IRON ARMS
登場人物
ウィシー・グレイ……ネメシス陸戦隊長。単独での潜入任務もこなす。
レナ・ブルージュ……ネメシス司令。ウィシーを信頼しているが、同時に気にかけている。
ヴェルナー・ロイス……小勢力であるロイス派の筆頭。仲間意識が強く、自らの家に誇りを持っている。
クレッズ・オリバ……ノースランドの武器商。かつてはウィシーとともに砂漠の傭兵だった。
オルコック……アドラスティア第四柱。高い射撃の実力を持つ寡黙だが豪胆な男。
ブランペイン……アドラスティア第十二柱。高い操縦センスを持つ少女。
ツィナー……アドラスティア第六柱。好戦的な性格の女性。
用語
ヴィースク……蒸留酒。青褐色と穀物の強い風味が特徴で、ジグール湖畔地方で好まれている。
「こ、こんなはずでは」
「お前は少しやりすぎた。その報いは受けてもらう」
「俺を殺すのか。まだやり足りねえことが山ほどあるってのに」
「大義に反したからな。俺は許しても、レナは決して許さねえだろうよ」
「そ、そうだ、グレイ。あの時、お前を砂漠で拾ってやったろ。その恩を忘れたのか」
これ以上は話すだけ無駄であった。ふっと小さく笑ったのち、突きつけた銃をさらに近づける。
「昔の話だ。悪いが、死んでくれ」
銃声は細い路地の中で曇って、外には出ていかない。これで仕事のちょうど半分が終わったことになる。
ミッドランドを中心に活動していた傭兵部隊はジェラールによってことごとく破壊され、メンバーの多くは殺された。だが生き残りも少数だが存在し、そのうち一部はここノースランドの小国群に居座っている。紛争のどさくさに紛れ、商人や用心棒として需要を貪欲に嗅ぎつけているのだ。
奴らのやり口は弱い方に着く。今であればニンギス民族国同盟とアリアン共和国の二極化の様相を示しており、その他の勢力は劣勢を強いられている。奴らはそういったところを支援し、紛争をできる限り長引かせる。高い野戦技術と統率があってこそできることであり、混乱だけが奴らの生活を支えているのだ。
だがかつての仲間とはいえ、そのようなものをレナが許すはずがない。
俺は大義のため、連中を殺しにきた。傭兵部隊の生き残りと言っても、百人単位で存在しており数は多い。だが今回は巨人を持ってきていない。一度に多く殺すより、目立たないことの方が重要なのだ。レナに教わった技術は、よほどの実力をもつ相手でない限り効果的だ。ネメシス発足してから十年も経つが、彼女の戦闘感覚が俺の中に息づくのに決して十分とは言えない時間だった。そもそも及第点をもらえたわけではないのだ。それでも、危険な任務を自分以外に任せるならばそれは信頼の置ける人がいいのだろう。それが俺であることには、すでに何の疑念もなかった。不満がないわけではないが。
彼女は大義のためならどれだけでも冷徹になれる。その上で、失った痛みを全て背負うのだ。完璧な外面をしているくせに、あれほど不器用な女もなかなかいない。
あの顔を見てしまった俺は、もうやすやすと死ぬことはできない。これ以上何かを失っては、彼女は壊れてしまうだろう。強い心の持ち主だとは思っているが、その点で心配もある。
だからこそこの状況は危険だった。端的に言って、死ぬかもしれない。確かにさっきの奴は取るに足らない男だ。だが複数でくると必ずしも勝利は確信できないし、あんなものよりよほど強い奴がまだ何人もいるのだ。
東と西の間にあって、この国はただ目の前の敵に固執している。彼らにとって列強に対抗するよりもまず、民族自決や宗教的独立が重要なのだ。そしてそれに乗じて混乱を引き起こそうとする存在は、決して無視できる規模のものではなかった。
だいいち、慣れない潜入である。黒い箱を出て二年の間は金がなかったから、そういった仕事を請け負って死にかけたこともあった。だからこそレナと再会してからは、彼女に任せきりだったのだ。共同任務の時は助言を受けたりもしたが、結局彼女ほどにはなれそうにない。それに関しては、彼女ほどの兵士は砂漠にはいないから致し方ないだろう。
