貸しだからね」

「わかったよ」

 ラウラはグレイスの頭を小刻みにゆする。されるがままの表情を見たエリザは、むっとしながらもそれを受け入れることにした。

「今度スラックスに替えてもらおうかな」

「それがいいよ。ラウラはかっこいい方が似合うし」

「ほらお前ら、早く行け。教室でも開始に遅れたら遅刻になるぞ」

 教諭の言葉とほぼ同時に予鈴が鳴る。急がねば式に間に合わなくなってしまう。

「ラウラって機械科だよね」

「ああ、そうだ。結構みんな女の子っぽいから、機械科あたしだけじゃないか?」

 そうかもね。グレイスは歩きながら頬に手を置く。機械科って、他に誰かいたような。まあいいか。

「でも、馴染めるんじゃない? ラウラみたいなの、世間ではイケメンって言うらしいし」

「なんだそれ。じゃああたし、教室遠いから急ぐわ」

「またあとでね」

「はいはーい。おふたりさん、お幸せにな」

 にっと笑みを作り、ラウラは走り去っていく。その影が消えた時、グレイスはエリザの方を見た。

「エリザ、ごめんね」

返す言葉はない。エリザは少し眉をひそめながら、ラウラと自分の変化について考えていた。

 教室を探す。ふたりが属する進学科二組は入り口からほど近かった。目の前に立つとそのドアを開け、新たなる世界へと足を踏み入れた。

 黒板には、学籍番号ごとに並んで体育館に向かうこと。そう可愛らしい丸文字で書いてあった。担任は女の先生らしい。そんなことを思いながら、グレイスは列の前の方で歩いていた。

 体育館は思いの外広かった。三学年六百人以上を収容してもまだ少し余裕がある。噂には聞くが、一般の学校でも校長の話は長いのだな。熟睡中のエリザを見てくすっと笑ったグレイスは、こっそり辺りを見渡す。ずっと男生徒だとばかり思っていたいびきの主は、ラウラだったのだ。グレイスはもう笑いが堪えられなくなっていた。

「来賓祝辞。行政府長官、ヴェルナー・ロイス様」

 一瞬で空気が変わる。話にはよくあがるが、顔を見たことはほぼ皆初めてだったろう。ロイスのトップって若いんだな。端正な顔立ちに、新入生は少しざわついた。彼はにこっと笑うと、語りかけるように口を開いた。

「初めまして。このノースランド、ロイス自治区を取り仕切らせてもらっている、ヴェルナーだ。ある友人には、ウェルちゃんと呼ばれている。三十過ぎの大の男をちゃん付けは恥ずかしいが、それもまた友情の形なのだろう。さて、余談が過ぎた。我が校が今の形となり、入学式をはじめたのは今の三年生の代だったね。他にこのようなことをする学校はない。僕がそれを望んだのには、理由があるんだ。最近は大人しくなったが、ここは紛争地帯だ。今でも、いつ流れ弾に当たって命を失うかわからない。食べ物も職も、満足に得られないこともある。ともすれば、この街にいられなくなることがあるかも知れない。だから今、未来ある君たちの顔を見ておきたいんだ。君たちには濃密で素敵な時間を過ごしてほしい。遠い場所に行ったとしても、ノースランドに生まれてよかったと言えるように。どこかで、誰かの役に立てるように。僕は命をかけて、君たちの未来を守っていく」

