第三章

IRON NALE 2ND VOL.

 グレイス・カミオン……バターカップ・ナイン。作戦中は登録名でなく名前で呼ぶことにしている。

 ラウラ・マリエール……バターカップ・テン。背が高く強気な少女。単純な操縦技術ではグレイスを上回る。

 フレデリック・エリオッド……ローズ・ワン。ウエストバイアの搭乗員では五指に入る実力を持つ。

 エリザ・グラハム……元バターカップ・フォウ。今はアドラスティア第十二柱ブランペイン。グレイスの恋人。




 用語・注釈


 黒い箱連隊……黒い箱の修了生のみで構成される巨人部隊。隊を抜けるには除隊許可が必要。

 アドラスティア……民間軍事組織。財団の資金を背景に暗躍する。幹部である柱は皆相当の実力者。



「ニーナ、マギー、敵アルファに張り付いて。ベータとガンマは私が。アニタは大丈夫そうね、デルタを撃墜し次第右前方の岩場で二班と合流してちょうだい」

「オーケー、グレイス」

「わかったわ」

 鋭い言葉とともに、部隊が散開する。敵は防衛ラインを割って次々と押し寄せるから、速やかな処理をしなければいけない。綿密な意思の疎通は最も重要なことで、唯一の生きる道だ。敵機に番号をつけて、見えている景色に画一性を持たせる。それは指揮官としての、私の仕事だった。

「こちら三班、敵中隊と交戦中ゾフィの機体が中破。数で押され始めた」

了解ヤー、ヴィク。こちら片付き次第一班が向かう。密集していれば落とされることはないわ。敵が引き下がる時刻まであと十五分よ。みんな、もう少し耐えて」

 今日も南方国境には四十機からなる巨人の編隊が押し寄せてきた。敵はまだこの戦線を押していくつもりらしい。しかも連隊が受け持つこの地域は格好の的であるとされ、兵も増えている。それならすぐにでも、その目論見が誤りだと気付かせないといけない。バターカップはかつて入隊したときのような小娘の集まりではないのだ。

「アルファ、撃破。そのまま二機で後続に向かう」

「二班、アニタと合流。全体を見ている限り、敵の動きは軽いから誘えると思う」

「ありがとう、マックス。全隊、迎撃の布陣を取って」

了解ヤー

 一歩一歩、戦況は前へと進んでいく。最初は敵指揮官にかき乱され統制を欠いていたけど、今はローズが一手に引き受けてくれている。そのおかげでこの数の敵にも有利に戦線を構築できたのだ。だがデイジー隊は押されている。撃墜は見ただけでも三機いて、きっと死者もいるだろう。

「こちらラウラ。四班、周辺の敵は全て倒した。デイジー隊が守るポイントの救援に回る」

 四班、だめよ。そこで待機。スピーカー越しの空気を切り裂くように発せられた言葉には、できる限りの冷たさを含ませた。

「敵遊撃部隊の様子を見ていて。まだこちらの隙を狙っている」

「でも、それだと」

「確かにデイジーは潰走する。かなり死ぬでしょうけど、部隊は維持できるわ。やつらも正気なら深追いしてこないでしょうし、今後の戦闘に支障をきたすほどじゃない」

「そんな、じゃああいつらは」

 確かに、デイジークラスは入隊して間もない。だが自らの力で生き残らねばこの戦線で必要な力とは言えないし、こちらも人が欠けるわけにはいかないのだ。

「私たちは生き残らなきゃいけない。それで手一杯なのよ。ラウラ、わかって」

 通信機の向こうから暗い声が聞こえてくる。

「……グレイス、あんた変わったな」

「必要なだけよ、変わったわけじゃない」

 私はそう信じていた。切り捨てなければ、本当に守りたいものさえ守れない。

「こちらローズ、敵指揮官を撃墜。残機は散開し、二班と三班に接近している。継戦能力はほぼ残っていないだろうが、油断するな」

了解ヤー。だいたい頃合いね。バターカップ、撤退準備に入る。深追いはせずに向かってくる敵にだけ対応して」

 返事は了解ヤー。クラス十五人の揃った声が聞こえるとき、黄色い五弁花の意匠は一糸乱れぬ駆動音の旋律を奏でる。そして傍に添えるように、一輪のローズは引き立て役だった。

