IRON ARMS 2ND VOL.
人物
ヴェルナー・ロイス……ノースランド小国群のひとつであるロイス派の首領。一大勢力であるニンギス民族同盟から離脱し、武装中立を図る。
ウィシー・グレイ……ネメシス陸戦隊長であり、元はジェラール砂漠で傭兵をしていた。ロイス派に大義を見出したため協力することを決める。
レナ・ブルージュ……ネメシスの交渉人。傭兵たちの間では「砂漠の歌姫」と呼ばれていた。本人はそのことをあまり快く思っていない。
「発射用意、完了。撃てます」
「オーケー、まずは前半、第一列。次の合図で後半、第二列」
実弾と重さの同じ模擬弾を用いて、空中で静止した囮を狙う。指揮官となった俺の声とともに、二回に分けて高射砲は発射される。
俺は自らの撃った弾の命中を確認するとともに、直後に兄弟たちを襲う怒号を悟った。
「第二門、発射位置に早くつけ。第六門、発射タイミングがコンマ五秒以上ずれてる。第十二門、照準が甘えぞ。目標からの誤差が大きすぎる。全員しゃきっとしやがれ、もう一回だ」
「ウィシー、少し休まないか。疲れで集中力が切れはじめている」
「それが甘えってんだよ。戦場ではこの状態が基本だ。最善の状態で戦えるなんてことはありえねえ。わかったら指定の位置につけ」
朝から始まった教練は、ウィシーが首を縦に振らない限り終わらないと思っていた。だからこれも想定内だ。このまま夜まで続くだろう。だいたいの要領はつかめてきたが、精度が足りない。明日にでも激化していくであろう情勢を見るに、そろそろ身につけなければならないのは事実だった。
そうして完全に陽が沈んだ。砲の扱いにも少しは慣れてきたが、まだこの状態では彼の指導計画の一割も終わっていないだろう。動かない的に迅速に命中させてやっと初歩というところか。
「よし。今日はこの辺りで切り上げる。最後の感覚は忘れんように。あの通りにやればひとまずは当たる。本当であればもう一日は静止目標でやりたいところだが、致し方ない。明日からは実戦訓練にする。模擬弾なのは変わらんが、次からの的は無人機ではなく巨人になる。じゃあ各砲門ごと整備して解散」
自分も含め、揃った返事が聞こえる。そしてウィシーはまだ続ける。
「整備について。マニュアルに沿って行うのが基本だが、もっとも大事なのは愛情だ。心を込めれば込めるほど、精度は良くなる。かの有名な野砲王ターナーも、出撃の前と後に必ず砲を磨いたという。これは性能の問題だけではなく心意気を――」
そしてわかったことだが、ウィシーは砲というものを深く愛している。このため砲の話が始まってしまうと、もう彼を止めることは司令でも困難だという。
ウィシーの訓練は苛烈だが、おそらく彼に頼んで正解だっただろう。偶然ではあるが、自分と同じ砂漠の傭兵だったらしい。
あの時の交渉先も砂漠上がりの武器商とは聞いていたが、まさか蠍のオリバが出てくるとは思わなかった。もっとも奴の存在がわかっていたら俺が出ていただろうし、もう少し人を引き連れて臨んだだろう。あるいは場所も、ロイス邸にしていたはずだ。
オリバには砂漠で痛い目を見た。金はかかるが仕事はする。それが奴だった。用心棒から紛争介入まで、金になることならなんでもやる。だからこそ、金で簡単に裏切る。しかし奴らは金でなければ動かないような明快さもない。目の前の利にばかり貪欲な、獣の集団だ。余所者を頼らないロイスでなくとも、あのようなものに対しては警戒するだろう。
きっとウィシーも、オリバと何かしらの禍根があったのだろう。であれば、彼らと会ったのは全くの偶然ではないのかもしれなかった。
訓練が終わり、皆の口から安堵の息が漏れる。心身ともにへとへとであり、体を休める必要があった。
