IRON EYES 2ND VOL.


 十二月二十三日。オーベルゲンの古びた埠頭から出発した原潜はキロム海峡を経て、アドラスティアの拠点まで向かう。もとより正規の港など使えるはずもない。彼らは大義を選ばなかったのだから。

 私がこれに乗ったのは何年ぶりだろうか。水上艇と見まごうほど広い艦内は潜水艦特有の圧迫感をまるで感じさせず、財団の技術力には改めて感嘆せざるを得ない。今回は、私ひとりだった。ウィシーを連れて行くのは論外だ。わざわざ訪問先にロイス守備の隙を晒すことはない。セロウとシスルはどうか。彼らはまだ、自分のことで手一杯だ。とても自らの心細さのためだけに連れていける状態ではなかった。

 シスルはおそらく、黒い箱以前の過去の記憶がないのだろう。彼女がどのように生を受けたかはわからないが、失った記憶のせいで夢にうなされることもあった。彼女もまた、他のネメシス隊員と同じように過去と向き合う時間が必要なのだろう。しかし、彼女の薊色の瞳と栗色の髪はどこかで見たことがあるような気がするのだ。あれは確か、それが本当だとしても、十年以上前だから彼女もまだ幼く推定の息を出ない。また問題なのは、彼女が黒い箱の出身だということ。年明けの作戦で黒い箱を破壊することに賛同しないかもしれない。

 セロウに関しては、平気そうな顔をしているがかなり深刻だった。開花しかけている才能の副作用が出ている。他者と感応することによる精神へのダメージはきわめて大きい。また、いきなり感覚が鋭くなったため、傷口がしみるように過剰な反応をしてしまっているのだろう。時間が経てば落ち着くだろうが、そういうわけにもいかない。セロウが不十分なコンディションで年明けに望むことは、本人の命に関わるばかりかネメシス全体の危険につながりかねない。

 ひとりの男が近づいてきた。第二柱、ハレー。アドラスティアで唯一、自らの手を汚さない男だ。

「歌姫、考え事かい」

「ええ、ネメシスのみんなのことをね」

 目の前の男は両手を使っておどけて見せた。

「仲間想いとは、やはり噂はあてにならないな」

「誰にも死んでほしくないの。もしあなたたちが私の仲間を傷つけるのなら、容赦しないわ」

「おお、こわいこわい」

 この男は以前から知っているが、こんなに軽率でもないはずだが。彼も何かしら考えがあるのだろうか。

「しかしあなた、アドラスティアに来て何か変わったの?」

「いや、何も。各地に出向く都合、表での活動もうまくいっている」

 彼は表社会でも、写真家として存在していた。無論戸籍上は死んでおり、代理人を介しての存在に過ぎない。それでもなお表社会での存在という事実は重要であり、私たちネメシスにはないものだった。彼はアドラスティアのメッセンジャーの役割も果たしているのだろう。もちろん、暗にではあるが。

「あなたの作品は嫌でも目にするわ。そしてこう思うの。価値観を変えることがそこまで大事?」

「ああ。そのためには必ずしも次なる戦争は必要ない。いいや、戦争自体本当はいらないのだろう。より明確に、命の輝きを説明できるものがあるのならば」

 民は生きることに飽いている。それもハレーは続けた。

「取るに足らぬものを得て満足している。命も賭さない生など、あるはずがないというのに」

「わからないわね。愛すべき他者のほかに、必要なものなんてないわ」

「そうか。ネメシスの大義は、あなたがいる以上変わらないだろう。そしてアドラスティアはそれとは対極にある」

「ただ、私たちはひとつの上位意志のもとにある。だから刃を向けるが、殺し合わない」

 そのことだが。ハレーは薄笑いをやめ、まっすぐにこちらを向いた。

「オルコックを知っているね。彼が何者であるか」

「ええ。ジグール傭兵を率いた、不死身のルディ。かつては苦しめられたわ」

「そう、そのルディだ。端的に言う。彼は年明けのウエストバイアで、死ぬつもりだ。これが何を意味するか、わかるはず」

 ルディには不死身の異名があった。それはどれほど銃口を向けられようが、それより早くに撃つことができる技量によるものだ。また悪運も恐ろしいほどに強く、彼は傭兵団長ながら常に前線で戦い続けた。

