第六章:矢部桐人と焼却への道-2
「うわぁっ」
思わず叫び声をあげて、ゴーグルからバッタをはたき落とす。どうやら、頭頂部あたりにとまっていて背中でのプレスを回避できた奴が降りてきたらしい。
「なんだ、何があった?!」
慌てた声で問いかけてくる有馬さんに、大丈夫です、と返事をしながら、そのバッタも踏み潰そうとする。しかし背中で押し潰されて既に死にかけだったさっきの数匹とは違い、手で払い落とされただけの一匹は俺の足を回避して飛び立ち、フロントガラスに張り付いた。それを今度は手で捕まえようとするが、バッタはそれも察知してまた飛び立つ。
そんなことの繰り返しで、狭い車内だというのに中々捕まらない。
「ああもう、じれったい! 一匹だけでしょ?! もうほっときゃ良いじゃん!」
背後の荷台からルルさんの声が響いてきた。荷台との間の窓からの視界は限られているが、どうやら向こうからも俺が何をしているのかは分かったらしい。
まあ確かに一匹だけなら、仮に齧られたところで大したことはないかもしれないのだが、気分の問題としては生きた人喰いバッタと同じ密閉空間にいるというのはどうにも落ち着かない。
しかし一方で、そんなことに時間を取られている間に東雲の仲間の増援が来てしまってはお終いなので、ここは素直にルルさんの言葉に従っておくことにした。
幸いにして、最後に残った一匹は再びフロントガラスへと張り付いたきり、こちらを襲いに来ることもなくおとなしくしている。
俺はゆっくりと車を発進させた。速度的には車を使う意味が無さそうなくらいのノロノロ運転で、有馬さんから聞いた鍵の開いている建物の方へと車を進ませる。
それほどゆっくり進む理由は二つで、一つは先程と同様、バッタの注意を引かないためだ。車の中にいる間はバッタに襲われる心配は無いとはいえ、この後、目的の建物にたどり着いたらまた車から出てガソリンを運んだりしなくてはならない。その時、車の周りがバッタだらけになってしまっていては危険性が高まる。
もう一つは、どこかにぶつけてしまった場合のための用心だ。ライトをつけるとそれもバッタを集める要因になるので、月明かりや外で燃えている炎の明かりが頼りだ。正直言って、視界はかなり悪い。こんな状態で勢い良く車を走らせて、万が一どこかに激突したらさっきの東雲の仲間の二の舞いだ。
「そこの左手に見えている建物だ。できるだけぎりぎりまで出入り口に近づいたところで停めた方が良い」
有馬さんの指示通りに停車する。ありがたいことに、すぐ近くにバッタが大勢集まっているということはなかった。
助手席側のドアから飛び出せば数秒足らずで出入り口にたどり着いて中に入り、ドアを閉めることができそうだが、残念ながら身一つで入れば良いというわけではなく、ガソリン携行缶を運び入れる必要があるので、そういうわけにはいかない。
俺は運転席まで来た時と同様、ゆっくりと車から降りて匍匐前進で荷台の方へと戻り、中から差し出された携行缶を受け取った。
地面に降ろした携行缶を押しながら匍匐前進で進むという、傍から見ると間抜けに違いない格好で少しずつ進む。携行缶がかなり重いため、短い距離にも関わらず、けっこうな疲労感があった。しかし、それ以外にとりたてて問題はなく作業は進行し、携行缶を建物に運び入れてから急いで出入り口のドアを閉めた俺は、溜息をついて座り込んだ。
また数匹のバッタが服に張り付いていたが、手で払い落とすだけでいちいち潰すところまではしなかった。この後も有馬さん達が使う車と違って、これから火をつける建物内にバッタが少々紛れ込んでいたところで特に問題も無いだろうという考えもあったが、基本的にはもう面倒だったのだ。
「で、この後は電気をつけてバッタを集めて、それからガソリンを撒いて火をつけたら良いんですよね?」
無線越しに、有馬さんにそう尋ねる。
「まあそうなんだけどね、その携行缶のガソリン量では建物全体を燃やすのは難しいし、そんなことしたら君も危険だから、どこかの部屋にバッタを集めるのが良いだろうね。電気をつけた時に明かりがバッタに見つかりやすいように、窓が大きい部屋が望ましいかな。ひとまずはそういう部屋を探そう。あと、バッタを集める時までは無闇に電気をつけるのは避けた方が良い。どこかに開けっ放しの窓があったりしたら、光に引き寄せられたバッタがそこから殺到して火をつける前にバッタの餌になってしまう危険性がある」
どことなく夜の病院を連想させて不気味な建物なので、電灯をつけることなく暗い中歩くのはあまり気分の良いものではない。しかし、そう言われてしまっては仕方がないので、緑の人が走るマークでお馴染みの誘導灯の明かりだけを頼りに進む。
そういえば、誘導灯が点いているということはちゃんと電気はきているらしい。昨日までは人が普通に使っていたのだから当たり前といえば当たり前かもしれないが、もしそうでなかったら電灯の光でバッタを集める計画が根本から破綻するところだった。いや、その場合はその場合で、有馬さんのLEDランタンを使えば何とかなるのか。
数歩進んだ時、左足から何か柔らかい物を踏みつけた感触が伝わってきた。
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