終章

1ST VOL.

 この日、バイールステップには強い南風が吹いていた。若草が波打ち、鮮やかな緑に染まる平原は、荒んだ公国の人の心を洗いたいのだろうか。

 ウエストバイア南部のデビルズ駐屯地には、黒い箱連隊五十機、巨人科第一、第二旅団、それぞれ百二十機、第七実験部隊十機、の総勢三百機が配備されている。

 巨人も、装いを新たにしていた。主力量産機であるブルは全面改修が施され、空陸型となったほか関節部の耐久度や運動性が改善されている。

 ほか、分隊長クラス全員にハウンドが配られた。海峡に渡った試作機と比べるとコストは抑えられているが、十分実用に耐えうる高性能機だ。黒い箱でハウンドを受領したのはローズとバターカップの合計五人。異例のことであり、慣熟のため早朝に自主訓練をしていた。

「ヴィク、反応が遅い。方向転換に癖があるから、もっと早く入力しろ」

「はい」

 ハウンドはスラスターによる姿勢制御に重きをおくため、より精密な操縦が求められる。シミュレータを用いたとしても、実機を一度で乗りこなせる者はごくわずかだ。

 指導はいち早くこつを掴んだフレディが行う。ローズ・ワンとしての経験は伊達ではなく、彼は連隊の柱だった。ローズとの連携を高めるため、互いを名前で呼ぶことに決めた。黒い箱の番号を用いないことは軍規に抵触しかねないが、勝つためと言うことができるため問題はなかった。

「ラウラは速度は十分だが、動きに隙があるな。マックスは逆に速度を意識しろ。グレイスは大丈夫そうだな、ヴィクとマックスを見てやってくれ。よし、同じ陣形でもう一度やるぞ」

了解ヤー

 機体の使用許可はあと一時間弱しか出ていない。だがここで調整しておかねば、どういった結果を招くかは皆わかっている。

 今日は死線である。班長である四人、グレイス、ヴィクトリア、マックス、ラウラは、ある認識を共有した。誰かが生き残らねばならない。ヴィクも正規兵を凌駕する技量の持ち主であるが、それでも敵はあまりに強い。エリザとシミュレータで模擬戦をした時の恐怖は、バターカップ全員に染み付いているだろう。彼女は執拗に、ただ感情的に攻め続けた。 彼女に触れることもできないまま、一人あたり十回以上撃墜された。

 だからグレイスは徹底した。班ごとに役割を持たせ、分業制で敵に立ち向かう。すべきことは、全てしてきた。

 一班は前線の指揮を執る統括者ルーラー。事実上の指揮官であるグレイスが、全体を見て行動を決定する。

 二班はデータを基に決定を補佐する記録者ロガー。マックスが常にデータを採取し作戦構築の支柱とする。

 三班は技量に不安のあるものを支える守備者ディフェンダー。支援で力を発揮するヴィクを中心に後方に陣取る。

 そして四班は強い敵に相対する攻撃者ストライカー。ラウラをはじめ、力のあるメンバーを揃えてある。

 これらはバターカップだけで一個の部隊となるためのもの。誰が味方をしてくれなくとも、欠けることなく生き残るために考え抜かれたものだ。

 機体変更は寝耳に水だったが、生き残るための力は活用せねばならない。であればこそ、こうしてローズを交えて自主訓練を行っているのだ。

「よし、模擬戦で得たデータをもとに各自朝食までシミュレータで調整を。あとグレイス、話があるから少し残ってくれ。では解散」

 巨人を格納庫に戻し、三人はシミュレータへと向かった。自分の行動履歴からシステムを最適化し、より手に馴染むように調整する。本来ならグレイスもすべきなのだが、フレディにはひとつ聞くべきことがあった。

