FINAL VOL.

 第三師団長ライルが戦死し、ウエストバイアはバターカップを敵と断じ切り捨てた。混迷の一途を辿るバイールステップの中にあって、亡国の騎士たちもまた動くべき時を迎えた。

 待ちわびた通信が届いたのだ。あと一歩のところで通信を妨害され、黒い箱の反撃にあった別働隊からは、数分の間何の連絡もなかった。シモンはひとつ大きく息を吐き、通信を開いた。

「こちらマット。結論から申し上げます。かのネメシスの兵士は王女様です」

 シモンは冷静であった。喜ぶのは、まだ早すぎる。

「根拠はあるのか」

「はい。黒い箱の資料には、十一年前にシスル・ナインという兵士が登録されています。戸籍はミリー・マルキール。エハンス語なのは言うに及ばず、王女様のお名前と酷似しております」

 ミレーヌ・ウリエル・マルキール・エハンス。それが王国の忘れ形見、エハンス第一王女の名だ。エハンス人以外でエハンス語の名を持つ者となるとほとんどいないはずであり、同名ということもないだろう。次の言葉を待つより、シモンはすでに動き始めていた。

「そしてシスル・ナインは連隊に配属され、十五歳で除隊します。これは別の資料ですが、昨年十月に同名の兵士が海峡で未帰還となっています。まず、間違いないと見て良いでしょう」

 それを聞いても、もはや頷くだけだ。ネメシスのいる戦場には巡航速度で三分ほどかかる。敵を振り払いながらとなると、思わぬ遅れが出るかもしれない。だがシモンは、すでに全エネルギーを前に進むことに割いていた。

 高揚など、十三年ぶりの感情だった。微笑の浮かべ方を忘れたシモンの頬が、わずかではあるが緩んでいる。だが副団長として、シモンはマットの報告にある疑問を抱いた。

「ケリーは」

 ケリーは。マットは言葉に詰まった。それは端的な言葉よりも、余程はっきりと状況を伝えていた。

「死んだか」

「はい。僕を逃がすため、囮となったんです。奴は誤解されやすいですが、国を憂う気持ちは誰にも劣りませんでした」

 おそらく、ケリーが進言したのだろう。シモンには分かっていた。だから、シャルルの提案を即諾したのだ。ケリーは失いたくなかったが、ここは打って出なければならなかった。ここで緩めば、さらに多くの仲間を失うかもしれない。必要な犠牲などと言うことは決してできないが、次は自分が命を賭さねばならない。

 戦場が遠い視界に入る。搭乗機は先行型のハウンド。だが、状況は絶望的だった。うずくまる一機を守るように、巨人は二機の敵を相手取っていた。間に合わない。そう直感したシモンは、シャルルからの預かりものに手をかけていた。

「ネメシス、嬲るのは性に合わんが、黒い箱は壊さねばならんのだ。そこを退け」

「この胸のシスルが見えないの。私も、黒い箱よ。私を殺せないなら、諦めなさい」

 シスルはエンブレムを指さし、声をあげる。覚悟を決めねばならぬ状況に、汗ばむ手を握り直した。

「減らず口を」

「うぜえんだよ」

 攻めあぐねたツィナーの苛立ちが頂点に達す。グリグもまた、内に積もるものを隠しきれないところまで来ていた。

「ツィナー」

「おうよ、一撃でいくぜ」

 シスルの前後を取り、静止した。彼らが最大の集中を見せた時、呼吸だけでタイミングを合わせることは容易となる。

 シスルは防御の姿勢をとるが、この挟撃を受けきることは現状では考えにくい。ただありもしない記憶を辿りながら、その瞬間を待つことしかできなかった。

 いいや。今の自分になら、自信を持って言えることがあるではないか。ただ一人の名前を口にし、シスルは目を閉じた。敵はその鉄の鼓動で数え、ミリ秒単位の誤差もない突撃を仕掛けてくる。回避の隙は一切与えられない。過ぎ去った後には、ただ亡骸が残るのみ。そのはずであった。

 突然飛来した太い短剣。シスルはまるでそうプログラムされているかのように自然な動きで左手に収めた。そして迫り来るツィナーを短剣で流し、グリグに右手の長剣で切り結ぶ。ツィナーも即座に体勢を立て直し、再度大振りで斬りかかる。それを見たシスルはグリグに詰め寄り剣を弾くと、振り向きざまツィナーの空いた脇腹をえぐった。よほど強い衝撃を受けたのだろう、鈍い唸り声が聞こえた。だがその動きに驚いていたのは、誰あろうシスル自身だった。

