IRON DREAM

 親愛なるシモン・ド・グラム様。

 ロイスは今、春真っ盛りです。草木が鮮やかに芽吹き、鳥たちが歌っています。季節の言葉も、まだ勉強しないといけませんね。

 あれから私も、いろいろなことを考えました。いろいろなことを教えていただきましたね。エハンス国王たるお父さまのこと、そして私に似ているというお母さまのこと。そして、謎めいたおばあさまのこと。相変わらず幼い頃の記憶はありませんから、今でも本当なのかなと疑ってしまう部分はあります。ですが私が真にエハンス王女であるのならば、今は亡きエハンスという国のために何かしたいと思うのも事実です。

 自分しか信じるなと教えられ、兵士として育てられた私には至らぬ点も多いことでしょう。ですが、そんな人生を歩んだからこそ生きる意味を与えられた喜びは大きいのです。

 まだ何もわかりませんが、少しずつ考えていきたいと今は思っています。またご連絡をください。

 ミレーヌ・ウリエル・マルキールより、愛を込めて。

「王女様」

 うわあ。いきなりセロウが話しかけてきたので、私はつい声をあげてしまう。さっきどこかへ行ったと思っていたら、いつの間に戻ってきたのだろうか。

「もう、からかわないでよ。どこ行ってたの」

「エリザが模擬戦やろうってうるさくてね。グレイスにお願いしてって言ったら、傷つけたくないってさ。僕ならいいのか」

 ずれた眼鏡を直し、ふくれっ面でセロウの方を向き直す。最近グレイスもセロウと少しいい感じだから、セロウにはきつく言っておかなければならない。

「ふん、いいじゃないの。彼女も嬉しいんでしょ」

「そんなものかな」

「そうよ、親友は当然大切だけど、血のつながりというのは大きいわ。まあ彼女の場合、グレイスへの愛情は本物だろうけどね。でもいいじゃん、楽しくて。ね、兄貴?」

「やめてくれ、それも歯がゆくて慣れないんだ」

「王女様も、慣れないわよ」

 セロウはここで、私の手元にあるものに気がついた。

「手紙かい?」

「そう、これで終わり。飛ばしちゃだめよ。エハンス式の便箋で送るんだから」

セロウは苦笑を浮かべ、手を横に振る。

「飛ばさないよ。僕を何だと思ってるの」

「だってセロウ、紙飛行機好きでしょ? でもこんなに文字書いたの久しぶりだから、肩こっちゃった」

「このご時世、手紙ってのも珍しいね。古きを重んずるとは言うけど、やはりエハンスは違うね」

「そうね。これから本格的に動くことになれば、散り散りになったエハンスの有力者たちを呼び戻さなくてはいけない。国家という形に戻すには、時間が必要よ」

 ねえ、シスル。ミレーヌという名前にはまだ全く慣れないが、今のセロウはあえてその名を呼んだのだろう。その声は少し寂しげだった。

「遠くへ、行ってしまうね」

「私はどんな形でも、セロウと一緒よ」

 セロウは悲痛な面持ちで、首を横に振った。

「僕には荷が重いよ」

 私が女王として正式にエハンスを再興することになれば、私と結ばれる人は王婿となる。

 そう思ってはっとした。私は本当に、セロウを巻き込んでいいのだろうか。でもやっと会えたんだ。どんな未来も越えていけるだけの力を、くれる人に。

 私はそう思うと、立ち上がった。そして後ろにいるセロウをきゅっと抱きしめる。

「どうした?」

 セロウは驚きながらも、背中に手を回して引き寄せてくれた。

「どんな形でも、ぜったいセロウと一緒」

 私は強調するように、それを繰り返した。

 不意に強い気配を感じ、セロウから離れてドアの方を向く。やっぱりこの女は好きになれないが、それでも認めるほかないのだろう。

「あら、お熱いのね。セロウちゃん、シスルちゃん、でいいのかな」

「はい。シスルも、大事な私の名前です」

 司令はそれを聞いてなぜか頷くと、窓の方に目をやった。ふと見ると、その指には、光るものがあった。

「司令、それって」

 そう聞くと嬉しそうに、左手を頬に当てた。私からしてみれば、どうして結婚していなかったのだと疑問符がつく。人並みに育てられなかった女の子にとって、好きな男の子と結婚する事は強い憧れとなる。司令もやっと、自分のことを考えられるようになったのだろうか。

「湖畔式の、小さな式を挙げるの。誘うのはネメシスと、ウェルちゃんだけ。おふたりさんも、来てくれる?」

「もちろん、行かせていただきますよ。ね、シスル」

 私は強く頷く。それはネメシスにとって、ひとつの節目だろう。

「あなたたちが来てから、私たちだいぶ変わったわ。ウィシーもよく笑うようになったし、私もいつも元気をもらってる。二十年も一緒にいると、互いの大切さをちゃんと伝えられなくなっちゃうの。ふたりの出会いの話を聞いたとき、私も初めてウィシーと出会ったときのことを思い出したの」