 だが彼がそのようなことで説明できる人間ならば、砂漠の傭兵はジグールに進出できていただろう。それは彼の、もうひとつの異名によるところだった。

「ルディがどうしても殺したい相手は、ジェラールにいる。彼と本気で戦うならば、いくらルディでも命を懸けて臨まないといけないわ」

「噂は聞いているよ。ジェラール正規軍に元砂漠の傭兵がいるという事実だけでも恐ろしいのに、彼は将官まで出世したときた。一体どういう男なのか」

 私は促されるまま、久々に思い起こすことにした。

「アレックス・ライル。砂漠の傭兵で、一時は私たちの頭目にまでなった男よ。彼が抜けたのはジェラール建国直後だったわ。十四年前かしら。当時は誰も、連中がひた隠しにした牙に気づかなかった。具体的には、いくら侵略国家でもエハンスに手を出すなんて思っていなかった。それも勝つなんて。きっと彼の力添えは大きかったはずよ」

「ライルか。そんな男をなぜオルは」

「砂漠時代、彼はルディの宿敵だった。アレックスは何も語らないし、私が入る前のことだから詳しくは知らないわ」

 船体が揺れる。そろそろ着く時間であることを確認した私は、ハレーとともにハッチへと歩き始めた。

 ここには六年前に下見で一度来たきりであり、私の意向も盛り込まれている。私たちはここには行かず、廃坑を改造した今の拠点を使っている。その距離は五十マイルもなく、最大速度の巨人ならば一分とかからない。

「おい、歌姫」

「なあに?」

「なぜすんなり入れる」

「あれ、あなた第二柱なのに知らないの? ここには私の籍もあるのよ」

 エリオは私に、柱としての地位も用意していた。その椅子は今冴えないキロム軍人のいる場所だが、当然固辞した。だから私にしてみれば、なぜ消しておかないのか疑問なのだが。まさかまだ用意しているわけでもなかろうに。

 ブリッジは入口と同じ階にあり潜水艦で直接入ることができる。私はまっすぐに目的地へと進んだ。

 奥に座っている男がくるりと椅子ごと振り返った。面と向かったのは初めてだが、察するにこの人はいつも苦虫を噛み潰したような顔をしているのだろう。

「ご機嫌よう、ホームズ。あるいは、代理総督とでもいうべきかしらね」

「こどくのリラ。貴様を招いた覚えはないのだが」

「そうね。今日は私から、交渉に来たの」

 私がここに来た理由は、黒い箱のことだけではなかった。むしろ、その先に見据えていくものを共有するためだ。正しいあり方はなんなのか、それを確かめなばならない。

「私たちの間の不殺を、解かない?」

「それは、我らが柱を殺す用意ができたということか?」

「どうかしらね。あなた達がそれを必ず守ってくれるのなら、今のままでもいいわ」

 ホームズは意図が読めたのか、聞こえよがしに舌打ちをした。

「先んじて破られるくらいなら、約束などしないほうがよい。そう言いたいのだな」

 私は肯定の言葉を述べる代わりにただ頷いた。

「わかった、解こう。だが気をつけろ。これで我が柱は、もがれた翼を取り戻したことになるぞ。こどくのリラ、自分が打って出れば万事よいなどと甘く見られては困るのだよ」

「甘く見ているのは果たしてどちらかしら、ホームズ。私の出る幕はない。それに、あなたのいたキロム軍には感謝しているわ。海峡警備からいい子をもらったもの」

「減らず口を。そう言えば、旧友がある脱走兵のことを話していたな。何でも、巨人について教えを乞うてきたとか。彼はこうも言っていた。キロムには、ここまでの才能はない」

 私はくすっと笑いかけたが、仮面の微笑の中に溶かし込んだ。セロウ、よほど彼女との時間が好きだったんだな。それも、しっかり守らねば。

「エリオの動向はわかる?」

 意外にも、ホームズはかぶりを振った。名実ともに、この風采の上がらない男が組織を取りまとめているらしい。そう思うとこの男に同情のひとつやふたつ。いや、そのようなことはないか。

