第五章:琴家ルルからヒュドラに再見-5
「失態だな、UMA探偵」
待ちきれなかったのか、船着場で私達を出迎えたカクコは、報告を受けて不機嫌を隠そうともしなかった。
「子ダコが海じゅうにばらまかれるのを防ぐことができず、結局仕留めたのは放っておいてもじきに死んだ親ダコだけか」
「いやはや、全くその通りだね。このUMA探偵・有馬勇真ともあろうものが、今回ばかりは完敗だよ。弁解の言葉一つとして出てこない」
対するUMA探偵は、どこか清々しそうとさえ言える表情だった。そしてそれは、カクコにも伝わったらしい。
「……だったら何で、そんな晴れ晴れとした表情をしているんだ?あんな生物がそこいらじゅうで繁殖するような事態になってみろ!生態系や人間にどんな影響がでるか……」
「どうかな?あんなに大きくなる事が珍しいだけで、実はあのタコ、ありふれた生き物なんじゃないかな?」
「何?」
「ありふれているけど、みんな気付いていないだけかもしれない。うまく擬態しているせいで」
カクコは、苦虫を噛み潰したような顔で押し黙った。それに対して、イトウの方は苦笑している。
「とりあえず、親ダコの死骸については、引き上げて冷凍保存して運ぶための船をこちらに向かわせるようUMA探偵協会の日本支部に連絡しておいたよ。運良くこの近くに来ている船があるらしいから、もう少ししたら来るだろう」
有馬がそこまで言うか言わないかのうちに、空からヘリ独特のローター音が聞こえてきた。
「あ、あのヘリがUMA探偵協会とかいうところのやつかな?」
「いやいや、船って言ったじゃないか。だいたい、あんなヘリじゃあの大ダコは引き上げられないよ」
「でもあのヘリ、タコの死体があるはずのあたりに向かってないッスか?」
「たまたまじゃないかな?」
そう言いつつも、有馬はヘリの向かう方角に目を凝らしていた。私もなんとなく、そちらを眺めていた。
別に、何かが起こることを予期していたわけではない。本当に、なんとなくだ。だから轟音とともに巨大な水柱があがった時には、目を剥くほど驚いた。
「えぅ、なっ何?爆発?何で?!」
麻倉と矢部も音に驚いてテントから転がり出てきた。
「なんだ今の音は?!何が起こった?!」
「……まずいな」
さすがと言うべきか有馬は叫んだり狼狽えたりはしなかった。しかしその顔からは血の気が引いている。
「今の爆発、位置から見て、あのヘリがタコの死骸を爆破したんだ。証拠隠滅か?しかしあれがいったい何の証拠だと……いや、今重要なのはそこじゃない。あれが証拠隠滅のためにやったことなら、あのタコの存在を知ってしまった我々もまた……」
「隠滅されるってことッスか?それは大変」
イトウの言い方ではまったく大変そうに聞こえない。だが、そうしている間にヘリはUターンしてこっちに向かって来た。
「こっちに戻って来るよ!」
「とりあえず森まで走れ!木の陰に隠れれば上から狙い撃ち難くなる!」
海岸近くまで森がある島だから逃げ込むだけなら間に合いそうではある。しかしなにしろ小さな島の森だ。
「森ごとまる焼きにされたらどーすんのさ?!」
「爆撃機じゃあるまいしそこまでの火力は用意していないと思うが……そんな重装備で来られてたらどっちみちお終いだ」
なんとかヘリよりに追いつかれるよりも先に森へ逃げ込むことができた。茂みに身を潜めて、刻々と近づいてくるヘリの音に耳を澄ませる。そのまま通り過ぎて行ってくれることを願ったが、その願いも虚しく、音から察するにヘリはどうやら森の手前あたりでホバリングを始めたようだった。
もしかしたら今頃、山狩りのための兵士とかがロープを伝って降下しているところかもしれない。さすがにそれは妄想が過ぎるだろうか。しかし相手は証拠隠滅だかなんだかのために海を爆撃するような連中だ。ヘリに兵士を乗せてたり山狩りをしたりするくらいのことはしてもおかしくない気はする。
今日この島に来るまで、私はガセネタばかりの噂や都市伝説を追ってはお茶を濁すような取材をするだけの日々を過ごしてきたのに、今日一日で巨大海蛇に見せかけた巨大タコに襲われるわ武装ヘリに追われるわで、いったいどうしてこうなった。
「そういえば、あの偽官憲はどうしたんだい?」
隣の茂みから有馬が小声で問うのが聞こえてきた。
「ああ?そんなの連れて逃げる暇なんてなかっただろ?!さっきのテントの中にほってきちまったよ」
麻倉が口調だけは荒っぽいものの、苛立ちよりもむしろ焦りを感じさせる声で答えた。
「あんな奴の心配なんてしてる場合かよ?!」
その点については、私も同意せざるを得ない。麻倉と同じ意見なのは
その時、ドン、ドンと続けざまに大砲を撃つような音が聞こえてきた。だがその位置は、ヘリがホバリングしている地点よりも更に向こう側なように思えた。
「畜生、今度は何だよ?!」
麻倉の声は、もはや半泣きになっている。
「しっ、静かに」
ヘリのローター音が変わった。さっきまでホバリングしていたのが、私達の頭上を飛び越えて遠ざかって行くようだ。やがて、その音も聞こえなくなった。
