その1・陶芸職業訓練校

 学校は、長くS字にうねる坂をのぼりきった丘の上にある。入学試験のときには、地方の都市圏から伸びた線路がぷつりと途切れる最果ての駅に降り立ち、そこから寒風吹きすさぶ田園地帯をバスで40分走り、さらに停留所から雪の残るあぜ道を25分も歩き、最後にまちかまえるこの急坂に、ドン引きしたものだった。本当にここに通うのか・・・と。しかし、あれからひと月がたっている。雪も解けた。5倍の難関をクリアし、無事に入学を果たしたオレは、近くにひとり暮らしのアパートを借りた。そこをベースキャンプに、心も軽く、チャリで通学だ。輝ける未来に向かって、幸せいっぱい夢いっぱい。一日一日が新鮮な希望に満たされている。そして朝、この坂の急勾配を一気通貫に走り抜けられるかどうかが、当日の体調と気力のバロメーターとなっている。今朝もまた、願掛けにも似た心もちで、ペダルを踏み込む。

 春前までは、東京にいた。都会のかたすみのコンクリートの牢獄によどんで、マンガやイラストをちまちまと描いていたのだ。少年誌、青年誌、週刊のゲス雑誌の誌面をただよってはすき間をうめ、その年の確定申告書に申しわけ程度の数字を書き込めるだけの生活だ。万年床にねそべって物思いにふけり、起きてはデスクに背中をまるめてペン先をのたくらせ、夜は酒場で飲んだくれ、その三点をヨタヨタと行き来するだけの毎日。スネを切ったらとろりとジンが匂い立ってきそうなほど、酒につかっていた。

 そんな日々に、唐突にピリオドを打った。やりたいことをやれっ、と不意な突き上げがあったのだ。天啓というやつにちがいない。オレはその瞬間、まさしく飛び起きた。そして内なる自分にそそのかされ、新たな道に飛び込もうと決意したのだった。選んだ道は、どういうわけか「陶芸」だ。そうと決めたら、行動は早い。試験を受けた。二週後に合格証を受け取ると、ただちに雑誌社との一切の関係を断ち、荷をまとめた。どうせ嫌気がさしていた業界だ。とっとと遁走してやる。もっとも、すでにあちらから関係を断たれていたも同然の身だったが。とにかく、新生活で、古い自分をリセットできる。手足がもげ、羽もズタズタのチョウが、もう一度サナギにもどったような気分だ。

 そんなウブでエンプティな心に、いなかの朝風があざやかな生気を吹き込んでくれる。チャリをこぐ脚にも力がみなぎるというものだ。坂の下から丘を見上げると、できたての青空を背景に、小箱のような学校がちょこんと建っている。緑にかこまれたその天空の小箱は、これまでコンクリートの地ベタを這ってすごしてきた身には、天国にいちばん近い場所のように思える。やる気はそれだけで充填。渾身の体重をペダルにのっけて、ひと息にアプローチをかけのぼる。

 丘の頂上にたどりつくと、仰々しい看板をかかげた門が待ちかまえる。

「なみこし 陶芸 職業訓練校」

 「勉強」ではなく、「訓練」なんてところがなかなかいいではないか。これが、三十代なかばにもなったマンガ家くずれのオレをひろい上げてくれた、奇特な学校だ。一年間ぽっきりで、その道の技能をみっちりと叩き込み、ど素人を世に通用する程度にまで鍛え上げてくれるのだという。ありがたや。

 丘の上に並んだみっつよっつの建物群は、背が低くこぢんまりとして見える。が、内部を見れば、なかなかの充実ぶりだ。少数の選ばれし精鋭が使うには十分なスペースと、プロ仕様の本格的な設備がそろっている。またひろびろとした敷地内外には緑があふれ、開放感がある。雰囲気を見るかぎり、この場所は「キャンパス」と呼んで差し支えなさそうだ。本当にここで、もう一度学園生活を送ることができるのだ。そう思うと、不思議に甘酸っぱい気分になってくる。

 ピーッ。

 朝9時になり、駐車場ヨコの広場で、先生(正式には「指導員」)の号令がかかる。製造科32名、デザイン科22名、全員がわらわらと集まり、整列する。老いも、若いも、男も、女も、どんな人種も関係なしに、中身本位で集められたメンバーだ。

「毎朝、ここでラジオ体操をします」

 抑揚のない声がそう告げる。そして、いきなりスイッチ・オン。あの明るすぎる音楽が青空に鳴り響く。

 ターンタアーンカチャンチャッチャッチャッ、ターンターンカチャ・・・腕をおおきくあげてー、なんとかかんとかのうんどー・・・

 こっぱずかしいが、やるしかないようだ。周囲の連中もまた、CDラジカセから流れる体操のお兄さんの声に、動きをぎくしゃくとシンクロさせている。おそろいの作業服を着たデコボコ軍団が隊伍を組み、みんなでだらしなく腕をぐるぐる回すこの光景は、ほとんど昭和時代のいなか刑務所を連想させる。が、まぎれもなくこれは、学園生活そのものだ。

「森田くん、きみ、いいからだをしてるな」

 オレの素晴らしい腕回しを見た先生が感銘を受けたらしく、名ざしで「ぜひ」と言われる。まあ、高校時代にバスケはやっていた。のっぽでもある。先生に手を引かれ、突如として体育委員を拝命したオレは、みんなの前でラジオ体操のデモンストレーターをやらされることになった。

(ジロジロ見るなよう・・・)

 しかし、こういうときには開き直りが必要だ。舞台上で踊っているのだと思えば、なるほど、悪くない。だんだん気持ちよくなってくる。ようし、声も出してやろう。

「いっちにいー、さんっ、しっ」

 みんながくすくすと笑いはじめた。いい朝ではないか。この新たな学園生活のために、頭はモヒカンに刈り込んできた。酒も控えめにし、腕立て伏せは毎日100回やっている。体調は万全、気合いも全開。なんでもすすんでやってやろう、という心がまえだ。

「あたらしいあさがきた きぼうのあさだ・・・」

 桜の花びらが、視界いっぱいを流れていく。本当にぴかぴかの朝だ。精鋭54人が立つ丘は、広大な田園地帯を見おろし、遠く周囲をゆるやかな稜線にかこまれている。空気は透きとおり、樹々から差し込む光も清潔だ。騒音とも、排気ガスとも、また空を埋めたてる高層文明とも無縁な世界がここにある。まっさらな一日がはじまる。キジが鳴き、やわらかな風がそよぐ中でのラジオ体操が、オレは大好きになった。

 こうしたシンプルで恵まれた環境で、訓練ははじまった。

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