その4・製造科

 それから数年がたち、ご覧の通りに、本当に決断してしまった。意欲は大きな波となり、ついにこのものぐさ男に行動を起こさせたのだ。

 すでに獲得したものに頓着するのをやめた。マンガ業を捨て、暮らしを捨て、東京を捨て、すべてを捨ててみた。すると、驚くほどすっきりと心を整理することができた。開き直りは強い。眼前に広大な地平がひらけた気分だ。窮屈な背後をかえりみる必要はまったくない。空っぽにした自分に、新しいものを詰め込んでいけばいいのだ。ゼロに解体し、いちからつくり上げていけばいいのだ。そうしなければ生きていけないところまで追いつめられていたわけだが、別の言い方をすれば、いったん転んだおかげで、新たな道を走りだすことができたのだ。

「いちに、さんし」

 なんて晴れやかな気持ち。ラジオ体操がこれほどすがすがしい運動だと、東京にいたあの頃にはほんの少しでも気づくことができただろうか?かぐわしい春風に洗われながら、胸をひらいて背伸びの運動~、ごーろく、しちはち・・・細胞に瑞々しい体液を送り込む。

 丘の上のこの場所は、空っぽの自分にふさわしい環境だ。よけいな情報がなにもない。青い空と、深い緑と、土の地べたには濃い影があるきりだ。ただそこに立っているだけで、新鮮なものが体内に殺到してくる。ささやかな建物群は装飾がそぎ落とされ、自分を磨いてくれる徹底的な機能だけがおさまっている。自分はこの場所ですべてを吸収し、更新されていく。小学校入学、中学校、高校、大学入学・・・あのときもこんな気持ちだっけ。あの羽化したての気持ちを、今はしみじみと思い出せる。

 まわりの仲間たちも同じように感じているのだろう。緊張しつつも、屈託のない笑みをこぼしている。誰もが多かれ少なかれ、開き直りに近い覚悟を決めて、ここへやってきたにちがいない。職業訓練校とはそういう場所なのだ。

「はいー、しゅうごう~」

 製造科、デザイン科がそれぞれに集められ、担任の先生が紹介される。わが製造科の担任は、きびきびとした年配の職人肌「イワトビ先生」だ。

「じゃ、いよいよ訓練にはいるぜ」

 50代半ばといったところか。江戸っ子っぽいが、こちらの地元から動いたことがないという。目つきが鋭く、なんでもお見通し、の気配がビンビンと伝わってくる。職人とはこういうものなのだろう。

「作業場に移動だ。ついてきな」

 イワトビ先生の後ろに従う。講義室や窯場を見て歩き、最後に案内されたのは、巨大なプレハブづくりの建物だ。ここが製造科の訓練棟というわけだ。質実剛健と呼ぶにふさわしい、使い勝手本位の素っ気なさがシブい。横着な立て付けのドアから中に入った瞬間、ひんやり、しっとりとした空気に包まれる。と同時に、むせ返るような土の気配が迫ってくる。

(土って、においがあるんだなあ・・・)

 ぼんやりと考えつつも、身が引きしまる。ここですべてがはじまるのだ。

 訓練棟の広さは、バスケットボールコートを縦向きに二面分並べたほどもある。「長い」と表現した方がいい。その距離を移動して奥へと進むに従い、ろくろブース、作品の乾燥ブース、なにやら機械がいっぱい並んだブース、シンプルな作業台のブース、そして粘土置き場がある。天井はむやみに高い。「工場制手工業」という言葉を思い起こさせる、典型的な作業場の様式だ。専門性の高い学科の授業は別棟の講義室で受けるが、ふだん待機したり、昼食をとったり、ホームルーム、担任の講義、ろくろ訓練、その他実技訓練にはこのプレハブを使う。ここはいわば、自分たちのベースキャンプだ。

 キーン、コーン、カーン・・・

 一限めのチャイムだ。さっそく最初の授業がはじめられる。まずは無骨な作業台を並べて着席し、お約束の自己紹介だ。

「陶芸家を志しておりまして、腕前を磨こうとこちらにお世話になることにいたしました」

「リストラにあったんですが、ハローワークでこちらを紹介されまして、てへっ」

「青年海外協力隊の途上国派遣で、陶芸を使った貢献ができないかと」

「製陶所の家を継がなきゃなんないんで、仕方なく」

「マンガが売れなくなっちゃって・・・」

「陶芸体験のできるペンションを経営するのが夢なんです」

「あたしなーんにもかんがえてませーん」

 ・・・さまざまだ。場違いに思える人物もいる。が、かつて美大キャンパスで散見した、いきなり尻を出したり、クラスの征服を宣言したり、中指を立てて見せたり、といった極端なキャラは見受けられない。みんな、おしなべておとなしそうだ。あるいは、そのヒツジの皮の下に凶暴なキバを隠し持っているだけかもしれないが。このオレのようにね、ふっふ・・・ただ、誰もが過去を捨て、新しい未来を求めてここにやってきたはずだ。