 それは眠っていた生徒をも叩き起こすだけの力がある言葉だった。

 式が終わり、生徒たちが出て行く。

「さっきのいびき、すごかったよな」

「聞いた聞いた、機械科の女子だって」

 廊下で数人の男子が話している。ラウラはあの後真っ赤な顔をして口を拭いながら走っていった。

「機械科って毎年女子いないらしいけど、今年はいるんだな」

「それなんだけど、すごい美人もいるとか」

「先越されないうちに、声掛けとこうぜ」

 誰だろう、グレイスは考えていた。ラウラ以外で機械科に行きそうな子となると、ヴィクだろうか。ヴィクなら美人だし、男子にも人気になるかもしれない。

 むしろ困っているのは、同年代の異性と話すことがほとんどないことだ。黒い箱でもフレディはさすがに歳が離れすぎており、他のクラスの子など見ることすら少なかった。

 とりあえず教室に戻る。まずグレイスが驚いたのは、担任が男性であったことだろう。男生徒の中には露骨にがっかりしているものもいた。

「進学科二組を受け持つウィンストン・ロイスだ、よろしく」

 ひと通り自己紹介を終えた後、担任は質問を求めた。すぐに手を挙げた生徒がいた。

「ロイスってことは、さっき話してた長官と関係あるんですか?」

「長官は、ヴェルナーは俺の兄だよ。俺も行政府に行くよう言われてたけど、柄じゃなかったから教師やってるんだ」

 少しざわついた。同盟の統治下だった時より行政が細やかになり、ロイスの評判は非常にいいのだ。女生徒が声を上げる。

「なんでこんな可愛い字なんですか?」

 そう問われると、恥ずかしそうに頭に手を置く。

「うーん、これは幼い頃からの癖なんだ。兄は達筆だから羨ましいよ」

 質問が続いたのち、ホームルームがはじまる。

 まずは自己紹介、そう聞いてグレイスは困った。正直に言っても引かれてしまうだろうし、どう言うのが正解だろうか。

 迷った結果、何も言わないことにした。

「グレイス・カミオン。ウエストバイアから来ました。よろしくお願いします」

 その後も他の生徒は多くのことを話している。控えめな人は好きなものをひとつ言う、というものが多かった。

「じゃあ次」

 エリザはすっと立ち上がり、背筋を伸ばす。

「うちはエリザ・グラハム。グレイスと同じ、バイール人。手芸とか、もの作ることが好き」

 そしてひとつ間を置き、エリザはある方向を見て笑う。その視線の先で、グレイスは顔を隠す。

「みんな、よろしくね」

 一瞬はグレイスに向けられた視線を取り戻すように、エリザはそう締めた。

 教科書代は学費に含まれるため、ここで配られる。進学科一年の分はさほど多くないが、エリザは即座にロッカーに投げ込んでいた。グレイスはだめだよと言いつつも、そのままにしておいた。勉強は一緒にやる予定であり、問題はなかった。

 ホームルームが終わる。授業は明日からであり、今日はもう帰ることになっている。バターカップを構成していた十四人は校長に呼ばれており、ひとまず空き教室に集まっていた。

「驚いた、まさかゾフィがあたしと同じ機械科だなんて」

「ラウラは当然としても、ゾフィは意外だね。巨人とかあんまり好きじゃなさそうだったのに」

 ゾフィと呼ばれた少女は、椅子に腰かけ少し下を向いている。

「私、巨人に乗っても、ぜんぜん役に立てなかったから。せめて、みんなの機体、整備できたら、いいな」

 話すのが苦手なゾフィはひとつずつ、ぽつりぽつりと声を出す。ラウラもイサベルも彼女のことはわかっているから、時々うなずきながらゆっくり聞いた。

 へえ。ゾフィの目の前の机に腰かけた少女は、ぽんと頭をたたく。

「まだあんたには預けらんないよ、せいぜい頑張りなさい」

それを見たヴィクが、その手を払ってゾフィの頭に手を乗せる。

「ニーナ、そんな言い方ないでしょ。この子はゆっくりゆっくりやっていくの」

「はいはい、ごめんって」

 そんなやり取りの中で、頭に手を乗せられたゾフィは花のような笑みを浮かべた。動きに連動して、小さな顔が左右に揺れる。ヴィクはつい見惚れてしまっていた。

「ヴィク、ありがと」

「どーも。私もできることなら協力するよ」

「でもさ、ヴィクって家政科なんでしょ」

イサベルが口を開く。彼女といつも連れ添っているふたりは教室狭しと走り回っており、それならと珍しい輪に加わっているのだ。同じ班のラウラとのよしみで、ヴィクとは黒い箱時代から多少関わりがあった。

「そうそう。私だって女の子らしい仕事がしたかったのよ。たぶん、サラもリズも同じでしょ」

 ちらとふたりの方を向く。リズボンは扉の向こうで別のクラスの生徒と話していたが、振り向いて手を振った。サラは構わずひとりで本を読んでいる。これもヴィクにとってはいつものこと。むしろちょっかいをかけるのが好きだった。

