第六章:矢部桐人と焼却への道-5

 唐突に無線機の向こうから響いてきたその音に、有馬は凍りついた。

 聞き覚えのあるこの音。間違いなく銃声だ。

 慌てて無線機に向かって呼びかける。敵がいるんだとすれば、下手に呼びかけない方が良いかもしれないと気づいたのは何度か呼びかけてしまってからだった。

 畜生、未だにこういう時、咄嗟に冷静な判断ができないとは。もし矢部が隠れていた場合、無線機を通したこちらの声が原因で居場所を気づかれてしまった可能性も……。


 しかし有馬のその心配は杞憂だったようで、すぐに矢部からは落ち着いた声での応答があった。

「もしもし、有馬さん?」

「矢部君? 無事だったか?! なんだったんだ、さっきの音は。銃声のように聞こえたが」

 有馬は最初、できるだけ声を潜めるようにして問いかけたが、矢部が普通に話しているのに自分の方だけそんなことをしても意味が無いということにすぐ思い当たった。もし声を潜めなければならないような状況なら、矢部自身が率先してそうしているだろう。


「まさに銃声ですよ。東雲の仲間の兵士の一人がここに隠れていて、撃たれました」

「撃たれた? 大丈夫なのか? それに撃った奴は? もし今、そいつから隠れているのなら、こんな風に声を出して話し合っているのはまずいんじゃあないか? いったん無線は切った方が」

 矢部はその言葉を、途中で遮る。

「いや、隠れているわけじゃないですから、その心配はありません。そいつはもう、死にました」

「死んだ? まあそれなら安心と言えば安心だが、いったい何故だい? その中にはバッタの大群がいるわけじゃあないんだろう?」

「バッタはまあ、生きているのは数匹くらいしかいませんよ」

 バッタがいないのなら、いったい何が敵の兵士を殺したのかというのか。まさか矢部自身ではあるまい。

 有馬のその予想は、簡単に覆された。


「こいつは、俺が殺しました」

「君が?! 君にそんなことができるのか……?」

 動揺が声に出るのを抑えきれなかった。

 いかに自分を殺そうとしてきた敵とはいえ、一般人である矢部があっさりと相手を殺したこと自体もそうだが、それにも関わらず矢部自身がやけに落ち着いた様子でいることが、有馬には不可解であり、不気味ですらあったのだ。

 無線機の向こうで、矢部がかすかに笑うのが伝わってきた。

「もちろん、できますよ。ああそうか、有馬さんは、俺が本当のところはどんな人間なのか、知らなかったんでしたね。有馬さん、俺はね、生まれながらの殺人者なんですよ」

「君は何を言って……?」

「まあ、安心してください。俺が人を殺すのはこれで三人目ですが、もうこれで最後になるはずです。有馬さんやルルさんを見殺しにしたりもしませんよ。ちゃんと自分の役割は果たします」

 そして、矢部からの連絡は途絶えた。


 無線を切ったのは、直前の会話内容から考えると矢部自身の意思のようだが、撃たれたとも言っていたし、何か良くないことが起こっているのは間違い無い。

 矢部の様子もおかしかった。いや、矢部自身はいつも通りなのだが、その状況なのだ。

 有馬は逡巡する。

 自分もあちらへ向かうべきか? 手錠がかけられているからといって、何もできないというわけではない。少なくとも、戦闘に関しては今の状態でも矢部よりはマシだろう。相手の兵士が東雲レベルの戦闘能力の持ち主だったら、勝負にならないだろうが。


 その時、視界の片隅に動きを捉えて、有馬は慌ててルルの襟首を掴むと自分の方に引き寄せた。バランスを崩したルルがこちらへと倒れ込んでくる。

「のわぁっ?! いっ、いきなり何しやがる?!」

 突然のことに狼狽しつつも怒鳴るルルに、有馬も怒鳴り返す。

「後ろだ、阿呆!」

 ルルが背後を振り返る。その視線の先には、閉じ込められている檻の格子の間から延ばされた東雲の腕があった。

「チッ、もう少しだったのに……!」

 東雲が舌打ちする。


 檻に閉じ込める前に手足を縛っておいたはずだが、有馬が手錠をかけられた状態だったため、実際にそれを行ったのは矢部とルルだ。素人の縛り方では、特殊訓練を受けた東雲には縄抜けが可能だったのかもしれない。ちゃんとこちらで縛り方を確認しておくべきだったか、と有馬は後悔した。

 恐らく東雲は、ルルを人質にしてこちらを脅迫するつもりだったのだろう。東雲の戦闘能力なら、格子越しでも素手でルルを殺すことも可能なはずだ。実際に人をその手にかける覚悟が今回はできているのかは分からないが、そうなってしまってはこちらが要求を蹴ることは難しい。

 しかし幸いにして、間一髪でその危機は避けられた。


 あと一歩で人質にされるところだったルルは、有馬にもたれかかっているような状態で東雲の方を見ていたが、ゆらり、とでも表現した方が良さそうな動きで有馬から離れた。

 そこまでは良かったのだが、その次が予想外だった。

「あーあ」

 ルルはどこか気怠そうな様子で溜息をついた。

「やっぱあんたはちゃんとトドメを刺しとくべきだったわ」

 そう言って取り上げたのは――スピアガンだった。

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