「ふうん。財団すらもはや他人に任せ、願った力を手に入れたのにそれすら捨てたのね」

「総督のお考えは分からん。貴様の方が、あるいはよく知っていよう」

「エリオは、死んでも何も語らないわ。それが彼だもの」

 ねえ。私は頬に貼り付けた微笑を崩さず、低い声を出した。

「私たち、いつまでこんな茶番を続ける気?」

「総督にしてみれば、それが存在意義である限り、であろう。ハレーに言わせれば、それにより人間の気が変わるまで、か」

「私は、ネメシスはそんな人形で終わるつもりはない。大義を果たすの。そのためであれば、アドラスティア。あなたたちをも滅ぼす」

 エレベーターの音が聞こえる。開かれたドアからは、男女が降りてきた。

「オルコック、ブランペイン、帰還した」

「ご苦労。残り二人は?」

「シミュレータ室に行ってくると」

 ホームズは面倒ごとが増えたとばかりにため息をついた。そのままこちらを一瞥すると、口元を薄く歪めた。

「今、来客があってな。少し話をしていたところだ」

「歌姫、か。砂漠以来だな」

「ルディちゃん、お久しぶりね。次の作戦、あなたの標的は決まっているわね」

「止めるか」

「いいえ。彼はもう、仲間じゃないもの。だから私たち、組めるはずよ」

「馬鹿な、俺ひとりで十分だ。でなければ、報えない」

 彼の決意は、想像以上に固いらしい。それならそれで、好都合だった。兵士としては、彼は突出している。あのライルでさえ、真っ向からぶつかれば遅れをとるはずだ。であれば、懸念材料がふたつ減ることとなる。

「ねえホームズさん」

 この男は喜色とは縁のない顔をしているが、今は本当に不機嫌なのだろう。なんだ、とも言わず無言でこちらを向いた。

「久しぶりにここを見て回りたいの。いいかしら」

「構わん。兵に案内させる」

「そうね、じゃああの子がいいかな」

 そう言って指差したのは、未だ幼さの残る第十二柱だった。

「それは柱だ。しかも日が浅い」

 彼女には見覚えがあった。かつてウエストバイアから難民を輸送していた時、彼女はまだずっと幼かった。まさか、彼女が。

「構わないわ。じゃあ、行ってもいいかしら」

 私は返事を聞かずに、くるりと振り返った。手を取ろうとしたら弾かれたため、後ろをすまし顔でついて行くことにした。

 エレベーターの扉が閉まると、少女はすぐに口を開いた。

「こどくのリラ。うちに何か用?」

 正直、彼女の視線は気分のいいものではない。心理の奥底から本音を読み取ってくるからだ。培った仮面の微笑も、意味をなさない。

「ブランペイン。いえ、バターカップ・フォウ。黒い箱に恋人がいるのよね」

「あんたには関係ない」

 突っぱねられることは分かっていた。以前ウエストバイアからフレインへ難民輸送の任務を受け持ったとき、彼女はキロムにおろしてほしいと言って聞かなかった。それは幼さゆえの強情だと思っていたが、今の彼女を見るに明確な意図があったのだろう。

「確かにそうね。でも、あなたの在り方を私は知っている。だから力になれるかもしれない」

 答えはない。エレベーターが上階にたどり着き、見覚えのある通路が姿を現した。ホームズに呼ばれたであろう兵士の男の子に小さく合図をし、私は歩き始める。先を進む彼女の背中を見ながら、私は不意に声を上げていた。

「ねえ」

数秒の沈黙ののち、彼女はこちらを見た。

 私はこの頑なな女の子が、砂漠にはどこにでもいる道に迷った子供と同じであることに気がついていた。どちらへ進むのが正しいのか、わからないのだ。最近ウエストバイアでは、正体不明機が国土を縦断して大騒ぎになっているという。おそらく彼女だろう。彼女の願いは、ひとつしかないのだ。