そんなわけで、俺はこれからある場所へ向かう。そこで連中は半年前に同盟を離脱したロイス派と会合を行う。おそらく、巨人の取引だろう。ロイス派の支配域はアリアンの侵攻ルートと重なっており、自然と当面の標的になる。ともすれば同盟はロイスの独立を許したのではなく、アリアンと事を構えぬために切り捨てた、とすら考えられる。
ともあれロイスとしては、アリアンが海上輸送で東国から型落ち品の巨人を輸入しているためこちらも巨人で対抗しようというわけだ。
攻めてくるのも奴らから買い付けるのも所詮は型落ち品。俺たちが普段使っているものとは性能の面で比較にならない。とは言っても巨人は巨人であり、へたな奴が火砲を使ったところで落とせやしない。そうでなくとも、巨人は巨人で殺そうと思うのがごく自然な感情だった。
会合場所の酒場についた。連中が決まって酒場を使うのは、単に趣味だろうか。あるいは、値段を吊り上げやすいのか。俺は見つからぬよう気配を殺し、そろりと酒場のドアを開けた。
「三機でこの値段か、適正価格とはいかないよな」
「なんだ、ロイスの旦那。文句でもあんのか」
「そうだそうだ、こちとら命賭けて仕入れてんだぜ。もう三割増しで貰っても不当とは言わせねえ」
武器の入手ルートはごく限られるため、売る側にも危険は伴う。だからといって市場価格の倍以上でふっかけて良いというわけではない。それ以前の話として、紛争を長引かせるために勢力図を操作するなど言語道断だった。だが買う側には、多くの場合選択の余地がない。ロイス側も数人でいるが、離れているものも含めた場合その圧力は大きかった。
「仕方ない。その条件でいこう」
交渉人がそう言って歩み寄った瞬間、三発の銃は下っ端を正確に狙い撃った。逃げられるのも困るため、入り口に近い者から狙う。
「随分とあくどい商売してんじゃねえか」
「なんだ、てめえは」
いきり立つ部下を手で制止するこの男はオリバといい、かつては一流のゲリラ屋だった。ジェラール建国戦争の際も、彼がいたから生き延びられたようなものだ。それが今となっては頬には品のない皺が刻まれ、体躯は二回りほど太くなっている。歳の取り方を間違えた男だ。
「グレイか、久しいな。あいにくだが、彼は俺のお客さんなんだ。下がっててもらおうか」
大げさに首を下げ、ため息をつく。
「ジェラール砂漠の蠍と呼ばれたお前でも、腐っちまえばこんなものか」
「そういうお前はどうなんだ、え。グレイウルフさんよ。何の用があってここに来た」
知れたこと。そういう代わりに俺は奥の三人を撃った。外れやすい頭ではなく、胸を狙う。これで十分無力化できるからだ。残りは三人。みな手練れだった。彼らは数発をこちらに撃ったが、それはすんでの所で壁に突き刺さる。遮蔽物のあるここならば、数の差は十分受けることができる。流れ弾が当たってロイスの男が一人倒れた。できれば奴らだけ死ぬのがよかったんだが、それは些細なことだ。俺は啖呵を切った。
「殺しに来たんだよ、お前らを。大義のためにな」
右の男の銃撃が眼前を通過する。奴は十年以上前からのオリバの部下で、残忍で命知らずな男だ。
「大義大義と、おめえも変わったな。ただ敵を殺せばそれでいい、そうだったじゃねえか。他に何があるってんだ」
「お前には、死んでもわからねえよ」
右へ左へと目まぐるしい回避動作の中で、対象の目から銃口を隠す。そうして半分背を向けつつ、脇の間から一発。向かってくるもうひとりに対して瞬時に一発。その弾は心臓を十センチ外れた。
オリバの弾を左回りで避け、今一度向かい合った。そうして睨み合いの中で、ふっと背を向ける。
「ロイス派だったな。本来お前らの動向など我々には関係ない。だがこうなった以上、追って措置をとらせてもらう。商談中すまない、それでも構わんか」