「この戦いで黒い箱は無くなる。生き残った者は、どこに行けばいいのだろう」

「エリザは、ネメシス経由で亡命したと言っていました。きっと世界のどこかに、私たちの居場所はあります。だから今は戦うだけです」

「強いな。僕は君を羨むよ」

 グレイスはゆっくりと首を横に振った。そして黒い箱の方角に視線を向ける。

「いえ、私は。すべて、エリザがくれたものですから」

 フレディは、その回答に満足するほかなかった。目の前の少女は自分と同じなのだ。それなのに、自分は何をしてきたのか。ローズという記号などに縛られ、考えることすら放棄し続けてきた。そんな何もない自分に対する悔しさを、今日はぶつけなければならない。

「歩んできた道が正しかったのか、答え合わせだな」

「はい。敵がどれほど強くとも、私は勝ってエリザとの未来を掴みます」

 それはグレイスの答えだった。無人の荒野で聞いたエリザの言葉は、不安だった少女の心を確かに強くした。

 調整を終えたラウラが戻ってくる。

「おやおや、エリザひと筋と思ってたのに意外や意外ですな。まあフレディさん男前だし、いいんじゃないか?」

 珍しくラウラがそんな冗談を言う。グレイスは笑ってラウラの背中をぽんぽん叩く。

「そんなんじゃないよ、フレディさんなんかよりラウラのが好きだよ」

「おいおい、ひどいじゃないか」

「ごめんなさいね、グレイス奪っちゃって」

 そう言って、冗談交じりの笑みを見せる。彼女も不安なのだろう。グレイスはラウラの気遣いを知っている。冷徹な指揮官を演じなければ、戦場で十六人全員を守ることはできない。だからラウラは必要な時に側にいるようにしたのだ。

 駐屯地上空を一機の巨人が過ぎ去った。多くの兵に目覚めを与えた巨大な機影は、真っ赤に染まっていた。

「あれも、実験部隊なのね」

「モルガン・ストロス少佐。陸軍のある研究機関に属しているらしい。何でも元オーナーズだとか」

「史上最強の巨人部隊。かつての力はないでしょうが、敵に回したくはないですね」

 あるいはエリザなら。グレイスはその言葉を胸の奥にしまった。

 グレイスは、実験部隊は今回の作戦には少し遅れて参加すると聞いていた。

 彼らは薬物投与の副作用で精神が安定せず、そのため調整が難しいのだろう。高加速度に耐えるには、苦痛を抑える必要がある。その技術はバイール戦争中に極秘裏に進められた計画によるものだ。もはや何もかも失う定めとなったバイール皇帝は、敗戦処理の最中にあって力を示す必要があった。結果として実験部隊「オーナーズ」は加速度への耐性を手にし、加えて透視のような力を身につけた。今は技術こそ闇に葬られたが、薬物を用いた実験部隊は存在している。

 やがて日が昇り、駐屯地全体が目覚め始める時刻となった。通常デビルズに連隊以外の兵はいないため、百人を超える将兵を追加で抱えていることになる。警備は任されていない。ジェラールと内応しており、今日に限りその必要はないということだ。ローズとバターカップはこれに冷笑を与えていた。当初はこれでいいのかと思ったが、むしろ好都合だろうと言う認識で一致した。

 朝食を合同で摂り、訓示が行われる。作戦内容はすでに伝わっているため、最終確認と士気の高揚が目的だった。

 ジェラール討伐のため、ネメシスとアドラスティアを招いている。だがその実は真逆であり、ジェラールと内応して邪魔な軍事組織を消去する。

 この論理には、旅団の兵ですら懐疑的であっただろう。おそらく正規兵はその二つの組織についてほとんど知らない。アドラスティアはノースランドで無差別破壊を行ったことで名前だけは有名だが、ネメシスはただの傭兵としか思われていないはずだ。

