第3話
倉沢の家に行くのは久し振りというほどでは無かった。教室でもコートでも話せないことは倉沢の家で話す。自然に出来た二継と倉沢のルールだ。
倉沢はテレビゲーム機のコントローラを握りしめている。テレビ画面の中で倉沢の操る兵士が銃器を片手に歩いている。 倉沢は家に居るときこのゲームをずっとプレイしている。バレーボール以外に興味を持たない倉沢にこのゲームを薦めたのは二継だ。出会って間もないころで、話題共有くらいの気持ちで薦めたのだ。それが中学一年生のときで、以来、倉沢は暇があればこのゲームをやってるらしい。二継は当の昔に飽きた。
二継は倉沢のベッドに座り、兵士が戦場を練り歩く様を観察しながら、少し懐かしんだ。
「早藤のこと、どうする気だ」
敵兵に撃たれ、倉沢の兵士が地面に倒れこむ。それが良い切れ間だったのか、倉沢は二継に聞く。
「なんだ、早藤のこと気になるのか」
「お前が今朝言ったじゃないか。早藤のせいで俺がレギュラー外されるかもって」
教室で二継が言ったことを、鈍感なこの男でも覚えていたらしい。どうでもいいとか言ってたのは強がりか。
「俺の一存で決めれるよ。早藤には、お前がクラの代わりになれないなら諦めろって言った」
「そうか」
倉沢は言いながら、二継に続きを求めない。二継の言葉をどう受け止めたのか、倉沢は改めてコントローラを握りしめ、ゲームに没頭し始めた。倒れていた兵士が起き上がる。
「気にならないか、あいつがなんて答えたのか」
「諦めたんだろ? 早藤は口だけだ」
倉沢は珍しく他人を侮る様な口を聞いた。二継が知る限りだが、倉沢がこういうことを言うのは親しい人間しか居ないときだけだ。 配慮など無いような性格だと思われがちだが、この男はそこそこに空気を読む。バレーボール部でそれを知っているのは二継くらいだろう。
「残念だけどハズレだ。あいつ、お前の代わりになるって言ったぞ」
早藤の言葉を聞くと、倉沢の兵士を操る手が止まった。そして振り向き、早藤に問いかける。
「本当か」
「嘘吐いてどうする。明日に試験をするって伝えたよ」
倉沢の顔に笑みが宿る。二継は倉沢のこういう表情を見たことがある。試合の前に、相手チームのウォームアップを見てるときだ。倒すべき敵を見つけた兵士の顔。
「どうやる」
「スパイク勝負。ブロック二枚にバック三人。それで俺がボール挙げて、何本決めれるかだ」
備品の数が限られて、練習時間も身近い小野木中では、スパイク練習とレシーブ練習を同時にやるためによくやる練習だ。 もちろん、倉沢も早藤も経験している。
「早藤に負けたら、マジで俺はお前を外すぜ。クラ」
倉沢はもうゲームの電源を切っていた。そんなものに渡す時間などなくなったのだ。既に早藤との勝負に気持ちを移している。 二継は倉沢のことを兵士の様に思った。嬉々として敵兵を屠る兵士。
「早藤が負けたら?」
「なんもなし。当たり前だろ、後輩が先輩に負けるなんて珍しくないんだから」
「そうだな、その通りだ」
そう言うと、倉沢は立ち上がり部屋を出ようとした。二継は慌てて問いかける。
「クラ、どこいくんだ」
「練習。ボール上げてくれ」
「そろそろ暗くなるぜ」
「一回でも二回でもいい。今、打ちたいんだ」
そのまま押し切られるように倉沢家の大きな庭で練習を始めると、そのまま夜まで倉沢に付き合った。 初めは嫌々で付き合い始めたが、部活で練習のときとは打って変わった倉沢の熱量に、二継も楽しくなってしまったのだ。 早藤との勝負というのを意識してから、倉沢の空気が変わった。研ぎ澄まされた、人間離れした空気を感じるのだ。
この男の実力を自分がどこまで引き出せるか。小野木中のチームを倉沢頼みと嫌悪する部員もいるが、二継はそれでいいと思っている。 強い奴を活かして勝つ。活かせるかどうかは俺次第。これ程に興奮することもない。
「お前、早藤と合わせたことあるか?」
辺りが暗くなり、練習が困難になった頃。倉沢が溢すように言った。
「いや、あんまない。あいつ補欠だし」
それを聞いた倉沢は、何でも無いことのように言った。
「お前、明日は俺に上げるな」
驚く二継をよそに、倉沢は言葉を続ける。二継は倉沢の言葉の意味が飲み込めず、黙って聞くしかなかった。
「フェアじゃない。早藤にもこれだけ合わせられないと、勝負じゃない」
「お前、負けたら試合に出れないんだぞ」
二継は倉沢に詰問する。早藤に倉沢の代わりになるかどうか比べるという提案をしたのは、二継が上げれば倉沢が絶対に勝つという自信があったからだ。だが、二継がセッターでないとすれば、勝負は分からない。
早藤に負けて倉沢が試合に出れないということは、公式で倉沢がプレイする機会は失われるということだ。それが誰からの注目も集めることなく、倉沢というプレイヤーが埋もれていくことになる。その事実に気が付いているのだろうか。
「県大会で活躍すれば、強豪の推薦がもらえるかもしれない。いや、県大会ではうちのチームはボロボロに負けるだろ」
違うと思った。二継は本心を隠して説得していることに気が付いている。だから、倉沢は聞く耳を持たないのだ。
「それでもだ」
説得する二継を意に介すことなく、倉沢はそう言った。
「俺は、お前が負けたらレギュラーを外す」
「ああ」
「もう俺と公式戦で一緒に戦うことはなくなる」
「そうだろうな」
「それでもなのか」
二継は倉沢に問う。怒りを噛み殺し、声が震えた。二継にとって重要なのはこの一点だけだ。倉沢と同じコートに立つ。重要なのはそれだけ。
「それでも、だ」
二継にそう言ってのけた倉沢に、体内の血が沸騰するような怒りが再び湧いた。抑えつけていられず、言葉にする。
「上等だ!」
二継は叫び、手に持ったボールを倉沢に投げつけた。そして、そのまま気持ちの突き動かされる様に自転車に飛び乗った。 だから、二継の記憶は曖昧だ。だが、衝動的な行動をとったのを覚えている。
倉沢の家から帰った二継は冷蔵庫に入った夕飯をレンジで温めて平らげ、それでも足りずにスナック菓子を一つ空にした。 買い貯めている炭酸飲料を自分の部屋で飲むと、そこでようやく湯だった頭が冷えてきた。
倉沢は自分が負けると思っていない。誰がボールを上げようと、勝てると思っているのだ。倉沢が実力を発揮するために、二継というセッターは必需品ではない。例え負けると試合に出れなくなる勝負であっても、その気持ちに変わりがないのだ。
「上等だ、クラ」
二継はベッドにうつ伏せに倒れこみ、小さく言う。そして決意する。俺にボールを上げさせなかったことを、あの男を後悔させると。
そして、早藤にメッセージを送る。明日の勝負の内容と、絶対に勝つという決意を。
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