湖畔風の文化が根付くこの街には、テルマエがある。湿潤な湖畔地方や東国などで盛んに用いられているが、ノースランドでは非常に珍しいだろう。一応温泉は沸いているため、あってもおかしくはないのだが。俺はいつも通り、ウィシーや弟たちとともにそこに向かう。今日はミス・ブルージュも一緒だった。初めて見た歌姫の顔は、周りを照らすような笑顔の中に一筋だけ危うさを含んでいた。
「レナ。夕飯はどうする」
ウィシーが問いかける。空母には携帯糧食ではなく食材も入っているのだろう。世界有数の財団の資金を背景にしているだけあり、補給には特に困らなさそうだ。
「ヘンリーちゃんにお任せよ。あの子、無人機動かすの飽きたってばっかり。なんとか言ってあげたら?」
「おう、肉料理がいいって言っておきな。なくなったら調達すればいい。すまねえが、明日から動く的だから今以上にやつの協力がいる」
「そういうんじゃなくて、せっかく手伝ってくれてるんだから」
「あいつも思うところあるんだろ。アドラスティアのたった一機に蹴散らされたんだ。むしろ燃えない方が男じゃねえってな。今日だってテルマエにも行かずにシミュレータ動かしてる」
「思えば、強くなったわね」
「ああ、砂漠の時のあいつを知るやつなら驚くだろうな」
「彼はどういう人なんだ?」
これは悪い癖のうちに入るだろうか。
「あいつか、あいつはただの悪がきだ。射撃も体術も、ここに来るまではてんでだめだった。だが戦場での嗅覚だけは一人前。形勢判断に関してはおそらく俺より上だろうな。鼠のニルスとはよく言ったものさ。あの時のあいつは、それだけで生き残ってきたんだ」
「手甲鉤なんて変わった武器を使っているが、彼なりにこだわりがあるのか」
「別に大した理由はねえだろうよ。だがあれを使ってる時が一番強い。ともすれば、俺でも負けるかもしれん」
「あら、そんなこと言ってまだ負けるつもりはないんでしょ? グレイウルフさん」
「やめてくれ、その名前は」
「ふふっ、狼が鼠に負けたら面目が立たないものね」
並んで話していると、まるで何十年も連れ添った夫婦のようだった。といっても三十という年齢は、人口減少社会のキロムなどでは半数以上が未婚だという。
「ウィシー。君はいつから歌姫と、ミス・ブルージュと一緒なんだ?」
「八歳からよ」
その数字よりも先に、目の前にあるレナの顔に驚かされた。本当に近い。鼻が触れるかどうかの距離だった。何やらふくれっ面をしている様子で、俺の目をまっすぐ見ている。
「な、なんだい」
「もう、歌姫はやめてよね。ちょっと恥ずかしいんだから。それで、なになに? 私とウィシーのこと、ききたい?」
「そりゃもしよければ聞いておきたいが」
「と言ってるけど、ウィシー。していいよね? 私とウィシーの愛の逃避行の話」
「変な嘘をつくんじゃねえ」
「またまたー、恥ずかしがり屋なんだから。まあ、今はだめね。ウェルちゃんにも、しかるべき時が来たら話すかも」
しかしこの人は本当に年を取っているのだろうか。ネメシスの交渉人レナは、かつてジェラール砂漠に存在していた歌姫だ。僕自身、彼女を初めて見たのは十歳だったか。その美貌、芯の通った力強い声。神出鬼没であるところ。全て彼女の類まれな魅力の一部だった。それでいて最高の兵士でもある。ひとたび潜入任務に着けば、彼女は誰の目にも見えない。味方ですら、彼女からの通信がなければ本当に消失したと思うだろう。
彼女の歌声を聞いた俺は、この世に苦しみなど何もないかのような錯覚を覚えた。死と隣り合わせの傭兵たちにとって、それは福音のようにも感じただろう。命の軽いジェラール砂漠で、彼女は希望そのものだった。
