第2話
部長に文句を言うと、田舎の部活では取り返しのつかない事になるかもしれない。そんな心配を早藤にしてくれたのは、他ならぬモリコウだった。 それでも忠告を無視して早藤が抗議を断行したのは倉沢への憤りというよりも、モリコウとプレーする機会を奪われたためで、つまりは私怨なのだ。
「クラさんが悪いけど、ぶつかった位で怪我する俺も軟弱者なんだよ」
抗議に至る前日。病室であっけらかんと言い放つモリコウに早藤は驚いたのを覚えている。怪我をした右足を吊り、ベッド脇には松葉杖を携えている痛々しさには、もう見慣れた。だが拍子抜けするような態度にはいつも驚かされる。
「バレーってのは転がったり飛んだりする競技なんだから、接触はつきものなんだよ。あのくらいで怪我した奴が悪いって」
「それは違うだろ。明らかに倉沢が悪い。モリコウは分からんかもしれないけど、あいつはぶつかると分かって飛んだんだ」
「そうかもしれないけど、クラさんはそうじゃないって。あの人はボールしか眼に入ってないから」
そんなモリコウの言葉に早藤は怒り、部活に出ては反省しない態度の倉沢に憤り、その不満を共有しながらも何も言わない他の部員に苛立った。その結果、公然で抗議するという我ながら短絡的な行動に出るに至ったのだ。
ことの顛末をチャットアプリで伝えると、程なくモリコウから返信がきた。
「馬鹿だなあ。二継さんは気にしないだろうけど、他の先輩はいい気しないだろ。また敵を作って」
呆れた顔が目に浮かぶようだ。実際、モリコウの言うとおり先輩連中はあからさまに早藤を睨みつけていた。だが強がって気が付かないふりをしていたのだ。そして、モリコウ相手にも強がりを貫いた。
「いいんだよ」
次の日に部活が始まると、部長の二継に呼び出された。まだ時間が早く、部員は半分も揃っていない。各々がストレッチや雑談に耽っている時間だ。
早藤は二継の元の駆け寄る。こっちに来いと二継は言うと、体育準備室まで歩いて行った。早藤はそれに続く。早藤の手がじんわりと汗ばんでいるのが分かった。準備室には体育の用具が収納されていて、普通部活の時間に用のある人間はいない。だから、人に見られたくないことをするにはうってつけの場所だ。
「お前、クラにはずれて欲しいんだよな」
準備室には誰も居らず、二継と早藤の二人だけだった。三年生が集団で待っているかもしれないと身構えていたが、いらぬ心配だったようだ。 だが、準備室は薄暗いため二継の顔色が伺えない。早藤は気味の悪さを感じた。二継の淡々とした声から感情の機微を読み取る器用さを、早藤は兼ね備えていない。
「お前の言うことも、尤もなんだよ。けどな、うちのチームはクラが中心なんだ。分かるよな?」
小野木中の倉沢といえば、他校でも有名なくらいだ。もちろんエースとしての実力は、早藤も認めている。悔しいが、早藤とは雲泥の差だ。
「分かりますけど、それが怪我させていい理由にはならんでしょ」
早藤は強気な第度を崩さなかった。実力があるのは知っていても、ラフなプレーを認めたくない。実力があれば何をしてもいいという状況は早藤には耐えられないほど頭に来るのだ。
「そんなこと言ってもなあ。クラが抜けたらうちは絶対に県大会で勝てないだろ。うちは勝つためにやってるんだから、勝つのに必要な奴を抜くことはしないよ」
早藤は頭に血が登っていくのを感じた。倉沢が来る前までは仲良しクラブの万年一回戦負けだったくせに、何を偉そうに。
「モリコウに悪いと思ってないんですか」
モリコウは早藤と違い、レギュラーとして活躍している。そんなプレーヤーをあっさり怪我をさせてまで、何が勝つだ。だが、口にはしない。 勝つことを諦めるなら、部活なんてやらなければいい。
