第三章:UMA探偵と人喰いミズコ-5

「大丈夫だ。お前は今、誰にも見えていない」


 その声でふと我に返ると、顔が何か布に覆われていた。

 いや、私が誰にも見えていないというか、私の方が何も見えていない状況だろう、これは。

 そう思った後で、そういえば自分は今まで何をしていたのだったか、という疑問が生じ、そしてすぐに、今の今まで自分が何をしていたかに気がついて血の気が引いた。


 またやってしまった……。


 前回とは違い、鎮静剤を打たれたりはせずに意識が連続した状態で正気に戻ったためか、今回は錯乱状態に陥っていた間の記憶がばっちり残っていた。

一歩間違えば、人を見殺しにした女から人を殺した女にクラスチェンジするところだった。

 顔に被せられているのは、どうやら誰かの上着のようだった。さっきの声から判断すると、有馬か。

 私の様子が変わったことに気がついたのか、その有馬が声をかけてきた。

「落ち着いたか?」

 私は、こくこくと頷く。この状態ではその動作が外から見えているのかどうかは分からなかったが、有馬には通じたようだった。

「いやー、穴居性動物には頭に布や袋を被せると落ち着くものがいるんだが、同じ手が通じたようだね。良かった良かった」

 動物扱いかよ、と思ったが、あれだけ理性を失って暴れた後では、返す言葉も無い。


 メイクを直したり着替えたりしに行きたいが、有馬の上着は背中側の裏地が私の顔の前にくるかたちで頭に被せられていたが、このままでは前が見えない。だからといって、取ってしまう勇気は無い。合わせる顔も無いし、自分の顔が周りから見える状態になることがトリガーとなってまた暴走してしまったりしたら、目も当てられない。

 そういうわけで、頭から被せられた状態のまま、ボタンのある側が顔の前に来るまで上着をそろそろと回し、しかし外側からこちらの顔は見えないように前を閉じ、わずかな隙間からこちらの視界を確保した。

 外から見たら連行される容疑者のような姿だろうな、と思ったが、ひとまずはこれより良いやり方が思いつかない。


 来たその日のうちに巨大海蛇が出るとは思っていなかった(というよりは、そもそも出ないと思っていたのだが)ため、何日か泊まりこめるように着替えその他を持って来ていたのが幸いだった。置いておいた自分のスーツケースをこそこそと取ってきたが、まさかここで着替えるわけにもいかない。と思っていると、それを察したのか、有馬が声をかけてきた。

「船の操舵室で着替えてくると良いよ」

 ありがたくその提案に乗らせてもらい、顔を隠したまま船へ向かった。操舵室に入ってから初めてコンパクトを見ると、思っていたほどにはメイクは落ちていなかった。麻倉の言葉からはもっと落ちてしまっているような印象を受けたのだが、あれはいつもの憎まれ口の一環に過ぎなかったのだろう。

 まあ微妙に落ちている分、完全なすっぴんよりもかえって見苦しかったのは確かだが。


 着替えとメイク直しを済ませてテントに戻ると、偽警官・東雲が椅子に縛りつけられ、その周囲に少しずつ距離をとって人が集まっていた。東雲のすぐ傍に有馬とカクコ、そこから少し下がったところにイトウが立っており、矢部と麻倉は少し遠巻きにして様子を窺っている。

 とりあえず、自分の他に注目の的がいるのはありがたいことだ。

 東雲を縛るのに使われていたのは、今度は安っぽいビニール紐ではなく、登山用のザイルにも似た、見るからに丈夫そうなロープだった。東雲は脱出しようともがいたが、ビニール紐の時だって火を使って焼き切るまで脱出できなかったのに条件が厳しくなったこの状況でそんなことができるはずもない。そもそも、今ロープを解けたところで、有馬やカクコに再度取り押さえられるのがオチだろう。

「頑張ってるところ悪いけど、そのUMA捕縛用ロープは象が暴れても千切れずナイフでも切れない上に、耐火・耐腐食性だ。人間の力で暴れたくらいではどうにもならないのはもちろんのこと、今度は火を使って焼き切るのも無理だよ」

 有馬にそう言われてもなお藻掻もがいた挙句、東雲は椅子ごと倒れてしまった。

 その東雲を椅子ごと引き起こしたのは、カクコだった。


「お前にはいろいろと聞きたいことがある。さっきの言葉の意味、それにお前達の仲間についてな」

 顔を覆うサングラスとマスク、そしてどこの訛りともつかない妙な発音のせいで、感情がまるで掴めないのが不気味である。これなら怒鳴りつけられた方がまだマシかもしれない。そんな不気味なカクコを、東雲は果敢かかんにも睨みつけながら叫んだ。

「殺すなり拷問にかけるなり好きにするがいい!だが、何をされようとも私はあの方を裏切ったりはしない!」

「ほう?」

 何を考えているか読めないだけに、カクコには今この場で拷問を始めてもおかしくなさそうな怖さがあった。

 その時、パチパチパチ、と空気を読まない拍手がテント内に響いた。

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