2ND VOL.

 南風の吹きすさぶステップで、指揮官を失った師団の兵は立ち尽くしていた。

 アドラスティアも、突然のできごとに一瞬動きを止めた。もとより、そこまですべき戦場ではないのだ。だが、友軍を失っても災禍としてすべきことが変わるわけではない。グリグは何も言わず、操縦桿を握り締めた。

「オルさん、死んじゃった」

「兵士だもの、死ぬときゃ死ぬ。ブラン、お前も気を抜くんじゃねえぞ」

「うちは、うちのことをするだけだよ」

 グースのブリッジに座したレナは、わずかの間目を閉じていた。彼は、ルディは救われたのだ。ひとりの兵士として、レナはそう信じようとした。

「エイドちゃん、と言ったわね、ネメシスの傘下に加わる?」

「はい、ルディさんの言葉ですから。よろしくお願いします」

「いい返事よ、じきにジェラールは撤退する。陸戦隊に加わって、ウエストバイアを叩いてちょうだい」

了解ヤー

先刻までの友軍を振り返ったエイドは、その乱れた陣形を目の当たりにした。エハンス侵攻にも携わった実力者の死は、計り知れない動揺を与えただろう。迷走する第三師団にウエストバイアがなだれ込み、壊滅状態となった。戦局は、大きく傾いたと言っていい。

「各機、乱戦は危険よ。アドラスティアへの警戒を強めて」

「オーケイ、レナ」

「黒い箱の損害は軽微です。引き続き、陰ながら援護します」

「シスルちゃん、頼んだわ。敵に狙いを読まれないようにね」

「はい。気をつけます」

 戦場が動きを見せる中、ひたすら静観を貫く集団もあった。

「こちらケリー、守備隊はアドラスティアにより既に壊滅。ベルナールは残存兵をあしらいながら戦っています。俺は突入して、今資料室にたどり着きました」

 シモンは操縦桿を握りながら、手汗を抑えられない自分に閉口していた。

「こちらは師団長戦死により第三師団が壊滅。半数は撤退した。戦況は混乱しているが、問題はない。何か見つかったら報告を頼む」

「はい、そのつもりです。ですが、諜報クラスが俺を消しに来ている。俺は錆じゃないから、だめかもしれません」

 それはシモンにとって想定内だった。巨人クラスは確かに赤子だが、諜報クラスは優秀な者だと修了時点で錆に匹敵すると聞く。だが、命じざるを得ない。ケリーも、それくらいはわかって、シャルル達と話し合って行くことを決めたのだから。