 拠点へと戻る。最大速であれば二分で国境までたどり着く場所だ。当然弾道ミサイルの射程内であり、頑丈な砦の中で私たちは敵襲に備えている。

 ジェラール第三機甲師団はフレイン開戦で消耗したため、今の戦力はさほど大きくない。でも本国から絶え間なく人員も巨人も補充されるだろう。やつらはそうするだけで連隊の守る国境を破ることができるからだ。迎撃に割ける戦力はもとより限界がある。潮の満ち引きのように定期的に現れて、疲弊したところを一気に押し寄せる。連中には金も時間もある。侵略という暴挙も、大義のない世界では誰も咎めたりしない。

 国境外周全てに対して戦争を仕掛ける狂人国家に対し、今のウエストバイアが示す狂気が黒い箱なのだろう。それ自体は、この国が帝国主義の衣をかぶっていた頃から存在するのだけど。

「バターカップ、全機帰還しました」

「ひとまずは国境を守り抜き無事に帰還したこと、大義である。だがナイン、本作戦では追撃をせよと言う命令であったが」

「は、こちらも損害を出しており深追いはできないと判断しました」

「甘い。勝てる時に勝たねばならぬのだ。それが相手の戦意をくじくことにもつながる。下がってよい」

「はい、失礼します」

 少将は我々の勝利にしか興味がない。彼は黒い箱の子供などただの使い捨てだと思っている。新しくきた兵士を連隊で育てようなどという考えは皆無といってよかった。私が見てきたクラスは九。その中で二、三戦を生き延びた子供は半分ほどしかおらず、ほとんど最後には孤立して死んでいった。

 私が入隊してから今まで、除隊できた人はひとりしかいない。登録名はシスル・ナイン。私の三期上にあたる女性だ。私が入って半年も経たずに除隊してしまったため、名前を聞くことができなかった。そのため私は彼女を、シスルさんと呼んでいた。

 共同戦線を張ったとき、彼女の動きを間近で見たことがある。彼女は単純な技量では、フレディさんをも凌ぐほどだろう。それでいて接しやすく、厭世的だけどどこか品のある人だった。あるいは、内側に熱い感情を隠しているようにも見えた。

 彼女には逸話がある。教官との模擬戦が組まれた時、彼女は他の多くの子供と同じように負けた。当然だろう。これで勝てるような教官ならばとうに殺されている。子供にばかり理不尽を強いることはあってはならないからだ。

 だがシスルさんはあろうことか、夕食を倍にしてくれたら明日勝ってみせると言ってのけたという。そして翌日、食べに食べたシスルさんはその通りにしてみせた。死に場所を探すような鬼気迫る戦いぶりとは裏腹に、美味しそうにごはんを食べる人だった。

 だが、そのような強い人ばかりでは当然ない。私たちのようにひとつにならなければ、個々の力の弱いものは死んでしまうのだ。エリザが消えた日からずっと、私たちはそうやって生きてきた。

「アカシアは今日も脱落者が出たそうだ。まったく不甲斐ない」

「次の実戦教練ではまた出そうですな」

「ああ、だが弱者が生きる場所はここにはない。強くなれないなら、いっそ死んでもらったほうがましだ」

 遠くからかつての教官の声を聞いた私は、いつになっても変わらない情勢にため息をついた。諜報のアカシアで訓練による事故など滅多なことでは起きない。潜入や電子戦を中心とする諜報クラスはその性質ゆえ秘匿性が高いが、だからこそ教官の責任は重い。独断で危険な教練を計画し、多くの子供を死に至らしめた例は決して少なくないのだ。リラの二の舞を防ぐ気運はもう無くなってしまったのか。事件からまだ十五年しか経っていないというのに。リラは一人の少女だったと聞く。彼女は今、どのような人生を歩んでいるのだろうか。