 だが、強い。それだけは知られていた。だからこそ、誰もが最悪の事態を想定している。

 訓示を終え、将兵は配置に着く。本来であればジェラールと決戦を行う布陣であるが、今回は北西方面への射線を通してある。言うまでもなく、ネメシスを撃つためだ。

 敵襲、警備兵が叫んだ。だが指揮官は一笑に付し、こう発した。

「各機、予定通り配置を変更。そこで次の指示を待て」

 彼らは味方である、そう言うのだ。バターカップはともに顔を見合わせ、命令を解かれた時自分が取るべき行動を確認していた個別回線も細かく通してある。もう賽は投げられているのだ。彼女らは独立した行動を取らねばならない。

 公国陸軍としての指揮を取るのは、平生黒い箱を取り仕切るベンスン少将である。かつてはローズの教官を務め、競争により多くの優秀な子供を死に至らしめた。それをフレディは強く憎んでいるほか、連隊の誰もが快く思っていない。今はもう巨人に乗らず実力を垣間見ることはないが、幼きフレディに幾度となく肉薄されており口ほどにもないとされている。皆口を揃え、彼は何が優れていたからローズを任されたのだろうと訝しむのだ。あるいは、伝説のローズ・クラスの名だけでここまでの厚遇をされうるのか。

 つまりは、そのような男である。愚物だと、誰もが思っていた。

 自軍三百に対し、ジェラールは六百と聞いている。合計九百かと笑うのは、ベンスンの他は愛想笑いの旅団長だけであろう。かといって彼らは何もしない。負けるなら負けるでよいとさえ思っている。

「やあライル将軍、よく参られた」

「いつも我が兵が世話になっておりますよ。して、敵の姿が見えんようですが」

「ああ。それでしたら、ほら。のこのことやって来ましたよ」

 西の空を切り裂いて飛ぶ機動空母、グース。積載量は限界に達しており、クルーの技量だけで飛んでいるような状態だ。

「総員、撃方用意。標的は敵空母」

 整列した状態のまま、機銃や榴弾砲を構える。号令のもとに、それは上空の敵に襲いかかった。

 しかし、である。そのほとんどが、命中しなかった。

「何だ、何事だ」

 通信が一瞬砂嵐で覆われ、割り込んでくる存在があった。

「アレックス。久しいわね、まさか、あなたとまた会う時が来るなんて」

「歌姫、感謝する。では、諸君。参るぞ」

 ライル機が上空に空砲を撃ったのを皮切りに、ジェラールの巨人は上昇し目の前の敵へとなだれ込んだ。正規兵は次々と撃破されたが、黒い箱は冷静だった。バターカップは班ごとに散開し、いつもの集団戦法で各個撃破を試みる。いつもと違うのは空陸型となったため、三次元戦闘であることだ。だがすべきことは変わらない。ただ目の前の敵を全力で倒すだけだ。

 混乱の中で、独自の動きを見せたのはグラム中隊だった。ベルナール率いる三機が集団を抜け、脇目も振らず北上する。旅団の防衛線を軽く蹴散らしながら、ある場所を目指した。