「私は黒い箱なんて、無くなった方がいいと思うの。そうすればあんな不幸な子たちを」

 当たり前よ。少女は早足で通路を進みながら、力なく叫んでいた。

「ねえ、おばさん。案内なんてしなくていいよね」

 お、おばさん? 口元がぴくりと痙攣し、それを隠すのに苦心した。おばさんとはどういうことであろうか。

「え、ええ。でもあなたのことも知りたいわ。ご一緒してくれる?」

 意外にも少女は断らなかった。確かにここで私をひとりにするのは非常に危険だろうが、どうもそういうわけでもなさそうだ。少女は迷いなく私の前を進んでいく。

 少女がひとつの部屋の前で立ち止まり、振り返った。その目は先ほどまでの攻撃的なものとは少し違う色をしていた。

「ここ、あんたが作らせたんだよね」

 他の部屋の倍以上の厚みをもつ扉の先には、内壁が凹凸となった小さな部屋が。そこは防音室だった。

 私は促されるまま、その中に入っていく。少女は小さな椅子に腰掛けると、両手で頬杖をついた。

「なぜ、ここに連れて来たの?」

 その質問を、少女は流した。

「黒い箱の娯楽室は、リラの一件以後封鎖された。生きるために大事なことなのに、教官たちはただ裏切りを恐れたの。そこから死亡率は上がり続けてる」

 ねえリラ、あんたのせいだとは思わない? 少女は私にその視線を向け、 問いをかけた。

「なるほど、あなたの言うことはもっともだわ。リラは今でも子供たちを殺している。だから、もう終わりにするのよ」

「リラ、ネメシスは箱を壊すよね」

「いえ、私たちが手を下さずとも箱はなくなるわ。アドラスティアも、ジェラールもいるから」

「だめ、奴らに壊させるわけにはいかない」

「子供たちは見捨てられない。そう言うのよね」

「どうかな、うちはグレイス以外はどうでもいいから。でもどちらにせよ、アドラスティアはそれを望まない。それでは壊したことにならないから」

「ネメシスは、あなたと協力できそうね」

 少女は数秒の沈黙の後、傍から一本のギターを取り出した。

「一曲やらない? それで何か、分かる気がするの」

 その申し出はさほど意外ではなかった。彼女は単に、私が知りたいだけなのかもしれない。だが私は、断るべきだと思った。

「遠慮しておくわ。今の私には、必要のないものだから」

「そう? うちにはあんたが、今にも押し潰されそうに見えるけど」

「どうかしらね」

 私は頭蓋の奥に軽い痛みを覚えた。見られている。不快感が顔に出るのをこらえるために、多少の努力を要した。

「ローズ・ワンを知ってるよね。あんたが噂通りじゃなくハレーの言う通りの人なら、いてもたってもいられないはず」

彼女はどこまでが見えているのだろうか。腹を探ろうとした思考を止める。そもそも、彼女は敵ではないのだ。仮面など不要だった。

「私の心が、見えるのね」

「うん。でもこんな力、役に立たない。余計なことまで知っちゃうし、逆に入り込まれたりもする」

「セロウのことね」

 私はセロウがエリザという名を知っていることを思い出し、それを口にした。

「やっぱり、それが奴の名前なのね。考えただけで、気分が悪くなる。近づいただけで、殺したくなる」

 私はひとつの危惧を思い出していた。だからこそ、彼女の誘いを受けることにした。

「一曲やりましょう。曲の指定はある?」

 少女はギターを構え、軽く音を出したのち口を開いた。

「テイクミー・トゥザヴォウイッジ」

 ああ、間違いない。この子は、私やウィシーと同じなんだ。そう思った時、自然と笑みがこぼれていた。私はキーボードに手を置く。この部屋ならばマイクはいらなかった。

 二種類の軽快な音に乗せ、口から言葉を紡ぐ。昔の歌手レナ・ブルージュは、この詩が持つ一種の寂しさを冗談めかしく、それでいてしっとりと歌い上げた。それを私は、兵士の生き方と重ねた。そして砂漠にいた名もなき兵士たちのために、私は歌姫となったのだ。

