第六章:矢部桐人と焼却への道-3
恐る恐る足をどけて暗がりに目を凝らすと、はたして腹部を踏み潰されたバッタの死体がそこにあった。
だが、俺に踏み潰されたせいで死んだわけではないようだ。
何故なら、そのバッタは頭の方も半分ほどが既に無かったからだ。そして残り半分も、まさに齧られている最中だ。
死体を食べているのもまた、バッタだ。一匹が頭のてっぺんから、もう一匹が喉のあたりから仲間の死体を貪っている。注意していると、ぱりぱりと肉を食いちぎる音も聞こえてくる。
薄暗い廊下で虫が同族を喰らっている光景は地獄絵図そのもので、俺は吐き気を催した。
「うっ……」
「何かあったのかい?」
俺の呻き声を耳聡く聞きつけたのか、有馬さんが尋ねてきた。
「いや、バッタが仲間の死体食べてるのを見ちゃって、ちょっと気分が悪くなっただけです」
「そこにもバッタが入り込んでいるのか……。危険は無いだろうね?」
「生きてるやつは二匹だけですし、さっき俺の服についていたのを払い落としたやつかもしれません」
「ふむ、一匹見たら百匹いると思えなんて言葉もあるから、くれぐれも油断しないようにね。しかしなるほど。死んだり弱ったりした仲間も食べるわけか。道理であんな巨大両生類UMAと戦ったのに、襲ったバッタ側の痕跡は残っていなかったわけだ。あの両生類に返り討ちにされた仲間の死体もきれいさっぱり食べてしまったんだろうな、きっと」
有馬さんはしきりに感心しているが、俺はとてもそんな気分にはなれなかった。
「仲間を喰ってまで自分は生きようとするなんて」
まるで、自分の親や恋人を死なせてまで生き続けている俺のような醜悪さではないか。
「は? それの何がいけないっていうの?」
唐突に、無線にルルさんの声が割り込んできた。何が癇に障ったのかは分からないが、いつもにも増して言葉に険がある。しかし戸惑った俺が何かを問いかけるよりも先に、有馬さんが状況を忘れたかのように語り始めた。
「君はそういうが、自然界では人間が考えるほど共食いというのはタブーではない。というより、肉食動物の多くにとって、自分より小さい個体は同種であろうと獲物と見做し得る存在だ。カマキリ、クモなどは有名だが、ヤゴやゲンゴロウ、タコ、そういった無脊椎動物に限らず、ジリスなども共食いを……」
「……いや、有馬さん、その話は無事に帰った後でまた聞きますよ」
ルルさんの態度も少し気になったが、今はとりあえずおいておくことにして、一階の部屋を見て回った。
想定していなかったことに、鍵がかかっていて入れない部屋が多い。各部屋の扉の横の装置を見る限り、カードキーを使う電子ロックタイプのようだ。
鍵のかかっていない部屋もあったが、入ってみると物置のようで、よく分からない装置が雑然と置かれていた。窓もあるにはあったが、置かれている装置類のせいで半分以上が塞がれている。これでは漏れる光の量も少なそうだ。それに、そもそもの問題として部屋自体も狭いので、バッタの大群を招き入れるには不向きである。
一階にはめぼしい部屋がなかったので、上の階に上がることにした。
ガソリン携行缶は一階の出入り口のところに置いてきたが、実際に使う部屋が決まったら、あれも持って上がらなくてはいけない。それを考えるとあまり上の階を使いたくはないのだが、やむを得ない。
しかし結局、二階も一階と似たような状況だった。ほとんどの部屋に鍵がかかっている。
このまま使えそうな部屋がまったく無かったらどうしようと思いながら三階へと続く階段を上がる途中、踊り場に差し掛かったあたりで、下からがたん、と何かがぶつかるような、倒れるような、そんな感じの音が聞こえてきた。気になっていったん二階へと引き返し、廊下を見渡してみたが、特に異変は無いように思える。
いや、さっきの音は本当に二階からだっただろうか? もっと下だったような気もする。もしかすると、一階かもしれない。
そうは思ったものの、この上更に一階まで戻り、それからまた三階へ行くというのは億劫だった。
どうせ後でガソリン携行缶を取りに下へ戻るのだからその時に確認すれば良いだろう。
そう考えることにして、再び上へ向かう。
三階に上がると、すぐ目の前に扉が全開の部屋があった。他の部屋と違って、ここの扉はガラス戸になっている。扉の中央を横向きに走る蛍光グリーンで描かれた模様に、なんとはなしに近未来的な印象を受けた。
また一階の物置のように狭くて窓が塞がれている部屋だったら困るところだったが、今度の部屋はどうやら三階のほとんどを占めているようだった。
大きい窓があるのは部屋の外からも見えていたが、入ってみると窓が大きいというよりは、展望室のように外側に接した一面が全て窓になっている。窓は上下二段に分かれていて、下段ははめ殺しだが、上段は外倒し窓になっていて開けられるようだ。
窓に近寄ると、ガラスにぽつぽつとバッタが張り付いているのが分かった。
更にそこから外を見渡してみると、少し離れたところに動物園の檻のようなものがあった。少し興味を引かれたが、暗いせいで、中に何かいるかまではよく分からない。いや、何かいたところで、きっともうバッタに食べられてしまっていることだろう。そういえばさっき有馬さんが、巨大UMAがバッタに食べられたというようなことを言っていた気もする。
ここが良いだろう。外に向けて一面ガラス張りだから、電灯をつければ多くのバッタの目にとまるだろうし、廊下へと続く扉がガラス戸だというのもポイントが高い。室内に多くのバッタが集まったのを、目で見て確認してから火をつけられるからだ。
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