 そして、グースが着陸する。戦場を見渡せる小高い丘に陣取り、巨人を続々と発進していく。

「いい、敵は黒い箱以外全てよ。いってらっしゃい」

「ああ。野郎ども、行くぜ」

「セロウ、どれくらいかかりそう?」

「ごめん、アレスの再構成にまだ時間がかかりそうだ。このままじゃ、エリザとは戦えない」

「大丈夫、それまでは任せて」

「久しぶりの実戦だ、腕がなるぜ。空戦隊、散開して突撃」

 まずは空の巨人が四機、混迷する戦場に割り入っていく。オーベルゲン製の羽のエンブレムが戦場にきらめき、義憤の雷が爆音とともに荒野に轟く。

 空はいつでも、巨人のためにあった。至る所で巻き起こる閃光に視界を奪われぬよう、センサーの感度は上限を設けている。

「ヘンリーさん、黒い箱には手出ししないで」

「わかってるよ、シスル。俺は騎士に借りを返さなきゃならねえ。勝手にやらせてもらうぜ」

 ヘンリーの駆る巨人はグラム中隊に向かい直進するも、脇から来た一振りで阻まれることとなった。

「ネメシス、貴殿らの敵はこちらではない」

「なんだ、てめえは」

「ふん、大きくなっても鼠は鼠か。大人しく逃げ回っていればよいものを」

 ひと蹴りで、弾き飛ばされる。吐き捨てられた一言に、ヘンリーは激昂した。

「アレックス、よくも、よくもバーンズを」

 手甲鉤を構え、目の前の敵だけに狙いを定める。そのまま切り裂かんと腕を振るっても、ライルは軽く避け相手にもしない。

「鼠、視野が狭いのだ。貴様が見えたのは所詮狭い戦場。大陸でものを考えろ」

「ふざけるなよ。大陸でものを考えたから、バーンズを、仲間を殺せたっていうのかよ」

「彼らはよき犠牲であった」

 それを啖呵と取ったヘンリーは、なおも仕掛ける。流されても、弾かれても、だが状況は明らかに劣勢だった。

「くそ、くそ」

 地面に叩きつけられる。彼がもう一度向かおうとした時のことだ。

 下がれ。そう叫んだのはウィシーだった。グレイとあだ名される所以となった白い機体が陽光に眩しくきらめく。陸戦隊はジェラール側に取り付き、ウィシーひとりがライルまで伸びて来たのだ。

「今のお前ではこいつに勝てん」

これに反応したのはライルだった。ヘンリーを視界から切り捨て、新たな敵と正対した。

「おや、グレイウルフ。今日は本気のようだな。血気ばかりが盛んだったかつてと違って、少しは大人しくなったか?」

「ああ、おかげさまでな」

「自分を育てた黒い箱を破壊できる好機だぞ、なぜジェラールを狙う。狂気を壊せるのは、我らジェラールだけだと言うのに」

ウィシーは聞こえよがしにため息をついた。

「お前らが勝つのは大義に反するからだよ。俺はレナに賛同する」

その睨み合いの中、激昂したままのヘンリーが割り込もうとする。ウィシーはそれを片手で制した。

「ウィシー、なんで勝てないなんて決めつけんだよ。俺だって、こいつに」

「死んでもこいつを殺したい男は山ほどいる。俺はそのひとりだ。だから言える。こいつは強いぞ」

 ツヴァイハンダーを抜き、出力を全開にして振り上げる。ウィシーの踏み込みは深く、ライルでも上体だけで避けることはできない。自然、剣で受ることとなった。一合、二合と浴びせるも、阻まれる。ライルも推力の限りを尽くさねば、これは受からない。

 ここまで感情が溢れ出た背中を見れば、さすがのヘンリーも引き下がらざるを得ない。ウィシーは確かに熱を持って臨むが、それは直情的ということではないのだ。向かって来る敵をあしらいながら、その様子を見ることにした。

 巨人の格闘自体は流石に実戦経験の豊富なウィシーに軍配があがる。繊細な剣さばきに深い踏み込みまで加われば、もはや反撃の隙など無いに等しかった。

 一歩、また一歩。ツヴァイハンダーが空を切るたびに、ライルは後退していく。だがライルは狡猾に戦局を見ていた。下がりつつも子飼い部隊の懐まで潜り込ませようと立ち回る。

 ウィシーはその意図に気づいていた。だが気づいていたからといって、前進をやめられるような男でないことは誰よりライルがわかっていた。

「ウィシー、退いて。そこは奴のエリアよ」

「許せ、レナ。お前やエリオが願った世界を、こいつは壊した。それが許せねえんだ」

 そこはライル率いる第三師団の、数少ない精鋭部隊が配置されている。かつての同胞を殺すために。

「わからぬか、ならば頃合いだ。第一部隊、撃て」

 対巨人弾は特殊合金の頑丈な弾頭で装甲を貫き、いわゆるモンロー・ノイマン効果で内部を破壊し尽くす。巨人を撃つには砲は遅すぎる。だがこれほど釘付けにした今であれば、全くもって話が違った。

