第5話

 五球に及ぶ早藤の攻撃が終わった。二継は攻守を交代して続きを初めようかと思ったが、二年生の高良に話しかけられた。

「あの……。ほんとに俺がクラさんのセッターやるんですか? 部長やらないんですか?」

「俺はやらない。昨日話したろ。今日はお前がセッターやれって」

「はあ……本気だったんだ……」

 高良は通信簿を返された後のような様子でネットの向こうへ歩いて行き、そのまま開始を待つ倉沢に話かけた。あの様子だと、二継達がやったような練習は一切していないらしい。高良にそんな意図はないだろうが、二継は侮られているように感じた。

 早藤の攻撃自体は二継の想定の範囲内だった。平均以上な攻撃で、三球も得点したのは出来過ぎな結果と思える。だが、二継の苛立ちの原因は、五球全て得点しなければならないという逼迫した思いがあったからだ。その原因は単純。倉沢が一球でも取りこぼすことなど、想像できない。

 だが、この勝負は明らかに攻撃側が不利だ。ブロックはスパイカーに位置をずっと追うことができる上に、相手のコートに返すだけでよい。倉沢でも、難しいはずだ。そう信じて、二継は不安を打ち切る。

 当人である早藤は、四球目の失敗から途端に集中力を失ったように見える。今も前衛で倉沢を見つめているが、悔しがる素振りはない。むしろ、もう敗北が決まったかのような虚ろな様子だ。五球目を開始する前に何か話しかけるべきだったかもしれない。

「早藤。大丈夫か」

「……うっす」

 二継は後悔を払拭するように早藤に声を掛けたが、曖昧な問いにしかならなかった。

 エンドライン近くにいる倉沢と話を終えた高良が、ネット際まで戻ってきた。準備が整ったということだろう。二継は声を上げる。

「クラ。いつでもいいぞ」

 この声を合図に、倉沢がボールを放り投げた。倉沢は、まっすぐにネットの中央まで駆け寄る。早藤の様に、左右のどちらかに寄りかかったりはしないで、中央を突破するつもりか。

 二継は前衛に二人、後衛に三人が控えるように指示をした。レフトに二継、中央に早藤が前衛で、倉沢の駆け込む中央に集まった。後はタイミングを合わせて攻撃を防ぐだけだ。

 高良のトスに合わせて、倉沢が飛ぶ。二継が合図して、二人が飛んだ。倉沢のタイミングは二継が一番知っている。だから、防げないはずがない。四本の腕が、倉沢の攻撃を阻む。獲った。二継は確信する。その思いを知らず、倉沢のスパイクが放たれた。

 一瞬。ボールは中央の早藤の手に当たったように見えた。そして、弾かれてコートの外に落ちた。つまり、二継達の失点だ。

「糞っ」

 これで倉沢の一得点。あと二回決められたら、早藤には勝利がなくなる。追い込まれたと思うには早いが、焦りが背中に迫る。何より、倉沢の雰囲気が試合中の様に張り詰めているのが、二継の平静さを失わせる。

「早藤、おい、大丈夫か」

 二継の意識を現実に引き戻したのは、伊藤の声だった。見ると、コートにうずくまる早藤に伊藤が声をかけている。二継も慌てて駆け寄った。

「大丈夫か。どこか痛めたか」

 近くで見ると、早藤が右掌を抑えているのが分かった。倉沢のスパイクをブロックした方の手だ。当たりどころが悪く、指の脱臼をしたのかもしれない。

「見せてみろ」

「俺、倉沢さん舐めてました」

 二継の言葉に答えずに、早藤は言う。

「頑張れば、今の俺でもなんとかなるかなとか、もしかしたら代わりになれるかもとか考えてた。でも、俺には打てない。俺には、こんなスパイクは打てない」

 早藤の声が震えている。心配し周りに集まった部員は、その様子に気圧され押し黙った。

「悔しい。腹が立つ」

 二継は早藤の心が折れたことを悟った。練習では滅多に本気を出さない倉沢が、今日は全開だ。ブロックで自由に動けずに溜まったフラストレーションをぶちまけているようだ。

「早藤」

 二継は嗚咽混じりにコートに倒れこむ早藤に声を掛ける。

「ここで倒れたままだと、ずっとあいつには勝てねえぞ」

 そう言って二継はネットの向こうにいる倉沢を指差す。声に従って、早藤が倉沢を見た。

 倉沢はネットの向こうで平然と立っていた。早藤の声も、怪我をした様子も何一つを気に掛けることなく、ただプレイ開始の合図を待っていた。

「さっきまで、高良と話をしてたよ。いつもよりちょっとトスが低かったからな。その修正だろう。倉沢は本気だ。本気でお前にスパイクを叩きこもうとしてくる」

 早藤は倉沢をじっと見つめる。そこにどんな感情があるのかは分からない。だが、二継は言葉を続けた。

「あいつはシンプルなんだ。コートに立てば、ボール追うこと、ボールに飛びつくことしか頭にない。だから強いんだ。……お前、スパイク打ってる時、何を考えてた?」

 早藤は答えない。

「モリコウのこととか、全部忘れてプレイしてたろ。ただ、一点取ることを考えてたはずだ。お前のそういうところがさ、倉沢に似てるんだよ。三年間いっしょにプレイしてた俺からのお墨付だ」

 そして二継は早藤に手を差し出す。立ち上がるための助けとして。

「だからお前、強くなるよ。あいつみたいに、コートに入った瞬間、すべて忘れて集中できるプレイヤーに絶対なれる。……そのためにはまず、立ち上がらないと」

 早藤が二継の手を取り、立ち上がった。そして倉沢を見る。睨むような、見つめるような視線だ。だが、そこに熱意が宿ったのは分かった。早藤の周りの部員はそれぞれのポジションにつく。二継もそれにならう。

 早藤の倉沢に対する怒りの感情はなりを潜めていた。シンプルでいい。早藤に掛けた言葉は、そのまま自分への戒めだ。だから、気持ちを確かめるために、声に出す。早藤にだけ聞こえるくらい、小さく。

「俺も、あいつに勝ちたい」

 全員が構えたのを見て、ボールを持つ倉沢が手を上げた。プレイの合図だ。ネットにまっすぐ駆けこむ倉沢に、相対する。倉沢に勝つのではない。早藤を勝たせたい。飛び上がり大きく腕を伸ばした時、その上をいく倉沢を見て二継はそう思っていた。

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