(まけねーぞ・・・)

 陶芸に勝ち負けなど関係ないが、とりあえずはこのクラスでいちばんを獲ろう、と思い定める。

 さて、コミュニケーションもそこそこに、授業はいきなり実戦モードに突入だ。まずは実技訓練に先がけて、道具づくりからはじめる。今後一年間の訓練に必要な、ことによると一生涯使いつづけるかもしれない道具類を、棒っきれや鉄片といった粗素材から加工するのだ。

「手元の素材を材料にして、配ったプリント通りにつくりなさい。はじめいっ」

 イワトビ先生が突き放す。たいした説明を聞いていない。このひとのぶっきらぼうな事の進め方には、不安を通り越して、心配になってくる。生徒たちは自分で考え、作業を進めなければならない。配布されたプリントに製図された道具の形状は、どれも専門的なプロ仕様だ。どう使うのかわからないようなシロモノもある。

「トンボ・・・って、なにに使うんだこれ?」

 ぼそりとつぶやいてみる。すると隣に座った女子が、その声を拾ってくれた。

「あのデスね、つくりたい器の直径と深さを計る物差しデスよ」

 出席番号が隣り合わせたこの女子は、オレと苗字が一字違いだ。名前が作業着に縫い込まれているのでわかるのだ。

「へえ・・・ありがと。オレ、森田もりを。よろしく・・・」

「わたしは森野なを子です。よろしくお願いしマス」

 「を」の字も一緒だ。

「きみは陶芸経験、長いの?」

「すこしだけ、陶芸教室でバイト先生をしていたのデス。地元の美大でデザインを勉強したので、それを生かして陶芸作家さんになりたいのデス」

 えへ、と照れ笑った横顔が可愛らしい。性格が穏やかで、やさしく、言葉尻から少々バカな子と推察できる。25歳。化粧っ気もないのに、まばゆいばかりに瑞々しい。こんな子が陶芸をするなんて、ちょっと意外だ。陶芸の職業訓練校なんて、ジジイとババアの巣窟かと思っていたのに。

「じゃ、これは?」

「しっぴきデス。ろくろで挽いた作品を切り離す、切り糸になりマス。この金属製のカンナは、ろくろで挽いた器の底を削り出す、なんていうか、ナイフ・・・?」

 ふむー、かわいい・・・それにしても、このオレだって、陶芸教室で多少は器づくりを経験してきたのだ。なのになにも知らなすぎて、この子の前で恥ずかしい。

「オレは陶芸教室にちょこっとだけ通ったんだけど、使ってた道具は、陶芸ごっこのおもちゃだったらしい・・・」

「まるきりちがいマス。ここで求められる道具類は、プロとしての戦いに用いる一撃必殺の武器デスから」

 なを子ちゃんめ、さらりとすごいことを言う・・・が、その通りだ。これらの道具は、器づくりという実戦の場において、自分たちの手足にならなければならないのだ。高度な質が必要である上に、自前であることが肝心だ。でなければ、自分の形など生み出せまい。この準備段階から、すでに作品づくりははじまっていると言える。

 クラス内は、誰もが無言で手を動かしつづけるため、しんと静まり返っている。訓練に対する不安や緊張があり、しかもまわりは全員が初対面。ライバルたちに自分の実力を(あるいは無知を)悟られたくはないし、逆に、自分以外はみな腕に覚えのある者にちがいない、という猜疑もある。さらに、さては敵もこちらに対してそんな見方をしていると感じられ、警戒感で総すくみ、という図式だ。高校や大学の入学直後のように、多少の振れ幅はあっても、ほぼ同等の人生を送った者たちが集まるのとは違い、それぞれがまったく別の道のりを生きてきた、多様な32名なのだ。即座に打ち解けるというわけにはいかない。かくして、お互いに探り合いながらの奇妙な時間がつづく。

 周囲の連中の素性は気になるが、どうでもいいと言えばどうでもいい。むしろオレには、作業台横の空間をひろびろと占領するコーナーの方が気になってしょうがない。

(すげえろくろだ・・・)

 その一角に居並ぶ電動ろくろは、通った陶芸教室にあった手頃であつかいやすい機種とはまるで別物だ。みるからにゴツく、重々しく、硬派で、型は古いがシケには強い「おやっさんの船」のように職人気質なものなのだ。そいつでクラスのライバルたちと競い合う画を想像すると、自然に気分が高揚してくる。