テルマエに着いたので男女に分かれる。少なくとも砲撃隊には女性兵士はいないため、構図は歌姫とそれ以外だった。貸切と話をつけておいたため、女性の大浴場は彼女ひとりだ。この辺りは風呂屋街であるため、ひとつくらい貸し切っても文句は言われないだろう。無論これくらいのわがままで文句を言われないように、行政を行なっているつもりだが。
それはそれとして、現在進行形で悲鳴をあげ続ける体には熱い湯が沁み渡る。それは若い衆も同じなようで、皆ついつい長風呂してしまった。気が付くと一時間近く経っており、ウィシーの姿が見えない。もうあがったのだろう。
休憩スペースには、既にウィシーと歌姫が座って待っていた。この温泉も彼らにとっては、ただの作業に過ぎないのだろう。体を病気から守るために、垢を落とすことは必要だった。しかし、である。牛乳を飲みながらふたりが話している様子には、とても三十前後とは思えない呼吸があった。
「お、ヴェルナーか」
「待たせてしまってすまない」
「いいのよ」
「それで、どんな話を?」
「お、聞きたい? いやね、あのおきつねもちゃんと足場を固めたんだなって。それとも、あの時は若かったって言うのかしら」
ウィシーが怪訝そうな顔でこちらの目をじっと見ている。さすがに狼狽せざるを得ない。
「よしてくれ、ミス・ブルージュ。昔の俺のことは」
「私のことはレナって呼んで。でも懐かしいわ。あの時のウェルちゃん、荒れてたよね。最初は元気な子がきたって思ってたけど、だんだん心配になってきちゃって。ま、それはそれでかわいかったけど」
ペースを乱されすぎる前に、聞くべきことは聞いておきたい。
「それで、レナ。俺はいつ君と会ったんだ?」
そう言うとレナは笑った。僕がまだ若いからだろうか。それが歌姫が持つ仮面の微笑ではなく、本当におかしくて笑っているように見えた。
「覚えてないでしょうね。あなたが来たのは十八年前。あなたがまだ、ウェル・フォックスだった頃。もうみんな寝静まった乾季の夜、私はちょうどひとりでバーにいた。子供のくせにひどく酔ってたあなたは、私に声をかけたのよ。なああんた、俺の話聞いてくれないか、酒おごるからさ、ってね」
「俺が、歌姫に? そんな畏れ多いことをしたのか」
「ええそうよ。私はもちろんいいって言った。あなたは時に泣きながら、時にヴィスクをあおりながら、一晩中話し続けたわ。ノースランドに渡ったロイス家のこと、戦友のこと、あなた自身のこと。あなたの本当の名前も、この時知ったわ」
それは欠けていた過去の記憶だった。
「ああ、思い出した。あの頃は自分は何をすべきか悩んでた時期だ。まるで覚えていないが、起きるとなぜか決心がついてロイスに帰ったんだ。あれはレナ、あなたのおかげだったんだな」
「でも、相手は選ぶべきだったかもね。ゆきずりの女と違って、私は忘れないから」
「結構だ。歌姫が俺を知ってくれていたというだけで、十分すぎる光栄だからな」
「私、いい男には目がないのよね」
「よく言う」
ウィシーがあきれたような表情を作る。
「あ、おーい」
そう言うと歌姫は大きく手を振る。その先には若く背の高い男と、少女が歩いていた。少女はこちらを認めると男の影に隠れた。
「もー、怖がらなくてもいいのに」
「嫌ってんだよ、お前のこと。セロウにちょっかいばかりかけるから」
「でもセロウちゃんかわいいし」
「もう少し大人しくできんのか、年増が」
「ウィシーきらい」
「はあ? 待て、それはおかしいだろ」
「じゃ、セロウちゃん、シスルちゃん。ごゆっくり」
若い男は小さく苦笑しながら会釈したが、少女はその影からレナを睨みつける。あれはよほど何かあったのだろうな。テルマエに入っていく二人をふくれっ面で見送るレナは、幼い子供のようだった。
「彼らは?」