「ああ、ありがとう。それよりあいつはいいのか。相当気が立っているが」
その通りだった。ふたつ音が聞こえる。俺は相手の位置を思い浮かべながら二発撃った。腹を撫でる摩擦の熱に顔をしかめながら、残りひとりとなった敵に相対した。
かつて砂漠をさまよっていた頃であれば、俺はこいつに勝てなかっただろう。だが、やつはもう砂漠の蠍などではない。
「よくも俺たちをこけにしてくれたな。この報いは受けてもらうぞ」
「来い、クレッズ・オリバ。かつての戦友のよしみだ。遊んでやる」
そう言うと、オリバが撃ってくる。それを肩口でかわして詰め寄ると、そのまま連射してきた。さすがに発射間隔は短く、狙いも鋭い。だが狭い室内で体と銃弾が交錯する度に、オリバの息づかいが荒くなっていった。俺は頬をひとつの寂寥が撫でるのを感じた。だからこそ、今すぐに終わらせなければならなかった。
「さようなら。俺はまだ地獄へは行けない」
右手に力を込める。だが背後から響く轟音は、俺の狙いを逸らすのに十分だった。
「や、奴らが来た。もう終わりだ」
「どのみちお前は終わりだよ」
連発して起こる爆発音。俺はそれを背中で聴きながら、もう一発を撃った。
目の前の男が死んだのを確認したのち、俺は振り返った。音が右から左へ、奥から手前へ転げ回る。吹き飛ばされた酒場の入り口の向こうには、くろがねの巨人がいた。ここからだと三機が見えるが、うち二機はアリアンの方向へ飛び去っていった。
飛んできた鋭利な石が脚に刺さり、そこから赤い染みがあふれてくる。俺は図らずも溢れてくる笑みを隠さずに、そのくろがねに一瞥を与えた。
「どうせお前らだと思ったよ」
本来であればしたくなかったが、俺はレナへの非常通信をすることにした。年明けのウエストバイアまでに無用な戦力を使いたくはない。だが、これ以上奴らに暴れまわられては取り返しがつかなくなる気がした。
崩落する酒場を出ても、瓦礫の雨は依然として降り注いでくる。やはり巨人は持っておくべきだったなどと、今更どうしようもないことを考えている余裕はなかった。傍で狼狽するロイス派のひ弱な男に手で合図を送る。
「おい、あれを見るの初めてじゃないよな」
「ああ。奴らは悪魔だ。アリアンの戦力を削ぎ落としたと思えば、次は同盟の基地を破壊する。奴らは紛争を長引かせ、ノースランドを更地にする気なんだろう」
「翼に炎のエンブレムは、アドラスティアのものだ。この辺りに住んでいれば、一度は聞いたことがあるだろう。奴らは死の商人の手先。お前の言う通り、混沌と破壊を望む悪魔だよ」
なあロイスの交渉人。俺には聞かねばならないことがあった。
「巨人がある場所を知っているか」
「うちの本部にも一機なら」
「貸してくれないか」
「君が乗るのか? 悪いことは言わない。あんな者と戦うなら逃げた方がましだ」
「俺なら問題ない。勝てぬまでも、負けはしない」
「だが、ロイスが他の人間に頼るわけには」
「今、そんなこと言ってられるか?」
お前らの領地は明日にも消えるぞ。そう念押ししておく。連中としても、断ったところでどうにかなるわけではない。受けるだろう。
果たして、交渉人はそれを受けた。
「とは言っても、まずは兄上に会ってほしい。決定は全て兄上がすることになっている」
そう言って案内され、ひとつの建物にたどり着いた。
そこは古風な一軒家だった。建築様式はノースランドと言うよりむしろミッドランド風であり、湖畔国家にみられる飾り屋根があった。建てて二十年も経たないだろうが、その外壁には歴史が刻まれ取り巻く雰囲気には威厳があった。それは兵士ならば、たったひとりでその身に宿すべきものだ。だがミッドランド東部の湖畔国家には、家族を重んずる文化があるという。ロイス派はニンギス民族ながら、そういった気風が強いのだろう。