「いや、やめて、ウィシー」

 レナの叫びは、無情な荒野には届かない。音より先に来る閃光に、包まれた。

「応答して、ウィシー。応答しなさい、ここで死ぬなんて許さないわ。大義があるでしょ、私たちには」

 靄が解け、無残な結果が明らかになろうとしていた。だがそれは、冷静沈着なレナに今一度叫び声を上げさせた。

「うるせえなあ、俺は死なねえよ」

 ステップの草原には頭部と右脚部を失った白の巨人があった。無理矢理体を起こすと、襲いかかって来るジェラール兵を切り捨てる。

「ウィシー、ウィシー、よかった。でも下がって。本命のお客さんが来たわ」

 レナは亜音速で飛来する四機の機影を見ていた。恐らくは、黒い箱の施設を粉々に破壊してきたのだろう。

 各々の意思で行動しているような不揃いさは、彼らが他でもないアドラスティアであることを示していた。

「建物なんか、壊したうちに入らねえんだ。戦場、砲火、血が騒ぐぜ。なあグリグ」

「その通りよ。存分に壊そう」

「今こそ示すのだ、我らの破壊を」

「グレイス、今行くよ」

 一直線の光の尾は、三叉に分かれ戦場を切り裂く。羽のエンブレムが鈍くきらめき、災禍の炎が荒野を焼き尽くす。

 グリグが隊長クラスを一刀のもとに切り捨てれば、ツィナーが横薙ぎに雑兵の群れを消し去っていく。ものの一分足らずで、二十機の巨人が光と消えた。 予測していたと言っても、これは異常事態であった。

 ウィシーが熱センサーで見渡すと、先ほど自分に狙いを定めていた機体は全て消えていた。なぜだろう、とは思わない。明らかに異質な識別がそこにあったからだ。

「情けないな、グレイウルフ」

「てめえに、助けられたか。ルディ」

「俺はアドラスティア。侵略者は、滅ぼす」

 そう言うと、ウィシーに肉薄し、左腿に接射した。左脚は股から離れ、エネルギーが飽和して爆発する。

「グレイウルフ、命拾いをしたな。もうお前を殺すことはなくなった」

「よく言うぜ」

 ルディはウィシーを視界から外し、上空のライルを見据える。この時のためにルディは、アドラスティアになったのだ。

 ルディは地を這うような低音で、その言葉を口にした。それは炎を纏った憎悪そのものだった。

「アレックス・ライル。もはや何も言わん。死んでもらう」

 狙撃銃を背中に収め、両手に小銃を二丁構える。膝を曲げて五発撃ったのち、全速力で飛び上がり距離を詰めた。

 ライルが盾を広げ防御するタイミングに合わせ、タックルを仕掛ける。衝撃を受け一瞬だけガードが甘くなるタイミングを、ルディは決して見逃さない。足に三発、剣を持つ腕を二発。決して隙を見せぬよう懐は深く。

 姿勢制御に不備をきたすよう、関節部や駆動部に少しずつ当てていく。それがアドラスティア、オルコックとして培った戦い方だった。財団に特別に要請した大容量のマガジンもすぐに空になり、片手で撃つ間に一瞬の動作でリロードする。予備の弾倉はまだ四つあり、継戦は十分と言えた。それでいてリロードには一切の隙がなく、だからこそ苛烈な攻めが可能なのだ。

 だが、ライルはその攻勢を受けている。広い視野で感知し、予測し、次の一手を繰り出す。その正確性にルディは二の足を踏むと、それをあざ笑うかのようにライルは剣を突き出す。

「身のこなしの癖がケビンと同じだ。発射後注意が逸れるのはナタリーの癖か。血は争えんな、甘いのだよ」

 ケビン、ナタリー。ルディにとってそれは、最も愛した者の名だった。

「殺して、なお愚弄するか」

 剣で銃撃を受け、勢いを跳ね返す。ルディは剣の軌道を立体的に捉え、その外から銃撃を加え続ける。であればもっと不規則に、読みづらい攻撃のみで仕掛ければどうか。しかしルディにそれができる者はほとんどいない。ルディはさらに攻め手を強める。対するライルは好機と言わんばかりに口角を上げた。