 横では少女がギターを弾いている。空っぽの箱から奏でられる音は、繊細な彼女の叫びのようだった。

 防音室のため反響はない。だが余韻ははっきりと体の内側に存在していた。少女エリザもまた、心をくろがねに染めた行き場のない兵士なのだ。

「ねえ、エリザちゃん」

 それは非常に言いにくいことだった。が、やってみる価値はあると思った。

「セロウちゃんを呼んであるの。会ってみない?」

「嫌、ぜったいいや」

 少女ははっとしたのち、眉をひそめこちらに鋭い視線を向けた。

「リラ、あんたもうちの敵だ」

 出て行って。投げつけられたその言葉には、有無を言わさぬ冷たさがあった。

 ひとりで防音室を出ると、そこにはルディがいた。偶然だろうか、あるいは防音室に何か用があるのか。

 口数が少ないだけ、彼の一言には不思議な重みがある。

「あなたもここを使うの?」

「ブランがいるだろう。邪魔はできん」

「意外と気が効くのね」

そう言っても、彼は笑ったりしない。しかし、次の言葉は私を驚かせるのに十分だった。

「歌姫、どうも縁があったらしい」

「そうね。今も昔も、ずっと敵同士」

「ライルだけではない。グレイウルフとも、決着をつけねばならん。俺は死を賭し、奴を殺す」

「私は、止めないわ。ウィシーは強いもの。死化粧のルディ、今度は本当に死ぬわよ」

 その硬い頬に、微笑が浮かぶのが見えた。それは消え入りそうな寂しさと確固たる強さが同居した、不思議な表情だった。

「構わん」

 それだけを告げると、ルディは去って行く。私はというと、極寒の飛行場に向かい歩を進めることにした。ここに迎えが来ることになっている。

 滑走路から外を覗いても、ほぼ何も見えない。冷たく澄んだ空気は光を反射せず、ただ命のない闇が覆っているのみだ。時計をちらと見た私は、通信を開いた。

「セロウちゃん、聞こえる?」

――はい、聞こえます。場所は指定通りで問題ないですか?」

「ええ、大丈夫よ。ひとり?」

――空二機です。シスルが回収しますので、近づいたら個別に連絡を取ってください。

「はいはーい」

 このとき、なぜふたりで来たのかわからなかった。その答えは、瞬く間に明らかとなる。

 遠くスラスターの光が見え始めた頃、滑走路に轟音が響いた。風を切り、空気を燃やし、巨人はその身を翻す。勘ぐるまでもない、それはエリザだった。

「シスルちゃん、敵が来るわ。ひとまず入れ違いで滑走路まで来て」

――わかりました。敵の狙いはセロウですね。

私が驚いたのは、鬼気迫るその声だった。

「そうよ。私たちは援護する」

 遠くに見える機影は二手に分かれ、滑走路から飛び立った巨人はそのうち一方に突撃した。脱力した右手で軽く握られただけのバスタードは、彼女の気が立っていることを如実に表していた。

 シスルの機体は着地というより落下してきたという方が適切だった。足裏のホバーで無理やり衝撃を軽減するが、おそらく内部は地震に見舞われただろう。

 私の前に手のひらが置かれる。私が一瞬ためらっていると、コクピットハッチが開かれた。

「急いでください、寒い」

 声を張り上げてそう言われれば、大人しく従うほかない。私はシスルの機体に乗り込んだ。

 そのようなやり取りをしている間に、戦況は抜き差しならないところまで来ていた。

 バスタードを振り回すエリザは見かけの割に恐ろしく繊細で、セロウの攻め入る隙を与えない。セロウは間合いをはかりながら隙を伺っていた。

 私がシート後部に収まると同時に、シスルは浮上した。

――ああもう、あんたたちは関係ないでしょ!

 左脚でセロウに蹴りを入れ、こちらを威嚇するため剣を振るう。いったん離れたのを確認したエリザは、セロウに向かい再度突撃をかけた。取り合ってはいられない、彼女はすでに獣同然だ。

「セロウちゃん、脱出するわ」

――ごめんなさい、司令。もう少し待っていただけますか。

「なぜ」

「あいつと話したいからですって」

 呆れたように吐き捨てるシスル。私は言葉を失った。個別回線に切り替え、セロウを問いたださねばならない。

「セロウ、どういうこと」

――この力に早く慣れるには、エリザとの感応状態にある今しかありません。敵は強いですが、大丈夫です。僕ひとりで何とかなります。

 なんとかなるわけないでしょ。私はとっさに声を上げていた。

「シスルちゃん、さしものあなたでも接近戦は危険よ。機銃で邪魔をするしかない」

「はい、やります」

 曳光弾で照準を合わせ、銃弾を浴びせる。空の巨人は関節部が弱点だ。アドラスティアのものは特殊合金で補強されているが、それでも例外とはいえない。ことエリザの機体は、当たらないことを前提に作られている。一発当てれば、損傷は免れないだろう。