 さらにその先に見すえるべき「目標となる相手」を見つけた。それは、同期生ではない。ろくろブースのすみの見上げるような乾燥棚に残る、先輩たちの作品群だ。それこそが、自分の闘う相手だ。薄くほこりをかぶった器たちは、実に驚嘆すべき量と質だ。小さな作品はピタリとサイズがそろって柱のように積み重ねられ、大きな作品は形に少しの狂いも認められない。器の表面を彫りこんだ模様や、取っ手やフタなどにほどこされた立体造形もすばらしい。なによりも、ひとの手でつくられたとは思えない端正さ、正確無比な技術には目を見張らされる。

 この学校に入る以前にそんな光景を見ても、少しも心は動かされなかっただろう。そこにあるのは、いつも店で見、手にしているあたりまえすぎる器の形、見なれた正確さなのだから。職人は、きっちりときれいに仕上げて当然の存在だった。正確性などという価値は、売り物としては必要最低限の条件なのだから。ところがそれを自分の未来の姿と見ると、そこに行き着くまでの遠大な道のり、積み上げるべき膨大な努力、そんなものを想像してめまいがしてくる。

 しかしこれらの仕事をやりとげた先輩たちもまた、今の時期にはオレたちと同じような立場、すなわちド素人同然だったにちがいないのだ。彼らが成せた以上、自分も成さないわけにはいかない。その事実は、ルーキーに静かなプレッシャーを与える。今後一年間の訓練をこなせば、本当にあんな作品をやすやすとつくる技術を獲得することができるのだろうか・・・?

(いや、できるはず!自分の才能と伸びしろを信じよう)

 根拠のない自信だけがオレの持ち味だ。やる気がみなぎってくる。同時に、振り払っても振り払っても、大いなる不安ものしかかってくるが。

 記憶がよみがえる・・・陶芸教室での悪夢。無理を聞いてもらい、生まれてはじめてろくろに挑んだはいいが、まったく手も足も出なかったっけ。そう、あのときオレは、大口を叩くだけ叩いておきながら、手の平の中で回る粘土をぐちゃぐちゃのへろへろにしてしまい、結局最後は先生に手伝ってもらった上に、小さなぐい呑みしか残せなかったのだ。その処女作は、縁日の金魚すくいで一匹も獲れなかったガキが持ち帰るおまけ金魚と同じだ。

(あんな惨めな思いは、もう二度とごめんだ・・・)

 それから陶芸教室に通うことになり、ろくろを封印して、手びねりで器をつくりつづけた。ろくろはトラウマですらあった。しかし今となってはそんなことを言ってはいられない。ろくろ名人になるのだ。誰よりもうまく挽ける、すぐれた職人に。乾燥棚に置かれた手本の大鉢を見ていると圧倒され、気が遠くなりそうだ。それを振り払い、自分の未来の姿を頭の中に思い描いてみる。下々の者から「名人サマ」と賞賛され、ちやほやされる姿を。陶芸界の新星、スーパーヒーローとして君臨する勇姿を。

「ようし、やるぞー・・・!」

「・・・は?」

 思わず、声に出していた。なを子ちゃんが小首をかしげてこちらを見ている。

「あ、いや・・・なんでもない」

 夢想から覚め、とりあえずは手元の仕事をせっせとこなしていく。つまり、どんな使い方をするのか見当もつかない道具をちまちまと削り出す作業を。

 時間が空気をやわらげ、じょじょにクラス内に会話が生まれはじめている。最初は隣近所との挨拶や、小さな言葉のやり取り。先刻の自己紹介で引っかかったワードをたよりに、気になる人物とのコミュニケーション。そのうちに席を立って、なんとなく同世代が集まりだす。しばらくすると、

「すごいね、このパイナップルみたいなモヒカン頭・・・」。

 オレの席にも、少数の物好きたちが近寄ってきた。彼らは、珍妙な形のフルーツを見つけた小鳥ような気分なのか、恐る恐るに立て髪をついばんでくる。そうして、握手をしたり、道具のつくり方を訊き合ったり、出来具合いを見せ合ったりするうちに、なんとなく周囲の人物の顔と性格がわかっていく。

 よくよく見渡すと、メンバーは実に多彩だ。中には孫を何人も持つような年配者もいれば、少年の面影を残したニキビ顔もいる。年齢差は三世代分ほどにも散らばっていて、見事にまとまりがない。また、今までに積んできた陶芸の経験値にも相当なばらつきがあるようだ。各自の道具のあつかいを見れば、だいたい想像できる。すでに有段者の風格をにじませる者もあれば、なにをしたらいいのかわからずおどおどと右往左往する者もある。個性も豊かで、気の強さと聞きっかじりの知識でその場を切り抜けようとする剛の者、まるで春の日なたで趣味の工作を楽しむかのうららかさん、一心不乱に精根を傾ける求道者、とさまざまだ。

(オレの姿は、ひとの目にどう映ってるのかなあ・・・)

 ドキドキしつつ、ド素人の馬脚をさらさないように細心の注意を払って、道具づくりを進める。

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器の気持ち/陶芸修行記 もりを @forestfish

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