 振り抜く直前、ライルは剣から手を離す。その勢いはまっすぐルディの動力部へと向かった。それは的が小さく、銃では受けきれない。間一髪で弾いたルディは、姿勢が乱れ大きく後退せざるを得なくなった。

 ライルの攻めは緩急が織り混ざり捉えどころがなく、しかも重い。どこから来るかわからない致命の一撃を、警戒し続けなければならない。

「グレイもお前も、若いのだ。踏み込めばよい、というものではない。そら、攻撃とはこうするのだ」

 先ほど投げた剣を兵に投げ返させ、右の逆手に持つ。迫る銃弾は半身で受け、一瞬の動作で左手首を掴む。そのまま四肢を重ねる形で背中をぶつけ、脇腹に斬りつけた。それは動力部すれすれまで食い込み、衝撃でルディは頭部を内壁に打ちつけた。頭から出血し、目尻から頬に滴る。メットを付けていないのだ。彼にはひとつ狙いがあった。

「どうだルディ、私の一撃は重いだろう」

 肘打ちで突き放し、短剣を投げつける。ルディの戦法の最大の弱点は、特殊合金の剣という最も重要な防御装備を持たないことにある。両手がふさがっていれば、姿勢制御以外にこれを受ける手段はない。軽さ、速さ、間合い、威力。全てを兼ね備えた無類の攻撃性能を持つがゆえの代償といえた。

 コクピットにさらなる衝撃が走る。血に濡れたルディは自らの頬に触れ、微笑を浮かべた。

「血では少し乗りが悪いが、十分だ」

 ルディは着地すると、動力装置を隠すため膝をついた。動きが止まったのを見た兵士は、無論砲火を浴びせる。だがその大部分はルディには届かない。

 ウィシーが弾頭を打ち抜き、時には身を呈してそれを防いでいたのだ。

「グレイ、なぜ敵を」

「今の俺では戦えそうにねえからな。アレックス。眠れる獅子を起こしたこと、後悔しろよ」

 ウィシーはそれだけを言うと、陸戦隊員に支えられ撤退していく。これ以上の継戦はレナが断固として許さない。まだ戦局は予断を許さず、自分が去るのは不本意だっただろう。

 去っていくウィシーと、一歩も退こうとしないルディ。睥睨したライルは声を上げて笑った。

「満身創痍のお前に何ができる。動力部からのパスを切られては機体はもう満足には動かん。これで私に立ちはだかろうなど――」

 機体は、もう懐に潜り込んでいた。頭、手、肩で同時にぶつかれば、弱った機体でも十分体当たりが成立する。そして即座に武器を換装した。銃身には特殊合金を用いており、刃を装着することで銃剣となる。これは、アドラスティアのオルコックである以上使えない技だった。今は違う。

 弾き飛ばされたライルに対し、顔を紅く染めたルディは突撃する。剣を振り、回転して蹴りを入れ、そして撃つ。反撃の糸口を探すライルが逃げ足を止めた瞬間を見逃さず、上からの蹴りで地面へと叩きつけた。

 背部の榴弾砲はそのまま砲撃が可能で、肩口から三発、ライルのいる地上に向け放った。弾が砲身から離れた時には、既にスラスターは最大出力に達している。

 爆風の中、銃を乱射しながら突撃するルディ。レンジに入ると同時に、剣を構え回転する。見えないのは向こうも同じであり、可能な限り早く敵に届くように直進するだけだ。

 靄が晴れた時、そこには結果があった。

「今のは死ぬかと思ったぞ、死化粧よ。両親は口ほどにもなかったが、お前はどうだ? そんな状態で戦えるのか」

 回答に時間はいらない。ルディは仕掛けていた。もはや動力部はむき出しになっている。小口径の弾であれば良いが、機銃弾でも爆発しかねない危険な状態であった。だが爆発と言うのならば、ルディの心がすでにそうであったろう。