「サーラ、何読んでるの」

 そう言われると、サラは表情を変えずにしおりを挟み本を見せる。ヴィクはそれを手に取ると数度うなずく。

「ふうん。これ、どこで買ったの? 面白そう」

「……二番街の古本屋。終わったら貸そうか」

「ありがと、じゃあ読み終わりそうになったら邪魔しに行くよ」

「来なくていい、渡しにいくから」

 しっしと手を振られてしまったヴィクはゾフィの元に戻る。早速ニーナが声をかけた。

「ほんと、昔から本の虫よね。ヴィクもよく話しかけるわ」

 そうニーナにいわれると、少しむっとする。サラは魅力的だと思うからだ。むしろ奔放なニーナの方が、ヴィクにとっては少し苦手だった。

「それがいいのよ。あいつのおすすめ本、外れたことないし」

「あたし本読まねえからなあ。そういうのはわからんわ」

ラウラはそう言って机に伏せる。教室内でのまとまりが班の垣根を越えており、普段話さない相手を前にしている。特にニーナと四班は何年もこういった会話をしていなかった。

黒い箱から出てお互い口を開いてみれば、相手も自分も幼き日よりよほど大きくなっていたのだ。

「そんなことより、あのベストカップルを見てよ」

ヴィクは教室の隅で話すふたりを指さした。

「あたしたちを引っ張ってくれたのも、ひとえにエリザのためなんだろうな」

「でもさ、エリザはレズで間違いないけど、グレイスってストレートでしょ? バイっていう風にも見えないよね」

「本人が言ってるからそうだろ。エリザが特別ってだけで」

「でもでも、それってバイっていうんじゃないの?」

「ま、あいつがエリザ以外を好きになることはありえないし、考えるだけ無駄ね。三年ぶりのエリザ、めちゃ可愛くなってたし」

「あ、またニーナの面食いだ。ゾフィに手出しはだめよ」

「おお、こわいこわい。わかりましたよ」

 しかしなあ。隣の机に座っていたラウラは腕を組む。

「エリザが進学科か。頭はいいだろうけど、大学には行くのか?」

「さあ。行かないにしてもグレイスとは一緒よね」

 皆一様に頷く。

 グレイスは黒い箱にいた時から勉強が好きだったため、大学を志すのも意外ではないだろう。問題はエリザだった。

 黒い箱を修了していない彼女は、そもそも中等学校で得られる学力を持っていない。むしろ昔から手先が器用で手芸が好きだったため、家政科の方が合っていると思われていた。それでもただ一点において、彼女が進学科を選ぶこと自体は当然だろう。グレイスがいるのだから。

 そのグレイスはというと、さほど心配していなかった。自分が教えてあげればいいし、何ならエリザは天才肌だからすぐにできるようになるだろうと楽観もしている。

 校長が入ってくると、みなすぐに席についた。校長室に十四人は窮屈であるため、空き教室にしたのだ。

「繰り返しになるが、入学おめでとう。ロイス長官から聞いているよ。君たちの境遇に対して私などが安易に同情することはできないが、それでも力になりたいと思う」

 だが、ロイスはまだ平和には遠い。ため息交じりに口にした校長の表情は、十四人の目にどのように映っただろうか。

「心苦しい限りだが、君たちの力を借りるかもしれない。ネメシスという組織から招集がかかるかもしれないが、それでもかまわないか?」

 騒然とした。ノースランドは紛争地帯であり、いざとなれば巨人はロイス邸にて用意されている。だが、やっと手に入れた安息を捨てたくはない。

「招集ってレナから来るの?」

 声をあげたのはエリザだった。

「ああ、確かネメシスの代表はレナ・ブルージュ氏だったな。それがなにか」

「言っておいて。ここに入れてくれたのは感謝してる。正直、黒い箱から解放されたってうちらに行くあてなんてなかった。でも、それでもうちらは、兵士でいたいわけじゃないの。戦えるからって、戦わなきゃいけないなんて嫌。だから行きたくない子は、連れてかない。そういう役は、うちだけでいい」

 静かに口にしたエリザの目は、悲痛に叫んでいた。バターカップが夢見た日常を、こんなに早く壊されてたまるか。

「わかった。伝えておく」

 校長はロイスの文化の話などをしたのち、去っていった。長かったためやはりラウラは寝ていた。今度はいびきを立てると後ろのグレイスにいたずらされたりして安眠とはいかない。ラウラも調子が狂うが、グレイスが笑うのならそれでよかった。

 帰りは皆で校門を出る。ロイス派の計らいで、各家庭にホームステイすることになっている。そのため、校門を出ればそれぞれの家路が待っているのだ。家族の愛を受けられなかった少女たちに、今からでも家庭の暖かさを感じてほしかった。それはネメシスの、黒い箱を戦った者の願いだったろう。

 石畳の街路を少女が駆ける。

「グレイス、こっちこっち」

「ちょっと、エリザ。待ってよ」

 踊るようにくるくる回りながら道を走る。グレイスは差し出された手をとり、強く引かれた。

「うちは、グレイスとずっと一緒」

「もう、私はそのつもりだよ」

 頬を赤らめ、手の引かれるままに進む。ロイスの夕日は、しかし少女らの行く末を案ずるかのように赤く燃えていた。

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