「うちの新兵だ。男はキロムから、女はウエストバイアから来た」
「あの子たち素敵なのよ。戦場で恋に落ちて、互いに脱走してきたの」
そんなのもあるのか。俺は驚きよりも先に、レナの何かを懐かしむような表情に目を奪われていた。
「実力はどうなんだ」
「まだ荒削りだが、いずれはうちの主戦力になるだろう。何しろ計り知れない伸びしろを持っているからな」
拠点へと歩いて戻る。ロイスの街は他の地域に比べたら治安が良好であり、住民が夜に出歩くこともできる。皆、同盟からの脱退を喜んでいるのだろう。その目には安堵の色があった。
だが同時に、それが茨の道であることも知っていた。いずれノースランドを統一する者がいるとすれば、それは同盟である可能性が高い。とは言え領土で言えばロイスも小さくないため、これでアリアンにも勝機が見え始めただろうか。
ともかく、である。そうなればロイス派は領土とともに抹消される。もはやロイスが辿る道の先には困難しか待ち受けていないのかもしれない。敵は同盟にアリアン、それだけでも過酷を極めるというのに。
「しかしアドラスティアの連中、最近よく動くな」
「滝の大陸からの受注が増えてきたから、上が張り切ってるんじゃない? どれだけ働かせても、あいつらは傷つかないからね」
「なんであれほど強いんだ?」
「ああ、連中は本質的には俺らと変わらねえ。自分で行き場を見つけられなかった兵士が、戦うことのみを約束される場所だ」
それで、思ったんだけどよ。ウィシーは腕を組みながら続けた。
「アドラスティアの六番機なんだが、あれルディじゃねえか」
それは意外な名前だった。
「ルディってジグールにいた、あの不死身のルディのことか」
「そうだ。低い声と話し口、肉薄した銃撃。今思えば、昔あった時の雰囲気そのままだった」
「へえ、いい子を拾ったのね」
「死に場所でも探していなけりゃいいが」
「ルディには、私たちも苦しめられたものね」
レナがひとつ思い出したように、人差し指を顎につける。
「そういえばセロウちゃんの話では、四番機には黒い箱を出たくらいの女の子が乗ってるらしいわ」
「なんでそんなことがわかるんだよ」
「彼もよくわかってないみたい。でもそんなイメージが頭に入ってきたんだって」
「おいおい、戦場で変なこと考えてんじゃねえよ」
「あの、俺そのことで思い当たる節があるんだが」
それ自体は本当だった。ウエストバイアに取引で行った時のことだ。
「バイール戦争の時代のことなんだが、敵の動きや考えが見える指揮官がいたという話がある。彼もそれに近い感覚を持っているのではないか?」
「その話なら、私も噂には聞いていたわ。最強で、最低の軍人。三十一年前だったかしら? さすがに大ニュースよね。若い指揮官が率いるたった一個中隊が、国ひとつを滅ぼしたのだから」
「そんな奴が本当に存在するのかよ。レナ、名前は知ってんのか」
「それが、名前までは広く知られていないのよね。少なくとも戦時中の記録は一切ない。そして任務を終えるや否や、煙にように部隊ごと消えてしまった。でも、セロウちゃんがそんな力をね……」
レナは微笑を浮かべながら、思案顔を見せる。
「力ってんなら、セロウが言う小娘の方が危険なんじゃねえか?」
「それはそうね。巨人の戦闘ログを見たけど、彼女の反応速度は異常よ。明らかに攻撃の予備動作の前に動き始めてる。事前に攻撃自体が見えていなければ、こうはならないわ」
「巨人の一対一では、おそらく奴には勝てんだろうな」
一流の兵士がふたりも匙を投げる相手が、まだ年端もいかぬ少女だという。
「じゃあ、一体どうすればいいんだ?」
俺の問いに答えるレナの微笑は、怜悧なようでいてどこか湿り気を含んでいた。
「大人というのは、狡猾なものよ。安心して」