「この剣は」

通信が開いた。周波数に心当たりはないが、シスルは自然と開くことにした。

「エハンス騎士団シモン・ジェイス・ド・グラム。殿下、恐れながら助太刀いたします」

 そう言われても、シスルには何のことだか見当もつかない。騎士団と言えば、敵のはずだが。

「え、ちょっと、どういうこと」

「後ほどご説明いたします。今はこの敵を屠るが先」

 それだけは同意したシスルは、この新たな戦い方に困惑しつつも向かっていくことにした。ツィナーとグリグは視線だけで寸分違わず完璧な連携を見せる。だが単機での実力が著しく高いわけではない。だからこのシモンという男とともに、どうにかふたりを引きはがさなければならなかった。

 オルコックが燃え尽きた今、ふたつの災禍は焦っていた。アドラスティアである以上、求められる結果は破壊以外ない。敗北など、想定されていないのだ。このままでは、引き下がれない。そう思えばこそ、その剣は強く握られ、その目は大きく見開かれる。

 グリグは斧槍を防ぎながら、力を蓄える。どういうわけか、騎士団の巨人の性能は噂に聞くものではない。技量はあるが、それでもまだ太刀打ちできる範囲に留まっていた。であればこそ、グリグには目の前の相手より見ておかねばならないことがあった。

 ツィナーの機体が左右に揺れる。剣を持った手を脱力させ、胸の前で構えた。オイルで濡れた刃が、きらりと光沢を発する。笑っているのか、泣いているのか、それは感情なきくろがねの巨人が見せる搭乗者の心なのだろう。

 満たされない感情は、欲は、そのまま剣戟となって目の前の敵に襲いかかる。何が正しいかなど、とうの昔に考えるのをやめた。だからツィナーは、ただ壊すことしか選べないのだ。それはグリグも同じだろう。堅守の相手に対して、もう装甲をたたき割る以外のことは考えられなくなっていた。

「死ね、お前なんか。目障りなんだよ」

 対するシスルはパリーという今までにない技術を駆使する。剣を流し、勢いを殺し、本命を叩き込む隙を探る。黒い箱で培った攻撃と防御の機微は、完全となったと言っていいだろう。それがなぜ、剣を手にしただけで可能になったのかは彼女にもわからなかった。

「攻撃が、見える。これなら」

 大振りに反して隙のないツィナーの剣には、パリーがあまりに有効だった。軌跡をずらすことで、攻撃のチャンスをむりやりこじ開けることができる。空いた懐に肩でぶつかる。振り直そうとした剣を左でぴたりと抑え、最後にすべく剣を振るった。

「ばか野郎」

 だがその剣が切り裂いたのは、目標としていた者とは違っていた。

「グリグ、なんで」

 その巨人の傷は動力部まで達していた。目の前の事態を理解したツィナーは、それでも何もわからなかった。

「何だろうな、それが大切なことのように思えたのだ」

「だからって、そんな。あなた」

「いずれ種は芽吹く。消えゆく禍が、未来を夢見るんだ。なあティナ。それでいいではないか」

 グリグはそう言って笑った。だが、ツィナーにはわからない。彼との時間をどれほど振り返ろうと、自分がしてやったことなど何ひとつなかったはずだ。むしろテンペルの誘いとはいえ、ここまで連れてきてくれたのは彼だというのに。

 光の中で、ツィナーはただ災禍たるグリグの死だけを理解した。それは彼女のただひとりの理解者だった。だからこそ、募っていた苛立ちは怒りへと変わった。

「許さねえ、絶対に許さねえ」

 感情のままに振るう剣には確かに、堅い特殊合金の装甲を粘土のように切り裂く勢いがある。だがもはや、彼女の目には何も見えていない。失えば、気付くものだ。それがいかに必要なものであったか。声を嗄らし、目を腫らし、ただ操縦桿を引き絞った。

 だがそのように曇った剣が、今のシスルに届くことはない。左手の短剣であしらわれ、切っ先をずらされ、体勢を崩し、それでも攻め続ける。そうするといつの間にか、目の前に命を奪う剣がある。ただ叫び声だけが、むなしく荒野に溶け込んでいった。この際になってシスルは、それを他人事とは思えなかった。

