第三章:UMA探偵と人喰いミズコ-7
気は進まなかったが、とりあえずは、数歩離れた所から
「ええと……御迷惑をおかけしました」
うっかりするとこの二人のうちどちらか、または両方を殺してしまっていた可能性もあるわけで、御迷惑どころの話ではないのだが、他に何と言えば良いのかも思いつかない。
「いや、俺は別に気にしてないですけど」
麻倉より先に矢部が応えた。
殺されかけたのに気にしていないというのもすごい話である。思えば矢部は、巨大海蛇をもう一度撮影に行けという麻倉の命令にも文句一つ言わず淡々と従っていた。ちょっと正気を疑いたいところだが、さっき正気を失っていたばかりの私にそんな資格はあるまい。
一方、麻倉はワンテンポ遅れて返事とも言えない返事を返してきた。
「お、おおおう?」
普段なら罵倒されるところだが、さすがに先刻の暴走状態の私を見た直後だとそんな勇気は無いらしい。それでも上司の威厳を見せなければならないとでも思ったのか、テンパッて裏返った声で説教じみたことを語り始めた。
「い、良いか、琴家、いつも本当の自分を見せないよう見せないようとして自分を守ろうとしてばかりいるから、いざという時にそんな風になるんだ。傷つくことを恐れずにもっと普段から勇気を出して自分をさらけ出すことが大切だぞ。お前が思っているよりも、案外、人は受け入れてくれるもので……」
「なーにをどこかで聞いたようなペラッペラな台詞を言っているんだね、君は」
横からすこーん、と麻倉の頭にチョップが振り下ろされた。いつの間にか、有馬が傍まで来ていた。
「軽々しく本当の自分をさらけ出しても大丈夫みたいなこと言ってるが、だったらなんだ、君は彼女の素顔が五歳くらいの幼児が惨殺される映像が大好きなサディストかつショタコンのスプラッタ愛好家で、他人の撮った映像を見るだけでは満足できず、自ら人身売買が行われているような途上国に毎年行っては子供を買い付けて、ビデオで撮影しながらなぶり殺しにしてますってカミングアウトしても受け入れるのかい?」
「え……」
とんでもない
というか、私も絶句である。私はそんなことをしかねない人間に見えているのだろうか。
「いや、いくらなんでもそれは……」
「受け入れられないだろう?そんな人間を受け入れるようならそれはそれでまた問題だが、仮に君自身が受け入れたところで、そんな素顔をさらけ出した人間を、世間の人々が受け入れると思うかい?受け入れない人々がこいつを石もて追おうとした時、君は彼女を守れるのかな?できはしないだろう。そこの彼女は擬態で自分の身を守ってきたんだろう?ナナフシが自分を木の枝に見せかけたりムラサキシャチホコが自分を枯葉に見せかけたりして自らを守り生き延びてきたように。あるいは、カメレオンやヒラメや……あっ」
有馬は何故かそこで大きく目を見開いて言葉を切った。が、気を取り直したように言葉を続けた。
「擬態は罪でもなければ恥でも無い。生きる術だ。どういう事情があるのかは知らないが、その生きる術を捨てた時に代わりになる何かを提示できるわけでもないくせに、軽々しく生きる術を捨てろとか言うものじゃあない」
いつの間にか私がサディストかつショタコンのスプラッタ愛好家である事が前提の話になっている。
……だが。
有馬の出した例ほど極端ではないにしても、人肉を、それも家族の肉を食べた人間なんて、しかもそのことを特に何とも思っていない人間なんて、普通は受け入れられるものじゃない。
私が人喰いミズコさんの都市伝説のモデルとなった人間だと知っている麻倉とて、所詮ただの噂だと高をくくっていたからこそ平然と私を部下にできたのだ。もし本当にそんなとんでもない人間だと思っていたら、今日の私を見ただけであんなに怯え狼狽えはしなかったはずだ。
有馬は、麻倉からこちらに目を向けた。