 ねえシスルちゃん。そう言って私の耳元に口を寄せる。

「ブーケはあなたにあげるわ。何があっても、逃しちゃだめよ。セロウより素敵な子なんていないもの」

 私はもう一度、強く頷いた。隊長との出会いがどんなものだったかは知らないが、こう断言できるほど運命的なものだったのだろう。

「そういえばバターカップは、あの子たちはどうなるんですか?」

黒い箱が消滅して、連隊は離散した。デイジー、リリー、ロータスには解散命令は下されたと聞くが、あの国が易々と兵士を手放すとは思えない。彼らもいずれ、救ってあげねばならなかった。

 一方で、バターカップとローズは仮ではあるがネメシスに編入した。フレディさんは話をつけると言って実家に戻っていった。グレイスたちは依然ここにいるが、これからも兵士として、というのにはさすがに違和感があった。

「それなんだけどね。ここロイス自治区のハイスクールに入れてあげることができそうなの。生きてる子は、みんな一緒にいられるわ」

「よかった。ここなら、何かあった時エリザの手も借りれそうね」

「確かにロイスは平和とは呼べない。でも、いい町よ。人に心があって、行政もしっかりしてる。ネメシスもしばらくは、ロイスのために戦おうと思うの」

 ネメシスの敵として宿命づけられていたアドラスティアは、実働部隊を全て失った。戦うことでしか自己を定義できない、肌まで鉄に染まった悲しき兵士。自分も、そうだった。だから、彼らを手にかけるのは苦しかった。

「そうだ。あいつはアドラスティアだったけど」

「そうね、エリザちゃんはネメシスが預かることになるわ。あんなこと言ったけど、セロウちゃんもグレイスちゃんもいるんだから、今更どこにも行かないでしょう」

私が驚いたのは、エリザの振る舞いだった。当初、エリザはロイスに残らないつもりでいた。アドラスティアとしてロイスの街を壊し、ロイスの巨人を何機も落としている。彼らの憎しみを受けることは仕方のないことだった。

 だがエリザは、ロイスの守備隊員たちを前にして銃を差し出した。うちを撃ってくれていい。うちはあなたたちの仲間を殺した、アドラスティアだから。それは彼女がネメシスに入る上での覚悟だったのだろう。

 そして、エリザはここにいる。分かり合えたわけではないし、憎んでいる人もいる。彼女はそれを背に、生きていくのだろう。ひとりの少女としてでなく、ひとりの兵士として。

「これからは、何と戦うのですか」

「大義を果たすため、それは変わらないわ。私たちはこれからも、ネメシスの大義に殉ずる」

「以前は大義がどういうことかわからなかったけど、今なら少しだけわかる気がします」

 あ、そうそう。司令はいつの間にか持っていた書類を手渡す。どうやら仕様書のようだ。

「シスルちゃんに新型をロールアウトしておいたわ。ちょうど財団の方から、今後の方針を話し合うために呼び出されてるの。ま、エリオが顔出さない以上何も決まらないでしょうけど。巨人はその手土産ね」

 私は目を丸くしたのち、ひとつ頷く。この気遣いは嬉しかった。巨人からは少しずつ離れていくが、元はといえば気持ちの伝え方を巨人しか知らなかったのだ。それは今も同じだろう。

 それはふたりにとって、言葉よりもはるかに心を通じあわせることができた。

「セロウ、模擬戦やろう」

「チューニングあるだろうし、いつにする」

「一時間で終わらせる。だから待ってて」

 格納庫に移る。自治区には同盟の残した演習場があり、高射砲隊も主にここで訓練をしている。私はこの新たな巨人に目をやっていた。

 登録名はアテネ。セロウのアレスは内に燃える激情を駆動部に乗せ、鬼神のように戦う巨人。であればアテネは守るべきもの全てを、その剣で守る巨人だ。それは私が持つべき強さなのだろう。チューニングで手に馴染めば馴染むほど、その力が伝わってくるようだった。

 武装は長剣と短剣。あれからシャルルさんに手合わせしてもらって、正式にブロワ派の免許皆伝をもらうことができた。結局記憶は戻らなかったから、目録までの技術も学び直し晴れてブロワ派の剣士に戻ったわけだ。

 しかし、シャルルさんは本当に丁寧に教えてくれた。ジェラールから一ヶ月の渡航許可を得てついこの間までここに来ていた。毎日三、四時間の稽古ほか、欠かさずシモンさんに進捗をメッセージで送っていた。時には動画まで撮るので恥ずかしくなってしまった。なぜそこまでと聞くと、命に代えても果たすべき恩義があるのだそうだ。だが私には、シャルルさんにはなにか別の感情があるように見えた。

それはさておき、シャルルさんが懐かしむように一挙手一投足を手ほどきしてくれたから、すぐに慣れることができた。最後の立ち会いは白兵と巨人の両方で行なったが、シャルルさんは一切の手加減をしなかったと思う。その中で私は、彼の提示した目標をクリアしたのだ。自信も十分についていた。