「殿下、救援を」

「ありがとう、でも下がってて。私が倒すから」

「ですが、敵は何をして来るか」

 シスルは言葉を遮り、静かに口にした。

「あのツィナーとか言う女、私に似ている気がするの。もし出会いが、別のものだったら」

 でも今は、私が倒さなきゃいけない気がするの。たとえこう聞いたからといって、引き下がれるシモンではない。万にひとつということは、決してあってはならないのだ。敵の剣を機銃で弾き、動きを鈍らせる。迫り来る敵は誰も寄せ付けない。たとえそれが、ジェラール兵であろうとも。

 シスルは右手一本で切り結ぶと、短剣をシモンに向ける。それは手出し無用であると言っていた。であれば、あの黒い箱の巨人を敵から守るのが殿下の求めるところだろう。シモンは不躾な男ではなかったし、それを演じられる男でもなかった。

「壊されないために、壊すの。どんな罪を背負っても」

 そんな言葉は、自分自身に向けられたものでしかない。その叫びに応えられるのは、剣しかないとシスルは知っていた。壊すだけでは、心までくろがねに染まってしまうから。

 真っ向から受けた。いくらハウンドの推力でも片腕ではとても耐えられない。肩口に食い込む刃を姿勢制御で跳ね返すと、短剣を命めがけてまっすぐ突き入れる。ツィナーは高度を下げることでそれをかろうじて避け、寄せつけぬために剣を振るう。身を翻し体勢を整えると、まるでそれしか戦い方を知らぬかのように突撃した。

「なんで、なんでまだ戦うの」

「そんなの、知るかよ。あたしは戦うんだ。戦って、壊さないと、あたしはあたしじゃなくなるから」

 鈍った剣戟など、シスルの命には届かない。だがその無惨な叫びは、解け始めた鉄の心を強く穿った。その苦しみは、誰かが受け止めてあげなければならない。シスルはこれを最後と決めて、懐に潜り込んだ。脊髄反射で繰り出された一振りが、巨人の首をはねる。

 シスルは闇の中で、あまりに重くのしかかる思いを受け止めていた。

「やった、あたし、勝った。勝ったよ。あなたの仇、取れたよ」

 甲高い声が痛々しく戦場に響く。シスルは何も言えず、ただ終わりにすることにした。

 震える手で操縦桿を握り、動力部に短剣を突き立てる。自分の腹を切ったかのような、そんな激痛がシスルの心に走る。一瞬の静寂の中で、シスルは災禍の言葉を聞いた。それは、ありがとうと笑っているようだった。災禍となれば、もう人としては生きられない。壊しても、壊しても、満たされない。ツィナーはどこかで、救いを求めていたのだろうか。シスルには、それを他人事とは思えなかった。

 もう何も考えたくない。脱力し自由落下する機体は、荒野を彩る閃光を見上げていた。落下したらどうなるだろうか。深い傷は負っていないが、動力部に異常を来さないとは言いきれない。体勢を立て直さねば。だがそれさえ、今は必要なことのように思えなかった。 

 予想に反して、衝撃は柔らかかった。

「お怪我は」

「わ、私は大丈夫」

 そうだ、フレディさん。倦怠感と無力感に全身を支配されながらも、それだけは確認しておかねばならない。

「彼ならここに」

「すまないシスル、いや、王女と呼ぶべきか」

「え、王女?」

 シスルにはそれがわからなかった。王女、私が? だって私は、ウエストバイアで黒い箱に入って。でも、その前は? 暗い気持ちのままでは、思考もまわらない。

「フレディさん、こんな時に冗談?」

「いや、冗談じゃ――」

「なるほどね。さっきから騎士さん達の動向がおかしいと思ってたら、そういうことになってたんだ」

 突然割り込んできたのは、他ならぬレナだった。

「シスルちゃんの顔、どこかで見た気したのよね。エハンス第一王女ミレーヌ。今思えば、シスルちゃんをそのまま小さくしたような可愛い女の子だった」

「司令、じゃあ、私」

「いったんグースに戻りましょう。フェイスカメラを失っては、これ以上の戦闘は無理よ」

「ですが、戦況は」

「実験部隊がまだ本命を残してるわね。でも大丈夫、セロウが出るから」

 それは、待ちかねた人の名だった。あなたがいないおかげで大変だったんだから。そうぼやくのは、全てが終わってからでいい。シモンはフレディとシスルをグースまで届けるため、巨人の高度を上げた。