「そうさ、巨人の反応速度には限界がある。そこを突けば、熟練した高射砲部隊が落とせない敵はない」
それがロイスに高射砲を勧めた理由だというのだ。拠点防衛には砲。過去常識だったその単純な論理を、彼は頑なに信じている。
ならばそれに応えるのも、また男だろう。
「それと忠告しておくけど」
レナが小声で囁く。今や三十二と言っても、かつてと変わらぬ美貌を持つ歌姫である。僕はいい歳してどぎまぎしてしまうのを悟られぬよう努めていた。
「みんな、早く寝ることをおすすめするわ。明日はすっごく厳しいから」
「そ、そうさせてもらうよ」
そろそろ邸宅が見え始める。木造でこの大きさの建物はこの辺りにはなく、我が家ながらとてもよく目立った。
レナの元に着信があった。母艦からのようだ。
――レナ、遅い。先に食べちまうよ。
「ごめんね、ヘンリーちゃん。すぐ向かうから待ってね」
――早くな。
レナは通信を着ると、花のような笑みを浮かべる。
「ウィシー、これって」
「ああ、今日は当たりだな」
「当たり?」
「料理がうまくいったから、早く食べたいのよ。かわいいでしょ?」
「なんだか、子供みたいだな」
レナはご機嫌のまま、手を振った。
「じゃあ明日ね。しっかり休むのよ」
「わかった、おやすみ」
母艦まで見送り兄弟の待つ邸宅に戻る。レナの忠告はおそらく真実だろう。
かつて俺たちが拠点としたジェラール砂漠はもうないが、そこで生きた傭兵たちはそれぞれの在り方を見つけていた。それは目の前の戦いに勝つことでのみ得られたものだろう。であれば俺も、ロイスも勝ち続けなければならない。
火照った身体を冷やす風は心地よくもあり、それでいて内側に淡く突き刺さった。宿舎で兄弟たちと夕食を共にし、早めに寝ることにした。
目を覚ますといつも通りの時刻だった。東の窓を見れば、まだ朝焼けが目に痛い。演習開始時刻にはまだ余裕があるため、寝坊を防ぐために全員を起こして朝食を摂ることにした。料理人にその旨を伝え、兄弟の眠る宿舎へと向かった。
砂漠から移り住んだ伝統で、兄弟たちは皆同じ宿舎にいる。宿舎は私邸のすぐ隣にあり、ときどき様子を見に行く事もある。
「兄上、早いですね」
「ああ、お前たちが寝坊していないか気になってな」
「昨日はきつかったですからね。まだ寝てる奴も多いでしょう」
「起こしてこい。それで全員に、一時間後ロイス邸の食堂に集合だと伝えて欲しい」
宿舎にも食堂はあるが、たまには締まった場所で食べることも必要だ。肉親であればともかく、兄弟にはそういった類が苦手なものが多いため定期的に行なっている。
あとは空母に連絡し、彼らにも誘いを入れる。
――ふぁ、ウェルちゃん。朝からなに?
あくびの混じった女性の声が聞こえる。歌姫が隙を見せたというそれだけのことに、俺はただならぬ親近感を覚えた。
「うちで朝食でもどうかな。レナとウィシーを招待したい」
――いいよお、何時から?
「今から一時間後にロイス邸で。待っているよ」
――はあい。
あ、ちょっと待ってね。そういうとレナは通信をつないだまま奥で何かを話し始めた。
――え、それ本当なの? わかったわ。すぐに手を打つ。巨人部隊を全員、ブリッジに集合させて。
眠気が吹き飛び、いつもの明瞭な声に戻った。
「レナ、何かあったのか」
――どうもアリアン方面に動きがあるらしい。ウィシーとも相談してみるけど、もしかしたらあなたたちの初の実戦になるかも。
「え、それは無理だ。俺たちは今日から動く的の練習をするんだから」
――大丈夫、基礎はもうできてるわ。さあ、集合をかけましょ。奴らを追い払うのよ。そ、の、た、め、に。レナはやけに艶やかな声色で続けた。
――巨人部隊五人もお呼ばれしていいかしら?