「ここに俺の兄上がいる。血のつながっていないものも多いが、俺たちロイス派は皆家族のようなものだ。家訓によれば、本当は俺たちだけで過不足無く生きなければならない。だが今は我が家の危機だ。なりふり構っていられない。さあ、立ち話もなんだ。あがってくれ」
一枚の絨毯が奥へと続く。それは単に金を持っていることを意味するのではない。目先の欲ばかり見ているものには決して醸し出すことのできない風を受け、俺はひとつの確信を得た。
ここは信用できる。そう思ったところで、階段の奥のドアが開き男が降りてきた。兄上と慕うものたちよりも、彼は一回り若かった。同い年くらいだろうか。
「やあ、俺がここを取り仕切るヴェルナー・ロイスだ。先ほどは弟が世話になったそうだ。礼を言うよ」
彼は両手を開いたのち、右手を差し出した。それは湖畔流の信頼の証だった。俺はむしろ敬意として、警戒を解かずに手を出した。
「俺はグレイ。ネメシスのグレイだ」
「名前は聞いているよ。君達には大義があるんだろう? あの悪魔どもとは違うって、顔を見てすぐにわかったよ」
「状況が状況だ。あんたみたいな男とはゆっくり酒を飲みたかったが、今は仕方がない」
話をしよう。そう言うと奥に通された。応接間に入ると、武具などが飾ってある。それは決して来客を圧せず、むしろ威厳をもって迎えられた。
向かい合って座り、俺たちは交渉を始めた。境界線から迫るアリアンを退けるためには、巨人三機と熟練した搭乗員が必要だ。そしてロイス派には今、そのどちらも存在しない。
ネメシスは彼らに巨人を売ることも、戦力を投入することも提示しない。ただひとつだけ、巨人を一機借りようというのだ。
部屋を出て、格納庫へ向かう。ヴェルナーは訝しげな顔で先導した。
「よく整備されているな」
「この巨人は旧式だが、俺たちが改造したものだ。簡易的なフライトユニットも付いているし、その辺の型落ち機になんか負けはしない。だが、いいのか? 俺たちは君に、何もしてやれることがないぞ」
「別にお前たちのためじゃない。うちの司令なら、まず間違いなくこうしろと言うからな」
そう言うと、ヴェルナーはふと巨人から目を離し、吹き抜けの空を眺めた。
「司令、か。かつての歌姫もそんな呼び名になってしまったのか」
「知っているのか」
「ああ。おれも砂漠の傭兵のひとりだった。だから一度は見たことがある。強いひとだった。誰にも優しくて、敵に対してはこの上なく非情で。知ってるだろうが、今暴れまわっている傭兵くずれのごろつきなんかはみんな彼女に惚れて集まってただけだ。彼女が去れば統率なんかあるはずがない。だが、なるほど。彼女には君みたいな男がふさわしいのだろうな」
言いきるとヴェルナーはこちらに目を向けてきた。それはこの危険な状況の中で、安堵のような色を含んでいた。
「俺には不釣り合いだよ、何もかも。そんなことはいい。問いたいのは俺の方なのだからな」
「問いたい、とは」
「本当に使っても良いのか? そんな大切な機体を」
「ああ。情けないことに、うちには巨人乗りがいないんだ。いや、いるにはいるんだが、奴らの前には無力だった。それからふさぎ込んでしまっているんだ。だから同盟を出る時もひたすら交渉で勝ち取った独立だった。君みたいな優秀な兵士に使われるのならば、家を挙げて整備した甲斐があるというものだ」
俺は巨人が嫌いだ。こんなでかい図体のせいで、見境無く壊すしか能がない。不動かつ精密たる砲の美しさに比べて、兵器として二流だと断じていた。だがそこに宿る人の心は、理解するに足る。
一呼吸したのち、操縦桿に手を伸ばす。簡単なカタパルトにかかとを付け、墨色の巨人に狙いを定める。
――こちらは問題なし。グレイの旦那、お願いします。
「ああ、やってやる。グレイ、出るぜ」
いつもの無駄のない射出とはいかないため、出力は全開だった。俺は目に付いた機体に体当たりを食らわせると、通信を開いて向かい合った。
「お前らはなぜ戦乱を望む」
その機体は剣を抜かず、銃を放った。それは脇腹数センチの距離を通過し、邸宅に穴を開けた。
