第4話

 コートにはネットを挟んで七人がいる。

 早藤が居る側には彼ともう一人、二継がいる。二継はネット際で何か威嚇をするようにネットの向こう側を睨んでいる。 いつもどこか飄々としているのに、今日は何か雰囲気が違う。気迫というものがこの世に存在することを、早藤は今日知った。

 ネットの向こうには五人。二継の視線を追うと、倉沢がいる。ネット際でブロックを飛ぶような動作を繰り返している。二継の視線など意にも解さぬ様子だ。残りの四人は何か不穏な空気を察し、緊張しているようだ。

「早藤、レフトから走り込んで来い。俺がオープンで出す。昼に練習でやったやつだ」

 二継が一人コートの奥に立つ早藤の元まで駆け寄って小さな声で言った。

 昨夜。夜遅くに何故かメッセージが届き、それを読むと昼休みに体育館に来いという旨があった。差出人は何故か二継だ。意図が分からないが、昼に体育館に向かうと有無を言わさず練習が始まった。二継が倉沢でなく早藤の味方になったのか、疑問は解決していない。勝ちたくねえのか。体育館に入ったときに掛けられたこの言葉だけで、二継が倉沢に勝つために練習をしているのか伝わった。だから、疑問を忘れ短い時間の中で濃密に集中が出来た。

「クラは今、ライト側に立ってるな。あいつとレフト側にいる伊藤はきっとストレートを締めにくる。だからお前はストレートに打て」

「ストレートに? 伊藤さんにブロックされますよ」

「失敗してもいい。打ってみれば分かる」

「うっす」

 そう言った早藤の頭をくしゃりと二継は掴んだ。突然の行動に早藤は驚く。

「今日俺は、最高にクラに苛ついてる。お前もだろ」

「ムカついてます」

「それ、思いっきりぶつけろ」

 力強い二継の言葉に、早藤は大きく頷いた。そして開戦の狼煙を上げるように、二継が声を上げた。

「クラ! 五本だ! 多く決めたほうが勝ち。それでいいな」


 二継の指示通り、レフトから駆け寄るために配置につくと途端に緊張が押し寄せてきた。 コートの中にいる六人全員が早藤を見ている。その中の一際強い視線を追うと、倉沢が見えた。その目に、早藤の緊張が見透かされた気がした。怯んでいた自分を恥じる。 二継の言葉を思い出す。ぶつけろ。それだけでいい。

 手に持ったボールを二継に向かって投げる。大きな山なりだ。同時に全員が動き出した。早藤はレフトからポールギリギリに向かって駆ける。視線をボールに向けると、二継が打ち出そうとしている。そして、山なりで弾きだされたボールに早藤は飛びつく。練習通りの動きだ。そしてそこで相手側を見る。伊藤がまっすぐを弾こうと大きく手を伸ばそうとしている。ブロックされる。早藤が直感的にそう思ったとき、変化が起きた。

 倉沢だ。ライトに居た倉沢が、伊藤よりも一拍遅れてボールに反応したのだ。ブロックというよりもただの横っ飛びで、ボールに飛びついた。そしてその先にいた伊藤が、伸ばしかけた手を引っ込めた。そして早藤のストレートは伊藤の頭を通り過ぎ、コートに着弾した。

 運動の後とは違う、別の興奮が身体に訪れている。思わず叫びたくなる高揚だ。

「お前、ふざけんな!」

 だが、その気持ちを切らしたのはネットの向こうから聞こえた怒鳴り声だ。見れば、ブロックに飛んだ伊藤が倉沢に向かって言っている。

「俺に突撃するつもりか、てめえ!」

 伊藤がブロックに飛んでいれば、早藤のストレートは綺麗に防がれていただろう。そうならなかったのは、直前で伊藤がそれをやめたからだ。その原因は、無遠慮にボールに飛びついた倉沢との接触を避けるためだ。

 倉沢は伊藤の声を無視して、二継を睨んでいる。そこで早藤は気が付く。この状況は、二継が想定していた状況そのものだと。

「次、行くぞ」

 二継は興奮の宿っていない様子で、淡々と言った。早藤は急いで、先ほどと同じ位置に待機して、ボールを構える。 それを見て、伊藤と倉沢は急いだ様子でブロックの用意に入った。

「投げろ!」

 二継の合図で、同じように早藤はボールを投げた。そして駆ける。ポール際のギリギリまで。リプレイの様にすべてが同じだ。 二継は山なりのボールを打ち出し、それに合わせるように早藤は三歩で飛んだ。同じように、目の前の伊藤も飛ぶ。今度は大きく手を伸ばし、早藤のストレートを防ごうとする。だが早藤はストレートに打つ。それが二継の指示だからだ。

 早藤の打ったスパイクは伊藤の左手に防がれた。だが、ボールは力なく伊藤の足元に落ちた。伊藤の苦々しい表情が目に入る。

 二回連続の得点。打ち終わった早藤はしびれるものを感じた。

「今、なんで得点出来たか分かるか」

 興奮冷めやらぬ早藤に、二継が近寄り声を掛けた。いつの間に手にはボールを持っている。

「伊藤がいつもより高く飛ばなかったから、ボールが手のひらに当たったんだ。だから、ボールが相手コートに落ちた。いつも位高く飛んでたら、腕に当たってこっちに落ちてたな」