 今日はそれらを、新たな巨人で実践する時だ。あなたが待つ空へ、気持ちはまっすぐ最高速まで突入した。

 空にはあなたと、私しかいない。であればこそ、歌い出したくなるような喜びの中で私はあなたの前に立った。

 二人の間を燕が飛び去っていく。私はその足元に着色弾を撃つ。赤く染まった燕を見て、あなたはまっすぐこちらに向かってきた。

 アレスの運動性は高く、あなたは長剣を振るって積極的に攻めてくる。私はパリーの隙を探すが、懐が深く簡単にはうまくいきそうにない。だから誘うように浅く剣を振るうことで、私をもっと見てもらうのだ。

 横薙ぎが来る。私はそれに左の剣をぴたりと這わせ、流す。ブロワの記憶もあるだろうが、パリーがすぐ上達したのは明らかにあなたのおかげだろう。

 だからこの気持ちを、伝えたかった。右の剣はあなたの命へ。セラミックブレードでも衝撃は伝わる。だから私はスラスターを全開にしてあなたに向かった。

 あなたは手の甲を剣の腹に当て、左に流す。そのまま持ち直した右で逆袈裟。この距離では流せない。短剣の根元で受けるも、流石に押され始めた。

 アテネの特性は関節部の頑丈性にある。運動性を犠牲にせず、スラスターを全開にし続けても機体の負担が小さい。だから強い一撃を受け続けることが可能なのだ。命めがけまっすぐ踏み込んで来るあなたの剣は、受けるたびに心踊る。それを流して私が振るう剣を、あなたはぴたりと受け止めてくれる。それが嬉しい。

 あなたが攻め、私が受ける。構図は以前とは逆。でも、想いの伝え方は同じ。

「シスル」

 不意に名前を呼ばれる。私は早い鼓動を悟られぬよう、すまし顔で答えた。

「なあに?」

「ありがとう」

 セロウのまっすぐな言葉に、私は赤面する。あなたには、お見通しなのだろう。私がどんな気持ちで、剣を振るっているのか。私がどんなに、あなたを好きか。

 であればこそ、私は一歩下がる。動力装置を爆発寸前まで開き、ブロワ流の攻撃の構えに持ち直した。

 頑丈な体にものを言わせ、最高速で突撃する。左で突き、後方に避けたあなたに右回転で切りつける。順手と逆手を絶え間なく持ち直し、広い攻撃範囲で圧倒する。回転斬りは、持ち替える時に死角となるため読まれにくい。どこまであなたに届くかはわからないが、私の言葉をもっと聞いてほしかった。

 交わす言葉の応酬は、そのひとつひとつが私の心深くに届き、乾いた部分を潤し冷めた部分を温めていく。受け流す言葉は冗談を笑い飛ばすように。受け止める言葉は、私も同じだよと語りかけるように。

 自重を乗せた渾身の上段斬りを、両手の剣で受ける。その剣を跳ね返した時、あなたは右手で持ち直し左から横に振るう。私はその絶好の一撃をパリーで合わせるため、短剣を構えた。セロウは私の剣を見て、それを口にした。

「愛してるよ」

 振るわれたその腕に、剣はなかった。私の左手はすでにあらぬ方向へ行っており、虚空にあるその致命の剣を弾くことができない。

 機体を大きく右に傾け、あなたの左手が剣を掴む。その音速に近い剣戟を、私は受けなかった。マーカーが弾け、アテネが赤く濡れる。だがそれは、アレスも同じ。だから私は、同じことを言った。

「私もよ。愛してる」

 長剣を持つ右手は、最後にあなたのマーカーを捉えていた。あなたの殺文句は受け流せなかったが、言い返すことはできた。それならば、それでいい。私はあなたとともに、帰途につこうとした。

 思いがけないことに、通信が開いた。回線の暗号は誰にも伝えていないはずなのに。驚きを隠せない私をよそに、なにやら拍手がきこえた。

「おふたりさん、おめでと。これ以上ないふたりよね」

「ああ、フレインで見た時からそんな気はしていたが」

「ヘンリー、気を落とすなって」

「な、俺は何も言ってねえだろ」

 隊員たちが思い思いに声をあげる。私はあまりに恥ずかしくて、セロウに助けを求めた。

「せ、セロウ」

「もう諦めるほかないよ」

「そんな」

 ロイス邸が笑顔に包まれる。ここにいるのは、生きて何かを守り抜いてきたものだけ。だが、強さだけでは守れないものもある。

 ならば自分は、失ってしまった者のために戦わなければならない。

 ネメシスの私は、戦うことでしか自分を定義できない誰かのために。エハンスの私は、自分を定義する国を見失った誰かのために。

 セロウがくれた強さを、私は誰かのために使いたかった。それが今の私の夢であり、目標となっている。

 それがくろがねにそまった世界を、少しずつでも溶かしていくと信じて。


IRON HEARTs 第一部 完

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