第一章:UMA探偵と優しいバール-1

「なんでこんなになるまで放っておいたんだ!」

 マンションの一室に、有馬勇真さんの声が響き渡った。

「放っておいてなんかいないし。それにまだ『こんなに』っていうほど大きくなってないじゃん!」

 そう反論したのは、この部屋の住人である琴家ルルさんだ。

 ちなみに俺は普段、彼女を下の名前で呼んでいるが、それは個人的に親しい関係にあるからではなく、バラエティ系(?)動画でのレポーターである彼女が“ルル”という愛称で売り出しているからである。俺と彼女の関係は、同じ撮影班の仲間に過ぎない。


 そのルルさんと口論になっている有馬さんの方は……何と言ったら良いのだろう?

 当人の言葉をそのまま借りれば、彼は“UMA探偵”であり、そのUMA探偵とは、UMA、すなわち未確認動物の調査と捕獲、場合によっては駆除を行う専門家なのだという。

 ちなみに多くの場合、依頼人は政府の極秘機関で、有馬さんとの初対面時に同じく初めて会ったイトウさんとカクコさんの二人組もそういった機関に所属しているらしい(カクコさんは否定していたが)。


 まあ何と言うか、聞くからに胡散臭さ抜群ではある。現実感が無いことこの上無い。恐らく大抵の人は、そんな説明を聞かされた日には頭のおかしい人なのではないかと疑うことだろう。

 しかし現実に巨大UMAに襲われ、自分の現実感なんてものがいかに当てにならないものなのかを嫌というほど実感した後では、なかなか否定できるものでもなかった。


 さて、問題はそのUMAだ。それが今、特に高級でもなければ幽霊が出そうなボロさというわけでもない、ごくごく平凡なマンションの一室、そのテーブルの上にちょこんと乗っている。

 “ちょこん”という表現からも分かるように、もちろん巨大UMAそのものではない。その子供、ピンポン球より少し大きめくらいの子ダコだ。そのくらいのサイズとなると、普通のタコと比べても小さいくらいで、あの親ダコの巨大さ――もっとも、俺自身はその全体像を実際に見てはいないのだが――を考えれば尚更だ。

 そういう意味では、『こんなにっていうほど大きくなってない』というルルさんの言葉は正しい。ただ、巨大タコUMAと対決した日に、額に張り付いているのを見つけた時には指の爪くらいのサイズだったらしいので、有馬さんの言うことも分からないではない。


「とにかく、このタコはUMA探偵協会の方で回収する」

「そんなのダメだよ!ラヴちゃんはもう私の家族なんだもん」

「もはや本性が知れているというのに今更『だもん』とか言って猫被ってもダメだよ。だいたいね君、最終的にはあの大きさになるんだよ?君も見ただろうに。一般人の家にいて良いものじゃあない」

「あの時カクコさんは、あんな大きくなるなんて聞いたことがないみたいなこと言ってたじゃん」

「そういえばそんなことも言っていたような気はするけどね、しかし仮にあのタコが突然変異で巨大化したものだとしても、その子供であるこいつもその変異を引き継いでいる可能性は高いんだ。となれば、このタコもあれくらいになると考える方が自然だよ。だいたい、素人が好奇心で珍しい動物を飼おうとするのはいつだってトラブルの元だ。アライグマやワニガメやカミツキガメを小さくて可愛げのある時に飼い始めて、やがて成長したら飼いきれなくなって野に放つ輩がどれほど多いか。そんなことだから外来種問題がいっこうに……」


 当の子ダコは自分が話題になっているとも知らず、テーブルの上でリズムでもとるかのように体を左右に揺らしている。その姿は何となく、昔流行った、音に反応して踊る花のおもちゃを連想させた。

 体色がテーブルとまったく同じになっていて、ぱっと見にはテーブルの一部が出っ張っているように見えるあたりは、さすがあのタコUMAの子供だ。


 子ダコ同様、俺もまた他人事のような気持ちで二人のやりとりを眺めていたのだが、ルルさんに横目で睨まれてしまった。

 お前のせいでこんなややこしいことになったんだぞ、とでも言いたいのだと思う。確かに、タコUMAの飼育についてちゃんと専門家の意見を聞いた方が良い、とアドバイスしたのは俺だ。