――関係のないことだ。
低く冷たい声が、通信機を介してコクピットに響く。俺は長剣を抜き、地上へと降りた。敵も対応して高度を下げ、両手の銃を構える。
装甲と装甲がふれあうような距離で、銃声が連続する。近接武器なしで懐に飛び込んでくる敵は、さすがに初めて見た。だがその射撃の癖は、それ以前にも見たことがある。
「射撃屋か。そういうの、きらいじゃねえぜ」
剣で銃撃を弾く。敵の攻撃は複雑だがパターンのようなものが確かにあり、それを見切ることで回避は可能だ。だがそれよりも、間合いなどというものが存在しないような距離感が問題だった。こいつは強い。シスルやブロワの剣士などが持つ、攻撃と回避の切り替えとは全く方向性の違う強さだった。
だからこそ、俺はここを退けねばならない。あえて剣を構えて突撃する。一発や二発、装甲にであれば受けたところで問題はない。ただ、動力部にさえ当たらなければ。
敵が一歩下がる。そうなってしまえば俺の間合いだった。剣を構える距離さえあれば、そこに絶対の空間が生まれる。剣を修めたわけではないが、それを手足とする心得はあった。
銃身では特殊金属の剣を受けることはできない。銃剣に換装できるものもあるが、強度に問題があるため好まれない。であれば二丁の銃を持つものはどのように受けるのか。俺はそれを試してみたのだ。
答えは明快だった。その間合いすれすれで回避し続ければよいのだ。この男、異常ともいうべき反応速度を持っている。あるいは、攻撃が繰り出される前からわかっているかのような身のこなしだ。あの六番機自体初めて見たわけではない。キロム油田にも現れただろうし、それ以前にも狙撃手として現れた。だが、このような動きは見たことがない。人が変わったのか、あるいは実力を隠していただけなのか。
ともかく現実として、今見せられているものを理解するにはそう考えるよりなかった。
そうして太刀筋の外から降り注ぐ雨は、俺の装甲を少しずつではあるが蝕んでいた。装甲に穴が開けば、駆動系が止まることも考えられる。
「そうか、それなら」
一歩引いて構えたのち、敵の発射の瞬間に狙いを定める。熟練した搭乗員の操る巨人であっても、銃を発射する時は反動を防ぐため瞬間的に硬直する。両手に銃を持つということは、そこをカバーする格闘武器を持たないということだ。そこに瞬時に飛び込み、刃の根元で斬りつけるつもりで振るう。やっていること自体は奇策に過ぎない。数センチの間合いを制しさえすれば、負ける相手ではないはずだった。
――ネメシスにいたのか、グレイウルフ。
その問いを受け、俺の太刀筋はわずかだが鈍った。
「俺を知っているのか」
機体はかつてと違うというのに。確かに、以前の白い機体以外に乗ることは多くない。だが操縦の癖で戦った相手がわかるという者も存在する。
そんなことを思いながらも、俺は攻撃の手を緩めない。次こそは避けられぬよう、踏み込みを深くしていく。そのうち手が届くような場所に、敵の命が見えた。だから俺は、それを切り捨てようと剣を振るった。
――かつてと同じ、白の巨人で来い。
「どういう意味だ」
回答は数瞬先、静止した二機の姿だった。瓦礫の町の空には、結果だけが残っていた。
――貴様は、ここで殺すには惜しい。
その真意など、もはや聞くまでもない。何度も振った渾身の一太刀はいずれも虚空を切り裂き、装甲は今や蜂の巣同然となり、銃口が捉えていたのは俺の命だった。俺では、不足だったのだ。
回線に砂嵐が巻き起こり、もうひとつの声が割り込んでくる。それはやけに高く、そして涼やかな声だった。
――ブランか、状況は。
――あっちは終わったよ。なんか宗教っぽい変な施設とかあったから、潰してきた。巨人は十機くらいいたけど、別にどうってことはなかった。全部、壊したよ。
――そうか。
――あ、そういえばオルさん。強そうなのと戦ってたね。どうだった?