「思ってるよ。だからといって、クラを抜くって結果にはならんだろ。あいつが居なきゃうちは負けるんだから」
二継は淡々と答える。
「恥ずかしくないんですか! クラ、クラって一人に頼りっぱなしで!」
今のチームは、如何に倉沢の実力を引き出すかということが勝敗を分けるキーなのだ。勝てば倉沢のおかげ、負ければ倉沢の邪魔をしたチームメイトのせい。
「恥ずかしいよ。けど、事実だろ。違うのかよ」
それを恥じているのは、早藤だけだと思っている。それは練習の態度で、試合の態度で分かる。二継の恥ずかしいという言葉は、あくまで早藤を宥めるためだけのものだ。
「違いますよ」
早藤は思わずそう答えた。怒りに任せた言葉だ。考えなんて何もないが、もう、知ったことか。
「どう違うんだよ。クラくらいすげえ奴が他に居るのか」
「俺が、やりますよ」
口にした瞬間から、何か苦いものが込上がってきた。後悔という単語が頭を過る。手は汗どころか震えすら起きている。
「俺が倉沢の代わりになります。それが証明出来たら、倉沢を外して下さい」
言い切った瞬間、早藤は頭がぼうっとしていくのを感じた。そこに、二継の死刑宣告の様な声が響く。
「じゃあ、明日にでも見せてもらうからな」
そして、二継は準備室を後にした。それを見届けると、早藤はその場にへたりこんだ。
その日の練習は一切集中が出来なかった。走ればこけるし、レシーブすればボールは明後日の方向へ飛んでいった。セッターの二継の苦笑いが見えて、顔から火を吹くかと思った。 練習後、誰とも顔を合わせたくなくてモリコウの病室に逃げ込んで、ことの次第を全て吐き出した。
「無理じゃねえの?」
「そんなはっきりに言ってくれるなよ……」
「クラさんの代わりになるなんて、とてもなあ。それこそ明日になんて、どうしようもないだろ」
モリコウの深い溜息を皮切りに、早藤は口を閉じた。明日に二継は何をさせるつもりなのだろうか。思いを巡らせるだけで、今から手が震えてきた。
「謝っちゃえよ。二継さんとクラさんにさ」
早藤の様子を見て、モリコウは気遣う様に言った。その言葉に、早藤は疑問を覚えた。同時に、先とは別の理由で手が震え始めた。
「カッとなって言っちゃいましたってさ。お前のそういう所、二継さん知ってるだろ。クラさんはそもそも気にしてないだろうし」
モリコウは言葉を続ける。
「早藤は謝るの嫌だろうけど、それで丸く収まるのさ。それでいいじゃん」
「なあ、ちょっと、待って」
まだ続きそうなモリコウの計画を、早藤は遮った。そして、怒鳴りたい気持ちを抑えて、努めてゆっくり言った。
「何で、倉沢に謝るんだよ」
その言葉を聞いたモリコウは、眼を剥いて早藤を見た。大きな両目と視線が交わる。
「そりゃそうだろ。すげえ失礼なこと言ってるんだぞ、お前」
「でもあいつはお前に怪我させた張本人だぞ」
「だからといって、面と向かって外れろっての失礼だって。しかもエースで先輩だぞ」
「関係ねえだろ!」
早藤は怒鳴り散らした。エースで、先輩なら。この言葉に何故か我慢がならない。例えモリコウの口から諭されても、受け入れがたい。それが何故だかは早藤自身にも分からない。
「俺は、倉沢には謝らねえ」
早藤は荷物をまとめ、病室を出ようとする。扉に手をかけると、背中越しにモリコウの言葉が聞こえた。
「好きにしなよ。言っとくけど、俺はクラさんが外れて欲しいなんて思ってないぜ。むしろ、俺のせいでこれ以上チームが弱くなるなんて許せねえ」
「知ってるよ」
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