 ここの教養科目では帝国を否定し公爵家の歴史を教わるけど、この国がやっていることは帝国と何ら変わらない。この辺りは幼い子供が風土病で死ぬことも多いから、生まれる子供の数は多い。だが長男が無事に育ってしまえば、次男はいらなくなるのだ。子供が自立するまで育てるときに、この不況ではふたりなどもってのほかだという。そういうもののために、社会のための必要悪として黒い箱がある。そう言われてきたし、実情その通りだと思う。

 だが不要の烙印を押され虐げられてきた子供たちが強く生きるのに、ここはあまりに不的確だ。なるほど確かに才能さえあれば家も何も関係ない。でも抑圧されてきた子供に、そんな精神が生まれるはずないのも事実だった。

 それに、不況で子供が育てられない親の最後の駆け込み口でもある。資源大国であるキロムやフレインから貿易を制限されれば、経済が立ちゆかなくなるのは当然だろう。私もエリザも、そういった子供と同じだった。中にはもっとずっと前から孤児だった子もいる。黒い箱の子供はみな、そうやって棄てられた子供なんだ。

 私も連隊に入ってもう三年になるが、ここで何かを得ることができただろうか。戦況は悪化の一途をたどり、ジェラール戦線はまた後退した。今度は正規軍の守る東部国境らしい。そこは旧ジェラールからの領土が近く兵も強いのだろう。この戦力であれば、致し方なしというほかなかった。

 無論クラスの仲間は皆なくてはならない存在だ。ジェラール兵よりも個々の質で優れているという前提さえ、初陣から数戦を生き残らねば得ることはできない。私たちバターカップはそれをずっと研究してきた。上のものは皆、子供達を勝利という言葉で酔わせる。そしてなぜか誰も、生き残る術は教えてくれなかったのだ。

 どうしようもないことばかり考えていても、過ぎていくのは時間だけ。

「グレイス、何してんだ。夕飯なくなるぞ」

「ああ。ごめんね、ラウラ」

「戦闘が終わるといつもこれだ。まあ強いからいいんだけど」

「ラウラのおかげだよ。さっきはごめん」

「あれくらいなんでもないさ。このナンバーテンがいれば、ジェラールだって」

「ラウラは強いね。私もラウラみたいになれたら」

 ラウラはそれを聞くと少し自嘲気味に、淡く笑ってみせた。

「あいつには負けるよ。あたし、最後まで勝てなかった」

「エリザはあなたを認めていたわ。必ずバターカップにとって必要な存在になるって」

 それがなんだってんだ。ゆっくり机に下された拳には、今にも弾けそうなほどの力がこもっていた。

「時々思う。あんたがもし、あいつと一緒にここを去っていたらって。想像しただけでぞっとする。だってこの中の誰が、十四歳の誕生日を祝えたと思う? たとえ生き残ったとしても、誰も誕生日なんか覚えちゃいないよ」

「みんなには感謝してもしきれないよ。エリザのために生き残る私の戦いに、ついてきてくれたんだから」

 そう言うとラウラは机に腰かけ、窓の先の国境に目を向けた。

「あたしはな。エリザが、あいつが気に入らなかった。だからあたしはあいつに攻撃した。宿舎で、教室で、演習場で。あいつが少しでも嫌な思いをするならそれでよかった。今思えばばかだ。憂さ晴らしになんかならなかったし、結局クラスメイトはそんなことをするあたしになんか付かなかった。パウラが死んで、ニーナと距離を置くようになって、それであたしはひとりになった。ここで間違いに気づいたのさ。自分と違うものを攻撃してる余裕なんかないんだって。エリザか、今更仲良くなれるんだろうか」