「さ、行きましょう」

 あまりにも唐突すぎて、まったくついて行けないのが自然だろう。シスルは手を取られるがまま、闇の中を帰還していった。騎士たちは一手にまとまると、思い思いのサインを送った。彼らにしてみれば、これ以外に今日戦場に来た理由などないのだから。その隙を実験部隊が砲撃するも、まとまっている以上回避するのは容易だった。

 レナは冷静に戦力を俯瞰していた。残存兵力はネメシスが三、バターカップが十四、ウエストバイア正規軍と連隊が合わせて百九十、ジェラール正規軍が三百七十、騎士団が八、そして実験部隊が七。もう騎士団の目的は達した。破壊を望むアドラスティアももういない。であれば、ネメシスはどうこの戦場を立ち回っていけばよいのか。

 駐屯地から、一機の巨人が飛び出すのが見えた。それは鮮やかな赤い色をした、高機動試験機オースロスだった。その機体は戦場には見向きもせず、まっすぐにグースへと向かった。

「セロウ、実験部隊の親玉が向かってきてる。迎撃お願い」

「はい、ですが」

 なにかを危惧するように、セロウは言葉を詰まらせた。レナはそれ自体がなにかはわからなかったが、セロウの異変に気が付いた。

「なにか見えるのね」

「はい。自分の中に割り行ってくるような、嫌な雰囲気ですね。エリザみたいなまっすぐなものでもない、むしろすごく歪んだ」

「噂では聞いていたけど、まさか本当とはね。気をつけて、そいつは本当に危険よ」

「知っているんですか」

「前にオーナーズの話はしたわよね。史上最強の巨人部隊。薬物の副作用で全滅したと言われているけど、生き残りがいるとはね」

 やってみますよ。重圧を振り払うように、セロウは速度を上げる巨人に身を任せた。

 このアレスという機体は空陸型だが、純粋な空戦型をも上回る運動性と陸戦型に匹敵するほどの装甲を持つ。対するオースロスは二十メートルの巨躯を持ち、全身の推進装置が生みだす異常な加速度に加え暴力的なまでのトルクと重武装を誇る。アレスが巨人の進化の到達点だとするならば、オースロスは巨人の限界を力で破壊したものだと言えるだろう。

 向かい合うと、その対照性がいっそう際立つ。セロウは思考に霧がかかるような不快感の中、発射されたロケットを全て撃ち落とした。敵は下腕部に収納された剣を構え、まっすぐ距離を詰める。接近すると、不快感はコクピット全体に広がるような気がした。

「お前は、誰だ」

 通信が開く。思考に踏みいられてばかりでもいられないため、セロウは積極的に攻めていくことにした。

「名前が知りたいなら、先に名乗ってもらおうか」

 幅広剣で斬りかかる。受けずに後方への回避で空振りさせられたセロウは、そのまま突撃した。

「そうではない」

 男はセロウの剣を受け、力で封じ込める。セロウはその力に取り合わず、剣をほどく。そして右方向に回り込み、横薙ぎで脇腹を狙った。

「では、何だと言うんだ」

「似ている、だれかに」

 だれか、とは誰だ。セロウはそう問う代わりに、敵の思考に踏み入ってみる。

 切り結ぶと、映像が脳裏に流入してくる。セロウはそれが何かをよく見なければならなかった。押し返されないようにスラスターをふかし、弾かれないように剣を動かす。

 まず浮かんだのは、ベッドに四肢を拘束された男の姿だった。点滴だろうか、薬物の過剰投与により苦痛にもがく男は、数秒で動かなくなった。こいつも失敗か、そんな言葉も聞こえる。見渡すと、他にも同じ光景があった。

 セロウは全身が焼けるような痛みを感じ、巨人の腹を蹴飛ばして間合いを取った。痛みは離れると消えたが、呼吸のたびに不快感が浸透していく。

「俺に、踏み込むな」

 驚異的な加速度で瞬く間に接近し、セロウを両断するため剣を振るう。その切先に手の甲を這わせ、そのままこちらも距離を詰める。アレスの反応速度は、セロウの感覚でも十分間に合うほど高性能だった。体を開いた敵の胸を狙う。

 だがその右腕はすれすれで敵の左手に掴まれた。

「死んでもらう」

 剣を逆手に持ち、セロウの命を狙う。セロウは回転を生かして親指方向に抜けようとするが、異常なまでの握力でそれもかなわない。いくら激情の名を持つアレスといえど、止まれば無力なのだろうか。だがセロウには、次の一手があった。