 エリザはそれを一瞥すると、回避してセロウに剣を振るう。どうやら避けながら戦うつもりらしい。だが、それならば太刀筋が限定される。セロウの目があれば、捉えられるはずだ。

 時折両手に持ち替えながら、エリザは猛攻を仕掛ける。膂力任せの大振りも脅威だが、両手持ちはさらに危険だろう。片手ならばいなせる振りが、腰を据えた両手持ちではそうはいかない。セロウはそれを至近距離でかわしながら、こちらも長剣を振るって敵に切りかかっていた。

 エリザに肉薄して墜とされずにいるだけでも、常人にできる芸当ではなかった。

「セロウ、いつまでやるつもり?」

――あと二分。いや、一分ください。もうすぐ、うまくいきそうなんです。

 それを言いながらも、セロウはエリザを見上げて防戦一方だった。だから私も気が気でないが、セロウがああ言う以上任せるほかない。こちらができることは、危険な攻撃を出させないように機銃で行動範囲を絞ることだけだ。

 アレスに装備された榴弾砲は誘導弾で、対象の熱源にほど近い場所で爆発するようにできている。もとより想定する敵の技量では命中することが既に困難であるため、最低限の損害を与えるための手段に過ぎない。爆風に包まれたエリザに対し、セロウはまっすぐ斬りかかった。数号切り結び、エリザの体勢が少しくずれる。そのわずかな隙に、セロウは素早く突きを繰り出した。

 それを機敏に回避し立て直したエリザは、左から逆手で剣を振るう。それは浅い踏み込みで、牽制の効果を狙っているように見えた。だからセロウは、そこで仕掛けることにした。

 予備動作である腕の振りに合わせるように体を開き、瞬時に距離を詰める。それはセロウにとって、間違いのないタイミングだった。だからこそ、私にはそれが危険だとわかったのだ。

「セロウ、避けて!」

 剣を振るっているはずの右手は、何も握っていない。バスタードは虚空にあった。その刹那にも満たぬ時間、セロウはあまりにも無防備だった。

 体を大きく右に傾け、振り抜いた右手を使って回転を生み出す。各部のスラスターを用いたその勢いの中で、左手は剣の柄を取る。セロウにとってはあまりにも痛烈な、下からの袈裟斬り。私はもう、すべきことを決めていた。

「シスルちゃん、下からセロウを回収して」

「言われなくとも、そのつもりです」

 シスルの言う通り、機体は即座に予測される落下ポイントに向かい直進する。コクピットをうまく外せているだろうか、それだけが気がかりだった。

 だが冷たい空には、別の結果が残されていた。

 甲高い金属音が滑走路に反響する。セロウはその一撃を見切っていた。剣を交わす二機。エリザの絶え間ない仕掛けにも、セロウは全く引き下がらなかった。

 一瞬、隙があったのだろうか。セロウが弾き飛ばされる。それをすかさず受け止め、シスルは叫んだ。

「帰るよ、セロウ」

――わかった。シスル、付き合わせてごめん。

 セロウをエリザから遠ざけると、大型機銃を構えた。この初速であれば発射後の回避は不可能だ。偏差で撃てば動力装置を捉えることもできるだろう。

「さあ女狐、かかってきなさい。ここは一歩も通さないわ」

――妬いてる妬いてる。セロウはうちの獲物だから、邪魔しないでね。でも、今日は許したげる。

 冷静さを取り戻したエリザがそう言い放つと、シスルはかつてないほどに激昂していた。セロウのことに関しては、どうあっても許せないのだろう。そしてコクピット内で振り向きざま、あなたもよ、と呟いた時の顔は鬼気迫るものだった。