「行った……のかな?」
「だと良いんだけどね」
希望的観測としては相手が完全に立ち去ったことを期待したいところではあるが、そんなこちらの考えを読んで、ヘリだけ去らせて乗っていた兵士達は森の外で待ち構えているという展開も有り得る。
このまま身を潜めているべきか、それとも様子を見に行ってみるべきか。態度を決めかねていると、場違いなほど脳天気な調子の声がメガホンで増幅されて響いてきた。
「あーあー、ただいまマイクのテスト中。有馬ー!聞こえてるかー?!」
「この声は……!」
有馬はガサガサと音を立てて立ち上がると、いつの間にか電源を落としていたらしい携帯電話を起動してどこかへ電話をかけた。
「もしもし」
「おお、生きてたか有馬!」
メガホンと有馬の携帯電話から同じ声が響いてきた。有馬が慌てて携帯電話を耳から遠ざける。まあ少し離れてる私にもはっきり聞こえるくらいなんだから、直接耳を当てていたら当然そうなるだろう。
「ちょっ、声!声が大きい!」
その後、有馬はしばらく電話の向こうの相手と話していた。メガホンの方は切られたようで、話の内容は私には分からなかった。やがて電話を切ると、有馬は私達全員を見回してから言った。
「どうやら、危険は去ったようだよ」
有馬の話すところによると、先程二連続で聞こえてきた大砲のような音は、UMA探偵協会の船が行った威嚇射撃だったらしい。有馬が呼んでいた船が間に合ったというわけだ。もっとも、本来の目的は大ダコの死体回収だから、そういう意味では間に合っていないとも言えるが。
ともあれ、ヘリの方は大型の武装船相手では勝ち目が薄いと判断したのか、降下させていた人間を引き上げておとなしく去って行ったとのことだった。
「もっとも、UMA探偵協会の船は大型肉食UMAや海賊対策として武装しているとはいえ、あくまでも調査船であって軍艦とかではないからガチで戦いを挑まれたらまずかったかもしれないけどね」
とも有馬は言っていたが。
助けが来たのが早かったためか、テントの中はさほど荒らされてはいないようだった。
「いやはや、とりあえずUMA探偵七つ道具がちゃんと105個揃ってて良かったよ」
「いや、むしろ増えてないか、それ?」
元々何個あったのかも分からない七つ道具については増えたのか減ったのか私には知りようがないが、しかし一つ確実にテントから消えたものがあった。
「あの偽警官、連れ去られちゃったのかな?」
東雲が縛りつけられていた場所には、ただ倒れた椅子と切断されたロープだけが残っていた。
いや違う。
よく見ると、椅子の上に、何か字が書かれた紙切れのようなものが乗っていた。有馬はひょいとそれを拾い上げて一通り目を通すと、文の書いてある面をこちらに向けて掲げて見せた。
「どうやら、連れ去られたというのとはちょっと違うようだね」
そこには、こう書かれていた。
『いずれ貴様とは決着をつける。私に情けをかけたつもりかもしれないが、こちらには馴れ合うつもりは無い。覚悟しておくがいい、UMA探偵』
これを書き残したのは、まず間違いなく東雲だろう。後からヘリで来た連中が書いたのだとすると、『私に情けをかけたつもりかもしれないが』のあたりが意味不明になる。
連れ去られたのであれば、こんな書き置きを残していく余裕など無い。いや、それ以前に、ロープが切断されていた時点で気づくべきだった。連れ去るのであれば、拘束したままの方が都合が良いからだ。
つまり東雲は、
「はて、私の方もあんな間抜けな偽官憲なんかに情けをかけた覚えは無いのだが、いったい何のことだろうね」
有馬はすっとぼけているが、私は気づいていた。
二回目の拘束後、イトウによって拷問にかけると脅され、自決を図った東雲は、有馬にテーザーガンで気絶させられたことによってそれを阻止された。この時、東雲が気絶したせいでイトウによる拷問も実行されなかったわけだが、よく考えると、一回目にテーザーガンで撃たれた時、東雲はすぐに意識を回復している。つまり、あのテーザーガンの威力では意識を失うとしても僅かな時間にすぎず、二回目に撃たれた時、長時間気絶しているように見えたのは拷問を先延ばしにするための演技だったと見るのが自然だ。
私でも気づいたのだから、当のテーザーガンの持ち主である有馬がそれに気づかなかったはずもあるまい。イトウに自分の前では拷問はやめろと言っていた有馬のことだから、恐らくはわざと気づかないふりをしていたのだ。
いや、それどころか、あの時の会話をよく思い返すと、そもそも東雲に気絶したふりをするよう暗に勧めたのは有馬だとさえ言える。そして、そのことに東雲も気がついていたのだろう。
ヘリを使ってあんな派手に爆撃をしたとなると、東雲の一味はそれなり以上の組織規模があると見た方が良い。私とて拷問が見たいなどと思っていたわけではないが、有馬のこのぬるさは後顧の憂いを残したかもしれない。
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