第七章:矢部桐人と巨影の焼却-6

 目が覚めると、すぐ近くに有馬さんの顔があった。自分が彼に背負われているらしいことに気づく。

 顔を上げて周りを見回すと、炎と煙をあげる建物が目に入った。

 どうやら、ここは既に外のようだ。

「俺は……助かったんですか?」

「なんだ、もう気がついたのか」

 その言い方から察するに、俺が意識を失っていた時間はさほど長くなかったのだろう。

「死んでいたら、そんな疑問を抱くこと自体できないだろうさ」

 あっさりした答えが返ってくる。どうやら有馬さんは、死後の世界なんてものの存在を信じてはいないようだ。彼らしいといえば、彼らしい。


 有馬さんが運転席のドアを開ける。

 その途端、中から何かが飛び出してきた。

 バッタだ。俺が運転席に入った時、いっしょに入ってきて、殺し損ねて結局そのまま放置していた最後の一匹か。

 開かれた運転席のドアの上にちょん、と飛び乗ったその一匹は、少しの間、火を吹き上げる建物の方をじっと見ていた。その複眼に、ちらちらと炎の明かりが反射する。

 手を出すわけでもなくそのまま様子を見ていた有馬さんと俺の目の前で、バッタはやおら羽を拡げた。そして力強くドアを蹴って、飛び立っていった。仲間達を呑み込んだ、炎の方へ。


「仲間達といっしょに、逝きたかったんでしょうか?」

 そう呟く俺に対して、有馬さんはふん、と馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「死んだり弱ったりした仲間を遠慮無く貪り喰う昆虫がそんなセンチメンタルなわけないだろう。他の生物を無闇と擬人化して感傷的になるのは人間の悪い癖だ。象の墓場は象が自ら死に場所として選んでやって来た場所じゃなく単に密猟者が象牙を取った後の死体を捨てた場所だし、レミングの集団自殺は映画での創作だし、飛んで火に入る夏の虫も死のうと思って火に向かって行くわけじゃない。というかそもそも、火の方に向かって行こうとしているわけですらない。あれは本当は、自分の進行方向と光の向きが作る角度が常に一定になるように飛ぼうとしているんだ。太陽や月のように十分に離れた光源の場合、光の向きと地面が作る角度は一定になるから、そういう風に飛ぶことで、ずっと地面と平行に飛び続けることができる。しかし電灯や火のような近くにある光源の場合、そうやって飛ぶ方向と光の向きの角度が一定になるようにすると、渦を巻くように光源に向かって飛ぶことになってしまう」


 有馬さんは、バッタが飛んで行った方向を見続けている。

「――だから飛んで火に入る夏の虫は、自分の命を終わらせるために飛んで行くわけじゃない。それは結果としてそうなってしまっているだけだ。あいつら自身はただ、飛び続けようとしているんだ。ずっとずっと、飛び続けようとしているんだ」

 ずっとずっと、どこまでもどこまでも、飛び続けようとしている、か。

 感傷的になるのは人間の悪い癖と言った有馬さんだけれど、今の彼の言葉だって、それはそれで十分に感傷的じゃないだろうか。

 そう思った。

 そんなこと、いちいち言ってやらないけど。


 飛び立っていったバッタは、やがて煙に紛れて見えなくなった。そのまま炎に飛び込んでいったのか。

 それとも、更にその向こう側へ、飛び続けていったのか。

 それはもう、分からない。

 ここから見えるのは、空へと向かっていく煙だけだ。

 行手にあるもの全てを喰い尽くしてでも生き、どこまでもどこまでも飛び続けようとしていた彼ら。

 そんな彼らを逆に糧として生まれた煙は、その生き様を受け継ぐかのように、どこまでもどこまでも、上がり続けていった。

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