「命ずる。ベルナール隊はこれより施設の更なる破壊に移れ。ケリーとマットは引き続き作業を」

 ベルナールは正規兵だけを殺し、突撃してくる子供は跳ね返すだけにとどめる。この子らには未来があり、背負うべき罪はない。

 幸いにも命令は施設の破壊だ。確かに混乱の中の方が、諜報クラスに自由に動かれることもないだろう。

「ケリー、大丈夫か」

「ああ、ガキ共の戸籍が書かれた書類が見つかった。今ネメシスいるだろ、その人かもしれないってんなら、クラスまでわかんねえのか」

「敵に聞くとは。ケリー、本気か」

「そんなこと言ってられるのか、副団長のためなら何でもするんじゃねえのかよ」

その言葉に一瞬間をおいたのち、ベルナールは頷いた。

「お前の言う通りだ。では、もう少し頑張ってくれ」

 通信が切られる。バルディッシュを突き立て、ハッチを開けて身を乗り出した。

「てめえら、そんなに死にてえのか。じゃあいいぞ、皆殺しにしてやる」

 地鳴りと見まごうほどの大声に、全ての兵は引き下がった。そして個別回線を開く。

「ネメシスか。こちらエハンス騎士団のベルナール」

 妙に艶やかな声が、コクピット内に反響する。ベルナールは、それがネメシスの顔役なのだと直感的に理解した。

「はあい、騎士さん。何の用?」

「詳しいことは言えぬが、そこに黒い箱を出た十代の女がいるだろう。その者の登録名を教えてはくれないか」

「理由は言えないのね」

「ああ、俺でだめなら副団長グラムが追って頼むことになる」

 回線が切れた。拒絶されたのだろうか。声色から、腹に何か抱えていそうな女だと思った。

 だが予想に反し、通信は再び開かれた。

「シスル・ナイン。これでいい?」

「ああ、十分だ。ネメシス、手間をかけた」

 ねえ、まさか。レナの声がいきなり低くなった。

「あの子はネメシスよ。渡さないわ」

 それに対する回答を、ベルナールは持たない。だから、回線を切るほかなかった。

「ケリー、シスル・ナイン。シスル・ナインだ。情報が手に入ったらすぐ出てこい」

「はいはい。シスルクラスはこの辺だから、と。あったあった。えーっと、ナインだから」

 え、これは。ケリーは言葉を失う。ベルナールは答えを促したが、砂嵐に遮られ聞き取れない。諜報クラスのジャミングが効いているのだろう。予備の通信手段である有線機を投下し、引き続き破壊を続ける。三機で破壊しても流石に施設は大きく、救出は出てくるタイミングを狙うしかない。ベルナールははやる気持ちを抑え切れず、仕切りに声を出していた。だが状況は、彼が思うよりよほど深刻だった。

「ベルナール、すぐに戻ってこい。ウエストバイアが動き出した」

「ですが、ここが」

「大丈夫だ、お前だけ来い。一番槍の力が必要だ」

「承知した」

 ベルナールはそれを言うと、全速で戦場へと戻って行く。残った騎士達は引き続きケリーらを回収するために残ることとなった。

 戦場が見える。そこには、特異な形状をした巨人がいた。大型のスラスターが全身に取り付けられ、空中から砲撃の嵐を浴びせる。どうやら標的は無差別のようだが、騎士団は徐々に押され始めていた。

「グラム様、状況は」

「見た通りだ。私たちもだが、あのアドラスティアが手を焼いている。戦局を乱されぬよう、一機捕まえて相手をしてくれ」

「わかりました」

 ベルナールは高速で移動する巨人にぶつかると、そのまま進行方向を遮りバルディッシュを構えた。

「どこ見てやがる。この一番槍が相手だぜ」

 不規則な動きを用いた独特な剣は確かに受けにくい、だがこの程度ならば。ベルナールは出力を全開にして刃をぶつける。

 互い大出力のスラスターに任せた怪力のため、一撃が重い。膂力が同じならば、運動性の高いベルナールに分がある。シモンも重く受け、返すリズムができており撃破も時間の問題だろう。

 シャルルはと言うと、パリーですれすれの間合いを維持しつつ背後の隙を狙っていた。いずれも彼らが幼少期から培った一流の技術であり、他の騎士達には荷が重いのだろう。彼らとて並みの使い手ではないのだが。

 ここで崩れ始めたのがバターカップだった。ヒースとデイジーは既に崩壊寸前であり、損傷し撤退しているものも多い。だがバターカップは、ジェラール兵に対して的確に立ち回ってきた。