 腰部の電磁砲を接射する。手は精密な構造でできており、パスを切るだけで使い物にならなくなる。

「まだ死にはしないよ」

 反撃しようとしたセロウは、しかし思考の負荷に耐えかね間合いを取る。目の前の男の、似ているという発言も気になっていた。

 しかし、似ているというだけでは何の糸口にもならない。ただセロウは、この男が何か重大なことを知っているような気がしてならないのだ。

 切り結んでいてはらちが明かない。敵の運動性は低いが、それ以上の速度をもって襲いかかってくる。受けに回れば不覚を取ることはないが、それではいつまで経っても倒すことができない。

 だがこれ以上下がると、そこにはグースがある。グースにも一応の火器はあるが、対巨人戦ができるほどのものではない。

「司令、戦況は」

「こちらが押してきてる。ウィシーもフレディも出られそうだし、心配はいらないわ。セロウちゃんは何としてもそこを食い止めて」

了解ヤー

 鍔迫り合いをしながら、セロウは今一度背後にある守るべきものとの距離を確かめていた。

 実験部隊は統率というものがなく、思い思いに戦場を暴れまわっている。

 ジェラールにしてみればたまったものではなく、騎士団がいなければ壊滅していただろう。ウエストバイア正規軍もまた、誤射に怯えながら必死で逃げているに過ぎなかった。

 グースのカタパルトから、二機の予備の巨人が発進する。予備といえど、受領は比較的最近で性能はハウンドをも上回る。

「しかしフレディ、よく生き延びたな」

「ああ、ウィステリア。君のおかげだよ」

「そういうのは、レナに言っておけ。あいつはずっとお前のことを気にかけていた」

 フレディにとっては、それだけで十分だった。

 一機のオースロスが向かってくる。ウィシーはその剣戟に対し、ツヴァイハンダーを合わせる。フレディが機銃で腹部を狙い、防御を誘う。その一瞬の隙で、ウィシーは相手の剣を弾き、深く踏み込んで一閃を加えた。

「ヘンリー、遅くなった。あと何機だ」

「おせえよ、あと四つだ。あの子たちがよく戦ってくれてるから、このまま押しきるぞ」

 爆散する敵を尻目に、旧友同士は混迷極まる戦場へと機体を走らせる。

「みんな聞いて、これよりネメシス、バターカップはジェラールを撤退させるために行動する。実験部隊は応戦だけにとどめて、できる限り彼らに戦力を割かないように」

了解ヤー

 雷の羽、炎の羽、箱入りの花、在り方の違う兵士たちが今は手を組み、この戦闘の終わりを求めて動き始めた。それは在り方を、見つけたからなのだろう。屍の上にしか平穏はないのだと、手の汚れた兵士たちは割り切るほかないのだ。

 そしてそれは、セロウも同じ。目の前の敵を倒すことでしか守れないものがあるのならば、甘んじて返り血を受ける。

 そうでなければ、くろがねに染まった戦場で生き残ることはできないのだ。

 暴力的なまでのトルクから繰り出される剣戟。それらを剣で受けるたびに強烈な振動がコクピットを襲う。質量差は格闘では非常に大きな意味を持ち、スラスターを全開にしなければとても互角とはならない。

 だが、少しずつ押してきているのも事実だった。先ほどまで呼吸をするたびに入り込んできた不快感は晴れ、逆に敵の動きを見ることができるまでに状況は進んだ。その理由を、セロウは考えていた。シスルとともにジェラールと戦った時の自分であれば、全く太刀打ちできなかっただろう。ネメシスに入って技術は向上した。エリザとの感応により、敵の動きが見えるようになった。

 だが、本当にそれだけだろうか。守るべきもののために振るわれる剣は強い。そしてそれは……。

「あと二機。グレイスはヴィクたちに加勢して。うちはラウラとゼータを叩く。いいね、さっきのやつ。一瞬で決めるよ」

「わかった、エリザ。行くぜ」

 彼女も同じなのだろう。孤立したバターカップをたった一機で支えている。グレイスというのが、夢で見た赤毛の少女のことで間違いはなさそうだ。

 灰色のオースロスは全て破壊された。ウエストバイアの戦力はもはや半分を大きく割り、継戦能力は残っていない。だからこそエリザは、いつまで経っても退かない両軍に苛立っていた。上空にいる二人に思考を乱されて、ただでさえ力の半分も出せていないというのに。