――ありがとう、シスル。このまま離脱する。

 セロウも居づらくて仕方ないだろう。シスルはその動きに合わせ、銃を構えながらじりじりと下がっていく。

「シスルちゃん、ここまで離れれば大丈夫。帰りましょう」

「……了解ヤー

 後部座席からでも、彼女の不満は見て取れた。だがここで退かねば、さらなる損害を負いかねない。エリザを打ち破ることはまだ絵空事だし、それをする必要があるとは思えなかった。なぜシスルがここまで彼女を嫌うか。セロウのこともあるだろうが一番は、自分と似ているからだろう。私も、そう思われているかもしれなかった。

 黒い箱を生き抜いてきた子供は、どこか似ている。それを黒い血と揶揄するものも、砂漠には少数だが存在した。私はそう呼ばれるのが嫌いだった。死んでいった仲間全てを否定されるような気がしたからだ。ウィシーやフレディ、あるいはアイリスとともに生きた時間を否定されると思うと、とても耐えられなかった。

 だがネメシス結成以後に出会った子たちを見て、あながち間違いでもないと思うようになった。死が蔓延する狂った場所で生き抜くには、相応に狂う必要があるのだろう。悪意あるものたちはそれを指して、「黒い血」と呼んでいるのかもしれなかった。だがシスルには、何かそうではない血が流れているような気がしてならない。彼女が持つある種の品や落ち着きは、もともとの彼女の性分が活発であるだけにとても際立つ。だが今は、その背中を見ながら彼女のためにできることを考えるほかなかった。

 セロウは先に帰投していた。格納庫の彼の機体は、脇腹の装甲に斬り傷を追っている。その深さはなぜ爆発していないのか不思議なほどで、セロウが死線をくぐったことを意味していた。

「司令、すみません。僕の勝手な判断で戦闘を長引かせてしまって」

 いいのよ、とも言えなかった。道理で言えばまるで必要のない損害だったし、あの力量差では生きていることが奇跡だからだ。

「何か、つかめたの?」

「はい。この感覚にもだいぶ慣れてきました。脳が情報の整理に追いついていなかったんですね。ともかく、次エリザと交戦するときにはきっと五分で戦えると思います」

 それはあまりにも心強い申し出だった。

「なるほどね。私からこれ以上言うことはないわ。ただ、すごくおかんむりな子がここにいるけど」

 シスルは本当に頬をぷっくりと膨らませていた。彼女にとっては大変なことなのだろうが、私には癒しでしかなかった。彼女はまさに、積極的に今を生きているのだ。希望もなく死なないように今を生きる黒い箱とは本質的に異なる。砂漠から傭兵が消え、積み上げてきたものが崩れ去って十年。

 だがフレディは今も黒い箱にいる。今の彼は、それを弱さと自嘲するだろうか。それともかつてと同じように、強さだと盲目的に誇るだろうか。希望のない死線で生きながらえ、何を得たのか。彼もまた、救わねばならない。

 もう年末まで日がない。数日でロイスから撤退し、ここで準備を始める。空兵と陸兵は多く出さねばならないし、そのためにはグースに外付けのフライトユニットを装備する必要がある。容量が足りないのだ。空戦型に飛んで行ってもらうのは合理的とは言えないが、それをしなければ十一機程度にとどまる。選抜は今回はウィシーにしてもらおう。今回はこちらが拠点を用意しない都合、巨人のみだ。ネメシスはフレインで大きな損害を受け、喪った隊員の数は十人をこえていた。砲兵隊は再編すら困難だろう。

 私はネメシスに刻まれた深い傷跡を思うにつけ、ひとつの悪寒が走るのを感じた。

 ウエストバイア側の戦力は、本当に考慮に値しないものなのか? ノースランドに色を見せている今なら不用意に戦力を割けないはずだが、南から目をそらす事は道理では考えられない。

 ウィシーたちならいざ知らず、隊員の全てが高い実力を持つわけではない。予想される損害を計算すると、最悪の場合を考慮する必要がありそうだ。

 草木の芽吹くバイールステップで繰り広げられるのは、何も個々人の問題だけではない。危機感を、共有しなさすぎたかな。

 こういう時のために、生かされたと思うべきだ。多くの血を吸った身、私ひとりの命で出来ることをしっかり値踏みしなければならなかった。


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