「なんで伊藤さんが高く飛ばなかったんです?」

 質問に、二継は笑って答えた。

「また倉沢が飛びついてこないかって、ビビったんだよ。伊藤の奴。だから思い切って飛べなかった。こっちにボールが落ちなかったのは、まあ、運だな」

 悪人のような笑みだ。皆の前で部長をやっているときには見たことがない。


 その後、伊藤からの申し出によって、ブロックが伊藤から三年の高良に交代した。伊藤よりも小さい背丈が、小さく挨拶した。 長身の倉沢と並ぶと凸凹で、不思議な光景だと思う。

「ライト側の高良の上をストレートで抜け。同じことを繰り返せばいい」

「うっす」

「飛び勝てよ」

 三球目のトスは言葉通り、今までよりも大きな山なりに打ち出された。早藤は今までで一番力を込め、高く飛ぶ。手を伸ばす。 視線を一瞬ライト側に向けると、倉沢が見ていた。だが、ブロックに駆け寄っていない。早藤は目の前の高良の腕が自分より先に沈んでいくのを見て、ストレートを打った。

「しゃああああっ!」

 ボールがコートに跳ねる音を聞いて、早藤は吠える。自分の力が通じていることを感じた。

「早藤、二継」

 打ち震える早藤に声を掛けたのは、倉沢だ。この状況でも、いつもと変わらぬ平然として表情だ。

「ブロック、俺だけでいいか」

 倉沢一人のブロック。それが何を意味するか、早藤には分かった。今まで二継は倉沢の居ない方のブロックと勝負するように指示を出してきた。そのほうが成功率が高いからだ。

「好きにしろよ」

 二継が吐き捨てるように答えるのを見て、早藤は考えが当たったと確信した。つまり、あと二球は今までどおりに行かないことを意味する。

「早藤。変えるぞ」

 再びボールを持って訪れた二継は、耳元で囁く。

「どういう風に?」

「敬語使え。今までお前、結構角度つけて打ってたよな」

 早藤のスパイクは出来る限り相手コートのネット近くに落ちるように、角度を意識して打ってきた。それは相手の後衛にボールを触れさせないことがより高い勝率になると踏んだからだ。前衛にいる倉沢との勝負を意識したということもある。

「ストレートでもクロスでもいいから、アウトになるくらい思いっきり強く打て。ブロックアウトを狙う」

「いいんすか。俺、指先とか狙えないっすよ。マジでホームランになりますよ」

 それを聞いた二継はにやりと笑った。それでいいという意味で受け取ったが、早藤には自信がなかった。だが、ここまでの三球で、二継の作戦は尽く的中している。信じて、打つことにした。

 二継が離れ、ネット際で準備に着く。ネットの向こうにはブロックの倉沢が一人、ボールを持つ早藤を睨む。何故だろう、先ほどまでと変わらないはずなのに、その視線の熱が増している気がする。

 早藤はボールを額にあて、集中を取り戻す。自分はただ、強く打てばいい。先ほどよりもシンプルな要求だ。出来ないはずがない。信じろ、信じろ。

 そしてボールを投げ、レフトから走る。今日、四度目の疾走だ。そして二継の打ち出したボールを追って、飛んだ。

 打つ。たったそれだけの考えを遮ったのは、大きな二本の腕だ。ネットを挟んでいるはずの倉沢の腕が、早藤にはボールを掴もうとしている様に思えるほど近くに感じた。伊藤や高良とは何かが違うのだ。

 スパイクはその腕に阻まれた。壁に弾かれたように、早藤が立っている側のコートにボールが跳ねた。忌々しい気持ちで早藤がネットの向こうを見ると、ブロックから着地した後も倉沢がボールを見ているのが分かった。

「くそっ」

 毒づいたのは二継だ。四球目にして初めての失敗であるが、勝負そのものに負けたかのような苛立ちを見せている。早藤は何か指示があるかと思い、身構えたが、二継は何も言わずに定位置についた。

 不安が過る。二継にはもう、打つ手がないのか。それはつまり、ブロックの連携の杜撰さをつく以外に、早藤を倉沢に勝たせる方法がないことを意味している。それに気がついた時、猛烈な自らへの怒りと不甲斐なさが襲いかかってきた。仮に早藤にもう少し、実力があったなら。倉沢の腕を弾き飛ばすほどパワー。二継の狙いどおり、ブロックの指先を狙う技術。早藤には何もないから、二継は打つ手がないのだ。

 失意のまま始めた五球目は、呆気無く失敗した。四球目と同様にレフトから走りこむと、倉沢のブロック阻まれる。今度はそれを避けようとして、早藤はクロスにスパイクを打った。だが、ボールに力はなく後衛の高良に容易くレシーブされた。こちらのコートに転がったボールを、二継が苛立ちながら蹴り上げた。

「畜生!」


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