「ま、さっきも言ったように、擬態は罪でも無ければ恥でも無いが、飽くまでも生きる術であって命そのものじゃあない。他にやりようがあるのなら捨てたって何の問題も無いし、生きる術として何を選択し、どんな生き方をするかは君の勝手だ。本当の自分なんてものは誰にも見せず、誰にも理解されずにずっと生きるのも有りだし、石もて追われる覚悟で自分をさらけ出して生きるのもまた有りだ。好きな方を選んで覚悟を決めると良い。別にどちらかが間違いなわけでもないし、どちらかが正しい生き方というわけでもない」
私は苦笑した。
「好きな方を選べって言うけど……何その酷い選択肢。ずっと誰にも理解されずに生きるか、石を投げられながら生きるかって、それどっちにしても人生ハードモードじゃん」
どう
それは、こんな私でも、私に見殺しにされた弟と比べたらまだ幸運だと言えるかもしれない。
人を見殺し人を喰い、それでめでたしめでたしの幸福な人生を送ろうという方が虫の良い話なのかもしれない。
それでも。
それでも、釈然としない思いはあった。あったが、しかしそんな私の思いにはまったく
「まあそうだね。でも、ま、君なら大丈夫だろうさ」
その無責任な発言に、少しイラッとした。
「何を根拠にそんな適当なことを」
麻倉が私のことなどたいして知らないというなら、今日会ったばかりの有馬はほとんど何も知らないと言って良い。
さっき麻倉に軽々しくそんなことを言うな、とか言っておいて、よくもまあそんなことが言えたものだ。軽々しいのはどっちの方だ。
有馬は肩を
「ま、根拠っていうほどの根拠があるわけじゃない。勘のようなものさ。ただ、君は、恐怖が極限に達した時、逃げるでも引き籠もるでも自らを傷つけるでもなく、攻めに打って出た。それだけが理由ってわけでもないが、何となく分かったことがある。視線恐怖症というのは、普通は自分自身への否定的感情から生じるものだ。だが君は、他人からの否定を恐れているだけで、君自身は自らに対して否定的じゃあない。君自身は、自分のことが好きなんだろう?それは悪いことじゃないし、だから、君は大丈夫さ」
有馬の日本語は、おかしかった。だから大丈夫だと言われても、そこで何で『だから』で繋がるのか、意味が分からない。分からないが……しかし分かった。
今までずっと分からなかったことが、その言葉を聞いて、ようやく分かった。
本当の自分の顔を見られるのが嫌で懸命にメイク技術を磨いて顔を変え、人の目を欺いてきたのに、どうして結局整形手術は一度もしなかったのか。
自分が何者なのかを知られるのが嫌でずっと通称を使ってきたのに、何故ゲームのプレイヤー名に本名を使うような間抜けな真似をし、結果、麗奈に正体を見抜かれることになったのか。
有馬の、言う通りだ。
私は、自分が好きなのだ。人を見殺し人を喰い、しかもそのことを大して何とも思っていないような冷血無情にして冷酷無慈悲の外道だけれど、そんな自分のことが、それでも、ずっと、好きだったのだ。
だから、他人に見せる見せかけの自分をいくら作り変えても、自分自身以外の誰にも見られることがない本当の自分は、変えたくなかったのだ。
「そうか……そうだったんだ……。ふふ、あはは」
笑いがこみ上げてきた。
まったく、人を見殺し人を喰い、そのことを何とも思っていないばかりか、そんな自分を嫌いですらないとは。何とも可愛げが無い。外道にもほどがあろうというものだ。
私は、どこまでいっても冷血無情にして冷酷無慈悲な外道だった。それに気がついたことで、かえってさっぱりした。
そこまでのどうしようもない人外に、後ろめたさだの罪悪感だのといった、真人間の如き感情は、まったくもって似合わないではないか。ならば何を迷うことがあろう。私の生き方はもう決っている。これからも、自分が誰にも見えないように、人の目を誤魔化し、人の目を欺いて生き続けるのだ。堂々と、恥じることなく。それは、その生き様が人として恥ずかしいことではないから……ではない。人外の生き様に、恥などという概念は無用だからだ。
「そうだな、うん、そうだ、お前の言う通りだ」
笑い過ぎたせいで、目尻に涙が滲んだ。
私は、胸を張って宣言する。
「確かに、私は大丈夫だ」
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