「どうかあの子を、悪く言わないであげて」

「わかってるよ。ごめんな。あんたのエリザに、ひどいことをした」

 許せる、というわけでもなかった。それは私がすべきことではないからだ。でももう、お互い幼くない。エリザも気にしていないだろう。だからただこれだけを言うのだ。

「でも今は、ラウラも友達だよ」

「嬉しいねえ。あたし、そんなこと言われたの初めてだよ」

 ちょっと恥ずかしそうに笑うラウラの表情は決して弱さではなく、むしろ彼女の強さだった。

 なあグレイス、もうひとつ聞いてくれるか。私は頷くことでその先の言葉を促した。

「除隊許可が出た」

 私は聞き間違いかと思った。

「え、除隊許可って」

「あたしにだ。悔しいけど、これもあんたのおかげなんだ。ありがと、グレイス」

 でもな。ラウラは続けざるを得ない。

「あたしは抜けないよ。そんなことをしたら、あんたが死ぬから。いずれ無茶して、取り返しのつかないことになる」

「そんな、ラウラにまで迷惑はかけられない。きっとラウラなら他の場所でも活躍できるし、ここよりいい待遇を受けられるよ」

「でも、あんたたちがいない」

 それじゃだめなんだよな。目の前の背の高い少女は、自分自身に問いかけるようにそれを口にした。

 食事を終えると、特に上から指定のない時間になる。除隊許可が出ていない兵士は施設から出られないが、私はもう一年も前から車を借りて外に出ていた。ひとりになれる場所が、この歳の子供には必要だ。だから交代でクラスメイトを連れて行ってあげたいが、そうもできない理由があった。

 本当は別の目的があるのだ。だがそれは、過去に交わした儚い言葉に過ぎない。当然そんなものを盲目的に信じているわけではないが、でももしかしたらという期待だけは存在した。

 国境基地から北に三十マイル。この辺りまで来るとさすがに軍の目に触れることはない。黒い箱の子供には特殊な免許が与えられるため、一般道でも自動車を動かせる。

 索敵は国境だけに留まっており、もしここに何らかの方法で敵が現れたら誰も気づかないだろう。衛星での監視も行き届いているとは言いがたかった。

 私は決まって周辺の都市で軽食を買ってから、平原へと向かう。広大なバイールステップは天と地を一本の線で分割し、北の空にはまだ星空が残っていた。

 空を見上げて一時間が過ぎただろうか。特に何かするわけでもなく、靄のせいで闇とも言えない空はどうしようもなく中途半端だ。

 フリッターを口に含む。過剰に含まれた塩分と、携帯糧食に匹敵する保存料の味が口の中にこびり付く。別に不快とも思わない。この芋にももっと真っ当な料理になる未来はあったのだ。その点だけを見れば、私たちと境遇は似ている。

 もっとも、私がいわゆるジャンクフードを食べるのはそのような親近感などでは決してない。むしろ、ジャンクフードとともにあってしかるべき日常への憧れなのだろう。世界のどこにでもいる普通の女の子という幻想は、黒い箱にいるならばどうしても感じてしまう。たちが悪いのは、それが強い劣等感を伴うということだ。

 せっかくの外出なのに、余計なことを考えてしまう。これでは気晴らしにもならないというのに。

 車に搭載された索敵装置が何かを探知した。半径数十キロまで見通せるセンサーは、亜音速で接近するひとつの熱源を察知した。明らかに、巨人だった。目視できるまで接近したその胸元には、白の羽に炎。私は一瞬、めまいがするような感覚に襲われる。その後その正体がわかるときには、既に目尻から感情が溢れ出していた。

 轟音とともに、くろがねの巨人は私の目の前で停止する。そこから飛び降りてくる影を見る前に、私は震える口を開く。

「おかえり」

「グレイス! 迎えにきたよ」

 体が引き寄せられる。黒い髪がふわりと舞う。暖かいような冷たいような、そんな体温に触れる。私は訳もわからぬまま、エリザの細い体を抱きしめた。

 エリザ。その人の名前を、その人を呼ぶために口にしたことは数えきれない。でも目の前にして呼ぶことができる幸せは、そのようなもの全てを無に帰した。

「エリザ、エリザ。あいたかった」

「グレイス、もう離さないよ」

 言葉を尽くしても、まだ足りない。力の限り引き寄せても、まだ遠い。それまでひとつだったふたりにとって、四年という時はそれだけ重いのだ。

「ねえグレイス」

「なあに、エリザ」

「一緒に来ない?」

 私の全てが、一瞬だけ止まった。

「うちと一緒に、行こうよ。兵士として戦うのか、普通の女の子になるのか、それはわからない。わからないけど、うちはグレイスといたい」

 それは、彼女にとって当然の言葉だった。だというのに、なぜ銃弾で撃ち抜かれるような衝撃が私の中を走ったのだろう。本音を言えば、付いて行きたかった。エリザとふたりきりで自由を手にすること以外に、私の願いなどなかったはずだ。