「マギー、後ろ頼むわ。私はアニタと仕掛ける」

了解ヤー

「ニーナ、射撃ポイントはそこでいいわ。周囲警戒して、五秒後発射」

「任せて」

「こちら二班、敵ベータにやられています。応援を」

「攻撃後、向かうわ。それまでどうにか持ちこたえて」

了解ヤー

「そんなもので、止められると思うなよ」

隊員が見せた一瞬の隙を、アドラスティアは決して見逃さない。マックスは、もはや選択肢が無いことを瞬時に悟った。

「サラ、危ない――」

 通信が途切れる。マックスがやられた。二班は事前の指示通り、ひとつに固まり最悪の事態を防ぐ。

「一班、攻撃を中止し二班を援護。マックス機の状況は」

「爆発はしてない。でもコクピットが両断されてるから、たぶん、もう」

「わかった。でも記録者ロガーが落ちたのはまずい。サラ、バックアップある?」

「ある、今送る。でも、嫌だよ。マックス」

「そんな、嘘、私、死にたくない」

 今まで必死で生きてきたバターカップにとって、入隊後初めての仲間の死。動揺するのは当たり前だった。だからこそ、冷たくあらねばならない。

「今通信が届いたわ。施設に加えて、デビルズ基地が攻撃により倒壊。逃げ遅れた多くの子供達が死んだでしょうね」

「え、それじゃあもうあたしたち」

「ええ。黒い箱は終わり。必死で戦って、誰かだけでも生き残るのよ。ラウラ、四班をまとめて」

了解ヤー

「ヴィク、そちらはどう」

「敵の師団は混乱してるから、まだ余裕ある。向かった方がいい?」

「ええ、背後を取られないよう慎重にこちらに来て」

了解ヤー

 グレイスは全体を見渡し、次の行動を決めねばならなかった。目の前の敵と、どう戦うか。自分ひとりでは到底勝ち目がない。

「よそ見してると死ぬぜ。あたしはこっちだよ」

 片手で大剣を振り回すツィナーは、複数で背後を取ってもなお隙がない。そしてグレイスは、完全に死角を突かれていた。剣で弾こうとするが、ハウンドのトルクをもってしても分が悪い。勢いが足りず打ち付けられてしまう。

 こちらから攻めようにも、大剣を長く持っているため距離を測るのが困難なのだ。合流した三班に対し、ツィナーは不意に襲いかかる。

「ほらほら、隙ありだ」

「ゾフィ、後退」

「や、了解ヤー、だめ、追いつかない」

 とっさに突っ込み、ゾフィに向けられた致命の一振りを受ける。グレイスは体勢を崩し、高度を下げた。

「ちっ、きりがねえぜ」

「まだ終わらないわ、誰も殺させない」

「こちらフレディ。四班と共同でアドラスティアに向かっているが、ラウラとパットが小破した。もう凌ぎきれない、僕が不甲斐ないばかりに」

「敵二機を一手に集めてください。そこでどうにか主導権を握ります」

了解ヤー、グレイス。僕が前線に立ち、そちらまで追い込む」

「小煩いな」

 フレディと数合交わしたグリグは、意外なほどすんなりツィナーの元へ向かった。

 まるで激突したかのように、互いの背を合わせるツィナーとグリグ。ふたりのアドラスティアはわざと共通回線のまま、笑い始めた。

「ツィナー、何機落とせる」

「あたしが全部だ、お前の分はねえよ」

「それは威勢がいい、行くぞ。五、四、三――」

 総員、回避の用意。グレイスの悲痛な叫びは、強い光にかき消された。互いのスラスターから吹く炎が渦を巻き、辺りに舞い散っていく。バターカップの取った行動はよく言えば包囲だが、実際は的になったに過ぎない。アドラスティアはただでさえ猛者であるのに、高性能機まで与えられる。彼女らが判断を誤ったとすれば、それは恐怖によるものだろう。

「いや、来ないで――」

 ハンナとマギーが両断される。隣にいたラウラは背後を取ろうとしたが、位置取りは明らかにグリグの方が上手かった。横薙ぎで牽制され、近づくことすらできない。

「だめ、このままじゃ」

「本当に全滅する」

 ラウラとグレイスは決死の突撃を敢行しようとした。それは今まで頑なに禁じてきたことだ。それでは勝てない、だが、今は事情が違う。それでなければ、万に一つの勝利すら拾えないのだ。

「もう、誰も死なせないの。いくよ、ラウラ」

「ああ、グレイス。あんたのおかげで、楽しい地獄だった。本当はエリザに、ちょっと妬いてたんだぜ」

 腹の底から来る叫びは、願いだっただろう。自分の身ひとつで、大切な仲間を助けてください。二人の認識は共通していた。今日が終われば、もう死の危険はない。だから、今日を生き延びよう。その対象が、みんなから、自分以外のみんなに変わっただけだ。

 届くはずのない願いは、しかし遮られた。グリグとツィナーがはね飛ばされたのだ。これに最も驚いたのは、決死の二人だったろう。

「邪魔しないで、グレイスはうちが守るの」

「何を言ってるの、女狐。ここは私も行かせてもらう。フレディさん、司令から。生き残ったら、話があるって」

「エリザ。それに、シスルさん、どうして」

 それはこともあろうに、アドラスティアの巨人だった。

「グレイス、ごめんね。もう大丈夫だよ」

 そう告げられたグレイスは、呆然とした頬に二筋の軌跡を描く。ありがとう、ありがとう。視界を遮る涙を振り払うと、グレイスはその瞳を強く光らせた。

「五年ぶりだね、エリザに合わせるの。大丈夫、好きにやっちゃって」

 了解ヤー。エリザは噛みしめるように叫ぶ。異邦の巨人の胸に煌めく黄色の五弁花は、黒い箱で最強の兵士から最強の部隊へと転じさせた。

「総員、班員の再構成を行う。バターカップは第四配置について、ジェラールを抑える。エリザと私はアルファを、シスルさんとフレディさんはベータを目標に」

 かかって。グレイスは敵の行動パターンを検証する。マックスが残してくれたプログラムだった。だから、信じられる。これならば大丈夫だと思った。シスルの実力はフレディと同等かそれ以上と見積もっている。もちろんフレディは強いのだが、シスルの印象はそれを上回っているからだ。