――引き分けさ。
俺の予想に反して、オルと呼ばれた男は自嘲気味に口にする。その巨人は、制御系に軽微な異常をきたしていた。よく見ると腕も脱力している。全く通用しない、というわけでもなさそうだ。
――ふうん。うちなら、今頃そいつは死んでたね。
――そうかもな。
――それでさ、少し寄り道して帰ってもいいかな。オルさんたちは先に行ってていいからさ。
――どういう意味だ。
――少しやりたいことがあるの。
――わかった。ホームズには伝えないでおく。
少女の声が消えると、今度は荒っぽい声が聞こえる。
――オル、遅い。子守なんかに手間取らないで。グリグなんか先帰ったよ。
――ツィナー、誰が残っている。
――お前ら以外だとあたしだけ。こちらはもう壊すものがほとんど残ってないし、抵抗する馬鹿どもを殺すのも飽きてきたところよ。
――では帰るぞ。
失礼した。オルはそう言うなり通信を切り、西の空に消えていった。食えぬ男だ、まさか切り忘れていたわけでもなかろうに。
ともかく、ひとまずの脅威は去ったようだ。格納庫へと戻る。機体の各部には過剰な負荷がかかっており、もはや動くので精一杯だ。整備に明確な不備があるわけではないが、事実としてうちの工兵がやればこのようなことはない。今の戦闘でももう少し関節へ銃撃が入っていたら危なかった。巨人を使う必要はあるが、それを十分に扱う技術を持たない。それが紛争地帯の現状なのだろう。
「よく追い払ってくれた。感謝するよ」
「負けたよ。向こうが帰ってくれただけだ」
「それでもいいさ。今は力がないけど、いずれは俺たちの手で倒すんだ。奴らは俺の兄弟を何人も殺したからな。せめて一矢報いなければ」
ありがとう。だが、これで最後だ。そうやって俺の手を取るヴェルナーの表情には、悲痛の色が見えた。それはジグール湖畔の義理堅く頑固な気風自体を嘆いているかのようだった。
「いや、協力できる」
だから俺は、こんなレナのようなことを口走りはじめたのだ。
「だが君は」
「できるんだよ。それともなんだ? そんな大事な巨人に乗せたような男を、今さら兄弟と呼べないってのか」
「たしかに、その通りではある。だがそれでも」
「なあ、兄弟。手助けをさせてくれよ」
示し合わせたかのように端末が鳴る。残念なことに、我らが司令は真に信頼に足る女だったらしい。俺はいまさら当たり前のことに納得しつつ通信を開いた。
雑音がひどい。このノースランドは大小様々の妨害電波が飛び交っているため、通常の手段ではろくに通信できない。だがうちの背景にあるものはそれなりに大きいようで、こんな状況下でもレナと滞りなく話ができる。そうでもなければ、彼女が俺をひとりでこんな任務に出すわけはないのだ。
――ウィシー、生きてる? 返事をして。
「レナか。ああ、生きてるぞ。ちょっとしくじったが」
よかった。端末の向こうで胸をなでおろす姿が、見えずとも目に映る。
――今部隊を向かわせるわ。シスルちゃんとヘンリーちゃんに護衛三機の五機編成よ。
「ああ、それだけあれば十分だろう。セロウはまだだめか」