 でも、それではだめなんだ。私は自分が嫌いだ。今日デイジーにしたように、見捨てればいいではないか。もう私の指揮がなくとも除隊許可まで生き残ることは可能だろう。であれば、見捨てたことにもならない。

 切り捨てられない自分も、免罪符を求める自分も、大嫌いだった。

「私は、残るわ」

 言ってしまった。選べるはずがないから、いまの状態から変わらない事を望んでしまった。エリザとクラスメイト。天秤の重りの内容はあの時と全く同じ。それなのに、両方の大きさが全然違う。私の天秤は、軋んで壊れそうだった。

 エリザが見せる何かが砕けたような表情を、私は直視できない。

「どうして。やっと会えたのに」

「私、もう逃げるのはやめにするの。クラスのみんなに除隊許可が来るまで戦う」

「聞いて、グレイス。今うちがいる組織は、黒い箱を完全に破壊しようとしてる。だからもう終わりなの。グレイスだけでも、逃げて」

「来るなら、勝てばいいのよ。エリザ。たとえあなたが敵として現れても、私は戦う。みんなを逃して、私ひとりで戦う」

「どうして、なんであんな枠組みに囚われるの。あの子たちだって、もう自分で生きてもいいじゃん」

「ごめんねエリザ。もう少しだけ、私のわがままを許して」

 やがて強く目を閉じ、見開いた彼女の瞳はあの時と同じ。強いけど、脆く優しい色をしていた。

 エリザは私の手を取る。ポケットから何かを出し、私の手に乗せた。プリザーブドフラワーのブローチ。私たちと同じ、それはバターカップだった。

「それなら、決めたよ。今からうちとあなたは敵同士。うちはブランペイン。大好きな花さえ触れない、災禍の炎」

 ブランペイン。口に出してみたその名は、消え入りそうなほど空虚に響いた。

「ごめんね、エリザ。ごめんね。私が弱いせいで」

「ううん。過程なんかどうでもいい。うちは何はあったってグレイスを守るから」

 ねえグレイス。エリザの四年ぶんの感情のうち、今度は涼やかな悲しみの部分が浮かび上がる。その頬に滴る線は、闇の中で淡く光沢を発した。

「なに?」

「死なないで」

 私は返事をする代わりに、こつんとおでこを付ける。エリザが昔よくしてくれたことだ。そして確かめるように、互いの涙に口付けをした。その甘い雫は、エリザが喜びを切り捨て、悲しみばかりためている証だった。

 百度生き残っても、一度死ねば終わり。黒い箱の子供は自分しか信じないよう教えられるけど、私はそれを否定してきた。仲間は信ずるに足る。

 一方で、私は神を信ずるのをやめた。たとえ神がいたとして、死がエリザと私を引き裂くのを止めてくれたりはしないのだから。

 巨人に乗り、去っていくエリザ。きっと警戒領域を突っ切ってきたから、今頃騒ぎになっているだろう。どうせ百機の巨人がいたところでエリザを落とすことなんかできやしないのだから、通り過ぎるのを待つだけでいい。アドラスティアは災害のようなものだ。

 でも今回だけは、勝たなければいけない。上の浅はかな二枚舌により、敵ばかりを増やしてしまったのは覆しようのない事実だろう。だがそれでも、ジェラールは民間とは組まないだろうし、ネメシスとアドラスティアは組まないはず。全てが敵というわけではない。少なくとも私たちはひとつずつ戦っていくだけだ。私は黄色い五弁花をきゅっと握る。エリザが私を、それだけで十分だった。