「ブラン、貴様。裏切ったか」

「いいさ、あんたのこと嫌いだったし」

「言ったでしょ、うちはうちのすべきことをする」

 突撃するエリザは、明らかにグリグを圧倒していた。幼い表情に見合わず立ち回りは老練で、敵の手の内を引き出し、封じ、そして反撃の芽を潰す。グリグはその剣技のすべてを柔軟なバスタードの受けに阻まれ、一見互角に見えるがその実明確な差が生じていた。

 だがエリザは、安堵するグレイスに声を上げなければならなかった。

「ベータを警戒。そっちもアルファをよく見てて。攻撃の切れ間が一番危険なの」

 剣戟の中で、バックラーを腰回りに構える。そこに硬質の音が響いた。エリザは発射位置に見向きもせず、そのまま攻撃を繰り返す。グレイスはエリザの死角をカバーするようにツィナーに張り付く。

 フレディが被弾した。一瞬の隙を突いたツィナーが、銃撃を合わせてきたのだ。動力部すれすれの位置であり、目視無しの射撃としてはあまりにも正確だった。

「フレディさん」

「大丈夫だ。だがもう一発食らったらきつい」

 フレディは盾を持ち直し、二機が見える位置を陣取ることにした。剣戟の最中は盾を右手に添え、動力部に隙を見せぬよう心がける。連隊で生きる以上、防御は当然無くてはならない技能であった。

「ちっ、これだからブランとやるのは嫌だったんだ。おい、グリグ。あれで行くぞ」

「おうよ」

 軽いやりとりの後、ツィナーとグリグは先ほどのように背を合わせた。右手には剣を、左手には機銃を。そして互い九十度回転し、機銃を撃った。それをかろうじて受けたグレイスとシスルは、散開していく二機を目で追った。

「止まってはだめ、狙いを絞らせては」

「しかし、これでは」

 機銃を散らしながら球状に旋回する二機の巨人は、広い間合いを生かして剣先で少しずつ削っていく。まるで檻に囚われたように、四機は身動きが取れない。

「女狐、どうにかしなさいよ」

 シスルはらちが明かない苛立ちをエリザにぶつける。エリザはふたりの思考を見て、次の動きを決めた。

「あんた、向こう止めて。それくらいできるよね」

「馬鹿にしないで、できるに決まってるでしょ」

「じゃあ行くよ、次の攻撃にあわせて」

 声を荒げても、その目はまっすぐに敵を見つめる。シスルにしても、その問題は明確な敵を排除してからだ。

 腕を限界まで伸ばし、削るためだけの剣を振るう。そうとわかれば、合わせることはさほど難しくなかった。シスルはその剣を切っ先に沿わせ回転し、鈍重な機体をぶつける。エリザは回避に見せかけて横から距離を詰め、相手の勢いを削ぐ。ツィナーとグリグを分断することが、第一の狙いだった。

「グレイス」

「わかった」

 グレイスが突撃する。エリザにかかりきりだったグリグは、その対応もせねばならない。ツィナーとの連携が途切れてしまっている以上、あまりにも分が悪かった。

「ちっ、これでは勝てん。ツィナー、そちらなら引きはがせるだろ」

「できたらやってるよ。こいつ、予想以上に強い」

 一歩ずつ追い詰めていた。グレイスには刻一刻と消耗していくジェラールの情勢が無線を通じて伝わってくる。友軍である旅団も実験部隊も、消耗はしているがまだ戦えそうだ。

「エリザ、行くよ」

「うん、もう少しだね」

 戦況に余裕ができると、今の状況が幸せであることに気づく。エリザと同じ場所を見ているんだ。であれば、誰にだって負けない。グレイスは初めて、戦場で心躍った。厳しい剣戟の応酬にも、自分だけで勝機をたぐり寄せることができる気がした。