「ああ、それは問題ない。急ぎで作ってもらうようお願いしておくよ」
通信を切ると、厨房へと向かう。十人以上の料理人が常駐しているが、私邸の大食堂を埋めるほどとなれば少し人手が足りない。
だがそれでも、イレギュラーには馴れているのがロイスの料理人。諸勢力の中を外交で生きるためには多少の無理を通す必要があるというものだ。ひとまず、全員が集まった。寝起きの悪いやつも数人おり、彼らとその連れを待って食事は始まった。
客の席にはレナとウィシーのほか巨人搭乗員が五人いる、ということなのだがどうもそうは見えない。テルマエで見たふたりも、よく見ると印象が違った。精悍な男もいるが、他はあまり兵士というようにも見えない。
「よく来てくれた、ネメシスの皆。兄弟ウィシーの仲間であるなら、貴殿らも兄弟同然だ。これから協力していけることを願うよ」
「国籍を持ちうる土地というものが、ネメシスにはない。だからこの協力関係は重要よ」
「砂漠の歌姫とグレイウルフなんて、相当なビッグネームだ。俺個人は外部に頼ることに引け目があるが、我がロイスとしては非常に心強い」
「あと、ひとつ言うべきことがあるわ」
食卓を囲む兄弟全員が、歌姫の方を向いた。
「おそらく今日、遅くても数日の間にアドラスティアが攻めてくる。今度はおそらく、無差別攻撃ね」
「だが訓練は予定通りだ。今日はうちの巨人部隊に哨戒をさせるから、こいつらを着色弾で狙い撃ってもらう。当然敵が来れば実弾に切り替え、敵を撃ってもらう」
昨日まで飛行囮を狙い撃っていた兄弟たちは、突然の通達に動揺を隠せない。それもそうだろう。いくら高射装置に計算を任せるといっても、不規則に動く巨人を狙い撃つためには身につけるべき技術が多すぎる。
「まだ俺たちでは、技量不足ではないか?」
「当たり前だ。だが撃たねば当たらんし、技術も身に付かん。大丈夫だ、最初から一任したりはせん。ロイス邸周囲には一機以上常駐させる予定だ」
それならばと納得がいく者が多数だが、やはり疑念は防げないか。その辺りは俺からいっておけば問題はないだろう。
ふと見ると、この間もずっと食べている者がいた。あれは昨日会ったネメシス隊員の少女か。その食い意地の割に、妙に所作が細やかなのが奇妙だった。黒い箱出身と聞いているが、より高貴な生まれなのかもしれない。それにしてもよく食べる子だった。
「シスルちゃん、そんなに緊張しなくてもいいのよ」
「こういう場ですから」
「今日も連中と交戦する可能性は高い。その意味、わかるわよね」
レナは少女の目をまっすぐに見つめる。すると少女はひとつ頷き、深呼吸をした。すると先ほどまでの所作が打って変わって、うちの兄弟も唖然とするほどの勢いで食べ始めた。よく見ると、隣の若い隊員が集めて近くにおいてあげている。彼女のことを、よくわかっているのだろう。
「ごめんね、ウェルちゃん。追加ある?」
「もちろんあるさ。男どもで囲う食卓だからな」
結局シスルという少女は、兄弟が食べられる限界の量の倍ほどを食べた。それでも細身の体型が一切変わらないのだから不思議だった。
皆が退席する中、レナはふわりと隣に座った。
「どう? うちの子たち」
「よく鍛えられいるな。レナが信頼できるというのもわかる。昨日見たふたりはまだ若いが、いずれ一流の兵士になる」
「巨人だけで言ったら、うちを超える部隊は数えるほどしかないわ」
「だろうな。しかしネメシスを取り巻く空気は、どことなく砂漠に似ている」
「そうね。私もジェラール戦争の中で、かつての砂漠を取り戻したかったのかも。エリオが消えてから、ウィシーとふたりで作ってきたのよ」
「エリオは、俺たちの頭目は死んだのか」
「彼は表舞台からは消えた。でも、まだ生きている。はるか高いところから、世界を見ているわ」
「俺たちは、まだ前しか見えないな」
「そうね、行きましょ」
ノースランドの淡い太陽が高く登る。砲火の中にのみ平穏があるのなら、その腕を焼くことになろうとも掴み取らねばならない。
まずは今日を生き延びよう。その先に未来があると信じて。
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