 何もない荒野に駆動音が響く。誰だろうか。私は岩の上でホットサンドを食べながら、その動きを伺うことにした。

 するとその車は、私の目の前で止まる。中からはよく知った、背の高い少女が降りてきた。

「ラウラ、どうしてここが」

 わかるさ。ラウラは私が手にしたものと同じ紙袋を見せる。

「とりあえず、一緒に食べようか」

 ラウラは私が買ったものとほとんど同じようなものを食べ始める。その様子がなぜかおかしくて、私はくすっと笑った。

「何がおかしい」

「ラウラもそういうの好きなんだね」

「ば、ばかなことを言うな。あたしは食に関心はない。ただあんたがたまに口にケチャップつけて帰ってくるから、ちょっと気になっただけだ」

「ふふっ」

「やめろ、笑うな」

 笑顔のあと、数秒の沈黙があった。ラウラが何をしにきたか、それが明らかだったからだ。

「エリザが来たんだろ。行かなかったのか?」

「私は行けないよ。まだクラスのみんながいるもの」

「そんなもの、あたしが率いてみせる。ヴィクやマックスもいる。あたしらストライカーズも、他のみんなも。あんたがエリザとともに行きたいならそうしてあげるべきだって思ってる。もう十分すぎるくらい生かされたからな」

「私にはこのクラスがあるの。エリザはきっと死なないけど、ここはそうではないでしょ。今日だってゾフィが危なかった」

「でも、それでいいのか? あんたにとってエリザより大事なものがないことはみんなわかってる。これ以上あたしたちに付き合ってくれなくていいんだぞ」

「何度も言わせないで」

 私は北の空を見上げ、そう叫ぶ。張り上げたはずのその声は、想定していたよりもずっとか細く震えていた。この優しさを受けてはだめだ。その先に破滅しかないことを知っているから。

「グレイス?」

「あなた達だけで生き残れるなんて、本当に思ってるの? 無理に決まってるでしょ! エリザはバターカップ全員で向かっても勝てないかもしれない。そんな奴がアドラスティアには何人もいるのよ。私抜きでは、まず間違いなく全滅する。あなたが強い敵を食い止める。ヴィクがみんなを守る。マックスが次の一手を考える。私の仕事は、皆の頑張りを完全にすること。そうやって必死に戦って、どうにかみんな生き残らせる。アドラスティアを相手にすれば、そんな戦いになるわ」

 ラウラは私の目を見て、頷いてくれた。

「あんたが言うんなら、その通りだろうな。わかった。あたしが折れるよ。もう少しだけ戦ってくれ」

「ええ。その時全てが決まる。おそらく黒い箱はなくなるわ。それが向こうの狙いなのでしょう。私たちが願うのは国の勝利でも、ここの存続でもない。ただ私たちが私たちとして、この世界に存在し続けること。そのために戦うの」

「ああ、そのつもりだ。生き残ったら、みんなで遊ぼう。平和な国にはどこにでもいる、普通の女の子になろう。つっても、何したらいいか全然わかんねえけどな」

「……うん、そうね。でもその時は、エリザも一緒よ」

「ああ、それがいい。その方が楽しそうだ」

 思えばラウラとは、喧嘩をするたびに仲良くなった。思いをぶつけ合うことで、確かな理解が互いの中に存在するようになったのだ。私たちの仲が悪くならなかったからこそ、派閥に分かれやすい年頃の少女が形だけでもひとつになれたのだ。ナイン、テンと隣り合わせなのも、お互いを競争相手として意識しあえて良かったのだろう。

 ただ、こう思わずにはいられない。

 エリザがいれば。エリザが失望したもののないところで、一緒にいられたらと願うほかないだ。

「あ、これうまいな」

「ふふっ、そうでしょ?」

「なんであんたが嬉しそうなんだ」

「ラウラのその顔、久しぶりに見たから」

「そ、そうか」

 闇をまとう吹きさらしの荒野に、黄色の五弁花がふたつ。それらが悲痛に見つめるものは、ただ人並みの平穏。それは公国の子供たちが、等しく願う明日だった。

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