 だから、その宣告は彼女の心を粉々に砕いた。

「公国軍諸君に命ず。傘下のローズ、バターカップについて、これを敵と見なす。繰り返す。ローズとバターカップは敵である。速やかに排除せよ」

 ネメシス、アドラスティアに与するものは、全て敵である。そう突きつけたのだ。

「そんな、私たち」

「どうすればいいの」

 当惑する隊員に、つい数秒前まで味方だった旅団の兵が襲いかかる。実験部隊もその巨大な体躯を振り回し、砲撃の照準を合わせている。

「アディ、後ろ」

「や、了解ヤー。ごめんイサベル」

 ジェラールと交戦していたバターカップは、旅団に背中を撃たれる危険を感じ、いったん両軍の間を離れる。ラウラは迫り来る敵を寄せ付けず、必死で体勢を立て直そうとした。グレイスはとっさに駆け寄り、統率を取り直そうとする。二柱の災禍を知るエリザには、それから目を離すことに迷いがあった。

「女狐、ここは私がやる」

それは意外な申し出だった。

「でもあんた、できるの? こいつら、強いよ」

「馬鹿言ってないで。グレイス達の方が大事なんでしょ。守ってあげて」

「ありがと。絶対負けないでね」

了解ヤー

エリザが離れ、シスルが打って出る。だがいくら黒い箱の彼女でも、災禍との力量差は大きかった。ツィナーとグリグは常に互いを視界に収め、合間を縫うように銃撃を加える。一対一でありながら、まるで二対一であるかのような波状攻撃がふたりの強みだった。戦況を維持するのは予想以上に困難だった。

「これで、終わりだ」

 グリグの一閃が、フレディの胸を切り裂く。動力部は外したものの、駆動系がほぼ全て止まった。そのまま自由落下で高度を下げるフレディに、ツィナーがとどめを刺そうとする。

「フレディちゃん」

 遠目のレナにも、それがわかった。また、何もできないのか。また、大事なものを失うのか。割り当てた周波数に、力の限り声をあげた。

「ライラック、久しぶり。でも、もう最後みたいだ」

「だめ、そんなの。嫌、死なないで」

 地面に叩きつけられる。本来であれば、ここで爆発しただろう。それは慈悲なのか、それとも無情なのか。シスルは、力の限り群がる敵を跳ね返す。どうしてそんなことをするのか。考えようにも、不本意な答えしか出てこない。憎き司令の、大事な人だから。

「ウィステリアにも伝えておいてくれ。もし資金に困るようなことがあれば、メイソン伯を頼ってほしい。僕は当主にはなれないが、優秀な弟がいる」

「そんな、あなたは生きるのよ。生きて、ネメシスで一緒に戦うの」

「そうしたいところだが、どうも無理らしい。君の影を追って、ここまで来れたんだ。もういいだろう」

 シスルは実力の上回る二機の攻撃を、一手に引き受けている。被弾はない。いつもの戦い方では、敵の命に届くころには自分の身がもたない。全ての攻撃をかわし、一発ずつ当てていく。そうでなければ、戦い自体が成り立たない。

「フレディさん、脱出を」

「無理だよ、ハッチが動かない。それに、出たところでこの戦場では」

 それなら。シスルは大型機銃で牽制をし、フレディに駆け寄る。腰部が小さいハウンドは、コクピットハッチも複雑な構造になっている。だが、閉まっているのならば無理矢理剥がすことは可能だった。だが、敵がいる。今の状態では、敵は搭乗員を直接打ち抜いてくるだろう。

 シスルは、歯がゆかった。自分では、すべきこともできないのだ。思えば、守ってもらってばかりではないか。今だって、助けるつもりで行ったのに何もしてあげられなかった。

「私に、もっと力があれば」

 戦場は放火に彩られ、目の前の敵を倒すことで羽は在り方を探し、花は未来を求める。そんな中にあって、目の前の敵ではないものを見つめているものがいた。黒く穢れた盾は、この戦場で遂げるべきことのためじっと息を潜めている。ジェラール軍にはまだ潰走してもらっては困るのだ。北方面軍の司令は慎重な用兵をするため、撤退命令などを出されかねない。

 戦場の兵が開戦時の七割ほどになったとき、シモンの元にひとつの通信が入った。シモンはひとつ頷くと目の前の敵から斧槍を引き抜き、ひとつの場所へと疾った。その鉄の頬が氷解を始めていることに、彼自身もまだ気づいていなかった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る