「なんで、そんなに死にたいの? もうどっちにも勝利なんてないのに」

「おそらくあの赤い機体がいる以上、公国は退かないと思う」

 エリザはすでに飛び出していた。剣を両手に構え、最短距離で敵に突っ込む。セロウを脇に突き飛ばして上段から振り下ろすその一撃は、受けるモルガンの剣を弾き飛ばした。

「うっとうしいんだよ、さっきから。セロウを殺すのはうちって決まってるの」

 これに驚いたのはモルガンだろう。セロウに感じていた気配と、全く同じものだからだ。

「貴様もか、なぜ。オーナーズはもう存在しないはず」

「知らないよ。セロウと戦ってる間も、こそこそうちに探り入れてたくせに」

 モルガンは全身の火器を解放し弾幕を生成する。機銃も、榴弾砲も、ロケットも、二人には届かない。

「貴様らは、一体何者なんだ。オーナーズは、隊長と俺以外皆死んだはずだ」

 予備の剣を抜き、その構えに狼狽を隠しきれないモルガンは全く別の声を聞いた。

「ねえ、オーナーズのモルガン。その隊長ってのは、一体誰なの」

 剣を構えた右腕を脱力させ、空中に直立する。吐き捨てるように、モルガンは低く口にした。

「アシュリー・グラハム。最低で、最強の指揮官」

 直後に突撃を控えていたふたりの手が、ぴたりと止まった。その名前が持つ像は、全く同じものだった。

「アシュリー、グラハム。それは、その名は」

「うちの、親父の名前よ」

 それを聞いたモルガンは、声をあげて笑い始めた。

「これは傑作だ。あんな腰抜けに子供とはな」

「どういう意味よ」

距離を詰め斬り込みながら、エリザは問いただす。

「あいつは逃げやがった。己が力を恐れたのだ。一時はそれに溺れ、破壊の限りを尽くした。俺のようにさらなる薬で生き永らえるでもなし、大人しく死ぬでもなし、ただ自分から逃げた臆病者だ」

 当然、黙って聞いているエリザではない。だが、怒りよりも驚きの方が大きかっただろう。

「セロウ、殺すのは後にしたげる。今は一緒にこいつを」

「ああ、エリザ」

 限界までためていたエネルギーが、全て前進に用いられる。機体は音速に達し衝撃波が地面をえぐる中、二機の巨人はオースロスを交点にして交錯した。

「な、速すぎる」

 かろうじて受け切ったモルガンは、弾幕を張りながら下へ後退し勝機を探る。だがその意図は、もはやふたりにとって白日のもとにあるも同然であった。

「そのようなはずが」

「あるの。悪いけど、死んでよ」

 靄の中から現れる巨人をセロウが蹴飛ばし、エリザが後ろからバスタードを突き入れる。一瞬装甲に阻まれたが、上から挟み込むようにとどめの一撃を加える。

「この俺が、こんな場所で。だが、貴様らもあの男と同じ。その力に溺れ、何もかもを失うのだ」

 薬物投与でもはや感情の制御が不可能になったモルガンは、哄笑とともに光の中へ消えた。

 実験部隊の全滅を見て、ようやくウエストバイアが撤退していく。彼らにしてみれば、ジェラールと交戦になった時点で失策だったのだろう。往生際の悪さが、損害の第一の原因だった。

 ジェラール側も、これ以上戦う意義はない。第九師団長は撤退を指示した。ネメシスとバターカップは、ひとまずグースの元へと戻る。騎士団は、シモンを残して撤退する。王女は見つかったものの、まだしなければならないことは山ほどあるのだ。

 そして全てが終わり焼け焦げた草原には、ふたつのくろがねの巨人がいた。

「セロウ、やるよね」

「やろう」

 見えている景色に浮かぶ像は、互い全く同じ。セロウとエリザ。全く違う生き方のふたりは、ひとつだけ同じだった。それは他のどんな要素よりも、ふたりを強く引き付けただろう。

 ではなぜ、殺し合うのか。

 でなければ、互いをわかりあえぬからだ。

 セロウが剣を振るえば、エリザはそれに応ず。その過程のたびに、行き場のないエネルギーは音や光に転じ、虚空に溶解していく。それは不器用な兵士たちの、ただひとつの安息だった。

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