　思えば、ここに至るまで、でたらめな暮らしっぷりをしてきたものだ。

　中学、高校では、勉強もしないで絵ばかり描いていた。美大に入って油絵科に籍を置いたが、ほとんどバイトと酒とに四年間を費やした。さいわい、時代はバブルの真っ盛りだったので、卒業時にはたいした就職活動をすることもなく、いなかの私立高校に非常勤の美術教師としてもぐり込むことができた。しかし、こんなインフレ教師にまともな授業などできるはずがない。ろくにカリキュラムもつくらず、二日酔いで始業時間に遅刻しては教室に駆け込み、その場しのぎで教卓によじのぼった。そしてワイシャツを脱いで奇妙なポーズをとり、「わたしをデッサンしなさい」などとのたまうのだ。県下最低脳の学校だったので、生徒たちからは逆に「神」と崇められたが、こっぱずかしい先生だった。

　ある日校長が、文部省の小役人だのPTA役員だのを引き連れ、予告もなしに授業を視察にきたことがある。折悪しく、オレは教卓上で裸になり、クラーク博士のポーズをとっていた。その日の生徒たちのスケッチブックには、どのページにも、冷や汗タラタラの半裸男が描かれていたという。とにかく、動くことができない。校長は校長で、青ざめてその場に固まってしまっている。空気が凍りつくとはこのことだ。スーツ姿やザアマス眼鏡の面々は、ひそひそ声で意見を交わし合いながら教室を出ていった。案の定、放課後になるとハレンチ教師は校長室に呼び出され、お偉いさん方に取り囲まれた。ところが、連中はどういうわけか、先刻の教室での光景を激賞してくれるのだ。拍手喝采。破天荒な授業が、「個性的」という当時流行りはじめた便利な言葉に置きかえられ、いたくウケたらしい。勘違いもいいところだが、災い転じて福。オレは教師の内でも「神」扱いされることになってしまったのだった。

　こんな具合いなので、落ちこぼれの生徒たちには人気があった。「先生」ではなく、気やすく「センパイ」と呼ばれ、信頼も厚かった（・・・のかなあ？）。タメ口でコミュニケーションがとれるし、「彼女に子供ができちまった」とか、「親を刺そうと思うんだけど」などの相談にも気軽にのった。そんなときには、彼らをアパートに招いてビールをふるまい、ひざを突き合わせて夜通しに語らったりした。お互いの立場を取っ払った、ざっくばらんな関係だった。今こんなことをしたら、一発で逮捕＆報道のトップ記事だろうが。

　通知表は、全員に最高点をつけてやった。県下でも極めつけにアタマが悪く、偏差値ピラミッドの最底辺に位置する高校なので、この「５」の成績は、とりわけ今まで劣等生とさげすまれてきた落ちこぼれたちをよろこばせた。だれもがその評価にやる気をくすぐられ、目を輝かせて、一心にスケッチブックに４Bを走らせてくれるのだ。このバカ教師の授業は、いつもお祭りのようだった。

　時給制のバイト先生だけでは生活が苦しいので、夜は進学塾で数学の講師をした。共通一次試験でチンピラ美大の足切りにさえ引っかかりそうだったオレが、数学を教えるなどとは驚天動地だが、とにかく今夜の飲み代と明日のパン代のために、インチキ講師でもなんでもやらざるを得なかったのだ。受け持ったのは、その名も「中三・特Aクラス」・・・偏差値が抜きん出ていて、県下最高レベルの高校入試を控える秀才たちだ。彼らは、オレが昼間に美術を教えている悪ガキ高校生たちとは、つむじの巻き方からして違っている。ビン底メガネが鼻先にしっくりと似合い、前髪もまゆの上できれいに切りそろえられ、学ランのそで口には鼻水でなく、指を切りそうな折り目がつき、シャツもちゃんとズボンの中だ。クツだってかかとを踏んづけることなく履くことができる。そのお行儀のよさと、頭脳の回転のはやさは、まったく異次元のものだった。オレは彼らのレベルに追いつき、追い越そうと、参考書を読んで必死に勉強した。彼らの前でオレは、話のわかるアニキとしてではなく、なんでも知っている大人として振る舞わなければならないのだ。なのに、アンチョコを盗み見ながら黒板に書きつける方程式が、自分でも理解できていないことがよくあった。

　にもかかわらず、ここでもオレは人気者だった。テストの結果が優秀だった生徒には、ごほうび代わりにすばらしい体験をさせてあげるからだ。こっそりと広場で、原付きバイクを運転させてやるのだ。なんとすてきな先生ではないか。ある夜、こんな具合いに大勢の生徒を引きつれてパチンコ屋の駐車場にいき、原付きの乗り方を教えてやっていた。あるガリ勉くんは、大きな瞳いっぱいにスリルと興奮をたたえて、オレの自慢の「ヤマハ・jog」にまたがった。しかし彼はなにを思ったのか、いきなりスロットルを目一杯にふかし、エンジン全開で走りだしてしまった。jogはフロントタイヤを高々とかかげたまま、駐車場の薄明かりから暗闇の中へと消えていった。かと思うと、数十メートル先で激しい火花が散り、一拍置いて、クラッシュの大音響だ。あわててみんなで駆け寄ると、彼はドリフのずっこけオチのような格好で、でんぐり返っている。思わずオレは叫んだ。

「野郎ども、ずらかれ！」

　生徒にケガがないことを確認し、集会を解散させた。オレ自身も、動かなくなったjogを押して、一目散に逃げた。本当にやばい先生だった。

　教師生活はらくちんだし、夏休みはたっぷりあるし、子供たちを相手にえらそうにふんぞり返っていられるのはなかなか気分もよかった。ただ、物足りなさも感じていた。日々の虚無感はいちじるしく、希望のなさときたら深刻なものだった。このぬるま湯のような環境は耐えがたい。天国のように見える地獄だ。一年半もたつと、不良教師はここから抜け出す計画に熱中しはじめた。

　そんなとき、週間マンガ誌の「新人賞・マンガ原稿募集」のページに目がとまったのだ。

「もりをちゃんはマンガが上手やなあ」

　ふと、自分が子供の頃からこう言われつづけていたことを思い出した。

（この手をつかえば、東京にのぼれるかもしれない・・・）

　思い立ったが吉日。長い夏休みを利用して、マンガを描きはじめた。ところが、取りかかってから気づいた。マンガをあまり読まないオレは、ストーリーづくりの作法も、作画のテクニックも知らないのだ。そこで、とりあえず「日記のような世間話をマジックとボールペンで画用紙に描きつける」というムチャな方法で、マンガ制作に取りかかることにした。マンガ原稿は通常、Gペンと黒インクで墨入れをするのだが、そんな細かいことはこの際どうでもいい。

「とにかく、描き上げて、編集部に送りつけるのだ」

　マンガ家になりたい情熱ではない。ここから脱出したいという意欲が、あまりに強かった。無鉄砲なチャレンジと言うほかない。ところが、この恐るべき無作法原稿から、オレの天賦の才を見抜くらつ腕編集者がいるから、世界はあなどれない。

「すぐに東京にきて、アシスタントをしながら腕を磨くべきだ！」

　間違いなくきみは売れるから、という殺し文句に夢心地になり、オレはその電話を切るか切らないかのうちに、校長にあてた辞職願いをしたためていたのだった。