幕間「人喰いミズコさんの実話」その2
事件からしばらくは学校に通っていなかった私だったが、いつまでもそうしているわけにもいかず、養父母にあまり心配をかけたくなかったということもあって、登校を再開することにした。
事件のことはもちろん養父母から教師達に伝えてあったのだろうが、もしそうでなかったとしても、大半の教師や生徒達は報道で知っていただろう。
大人は興味があるからといってあからさまに見ようとするのは避けるものだが、小学校低学年くらいの子供というのは大人ほどには自分を偽るのがうまくない。同級生の視線が私に集まるのは否が応でも意識させられたし、他クラスや他学年の児童まで私を一目見ようとやって来ることもしばしばだった。だが、私に直接的に接触してこようという者まではおらず、遠巻きに見ているだけだった。
そんなある日、遠足の際の班分けをすることになった。クラスで浮いていた私は、当然のようにどこの班にも誘われなかった。見かねた教師が、クラス委員長の班に、私を入れるように頼んだ。クラス委員長の少女は、他の児童よりも精神年齢が高く、しっかりしていそうに見えたため、大丈夫だと考えたのだろう。
だが、教師の予想に反して、彼女はきっぱりと断った。
「嫌です!先生、私、知ってるんですよ。その子は自分の家族を食べたんでしょ?そんなことしておいて平気で生きてる人間なんて信用できないし、気持ち悪いです」
私が家族の死体を食べたという件の噂を私自身が耳にしたのは、これが初めてだった。
何を馬鹿な、そんなこと私はしていない。
そう言おうとして、私は気がついた。
私には、あの部屋に閉じ籠もった後、病院で目を覚ますまでのはっきりとした記憶が無い。栄養失調による衰弱が原因なのだろうが、特に後の方になるほど、記憶が曖昧だった。
小卯芽が語った人喰いミズコさんの話には、一点だけ私自身にも事実かどうか不明な部分があった。その一点とは、則ちそこなのだ。
私には、自分が本当に家族の死体を食べたのかどうかが、分からない。いや、死体であれば、まだ良いかもしれない。もっとおぞましい可能性すらあるのだ。
そのことに気がついた時、心のどこかで、冷静にこう思う自分がいた。
なるほど、クラス委員長の言う通りだ。確かにそんな人間は信用できないし……気持ち悪い。
まだ若い教師は一瞬凍りついていたが、それでもクラス委員長を
「誰が言ったのか知りませんが、そんなデマを真に受けてはいけません」
「うちのお母さんと内藤君のお母さんが話してるのを聞きました。先生は、私のお母さんや内藤君のお母さんは嘘つきだって言うんですか?」
クラス委員長は確かにある意味では当初の見立て通り精神年齢が高めだったようで、小学二年生にも関わらず、中学二年生のような屁理屈を並べだした。教師の側が仮に普段から中学生を相手にしていれば、何とでも反論できたかもしれない。
しかし、経験の浅い教師は、そのような言葉が返してくる小学二年生がいることは予想だにしていなかったらしい。しどろもどろになりながら、反論とも言えない言葉をもごもごと呟くだけだった。そうこうしているうちに、クラス委員長の口からとどめとなる言葉が発せられた。
「それに、もしその話が嘘だったとしても、三井田さんが、自分だけ助かろうとしてまだ赤ちゃんだった弟を見殺しにしたのは事実ですよね?三井田さんが勇気を出して助けを呼びに行ってたら、三井田さんの弟は死なずに済んだんですから。そんな自分さえ良ければ良いなんて人、仲間に入れられるわけないじゃないですか」
私の事件が人喰いミズコさんの都市伝説になった時、事実かどうか分からない点とはまた別に、抜け落ちている重要な一点があった。
それは、あの時死んだのは両親だけでなく、まだ乳児だった弟もであったという点である。
しかしながら、弟は両親とは違い、強盗によって殺されたわけではない。私が両親の寝室に閉じ籠もった時点では、まだ生きてそこにいたのだ。だが、乳児が飲まず食わずの三日間に耐えられるはずもなく、発見時には既に死亡していた。
クラス委員長の言う通りである。もしも私が、強盗の脅しに屈して部屋に閉じ籠もったりせず、早い段階で助けを呼びに行っていれば、両親はともかく弟だけは助かっていたに違いないのだ。つまり、間接的には私が弟を殺したとも言えるのだ。
だが、それとて最悪の可能性ではなかった。
もしも、家族の死体のどれかが食べられていたとして、それは誰のだったのか。父?母?それとも……弟?
そして、もしも食べられていたのが弟だったとすれば、はたしてそれは本当に死んだ後に食べられたものだったのか?
私は、間接的に弟を殺したどころではなく、まだ息のある弟を殺して食べた可能性すらあるのだ。記憶が無い以上、それを完全には否定できなかった。
他の生徒達もざわめきだした。
「やっぱりあの話、本当だったんだ」
「うちの母ちゃんもそんなこと言ってた」
「気持ちわりー。よくそんなことできるな」
養父母が事件に関するものは私の目に入らぬよう気を配っていたため当時の私は知らなかったが、強盗によって平和な一家の三人が殺され、六歳の子供一人が三日間飲まず食わずの状態で閉じ込められたという陰惨な事件は大衆の目を引くものであり、ニュースやワイドショーなどで繰り返し報道され、私の名前はすっかり有名になっていた。
そして、例の週刊誌が書いた人喰いの噂も、その衝撃的な内容故にどんどん広まっていたのだ。さすがに堂々とその週刊誌と同じスタンスをとり、私が実際に家族の死肉を食べたのではないかと報道するものはワイドショーにも無かったが、『こんな酷いことを書いて被害者を傷つけている悪いゴシップ誌がいるんですよ』と表向きその週刊誌を批判するというポーズを取りつつ、大衆の野次馬根性を満足させようとするマスコミは少なからずいたというのも影響した。
私の名前は、人喰いの汚名がついてまわるものとなってしまっていたのだ。
そんなことも知らずに、私は堂々と本名で学校に通っていたのである。
言われてみれば、通学途中ですれちがった近所の人達が、こちらをちらちらと見ながら、『ほら見て、あの子よ』などと小声で話すのに気がついたことも一度や二度ではなかった。
それまで私は、あれを同情の視線だと思っていた。『ほら見て、あの子よ』に続く言葉は『可哀想に』だと思っていたのだ。それだって、正直なところ気分の良いものではない。だが、実際にはあれは同情ではなく、嫌悪の視線だったのだ。『ほら見て、あの子よ。可哀想に』ではなく、『ほら見て、あの子よ。気持ち悪い』だったのだ。
人によっては、同情されるくらいなら嫌悪される方がまだましという場合もあるだろう。しかし少なくとも、小学二年生当時の私にとっては、そうではなかった。
この時、私は、自分では冷静に状況を受け止められているつもりでいた。だが、実際にはそうではなかったらしい。
「見ろよ、あんな顔して人間の死体喰ったんだぜ?」
「俺はずっと見ているぞ」
「あんな顔してっていうか、むしろ平気でそれくらいしそうに見えね?」
いつの間にか、実際に聞こえてくる声と、幻聴が入り混じっていた。いや、もしかすると、実際に聞こえている声などというものはそもそも無かったのかもしれない。
「この部屋のドアも窓も、ずっと見張っている。お前が出てこないか、ずっとずっと見張っている」
「どう見ても本当のこと言われて焦ってるって顔じゃない、あれ?」
「ほら見て、あの子よ。気持ち悪い」
見るな。
「ずっと見張っている」
見るな見るな。
「ずっとずっと見ている」
見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな。
私を見るな!
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