 まったく折れる気配の無いルルさんについに根負けしたのか、有馬さんは『飼えないくらい大きくなったら必ずこちらに引き渡すこと』を条件にしてとりあえず子ダコの回収を断念した。


「あーあ、やれやれ」

 そう溜め息をついて、有馬さんは欧米人のような大袈裟な仕草で肩を竦め、首を左右に振った。そして何故か本棚に向かう。

「こんなに触手ものの本を集めているような君がタコを飼うなんてね。さては邪な動機があるのだろうと疑ってしまうよ」

 ルルさんの口から、ぎょにょえあっ、と文字にしづらい変な音が出た。

「てててめぇ、なに乙女の秘密を勝手に!今すぐやめないとコルホーズにぶち込むぞ!?」

 慌てて有馬さんの手から、本をひったくるルルさん。

 本のカバーは『新世界の中心で愛を叫ぶねん』(昔流行った純愛小説。通天閣の上から遺骨を撒くシーンに感動して真似をする迷惑な人が続出し、社会問題にもなった)だが、中身は恐らく、まったくの別物なのだろう。

「そんなエログロな本を収集しておきながら乙女とはよく言ったものだね」

「この腐乱した豚の晒し首野郎が!なんでそれに気づいた?!」

 言葉遣いも完全に乙女を逸脱してしまっている。というか、よく咄嗟にそんな妙な罵倒が出て来るものだと、変なところで感心してしまった。

「なんでって、そりゃあ君、UMA探偵は探偵の上位互換だからね。素人が隠しているものなんてすぐに見つけられるさ。しかしまあこんな性癖があるようでは本当の自分を見せたくないというのも肯ける話だ」

 有馬さんもなかなか性格が悪い。あるいは、子ダコを回収できなかった腹いせなのだろうか、これは。そう考えると、飄々ひょうひょうとしているようで案外大人気ないところのある人なのかもしれない。


 まあルルさんについてはこの前に予想だにしなかった一面を散々見てしまったので、今更ちょっと特殊な趣味があったところでさほど驚くことでもない。

 と思っていると、本を元の位置に戻しながら、ルルさんがぼそりと呟くのが聞こえてきた。

「とりあえず矢部は、今日の記憶が飛ぶまでバールのような物で殴って、それから私の気が済むまでバールそのもので殴るか」

 声量的に、こちらにわざと聞かせて脅すために言ったというよりは、うっかり口をついて出た本音がたまたま聞こえてきてしまったという感じがして尚更怖い。

 なお、矢部というのは俺のことだ。フルネームは矢部桐人という。

「いやいやいやいや!漫画じゃあるまいし、人間の記憶は殴ったからって都合良く飛んだりしませんからね?!っていうか、後半の方は完全に何の必要性も無いですよね?!」

 ちなみに、年齢的にはルルさんの方が下だが、前の仕事を辞めて今の会社に入り直した俺の方が職場では後輩に当たるため、敬語で話すようにしている。

「後の方は、ほら、秘密をバラされて傷ついた私の心を慰めるために必要なんだよ」

「バールで人を殴ったら心が慰められるなんて人には初めて会いました」

「じゃあこれが矢部っちのバール初体験か。大丈夫、初めてだから優しくシてあげる。バールの半分は優しさでできている……」

「殴られそうになってる側から言わせてもらえば、優しさの欠片も感じませんけど?!」

「それは、バールの半分は優しさでできてるけど、私の半分はやましさでできているから、トータルでプラマイゼロになってるんじゃないかな?」

「いやどう考えてもマイナスですよ、それ」

 結局、有馬さんが俺をかばうようにルルさんとの間に立ってくれたため、俺はバール初体験をせずに済んだ。ルルさんは『もちろんただの冗談だよ、えへ』とか撮影用スマイルで言っていたが、俺は全然信用していない。

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