――そうね。騎士さんやアドラスティアにずっと張り付いてたから、疲労も仕方ないわ。それで、連中の動きは。
「ニンギスのギルドのほか、アリアン教会も壊滅させて帰っていった。俺は兄弟の巨人を使わせてもらって、なんとか時間稼ぎってところだ」
――兄弟? あなた、兄弟なんて。
「俺が知り合ったロイス派の人間は、血の繋がり以上に信頼の置ける関係を兄弟と呼ぶらしいぜ」
ふと目が合ったヴェルナーに、手で合図をする。彼は目を丸くしつつ待っていた。
――ふふっ。じゃあウィシー、私はあなたのお姉さんね。喜びなさい。それで奴ら、何か言ってなかった? これからの方針とか。
「いいや、何も。俺の推測だが、奴らはノースランドをウエストバイアに攻めさせたいんだろう。 被害も東のアリアンの方がひどい。そうして領土拡大の色を見せ、正規軍を北に集めているんじゃねえか?」
――ありえるわね。連中、ウエストバイアを完全に破壊することで戦争を続けようとしているのかも。
「大義がどこにあるのか、よく考えなければならんな」
それで話なんだが。俺はそろそろ待ちくたびれたであろうヴェルナーの意向を汲んでやることにした。無論俺なりの手段で、だ。
――あなた本気? そんな素人の集まりに高射砲なんて。
「ああ。情報によれば同盟が近頃攻めてくるらしい。そしておそらくロイスはそれに耐えきれないだろう。資金的にも、一部隊を育てた方が賢明だ」
――でもそれじゃあ、あのオリバやアドラスティアと何も変わらないじゃない。ウィシー、どうしたの。力無きは淘汰され、ノースランドにひとつの国ができるのが一番だと言ったのはあなたよ。
「そうかもな。今の俺が間違ってるのかもしれん。だが、ロイスには大義がある気がしたんだ」
沈黙ののち、含み笑いが聞こえる。呆れられたのだろうか。仕方ない、この話は――。
――やりましょう、ウィシー。目で見たあなたが言うのならば、間違いはないわ。
親指を上に突き出す。それを見たヴェルナーは大きく頷いた。
――具体的な内容は、あなたに任せるわ。そこにいるかっこいい殿方と話し合って決めてちょうだい。
「お前、見えてんのか」
当然この通信装置に映像を伝える機能はない。レナはどうも、音声通信からそんなことまでわかるらしかった。
――ふふっ。だって、今のロイスのトップってウェルちゃんでしょ? 昔ちょっとした仲だったのよ。
レナはちょっとした仲、と言った。だが俺は目の前の男と会うのは今日が初めてだ。だからその真意を測りかね、ヴェルナーの方を見る。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺は歌姫と会ったことなんか」
――あるわよ。失礼しちゃうわ。
いつの間にか端末の通信がスピーカーに切り替えられている。なぜ向こうからそんな操作ができるのか、俺は改めてこの女を恐ろしいと思った。
「お前、それは本当なのか」
「だから、知らないよ。信じてくれ」
つい語気を強める自分を冷ややかに俯瞰しながら、俺はレナの言葉を待った。
――それについては今度話すわ。行きずりの男と女が何をするかまで、ウィシー、あなたでも口出しできないでしょう?