「これは復讐。死んでいった、愛するものすべてを彩る、死化粧だ」

 衝撃に耐えられるはずのない機体で体当たりを仕掛ける。ぶつかった後も距離は詰めたまま、むしろ加速していく。ライルに立て直す隙など、もう二度と与えない。

「く、反応が追いつかん。まさかこれほどとは、しかしこれなら」

 苦し紛れの剣戟でルディの右腕が飛んだ。だが既にライルの厚い装甲はもうほとんどえぐり取られている。ルディは残った左手と両足で、ただ絶え間なく攻撃を仕掛ける。左足が潰れた。敵や地面を蹴り続けた反動と、周囲からの銃撃によるダメージが限界に達したのだろう。もはや、満足に姿勢を保つこともままならない。コクピットにはもう穴が空いている。もはや戦場を包む砲火から、ルディを守るものはほとんど失われた。

 今まで一部の隙も見せなかった巨人が、ぐらりと揺らいだ。ライルは笑みを浮かべ、反撃に出る。それには、ただ一度の命中で十分だろう。

「死ね、ルドルフ・ディートリヒ。ジグールの亡霊なぞに構ってはおれんのだ」

 崩れ落ちたルディに近づき、剣を逆手に持ち直す。ライルの心中にはもう目の前の男を殺せるという事しかなかった。安堵があっただろう。手こずらされた怒りもあっただろう。それは最後のひと振りだった。

 だが、振り下ろそうとした剣は動かない。狼狽したライルが機体ごと振り向くと、そこにいたのは味方のはずのジェラール兵だった。

「な、何をしている。離せ」

「ルディさん、すいません。俺が、間違ってました」

 ルディはその声に聞き覚えがあった。だから再会の言葉をかけるため、かすれた声を振り絞った。

「エイド、こんな所にいたのか、探したんだぞ」

 エイドと呼ばれた兵士は、涙を流していた。

「ルディさんのしてくれる死化粧に、俺たちは救われてました。死んでいった仲間も、安らかな顔に見えて。でも、俺はジグールを裏切った。あなたが、まだ戦っているというのに」

 だから、償います。そう言ったエイドは、暴れるライルの胸の前に剣を回す。流石に組み付かれては技量差は差し引かれるだろう。そして彼は、そのまま貫くつもりだ。おそらくは、自分ごと。

 ルディは腰を起こさずに、出力を上げる。そのようなことは、させられない。すべきことは決まっていた。

「ネメシス」

「ルディちゃん?」

 ネメシスを含む回線で語りかける。歌姫も、たしかに宿敵であった。だが、もうよいのだ。声色は水のように穏やかだった。

「ひとり、エイドという男を預かってくれないか。気のいいやつで、きっと役に立つ」

 それだけを言うと、軋む機体を全力で翻しエイド機を蹴飛ばした。地面に打ちつけられたエイドは、銃剣の突き刺さったライルを見た。

 その剣を抜かせはしない。そのまま組みつき、刃をえぐり込む。特殊合金は動力部にまでやすやすと通過した。時間はあまりにも緩慢に、しかし確かに一秒、一秒進んでいった。

 誰にも聞こえないよう、ルディは呟く。それはただひとつの無念だったろう。

「パパ、ママ、ごめん。天国には、行けなかったよ」

 轟音はまだ聞こえない。付近一帯を覆う閃光が、先に来るからだ。光は善も悪も全て包み込み、死が持つ永遠をこの一瞬に集約する。

 心をくろがねに染め、兵士は己の内側を見失う。だからルディは、悲痛なまでに戦うことを選んだ。それなしでは、自分がこの世界に在るという証明にならないのだ。たとえ、その身が消え去ろうとも。

 靄の晴れた荒野には、残酷なまでに結果だけが残っていた。

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