第三章:UMA探偵と人喰いミズコ-2

「おっ、おい待て、落ち着け、いったいどうしたんだ急に?!」

 中年男の裏返った声に、有馬は顔を上げた。

 こっちはすみやかにシーサーペント対策を考え直さなくてはいけないというのに、何だというのだ。文句の一つでも言おうかと思って振り向くと、しかしそんな場合ではなかった。


 真っ先に見えたのは、こちらに向けてじりじりと後退してくる中年男と若い男――確か、中年の方が麻倉、若い方が矢部だったか――の背中だった。

 問題はその向こうにいる人間、ルルとか呼ばれていたリポーターの女だ。より正確に言うならば、そのルルがこちらに向けて構えている物である。


 スピアガン。


 帰りの船でスピアをセットし直したので、三発フルで入っている。テントに戻ってきた時、そこらに放り出しておいたのをいつの間にか取られていたらしい。

 何がどうしてこうなった。

 有馬は頭を抱えたくなった。

 一難去ってまた一難とはよく言うが、まだシーサーペントの件が片付いてもいない、一難去っていない状況で新たに一難が現れるというのは随分な話である。武器をそこいらに置いておいた有馬自身にも問題があると言えばあるのだが、よもやそれを使おうとする者がいるとは思わなかった。


「……これはいったいどういう状況なんだ?」

 有馬は、自分のところまで下がって来た矢部に、小声で尋ねた。

「いや、俺にも何が何だか……。班長が化粧が落ちて酷い顔だ、って言った途端に無表情になったかと思ったら、置いてあったあれを取り上げて、こんなことに」

 何だそれは。

 確かに無神経というか失礼な発言ではあるが、シーサーペントの頭を吹き飛ばせるスピアガンを持ち出すようなことではないだろう。更に言うなら、有馬の目から見てルルはそのくらいのことで逆上するようなヒステリックな性格でもない。確かに先程は多少取り乱していたが、大型のUMAに襲われ、挙句に海にまで落ちた場合の一般人の反応としては、かなり冷静さを保てていた部類に入る。多くの人間はもっと手がつけられないほどパニックに陥るものだ。

 もっともそれを言うなら……。

 有馬は、横目で矢部を見た。

 UMAを目の当たりにしても文句一つ言わず再度撮影におもむき、今もスピアガンを向けられているにも関わらず大して焦っているようにも見えないこの男は更に特異な部類に入るだろう。もっとも、この男の場合、冷静というのとはまた違う気がする。

 いや、矢部のことはひとまず置いておこう。当面の問題はルルの方だ。


「待て待て、見苦しいとか言ったのは、その、言葉の綾というやつだ、い、いやー、スッピンでもそんなに悪くな……」

「見るな……」

 ルルは低い声で呟いた。目が完全に据わっている。どうにも、怒り狂っているというよりは単に狂っていると表現した方が良さそうな様子である。

「え……?」

 麻倉は聞き取れなかったのか、間抜けな顔で聞き返した。

「見るな見るな見るな見るな見るな見るな見てるんじゃないこっちを見るんじゃねええええ!」

 最初はぶつぶつと呟くくらいだったその言葉は最後は叫びとなり、そして、スピアが撃ち放たれた。

 爆音と悲鳴が耳を貫く。


 人を撃たないだけの理性が残っていたのかは不明だが、幸いにして、スピアが放たれたのはあさっての方向だった。

 しかしテントには大穴が開き、その周辺では散らばった燃えさしがぶすぶすとくすぶっている。テント自体は難燃性の素材だからすぐに燃え広がるということはないと思うが、早めに消火した方が良い……のは間違い無いのだが、この状況下で下手に動いて相手を刺激すると、今度こそ撃たれかねない。

「事情はよく分からない、というかまったく分からないが、とりあえずこっちを見るなと言われてるからには、言う通りにした方が良い」

 有馬がそう言うと、矢部と麻倉、それに少し離れた所で唖然あぜんとしていたイトウとカクコ――カクコの方は実際どう思っているのか不明だが――もその言葉に従った。

 相手に背を向けたのには、他にも理由があった。有馬は、ルルから見えないように、ふところからこっそりとテーザーガンを取り出した。最悪、先刻の警官の様にこれを使って電気ショックで無力化するしかない。しかしながら、できれば使いたくない手だ。相手がこちらの挙動に気づいて先に撃ってきたら、あるいは電気ショックで痙攣けいれんした際に誤って撃ってしまったらまずいことになる。

「素人が撃ってそうそう命中させられるとも思えんが、あれ、命中しなくても爆発に巻き込まれて死にかねんからな……」

 思わず漏らした独り言が聞こえたらしく、すぐ隣にいた矢部が小声で返した。

「悪いお知らせを追加して申し訳ないんですが、ルルさん、猟銃のライセンス持ってて射撃の腕はなかなかのものです」

「何でリポーターがそんなスキル持ってんだよ。何だその御都合主義」

 もっとも、この場合の御都合主義は普通と違って御都合が悪い方だが。


「台無しだ、台無しだよ……」

 ルルはまたぶつぶつと呟き出している。

「見えないように見えないように見られないように見られないように見つからないように見つからないに頑張って頑張って見せかけの私を作り上げてきたのに、ずっとずっと頑張って頑張って見せかけて見せかけてきたのに」

 ……何だ?さっきから見るなとか見られるとかに随分拘ってるな。もしかして、こいつ、他者視線恐怖症か何かか?

 しかしだとしたら、せないことがある。

 有馬はルルに聞こえないよう、小声で矢部に尋ねた。

「おい、あいつ、何だかさっきからやけに見られることを嫌がってるが、何でそんな奴がよりによってリポーターなんかになったんだ?リポーターなんてさんざん見られまくる仕事だろ」

「あ、ルルさんは元々はリポーター志望じゃなかったんですが、麻倉班長のチームでリポーターやってた人が突然辞めちゃったとかで、班長が急遽きゅうきょ代わりのリポーターにしちゃったんですよ。わりと強引だったらしいです」

 なるほど、読めてきた。恐らく、化粧で念入りに顔を変え、それにより『見られているのは自分ではない』と思い込むことで、視線に対する恐怖を誤魔化してきたのだろう。

 しかしそれでも精神にある程度の負荷はかかっていたはずだ。そこにシーサーペントに襲われるわ海へ落ちるわで更に負荷がかかり、そこへきて化粧が落ちていることを指摘され、『自分が見られている』と認識したことでいっきに崩壊へと向かったのだろう。

 さて、原因については推測がついたが、これをどう事態の解決に結びつけるか。


「見張ってるんだ、ずっとずっとずっと見られてるんだ……だから見えたら駄目で見つかったら駄目で駄目で駄目で駄目だったのに台無し台無し台無しだ台無しだよ!お前らのせいで台無しに台無しに」

 まずいな、また声のトーンが上がってきている。どうする?危険な賭けではあるが、一か八か、こちらから仕掛けるか?

 有馬が汗ばんだ手でテーザーガンを握り直しながら背後をうかがおうとした時、ぐえっと蛙を潰した様な声が――いや、実際には蛙を潰した時の声など聞いたことは無いのだが――したかと思うと、どさり、と重い物が倒れる音がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る