全くその通りだ。だが、納得はいかない。
――予定変更。グースでそこに降りるわ。久しぶりにウェルちゃんの顔、見たくなったし。
「待ってくれ、ミスブルージュ。俺はあなたのことを全く知らない」
――いいのよ、あとで話したげるから。それよりウェルちゃん、ウィシーの高射砲訓練は厳しいわよ。そう皆に伝えておいてちょうだい。
通信を切った。ヴェルナーはきまりが悪そうに目をそらしている。
「おい、ヴェルナー」
「な、なんだい?」
「概算してみたが、アリアンを退けようと思ったら高射砲を最低七門は配備する必要がある。どこから攻めてくるか事前に察知できている前提でこの数だ。実際にはもっと多くの砲が必要だろう。と言っても誘導弾を使わない関係で、たとえ十門買ったとしても巨人一機の値段より安いんだが」
「いいじゃないか。それなら巨人に勝てるんだな?」
「問題はそこだ。攻めてくる巨人は、究極歩き回ってさえいれば最低限の仕事はする。だが砲は当てなければ意味を持たねえ。それも心臓部や関節でなきゃ無意味だ。止まっているのならまだしも、動く巨人を狙うのは相当な訓練を要するぞ」
「なんだ、それくらいなら問題ないよ。ロイスの家に、狩ができない男はいないからな」
それほど簡単なものでもない。証拠に俺はそれを、五歳からやってきたんだ。それでもなお一流になれたとは言い難い。だが、そのようなことを伝えて後ろ向きにさせる意味もなかった。
「それは頼もしい。それでひとつ頼みなんだが」
「ああ、何でも言ってくれ」
「この敷地に空母を止められる場所はあるか?」
「それなら、滑走路の西側に空いたスペースがあるからそこに置いてくれればいいよ」
「助かる。細かい取り決めは交渉人のレナとよろしくやっておいてくれ。当分はそこを拠点とさせてほしいのだが、それは問題ないか」
「もちろんさ。ロイスの男は兄弟を助けるのに力を惜しまない。それに信じられないことだが、あの歌姫に協力できるなんて」
位置情報をレナに送信する。これで明後日には着くだろう。グースでくると数十人の大所帯になるが、別に宿を借りるわけではないし問題ないだろう。補給物資も、ここで調達しなくてもいいように多めに積んでおく。
ノースランドでの拠点は前々から必要だと感じていた。介入のために毎回海上拠点から来ていてはタイムラグが大きすぎる。十二月中旬まではここで勢力図の安定化を図るべきだろう。アリアンはしばらくは外部の脅威に対抗するため足場を固めると見ているが、問題は同盟だった。連中は多少余裕があるため、周りの小勢力を併合しようとするだろう。独立を許したロイスでさえ、この調子なら標的になりかねない。
「ウィシー、とか言ってたな。今日はすまなかった。あのままごろつきどもから巨人をつかまされては、俺たちは潰されていただろう」
「この大変な状況で、あんなものに縛られている時間はない。砂漠の連中がしたこと、謝るのは俺の方だ。すまない」
ヴェルナーはそうではないと手で示したのち、別のことを口にした。
「ところで、あの巨人たちの真意はどこにあるんだ」
「アドラスティアが主勢力を叩くのは、お前たちに蜂起を促し紛争が荒れることを望んでいるからだ」
「だが俺たちに領土拡大の意思はない」
「だろうな。だからロイスはただどこにも属さずに中立を図るのが賢明だ」
「俺もそう思う。そのために、だ。兄弟」
「なんだ」
腹が鳴る。俺の、ではない。ヴェルナーは少し照れ笑いを浮かべたのち、こちらに視線を向けた。
「飯にしないか。いい店を知っている」
「酒があると嬉しいが」
「ああ、十年もののジェラールヴィスクが取ってあるはずだ」
「ほう、楽しみだ」
ヴェルナーは屋敷に手を振り、護衛はいらないと合図をした。信用の証なのだろう。
街灯が赤く照らす道をふたり進む。ロイスが仕切る夜の街も、なぜだか俺を出迎えているような気がした。
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